近くて遠い夢の中で
ふと気が付くと、私は見慣れない部屋の中に居た。
……ううん、正確には違っていた。
私としての意識は別の所にあって、小さな金髪の女の子──私がルカとして生きている身体の持ち主の『この子』が部屋の中で佇んでいるのを、少し宙に浮かんだような視点から眺めている状態だ。
これは……また、不思議な夢を見ているんだと思う。
前にも『この子』がどこかで暮らしていた頃、金髪の女性と一緒に居た場面を夢で見たのだ。目が覚めるとその事もほとんど忘れてしまって、今こうして【自分が夢を見ている】という自覚がある瞬間だからこそ、それを思いだす事が出来ている。
確か私は、ぼっち飯疑惑の侍女さんが気になって後を追い掛けて、彼女が入って行った塔を探索していたはず……。
そこで見付けたのが、天使襲撃事件で救出した金髪の女性。その女性にどこか見覚えがあるなと思ったところで、急に意識が遠のいたんだった。
前にもムウゼさんとナザンタさんの故郷に着いて行った時、彼らの子供時代の光景を、白昼夢として見た。
これもまたその現象の一つなのだとすれば、やっぱりこれは……本来の身体の持ち主だった女の子が過ごした、少し昔の出来事なのだろう。
……それにしても、この部屋はなんて殺風景なんだろう。
壁も床も特徴が無く真っ白で、窓も無い部屋。無造作に放り出されたままの毛布が一枚落ちている以外、家具や日用品らしき物は見当たらない。
ヴィオレの王宮にある私の部屋とは、まるで正反対だった。
こんな所に小さな女の子を放置しているだなんて、この子の親は何を考えているの……!?
私……いや、この子の親らしき人が全然捜しに来ないのは、普段から育児放棄をしていたからだったというのか……。
そうだとしたら、私がエディさんに拾ってもらえたのは、本当に幸運だったんだろうな。そうでなければ、今頃私はきっと……。
そんな事を考えながら、胸の中で渦巻く様々な思いに心が押し潰されそうになっていると、先程まで目立った動きの無かった女の子がドアの方に振り返った。
魔力を感知してロックが外されたであろうそこから入ってきたのは、酷く冷たい目をした男性だった。
ぱっつりと毛先が整えられた真っ白な長髪は、腰の辺りまで伸びている。さらりとした長髪が流れるその背中には、髪と同じ純白の翼が六枚あった。
……という事は、彼は天使なのだろう。それも、翼の数が多い天使は上位の存在だったはずだ。彼の威圧感も相まって、この世界でもそのルールは同じようなものなのだろうと推測した。
「……まだ力は目覚めない、ですか」
そう呟いた声には、間違い無く怒りが含まれているのが分かった。
私に向けて告げられた言葉ではないというのに、悪寒というか、殺気というのか……とにかく嫌な感情を隠しもしないこの男は、血のように紅いその目をスッと細めて──
──パンッッ!!
と、乾いた高い音を室内に響かせる。
それが女の子の頬を強く叩いた音なのだと理解した時にはもう、あの子が無抵抗のまま床に倒れ伏していた。
男は言う事をきかない犬でも見ているかのような、相手を人間扱いしていない表情で女の子を見下ろして言う。
「アナタを造るのにかかったコストがどれだけのものだったか、その小さな脳では理解も出来ないでしょう。故にボクは、アナタには単なる『破壊兵器』としての役割以外、期待していません。だというのに……」
「……っ、ぅ……!」
『やめて!!』
当然ながら、過去の光景に向かって叫んだ私の制止も虚しく、白髪の男は片腕だけで女の子の胸ぐらを掴み、そのまま自身の目線に合う高さまで持ち上げた。
苦しそうに眉根を寄せ、小さく呻き声を漏らす事しか出来ない彼女の事を、私は指を咥えて見ている事しか出来ない……!
「どれだけの天使の魂を注ぎ込んでも、アナタの力が目覚める兆しが無い……。ボクの計画方針が悪かった、とは思えません。となれば、コレを構成する素材に問題があったのか……それとも、動力源に問題が……?」
『計画……素材……? 動力源って……天使の魂を、この子に……?』
この男は、こんな小さな女の子を【破壊兵器】だと言っていた。
……そう言われてみれば、妙な話なのだ。
この身体の持ち主──ルカとして生きている今の私には、大人の魔族も顔負けの魔力と、それを存分に発揮するだけの威力を誇る魔法の才能がある。
それは異世界転生した私だからこそ使える特別な能力なのかもしれないと何となく思っていたけれど、この男がそうなるように仕向けた能力なのだしたら……?
私が使っていたあの力は……大勢の天使の命と引き換えに得た、とんでもない呪われた力だったというの……!?
その瞬間だった。
「ん……?」
『っ、……!?』
片手で女の子を掴み上げたまま、男の視線が私にぶつかった。
間違いなく、彼と目が合った……!
「……何か、視線を感じたような気がしましたが……。ボク以外にこの倉庫に入れるのは、エリーゼしか居ないはず。そのような事、あるはずが無い……ですね」
勝手にそう納得したらしい白髪の男は、いきなり女の子を掴んでいたその手を離した。
重力に従って床に落とされた彼女は、そのままべしゃりと音を立てて着地する。その際にどこか身体を痛めたらしく、グッと奥歯を食い縛り、目尻に涙が溜まっているのが分かった。
けれどもそんな彼女に心配の言葉の一つも投げず、男はあっさりと興味を失ったように背を向ける。
「……もうじき、エリーゼが食事を運んで来るでしょう。食事を済ませた後は、次の実験に移ります。また意識を飛ばさぬよう、精々英気を養う事ですね」
それだけ言い残して、男は去って行った。
間も無くして金髪の女性──先程あの男がエリーゼと呼んでいたと思われる女性がやって来ると、女の子は彼女の足元に駆け寄っていく。
「えり……えりー、ぜ……!」
「ああ……ごめんなさい、ごめんなさい……! けれど、もう少し……あと少しだけ、我慢して下さいね……。私がきっと……貴女を、【あのお方】の元から──」
彼女が泣きじゃくる女の子を抱き締めたところで、再び私の意識が遠くなっていくのを感じ始めた。
六枚羽根の白髪の天使……それが【あのお方】。
エリーゼと呼ばれたあの金髪の女性は、前にも夢で見た──そして、王宮の塔の天辺で眠っていたのと同じ女性。
そして、天使の魂を注がれている女の子……。
今は私がその身体を借りている、【破壊兵器】と呼ばれた可哀想な女の子。
どうにかこの夢の内容を、目が覚めた後も覚えていられれば良いんだけれど……。
そんな願望を抱きながら、私の意識が深く沈んでいき──