こんな大河ドラマはどうか? 卑弥呼(ひみこ)
時は、まだ大和朝廷が全土を統一するよりも前の話。
稲作が始まり、日本に米を食べる文化が広まり、やがて定住生活を始める。そうして『村』ができ、やがてそれは『国』となっていく。
『国』ができると、『国』同士の争いになっていく。いくつもの小国が分立し、この時代はまさに戦国時代の国盗り合戦の様相を呈していた。
男の王たちは、自分たちの国を広げることを考え、戦を繰り返していた。
そんなさなか、ある1つの国があった。その国は女王の治める国であった。
国の名を、『やまたいこく』、邪馬台国といった。
そして女王の名は、『ひみこ』、卑弥呼といった。
始まりはこんな感じ。
弥生時代の衣服に関しては忠実に再現しようと思えば再現できるかもしれないが、何しろ卑弥呼の時代に関する文献は『魏志倭人伝』を参考にするより他に無いので、それなら逆に空想で物語を書いてしまおうか、と考える。
倭の国の戦乱を治め、国をまとめるために、卑弥呼が邪馬台国の女王となるところから、物語は始まる。
次に、食事に関しては弥生人の食事と現代人の食事では、異なる部分といえば、噛む回数だろう。その回数は、なんと約4000回とも言われ、食事時間は1時間にも及んだという。
これは、現代人には到底及びのつかない数字である。
●弥生時代のおもな食べ物 穀物:米、あわ、ひえ、きび、大麦、小麦など。
木の実:どんぐり・くるみ・かや・とち・くりなど。
まめ類・果物:まめ、うり、ももなど。
野生動物:いのしし、しか、くま、うさぎ、たぬき、きつねなど。
卑弥呼の時代の食事。卑弥呼も、台与も、このような食事をしていたのかと想像する。
大陸では後漢が滅び、三国志の時代になっていた。やはりこちらも、戦乱の時代に突入していた。
一方のヨーロッパでは、ローマ帝国の五賢帝の時代が終わり、『危機の三世紀』という時代を迎え、コンモドゥスの暗殺をきっかけにして、やはり動乱期に突入していた。
卑弥呼は大陸に使いを送り、魏の国の王から金印をゲットしたというが、私はふと、あることを考えた。それは、この時代にどうやって海を越えて大陸に渡ったのか?ということだ。
聖徳太子が遣隋使を派遣するよりもさらに前の時代に、そのような航海術が既にあったのかと思い、私は調べてみた。
弥生時代には丸太をくり抜いて造った丸木舟に竪板や、舷側板等の部品を組み合わせた準構造船という大型船があったと考えられています。
これを見て、なるほど、このような船を使って海を渡り、魏の国まで行ったのだな、と思った。
実際に準構造船が発見されたという話は無いものの、土器や銅鐸、古墳時代の船形埴輪などにも書かれているのを参考に、再現されているものもあるそうです。




