王都の本屋さん
私とシィダとティズさんは、地下図書館管理人のディーアさんに連れられて、王都の大通りから少し離れた路地に向かっている。
大通りの方から一本でも違う通りに入るだけでも、人通りが少なくなって、ちょっぴり静かな雰囲気だ。
そこからもう少し歩いて行った先に、目的地である本屋さんの看板が見えて来た。
……のだけれど。
「は……? 何で店が閉まってんだよ」
ディーアさんの言う通り、お店の出入り口のドアには『臨時休業』と書かれた貼り紙がされていた。
「臨時休業という事は、店が閉まっているのは、今日が定休日だからという訳ではないようですね」
ティズさんのその言葉に、ディーアさんが頷く。
「ああ……。つー事は、やっぱ何かトラブルでもあったのかもな」
「このお店の人は、ここに住んでるんでしゅか?」
「店の二階が家になってるはずだぜ」
そう言われて上を見上げてみれば、確かに本屋さんのある建物は二階建てだった。
隣の建物との間の細い路地沿いには、二階に直通している階段があった。ディーアさんの話では、この本屋さんは三人家族で経営しているそうなので、家族の誰かが在宅しているなら話を聞いてみようという事になった。
……まあ、私は階段が危ないからと、ティズさんに抱っこしてもらったんですけどね! それを見たディーアさんに鼻で笑われたけど、私はめげません!
階段を登り切った後、取引先であるディーアさんが代表して、二階の玄関をノックした。
すると、ドアの向こう側からでも分かるぐらいの激しい足音が聞こえてきて、思いっ切りドアが開かれる。
「お母さん!?」
「うわっ! 危ねえだろーが、リナ!」
「えっ、ディーアお兄ちゃん!? お兄ちゃんがどうしてお外に出てるの!?」
「お前んトコの母ちゃんが、こっちに連絡寄越さねえのが悪いんだろーが!」
ギリギリのところでぶつかりそうになったドアを避けたディーアさんだったが、どうやら玄関先に現れたリナと呼ばれた女の子とは、顔見知りであるらしい。
その子は十歳ぐらいの見た目をしていて、パッと見た印象では人間の女の子とそう変わらない。王都を行き交う人々のほとんどは、分かりやすい魔族っぽい外見の人が多かったから、逆に目立っているように感じる。
お父様から魔王教育の一環で教えてもらったんだけど、魔族で人間と変わらない見た目になるというのは、自分の弱点を隠す為の手段でもあるらしいんだよね。
例えば人狼の血を引いているエディさんなら、鼻が効くから、逆に強烈な匂いで鼻が使えないようにしたりとか……。外見からして種族が判明してしまうと、そうやって戦闘が不利に働く事もあるらしい。
後は、元の姿のままだと生活するのに不便だったりする人も、そうやって種族の特徴を隠すんだそうだ。変身魔法の一種らしい。
魔族なら人間よりも魔力量が多いから、日常的に姿を変えるのも簡単みたいなんだよね。
私の場合は元から人間と変わらない見た目の種族みたいだから、わざわざ変身しなくても済むんだって。……それにしても、私って何の種族の魔族なんだろうね? 本人なのに、自分の事が全然分からないのも困りものだぁ。
……という事は、多分このリナっていう女の子も、姿を変えているか元々こうなのかのどちらかなんだろうね。
「……つーか、何でお前んトコ臨時休業なんてしてんだよ! 先週には届くはずだった本が来ねーし、遅れる連絡の一つもねーし……」
「だ、だって……だって……!」
彼女はディーアさんに怒鳴られたせいか、眉を下げて瞳に涙を溜めていた。
……しかし、その涙の理由は全く違っていた。
「だって……お母さんが、ずっと帰って来ないんだもんっ!!」
*
リナちゃんはとうとう玄関先で泣き出してしまったので、ひとまず詳しい事情を聞くのと、彼女を落ち着かせる為に家に通してもらう事になった。
家にはリナちゃんと、彼女の妹であるルルちゃんの二人だけ。
どうやら先週から、姉妹の母であるラーナさんが出掛けたきり、家に帰って来ていないそうなのだ。
リナちゃんは普段から本屋さんの手伝いをしており、お母さんが出掛けた日は店番をしていたらしい。
けれども夜になり、閉店の時間になってもお母さんが帰って来ない。それを不審に思いながらも、小さい妹の世話もあるので先に食事を済ませ、寝てしまった。
けれども翌朝になっても母が帰宅した様子は無く、リナちゃん一人ではお店を開けていいかも分からなかったので、今日までずっと臨時休業するしかなかったのだという。
「わたし、お母さんを探しに行こうと思ったんだけど、ルルはまだ小さいし……家に一人っきりにしているのも危ないと思ったの」
泣き止んだリナちゃんの目は赤く腫れており、まだ少し鼻をすすっている。
一週間以上も母親が行方不明になっている間、この子は一人で妹の世話をしながら、お母さんの帰りを待ち続けていたのだ。
そこへやって来た私達をお母さんだと勘違いした結果、あんなにドタドタと足音を響かせ、物凄い勢いでドアを開け放ったのだろう。
「……あの、ちょっといいれすか?」
「あ、あなたは……ルカちゃん、だったよね? どうしたの?」
リナちゃんはお母さんの手伝いで王宮の図書館に来た事があり、その時にディーアさんと知り合ったらしい。
けれども私がヴィオレの王女だとは知らないようなので、これ以上混乱を招いてもいけないだろうからと、私の身分は伏せている。
同じ金髪なので、ディーアさんの姪っ子という設定だ。ティズさんはディーアさんの同僚(実際、職場は同じ王宮だし)で、シィダは私の飼い犬。
幸いにもリナちゃんは動物好きで、しばらくシィダが寄り添っているうちに泣き止んだくれたので、とても助かった。
ルルちゃんはまだ二歳らしく、隣の部屋でお昼寝中だ。
「ええと、リナちゃ……リナお姉ちゃんのお母さんは、前にもこんな風に居なくなった事ってありまちたか?」
「ううん、こんなの初めてだよ」
「それならよぉ、どうして大人に相談しなかったんだ?」
ディーアさんの質問に、リナちゃんの表情が曇る。
「……だってわたし達、王都の人達に嫌われてるみたいなんだもん」
「嫌われてるって……どうちて?」
私が更に問い掛けると、彼女は不安そうに私達の顔を見回した。
すると、黙り込んでしまったリナちゃんを見て、ディーアさんがそっぽを向きながらこんな事を言い始めた。
「……言わなきゃ分かんねーぞ」
「で、でも……」
「……少なくともオレやそこのちびっ子は、それぐらいでオメーら家族の事を嫌いになったりなんかしねーよ」
「…………っ!?」
それを聞いたリナちゃんは、大きく目を見開いて、ビクッと肩を跳ねさせたではないか。
「ディーアお兄ちゃん……もしかして、知ってたの……?」
「……言わなくても分かるぜ。魔族なら……この場に居る全員がな」
そう言われて、私はようやく彼が言わんとしている事に気が付いた。
当たり前になりすぎていて気が付かなかった、ほんの少しの違い。
王宮は勿論、王宮からほど近いこの王都にも、沢山の魔族が生活している。
魔族は、人間よりも魔力量が多い。
大きな魔力はその分だけ反応が強く、周囲の小さな魔力反応すらも飲み込んでしまう。
つまり、魔力の強い者の側に弱い者が居ると、小さな魔力しか持たない人の魔力量が分かりにくくなってしまうのだ。
……そして今、私は強く意識してリナちゃんの魔力反応を探ってみた。
その結果、彼女は魔族にしては少なすぎる魔力しか感じられないのだ。私よりもずっと歳上の女の子なのに、ちょっぴりの魔力しかない。
……そう。彼女はまるで、人間のような魔力量だったのだ。
「……そう、なの。わたしもルルも、それにお母さんも……ほんとは人間、なんだ……」
この魔族大陸では、人間を嫌う魔族がほとんどだという。
そんな場所にどうして人間である彼女達が暮らしているのかは分からないけれど、王都の人達も本屋さん一家が人間であると気が付き、距離を置かれているのだと思う。
……だからリナちゃんは、誰にも頼れなかったのだろう。
こうして待ち続けていれば、いつかお母さんが帰って来るかもしれないと、そう信じながら──。