こんな大河ドラマはどうか? 歴代将軍・執権【鎌倉幕府】
歴代将軍、執権は、歴代の大河ドラマには既に何回も登場しているが、今さらではあるが紹介する。
なお、征夷大将軍とは、平安時代よりも前の時代は、坂上田村麻呂をはじめ、東北地方の蝦夷を征伐するために派遣された軍勢の総指揮官という役割だった。
源頼朝が征夷大将軍になった鎌倉時代以降は、幕府の将軍のことを指すようになった。
鎌倉幕府 歴代将軍
初代 源頼朝
2代 源頼家
3代 源実朝
なお、鎌倉幕府の場合は、源氏の将軍が3代で途絶え、その後は執権の北条氏が実権を握ることになる。
鎌倉幕府 執権
初代 北条時政
そもそも最初は、伊豆に流されてきた頼朝を、北条氏がかくまったことから、源氏と北条氏の関わりは始まった。
そして頼朝は平家を滅ぼし、鎌倉幕府を開き、頼朝は将軍に、時政は初代執権になる。
頼朝亡き後は時政が非情になり、その時政もまた、義時と政子に追放されるという。
鎌倉幕府の歴史って、ずっとこんな、蹴落とし合い、殺し合いの歴史だったの?
何が『いい国【1192】つくろう』だよ。
北条得宗家にとって、支配しやすい体制のための『いい国』だったのでは?
これも本当は、『いい国【1192】』ではなくて『いいハコ【1185】』つくろうに、いつの間にかなっていた。
最初は本当に『いい国【1192】』をつくろうと考えていたのかもしれないけど、いつしか主導権争いになり、やがて北条得宗家が実質、独裁体制を築いていった。
その挙げ句に、鎌倉幕府滅亡の時の語呂合わせは、『一味散々【1333】』鎌倉幕府滅亡という。
2代 北条義時
『鎌倉殿の13人』の主人公。承久の乱で活躍。
父の時政の追放や、3代将軍の実朝の暗殺に関しても暗躍していたのではないかというが、果たして…。
源氏の将軍が3代で途絶えた後に、藤原頼経を4代将軍に起用するが、以降の将軍はお飾りの扱いだった。
3代 北条泰時
『御成敗式目』を制定する。貞永元年8月10日制定。
鎌倉幕府の執権だけでなく、日本史上でも屈指の名宰相との呼び声も高いという。
4代 経時
泰時の子は、時氏といったが、4代執権に就くことなく28歳で病死したため、時氏の長男の経時が4代執権に就く。
5代 時頼
経時の弟。子には時輔、第8代執権の時宗、宗政らがいる。
大河ドラマ『北条時宗』に登場した。
6代 長時
重時の子。重時は義時の三男。
北条家は家系図が複雑であり、『時なんとか』という似たような名前の人が多い。
みんな、ほとんど親戚同士といえる。
7代 政村
政村流北条家の祖となる。名越流などとともに、分家の一つになる。
嫡男ではなかったため、直ちに執権にはなれなかったが、長時の死後に、他に適任者がいなかったこともあり、ようやく執権の座が転がり込んできた。
8代 時宗
蒙古襲来に対処した。
兄の時輔が後を継ぐことができずに廃嫡となった後に、6代の長時、7代の政村が執権となる。
蒙古からの使者が来た時に、対応に苦慮した政村に、半ば執権の役割を押し付けられるような形となる。
こうして、7代の政村が退いた後に、時宗は18歳で8代執権となる。
9代 貞時
10代、11代、12代、13代の執権は、いずれも短期間で入れ替わり、実権は貞時が握り続けた。
14代 高時
事実上の最後の執権。15代、16代もいたものの、やはり高時が実権を握り続けた。




