大河ドラマの思い出
作者がまだ小学生の頃は、インターネットなどができる前、スマホやSNSなどもまだ発達しておらず、21世紀なんてまだまだ先の話と思っていた。
我が家では当時から日曜日の午後8時になると、
大河ドラマを見ていた。
小学1年生の時に、『山河燃ゆ』をやっていたが、当時はまだ意味もわからず見ていた。
ようやく意味がわかって見るようになったのは、近代三部作の後、『独眼竜政宗』くらいからかな。それから『武田信玄』『春日局』と続いていく。
実は幼少期から、他の科目はイマイチ、体育とかもイマイチだったのにも関わらず、どういうわけか、社会科だけは得意で、その中でも歴史だけは得意だった。だから、大河ドラマにもすぐに馴染めた。
今は亡き祖母が時代劇とか、大河ドラマとかを好んで見ていた影響もあった。
時代は昭和から平成へ。昭和天皇が崩御し、新しい年号が平成と発表された当日も、いつものように暇な時間はファミコンのゲームにいそしんでいた。
学校のみんなが、当時流行りのトレンディドラマに出てくる俳優や女優の話題で盛り上がっている時にも、自分は構わず時代劇や昭和スターや、『火サス』『土ワイ』といった、サスペンスドラマとかの話題だった。
当時は、流行りのアイドルとか、流行りのトレンディドラマとかを知らないと学校の話題にもついていけないというような風潮があったが、当時の自分は、そんなことは特に気にもとめることは無かった。
まだバブル全盛期だったから、ドラマとかも、トレンディドラマのような内容のものが求められていた。
『ドラクエ』もプレイしていたが、当時のドラクエはまだ、『ふっかつのじゅもん』というのがあり、その長い『ふっかつのじゅもん』をメモって、覚えておかないとやり直しがきかない、という時代だった。
朝ドラの『カム○ムエ○リバディ』でも描かれていたように、1990年代には既に時代劇が下火になり始めていた頃だったという。
そして、何より、自分は小学2年生で、ミハイル・ゴル○チョフに興味を持っていた。
ゴル○チョフは、日本では人気があって、『ゴルビー』という愛称で呼ばれていたけど、本国では人気が無かったそうな。
本国よりも、西側の指導者に近い感覚だったのではないかと、今にして思う。
時代はベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一、そして東西冷戦も終わり、世界平和に向かっていくと、誰もが思っていた。
この先起こる幾多の事件や、情勢の変化のことなど、全く考えもしないまま、日々を謳歌していた。
中学校に入り、女子の胸が大きくなり始め、すごく胸が大きい女子がいて、その女子の胸が気になっていた頃の大河ドラマ。
『翔ぶが如く』『太平記』『信長~KING OF ZIPANGU~』と続く。
ゲーム機はファミコンからスーパーファミコンになる。
高校に入る頃にはバブルが弾けていたものの、そのうちまた景気が良くなるさ、という楽観論が、まだあった。
『琉球の風』は半年しかやらなかった。そればかりか、沖縄をテーマにした大河ドラマも、あれ一度きりだ。
『琉球の風』 朝鮮出兵で明国との関係が険悪になり、明国の珍しいお宝とかが手に入らなくなったので、琉球に目をつけた。
1609年に島津家久が行った琉球侵攻がテーマとなっている。これをきっかけに琉球は薩摩の傘下に入るというあらすじ。
自分の人生の一場面一場面、その隣に、いつも大河ドラマはあった。
勉強の成績がイマイチの時も、体育の持久走で同級生についていけなくて、周回遅れになったりした時もあった。
当時は毎日が長く感じていた。一週間が長く感じていた。
やっと迎えた一週間後のこの時間。そしてまた、それが終わるとまた長い一週間が始まる。
それでも、一週間後にようやく迎える、楽しみな番組の時間があったからこそ、一週間を頑張れた。
自分はどうも、自分の趣味や嗜好を誰とも共有しないで、自分一人だけで楽しみたいという傾向がある。
何も共有できるものが無いのなら、同じ空間にいる意味があるのか、そんなことを考えていた。




