塔の上の眠り姫……?
「前に言ってた例の旅行の件だが、こっちの準備が整ったから今夜は早めに寝るんだぞ」
ある日の朝食の席で、いきなりエディさんがそんな事を言い出した。
食堂のテーブルには私とエディさん、ムウゼさん、ナザンタさん、リーシュさん、そしてティズさんという面々が並ぶ。ここにお父様が加われば、旅行に行く予定のメンバーが勢揃いとなる。
「えっ、もしかして明日からお出掛けするんですか?」
「ああ、昨日結界の強度確認が終わったって報告が上がってな。ルカだけじゃなく、お前さんらも荷物纏めておけよ〜?」
「ちょっと……流石に急すぎないかしら?」
「そうは言っても、向こうさんの都合もあるからなぁ。こっちも予定合わせんのが大変なんだよ」
向こうの都合……?
旅行先の宿とかの話かな? どこかに泊まるんだろうし、これだけの人数だと部屋の確保とか大変そうだもんねぇ。
本格的な夏の到来を感じる時期だし、魔族にもバカンスの文化があるのなら、行楽シーズンで観光地も混んでる可能性があるもんなぁ……。となると、せっかくこのメンバーで出掛けられる機会なんだし、多少急な話だったとしても受け入れるしかないよね!
そこで私は、ふと先日のエディさんとの会話を思い出した。確かムウゼさんは、あまり旅行に乗り気じゃないという話じゃなかったっけ?
「……そういえば、ムウゼさんも一緒に来てくれるんですか?」
「むぅ……」
今日はテーブルの向かい側で食事をしていた彼にそう問い掛けると、珍しく険しい顔をして言葉に詰まっていた。
そんな兄に代わって、彼の隣でデザートの果物を堪能していたナザンタさんが語り出す。
「聞いてよルカちゃん! 兄さんったらね、エディオン様から今度の旅行先を聞いてから元気が無くってさぁ」
「おい、ナザンタ……!」
余計な事を言うなとばかりに、弟を睨み付けるムウゼさん。そこまで彼が嫌がる旅行先って、一体どこなんです……?
もしかしたら、私も困るような行き先だったりします? でも、エディさんやお父様がそんな所を選ぶとは思えないし……。だけどそうなると、こんなにムウゼさんが嫌がるような場所っていうのが全然想像が付かないんだよなぁ〜。
「……そういや、ルカにはまだ行き先教えてなかったよな。どうする? 当日までのお楽しみにしておくか?」
食後の紅茶を片手に問い掛けてきたエディさん。そっか、行き先を知らないのは私だけだったんだね。
「うーん……。そう言われると、知りたいような……知りたくないような……」
「まあ、ここまで黙ってきたなら、最後までお楽しみに取っておけば良いんじゃないかしら。きっとルカも、その方が驚くわよ」
「リーシュさんがそう言うなら、聞かないでおきます!」
「ふふっ、即答ですか」
ティズさんに小さく笑われたけど、私のリーシュさんへの信頼感は激高だからね!
ムウゼさんは相変わらず納得のいかない表情でいるけれど、そんな彼とは対照的に、他の皆の顔は晴れやかだ。……となると、ムウゼさんだけは嫌だけど、皆にとっては楽しみな場所って事になる?
……そんな旅行先って、ある? やだ……ますます行き先の予想が付かなくなってきたよ。
*
旅行は明日からという事で、今日のお仕事は急遽お休みになった。
とはいえそれは私だけの話で、子供はゆっくり過ごして体力を温存しておきなさい、という特別な配慮であるらしい。
着替えは前にリゼーア商会に用意してもらった服がいっぱいあるから、後でその中から夏用の服を纏めておこう。ひとまず今は、朝食後の散歩をしている最中だ。
シィダは最近よく寝ている事が増えていて、今朝も私よりぐっすりと眠っている。ティズさんは明日に向けてエディさんと色々準備する事があるらしく、一人で王宮内を探検中なのだった。
普段はあまり立ち寄らない廊下を歩いていると、曲がり角に差し掛かる。
その先で控え目な足音が聴こえてきたので、そこからひょっこりと顔を出してみると、侍女さんがトレーに乗った何かを運んでいるようだった。
「あれは……お皿?」
深めのお皿が一つ乗ったそのトレーを持って、その侍女さんはそのままどこかへ向かっているようだ。……あっちには確か、高い塔があるんじゃなかったかな?
侍女さん達は朝早くからお仕事をしているから、今から遅めの朝ご飯の時間だったりするのかな。でも、侍女さん達の部屋ってこっちの方だったっけ?
……というか、食事をするなら食堂で済ませれば良いんじゃないの?
あのサイズのお皿だと、多分中身はスープとかだろう。朝に弱かったり少食だったりするなら、なおさらわざわざこんな所まで食事を運んで来る手間なんて掛かる必要があるだろうか。
「……妙だなぁ」
何だか気になる……。気になるぞぅ……!
こっそりと侍女さんの後を付いていくと、やはり彼女の行き先は塔の中であるらしかった。けれども帰り道にばったり遭遇するのも気不味いので、身を隠せる場所で侍女さんが戻って来るのを待つ事にした。
侍女さんがトレーを持って塔の螺旋階段を登っていくのを見送った後、しばらくして彼女が戻って来た。丁度隠れやすそうな木の樽があったので、その裏からこっそりと確認すると、行きと同じようにトレーにお皿が乗っていた。
……という事は、あの侍女さんは誰かに食事を運びに行ったのではなく、自分であのお皿の中身を食べる為にわざわざここまで来た……のかな?
いやいや、それでもやっぱり妙でしょ! たった一品を食べる為だけに、こんな所で食事を済ませる必要ある!? もしそうだとしたら、異世界版の便所飯みたいな事になってる可能性もあるじゃんよ!
「……流石にそれは無い、かな? うーん……」
でも、よくよく考えたらこの王宮には悪魔出身の上級魔族の人達が多いんだよね。
お父様はやる気と身元がしっかりしている人なら雇ってあげるスタンスみたいだから、才能があればヴィオレの国民なら王宮で働ける。そうなると、平民出身の人と上級魔族の人が同じ職場に居る構図が出来上がる。
上級魔族の人達は私には丁寧に接してくれるけれど、それは私がまだ小さな子供だったり、お父様の義理の娘だからっていうのもあるだろう。しかし、相手が平民の大人の魔族だとしたら……?
もしもあの侍女さんが他の人達にハブられていたりして、食堂でご飯を済ませるのも大変な思いをしているのなら……。
「そういう可能性も、無くはないの……かな……」
……この国の次期魔王として、職場でのイジメは見過ごせない!
とにかく証拠を探す為にも、さっきの侍女さんが登っていった塔を調べてみるか。何か見付かるかもしれないもんね!
*
「とは、言ったものの……はぁ、はぁっ……!」
ちみっこい幼女の手脚だと、この螺旋階段は地獄でしかないんですが……!?
登っても登っても終わらない長い階段を、ぜぇはぁと肩で息をしながら、休憩を何度も挟みつつ上がっていく。
塔の高さは私の部屋のある三階より低いとは思うんだけど、いつもはティズさんに抱っこして運んでもらったりするのが多いから、体力が足りないんだろうなぁ……!
それにこの階段。石を切り出した階段なんだけど、その一段が王宮の階段よりも段差が大きくて……!
「ちゅ、ちゅかれるっ……!!」
途中で何度もへこたれそうになりながら、それでも私はあの侍女さんが万が一虐められているのなら一大事だからと、ヘロヘロになりつつ階段を登り切ってみせた。
最後まで上がったところには、木製の扉が一つ。どうやらこの塔の最上階には、小さめの部屋があるようだった。
「……あの侍女さん、この部屋でぼっち飯してたのかな」
もしもまたお昼にもここでぼっち飯をするようなら、この部屋で隠れて様子を窺った方が良さそうだ。どこかに丁度良い隠れ場所が無いかと、早速中を探ってみようと扉を開ける。
すると、そこには簡素な椅子が幾つか置かれており、小さめのテーブルと──
「…………え?」
ベッドの上で眠る、金髪の女性の姿があったのだ。
この人は……そうだ! この前の天使襲撃事件の時に、本屋さんのお母さんが匿っていたあの女性で間違い無い!
……でも、彼女を保護しているのは理解出来るけれど、どうして医務室じゃなくてこんな所で寝かせているんだろう? 何か理由があってここに置いているんだろうけど……。
侍女さんの次は、まさかこの女性の謎が飛び出して来るとは……。
このままここに居るのは何だか怒られるような気がして、そっと部屋を出て行こうとした──その時だった。
意識が急に遠ざかる感覚がして、私はその場で気を失ってしまうのだった。