這い寄る異形
……さて、状況を整理しよう。
海で生き物観察をしていた私達……ムウゼさんとティズさん、エドの四人は、突然発生した高波に呑まれてしまった。
ムウゼさんの子供の頃の記憶を垣間見ていた私は、気が付いたら暗い洞窟の中に。運良く四人ともはぐれずに済んで良かったけれど、そもそもこの洞窟ってどこなんだ……?
私が目覚める前に、ティズさんが近くを調べてきてくれていたらしい。
彼が言うには、どうやらこの洞窟は海に繋がっている。ならばそこから外に出れば良い──と思いきや、事はそう簡単には解決出来そうになかった。
「この先から海に繋がる水場があるものの、海流が流れ込んでくる場所であるらしく、泳いでそこから脱出するのは現実的ではないですね」
「泳いで出るには距離がある、という事ですか?」
エドの問いに、ティズさんは頷く。
「ええ。私やムウゼ氏のように、日頃から鍛錬を積んでいる騎士であっても息がもたないでしょう。エドゥラリーズ様や姫様であれば、尚の事……」
「うーん……。ティズなら仕方ないと思いますが、ムウゼでも無理となるとどうにもなりませんね……。それに、ルカに危険な橋を渡らせるだなんて言語道断です!」
おおぅ……。ティズさんへの風当たりだけが強いエド、通常運転だね……! まあ、エドも元気そうなら一安心ではあるんだけれど。
「でも……そこが使えないとなると、私達はどこから外に出れば良いんですか?」
すると、ムウゼさんが言う。
「……風の流れがある」
「風……ですか?」
「この洞窟を進んだ先に、外へ続く道があるという証だ」
「本当ですか!?」
やった! それならしばらく中を進んでいけば、そのうち外に出られるって事だよね?
すると、ムウゼさんの言葉を聞いたエドが黙り込んだ。けれども少しの間を置いて、彼が洞窟の奥の方を指差した。
「……ムウゼの言う通り、向こうから微かな風の流れを感じますね。もしかして、ムウゼも風に関連する魔族の一族なんですか?」
「はい。私は翠風の魔族にございます」
「へぇ、翠風の……。ボクの母上は風の悪魔なので、得意属性も風なんですよね。やはり、ムウゼからは学べる事が多そうです!」
「左様でございますか。エドゥラリーズ王子も、その齢で風を読む力に長けておられるとは……。私などよりも、遥かに将来性がありますな」
「やっぱりそうですよね! 流石ボク!」
ムウゼさんに褒められて、ご機嫌のエド。
彼から定期的に送られてくる手紙を読む限り、エドは日々魔法や剣術の稽古に励んでいる。
それはエドがスカレティアの魔王になる為に必要不可欠な事だけれど、彼はその努力を苦に思っていないようなのだ。
元々、才能に恵まれている部分もあるかもしれない。そのうえで勉強や鍛錬を楽しんで上達していっているのだから、まだまだ小さな子供である彼が風を読む力があるというのも、全く不思議な話ではない。
……むしろ、火力がバカみたいな魔法弾をぶちかます私の方に問題がある気がする!
いやね? 治癒魔法はまだいけるんだよ?
攻撃魔法を使うのと違って、治癒魔法なら周囲への悪影響は考慮しなくて良いし。魔力量だって子供にしては異常な程に豊富だから、広範囲の味方を一気に大回復出来ちゃうからね!
……まあ、やりすぎると敵まで纏めて回復しそうだけどさ!
私のこの身体がまだ幼いせいもあるのかもしれないけれど、それにしたってエドは凄いんだよね。
私より二、三歳はお兄さん。それで努力家なんだから、将来はムウゼさんの言うような立派な魔王様になれるはずだ。
「ひとまず、お二人が風を読めるのであれば安心ですね。俺が潮溜まりを観察しようなどと言い出さなければ、皆さんをこのような事態に巻き込まずに済んだというのに……。申し訳ございません……」
「ティズさんのせいじゃないですよ! あんな大きな波が来るだなんて、誰も分からない事だったんですし……!」
「……ありがとう、ございます」
私が必死に励ますと、落ち込んでいたティズさんは小さく微笑んでくれた。
……何というか、ティズさんってちょっとネガティヴ思考気味だよね。
私がスカレティアに誘拐された時だって、自分に責任があるって己を責めていたし……。それに、何かエドに毒を吐かれてるし……!
責任感が強すぎるっていうか、自己肯定感が低いっていうかさ……? 何ていうか、放っておいたらいけない捨て犬みたいな……?
ああ……そう思ったら、ティズさんに犬耳と尻尾が生えてる幻覚が見えてきた! 耳がぺたんと垂れて、控え目に尻尾を振ってる幻が……!!
*
それから私達は、出口を目指して洞窟内の探索を開始した。
基本的にムウゼさんが外から流れてくる風を読み、エドとも意見を擦り合わせながら、分かれ道のどちらが正解かを選んでいく。
そしてティズさんが火属性の魔法で明かりを出してくれているので、視界は確保出来ている。
私も出来る事なら魔法で光を出したいのだけれど、私の属性については秘密にしなければならない。ここにはティズさんとエドも居るからね。私とムウゼさんだけだったら、存分に光魔法で明るくしてあげられたんだけど……残念ながら、今の私には特に役に立てる事が無かった。
先頭はティズさんで、次にエド。その後ろに私と、最後尾がムウゼさんの順に歩いていた、その道中。
「…………?」
私はふと、背後に妙な気配を感じて振り返る。
「どうした、ルカ」
「え……っと、何でもない……と思います」
「……そうか。何かあれば、すぐに言うのだぞ」
「はーい」
ムウゼさんにはそう答えたものの、先程感じた妙な違和感が拭えない。
何かの魔力を感じるというよりは、誰かにずっと見られているような……後をつけられているような、そんな感覚。
けれども私以外はそんなものは感じていないのか、淡々と出口を目指していくのみ。
私の神経が過敏になっているだけ……なのかな?
「……でも、何だか……」
得体の知れない何かが這い寄って来るような……その嫌な感覚が、どうにも強くなっている気がしてならなかった。
思わず足を止めて振り返れば、魔法の光が届かない暗闇が広がっていて。
その闇を見ていると、妙に心が騒ついてしまう。
すると、急に立ち止まった私に気付いたムウゼさん。
「……おいルカ、やはり何か気になる事があるのではないのか?」
「うーん……。気になる……というか、何だか……変な感じがするんです」
「変な感じ……とは、具体的にどのような?」
「ムウゼさんは何も感じないですか? さっきからずっと、後ろの方から誰かが追ってきてるみたいな──」
と、私が言葉を続けようとした矢先、異変は遂にその姿を露わにした。
「ルカ!!」
「……っ!?」
何かが空を割くような、ビュンッ! という音。
その『何か』が素早く私に向かって来ている音なのだと理解するのと同時に、ムウゼさんが私を庇うように飛び出した。
「な、何事ですか!?」
「ルカ! ムウゼ!」
「ムウゼさん……!!」
ムウゼさんの叫び声で、異変を察知したエド達。
ティズさんの灯す光に照らされて、私達はその『何か』の正体の一端を掴む。
本来ならば私を狙っていたその『何か』は、薄汚い緑色をした何本ものツタ……いや、ぬらぬらとした触手を伸ばしていた。
その触手は、私を庇ってくれたムウゼさんの身体に絡み付き、抵抗する彼を雁字搦めにしている。よく見れば触手には吸盤が付いているようで、簡単には抜け出せない力であろう事が窺える。
……もしもこれを喰らっていたら、今頃私は呆気なく捻り潰されていたと思う。
「くっ……! 何だ、この魔物は……!?」
「姫様は離れて下さい! 俺の後ろに!」
「は、はい!」
さあルカ、と手を差し出してくれたエドの手を掴み、二人でティズさんの後ろに隠れる。
するとティズさんは腰に挿していた剣を鞘から引き抜き、すぐさま触手に向かって斬り掛かった。
けれども触手はびくともしない。
「……っ、ならばこれならどうだ!」
今度は剣に水の魔力を纏わせ、再度斬り掛かる──が、剣が触手に触れた途端、魔力ごと弾き返されてしまう。
「魔力が……掻き消された……!?」
唖然とするティズさんを嘲笑うかのように、今度はまだ暗闇から伸びて来る別の触手が、彼の手から剣を奪い取ってしまった。
「なっ……!?」
「何やってるんですか、ティズ! それでもスカレティアの騎士ですか!?」
「ルカ達を連れて逃げろ、ティズ! この触手……触れた者の魔力を吸い上げるぞ!」
「そ、そんな……!」
剣では斬れず、魔法は弾かれ、魔力が吸われる……。
まだ暗闇の先に居る触手の魔物が、新たな獲物として近くに立ち尽くすティズさんを狙っていた。
「逃げろ!! 早くッ!!」
「……っ、すみません!」
触手が伸ばされるよりも早く、ティズさんが苦渋の決断でその場から駆け出す。
「失礼します……!」
と、彼が両腕にそれぞれ私とエドを抱き抱え、全力で走り出した。
「待って下しゃい! ムウゼしゃんをこのまま置いて行くんれすか!?」
滑舌が崩壊するのも気にする余裕も無く、どんどん見えなくなっていくムウゼさんの方を必死で振り返る私。
「剣も魔法も効かず、魔力まで吸われてしまえば……全員助かりません……!」
「だからって、ムウゼしゃんを見殺しにしても良いって言うんれすか!?」
「…………恨むなら、俺を恨んで下さい。姫様とエドゥラリーズ様をお守りする事が……俺達のつとめなのです……!」
いくら魔族といえども、魔力が枯渇すれば生命の危険がある。
共倒れになるよりは、ムウゼさん一人を犠牲にして脱出する方が生き延びる確率が高い。
……そんなのは分かってる。ここで私やエドが死んでしまったら、ヴィオレもスカレティアも後継者を失う事になるんだから。
だけど……だけど私は、皆を護れるような魔王になるって決めたんだ!
お父様みたいな、強くて優しい魔王になるんだ──!!
「……っ、ムウゼしゃん!!」
「あっ、姫様!?」
私は走り続けるティズさんの腕の力が緩んだ一瞬の隙を突いて、無理矢理抜け出した。
転んでしまいそうになりながらも、私なりに全力疾走でムウゼさんの元まで駆け付ける。
「ムウゼしゃん! 助けに来ました!!」
「なっ……ど、どうして戻って来た!?」
「そんなの、当たり前じゃないれすか……!」
ティズさんから離れたせいで暗くなる為、光属性の魔力で生み出した光の玉を作りながら、その魔力を暗闇の先──触手の魔物の本体が居るであろう方向に向けて、全力で放出させる。
「だって私は……ヴィオレの魔王になるんですから!!」
相手が魔力を弾くというのなら、その防御すら打ち破る火力で。
相手が魔力を吸収するのなら、吸い切れないようなとんでもない魔力量をぶつけてやれば……!
私の渾身の力を込めた光の魔力弾は、魔法と呼ぶにはあまりにも荒削りだ。
けれども、お父様は言っていた。
私の魔力量は大人顔負け。コントロールは甘いけれど、威力だけなら申し分ない。
そんな私が、ムウゼさんを護る為に思いっ切り魔法をぶちかましたら──
洞窟内が、目を開けていられない程の光に満ち溢れた。
その光が収まると、慌てて戻って来たティズさんが周囲を照らす。
「あの触手が、跡形も無く消えている……?」
ムウゼさんに絡み付いていた触手も、その奥に続いていた魔物本体の姿すら、影も形も無い。
その証拠に、先程まで感じていた妙な感覚もすっかり無くなっていた。
良かった……助けられたんだね、私。
「ムウゼさん……!」
「ルカに……助けられて、しまったな……」
魔力を吸われて疲れた様子のムウゼさんが、がくりと膝を付く。
私がまた彼の胸に飛び込むように抱き付けば、ムウゼさんがそっと抱き寄せて、頭を撫でてくれた。
彼を見捨てないで良かった。私を庇ってくれたムウゼさんを、こんな暗くて怖い場所に置いていくだなんて……私には、そんな決断は下せないもの。
……でも、どうしよう。
私、思いっ切りエド達の前で光魔法使っちゃったんですけど……!!