夕焼けの空の下
魔法で姿と声を消しながら、廊下を走る私達。
後ろから追って来ているであろう、エルヴィスから逃げる為……。そしてスカレティアから脱出する為、私達はティズさんの案内で、魔馬車のある場所まで向かっている。
私はお父様に抱えられたまま、先程の爆発音に気付いたスカレティア兵達の様子を垣間見ていた。
「おい、さっきの爆発は何なんだ!?」
「あれは地下牢の方からか……?」
「それも一大事だが、北からヴィオレ軍らしき軍勢が向かっているんだろ……!? またあの国と戦争になりそうだというのに、陛下のご指示はまだ何も無いのか!?」
ヴィオレ軍……!
ああ、本当にエディさん達が私を助けに来てくれてるんだね……!
でも、今すれ違った兵士達が言っていた通りになるなら、これからヴィオレとスカレティアの間で戦いが始まるんだよね……。
いきなり私を誘拐して、エドの婚約者として監禁しようとしていたのは、間違い無く悪い事だよ。だけど、それで大勢の命が失われるっていうのは……私には、受け止めきれないな……。
大多数の騎士や兵士の人達は、好き好んで戦争をしたい訳じゃないはずだもん。
出来る事なら、今すぐ私達がこの国から脱出して、エディさん達と合流してヴィオレに帰りたい。
そうすればスカレティア軍の人達だけじゃなく、争いに巻き込まれるかもしれない一般人だって無事で住むんだ。
でも……と、私は顔を少し上げる。
真っ直ぐに前を向いて、私を抱っこしながら走っているお父様。
この人は私の本当の父親ではないけれど、それでも彼が私に愛情を注いでくれている事は知っている。それは勿論、エディさんやムウゼさん達だって一緒だ。
そんな彼らが、私一人を救い出す為だけに軍を動かしてくれている。
その全ての頂点に立つ魔王様は……ヴェルカズお父様は、きっとスカレティアの魔王を許しはしないだろう。スカレティア魔王の命令を実行に移した、エルヴィスの事だってそうだ。
お父様が本気でスカレティアと戦争をしようというのなら、きっと彼らは無事では済まないだろう。
そうしたら……エドは、実の父親を失う事になるのだ。
教育方針はどうかしてるとしか言えないけれど、私とそんなに歳が変わらない小さな男の子にとって、それはきっと心に深い傷を与えてしまうはず。
……そんな理由で『戦争なんてしないで』と伝えたら、お父様は何て言うかな?
次期魔王のくせに、そんな甘い事を言うな……なんて言われるのかな。
でも私、中身はごく一般的な日本人でしかないからさぁ……!
いざとなったらまだ子供のエドだけでも見逃してもらえるように、必死に頼み込むしかないかなぁ……。
うう……。異世界転生するなら、もっと平和でハッピーな時代に生まれたかったよぅ……!!
……いや、そんな考え方じゃダメだよね。
私がお父様の後を継ぐんだから、私が未来のこの世界を平和にしてやるぐらいの勢いでいなくちゃいけないよね!
もっとポジティブに……強い気持ちでいなくちゃ、魔族の国のトップになんて立てないよ。
それにお父様は、魔族の国を統一しようとしているんだもん! 私はそれをサポートして、平和になった魔族の世界を引き継いでいかなきゃいけない。
その目標を達成する為には……やっぱり、次世代の意識改革が必要だと思うんだよね。つまり、次期スカレティア魔王であるエドとは、出来る限り友好的な関係でいなくちゃダメなんだよ!
「この通路の突き当たりに、魔馬車があるはずです……!」
そうこうしているうちに、ティズさんが控え目な声量で、目的地が近い事を教えてくれた。
お願い……! どうかこのまま、穏便に事が済みますように……!!
*
ボクはいつもの座学の時間があったから、騎士のティズにルカを任せて、王宮の二階にある教室に居た。
ルカは、父上が決めたボクの婚約者だ。
月の光みたいに綺麗な色の髪の毛で、青空みたいな目をした、とても可愛い女の子。
ボクよりずっと小さい子なのに、パーティーで会う貴族の子達よりも落ち着いていて、勉強熱心なところが良いなと思った。
ルカが大人になって、本当にボクのお嫁さんになってくれたら、きっとこの国がもっと豊かになるんだろうなと思えた。そんな女の子を婚約者に選んでくれた父上は、やっぱりボクの理想の魔王だった。
今日はルカが育った、ヴィオレ魔導王国の歴史について勉強するらしい。
先生のお話を聞きながら、ボクもルカみたいにもっと知識を蓄えようと、いつもよりも真剣にペンを走らせていた。
……だけど、しばらくして異変が起きた。
下の階から、いきなりドカーン! と大きな音がしたのが聞こえて来たからだ。
「せ、先生! 今の音って……」
「エドゥラリーズ様、私が様子を見て参ります! 決してここから動いてはなりませんよ!」
「でも……」
「大切な王子の身に何かあっては大変なのです。ですからどうか、私が戻るまで部屋を出てはなりません……!」
そう言って、先生は慌てて教室から出て行った。
次の魔王になるボクの安全が大切だというのは、先生の言う通りだと思う。
……だけど、ボクと同じくらい、婚約者であるルカの事だって大切なんじゃないの?
「ルカには、ティズが付いているはずだけど……」
それでもやっぱり、ルカの無事を確めないと落ち着かない。
だってルカは、ボクの大切なお嫁さんになる女の子なんだから!
後で先生に怒られてしまうだろうけど、ボクはこっそり教室を抜け出した。
ルカが居るのは上の階だから、さっきの爆発とは関係無いだろうけど……。きっとあんな大きな音がしたせいで、ルカが怖がっているかもしれない。
そんな時、婚約者であるボクが彼女を安心させてあげないでどうするっていうのさ!
父上だって、母上が不安になっていたら励ますはずだ。それならボクだって、父上みたいに立派な夫を目指さなくちゃいけない。
「ルカ、ボクですよ! 君の婚約者が来たんですから、どうか安心して──」
しかし……ルカが待っているはずの部屋には、誰も居なかった。
あの子はもちろん、ティズも居ない。
ただ分かるのは、部屋の中にかすかに残る強い魔力。
それが、何を示すものなのかまでは分からない。
けれども間違い無いのは、ルカがこの部屋から居なくなったという事だけ。
「ルカ……」
もしかしたらルカは、ティズに連れられてこの部屋から出て行ったのかな……?
さっきの大きな音があったから、危ないから王宮から逃げようとした……のかな。それならきっと、魔馬車に乗って安全な場所まで避難しようとしているのかもしれない。
ボクは今さっき駆け上がったばかりの階段を、今度は大急ぎで駆け降りていく。
早く……早く、ルカに追い付かないと……!
それだけで頭がいっぱいになりながら、ボクは一階の廊下に辿り着いた。
次の瞬間、また大きな爆発が起きた。
「うわっ!?」
その爆風に乗って、弾け飛んだ小さな破片が飛んで来る。
それを慌てて両腕で防いでいると、頭上から声がした。
「あれェ、エド王子じゃん? あっぶねェ〜……巻き込まれなくて良かったねェ」
ふと見上げると、最近父上からお仕事を頼まれているエルヴィスが立っていた。
「エルヴィス……今の爆発って、もしかして君がやったの?」
「そうそう。……王子の婚約者ちゃん、悪〜い魔王サマに連れて行かれちゃいそうなんだよねェ〜」
「えっ、ルカが!? どうしようエルヴィス、ボクそんなの困ります!」
ボクがそう言うと、エルヴィスはニッコリと笑った。
「それじゃあさァ、オレサマちゃんと一緒に来てくれない? 王子が居てくれたら、きっとお姫サマを連れ戻せると思うんだよねェ〜」
「うん! ボクも一緒に行く!」
「よォ〜し、それならついて来な! 匂いを辿るに……魔馬車の発着場の方に行ったみたいだぜェ?」
やっぱり、ルカは魔馬車に乗ろうとしてたんだ……。
きっとそこを悪い魔王……父上の敵に狙われて、誘拐されそうになってるんだな!?
待ってて下さいね、ルカ。すぐにボクが行きますから!
*
「お二人共、早くこちらへ……!」
ティズさんに促され、奥の方にあった魔馬車に乗り込んでいく私達。
魔馬車があったのは、魔馬の厩舎と発着場が一緒になった建物だった。発着場の方は天井が無く、オレンジ色に暮れ始めた空がよく見えた。
ティズさんは魔馬を操る為に手綱を握り、私達が乗ったのを確認すると、すぐさまここから飛び立とうとした……その時だ。
「待って下さい、ルカ!!」
聞き覚えのある、幼い声が響き渡る。
「えっ……今の声って……!」
慌てて馬車の小窓から外を覗き込むと、その声の主──エドがこちらに向かって走って来ていた。
しかし、その背後から長髪の男……エルヴィスの姿もある。
「あれは……髪の色から察するに、スカレティアの王子か?」
「そうれしゅ……」
魔法で姿を消していても、雪人狼の血を引いているエルヴィスなら、その嗅覚でここまで追い付いてしまえるのだろう。
でも、どうしてエドまでここに来てるの……!?
もしもこの場で戦闘にでも発展したら、エドが危ないっていうのに……!
……まさか、エルヴィスはあの子を盾にして戦うつもりで……連れて来た?
その考えに至った瞬間、悪寒が走る。
あの男は、どんな手段を使っても私を逃がさないつもりなの……!?
「お父しゃま! ここでエルヴィスと戦ったら、エドが巻き込まれて危ないでしゅ!」
「……それがどうした?」
「へっ……?」
「あの小僧は、お前を攫った国の王子……敵国の血筋の子なのだぞ? それをどうしてお前が心配する理由があるのだ」
「そ、それは……」
……そう、か。
お父様はやっぱり、エドの事も敵として見てるんだ……。
いざその事実を目の当たりにされると、さっき覚悟を決めていたはずなのに、言葉に詰まってしまうものなんだね……。
「だが……」
と、お父様は言葉を続ける。
それとほぼ同時に、馬車の外から私達が乗っているのとはまた別の魔馬の嘶きが聞こえて来た。
「あの小僧の事なら、エウラリーシュに任せておけば良い。……何せ、あの小僧の実の姉であるのだからな」
「リーシュしゃんが、エドのお姉しゃん……!?」
お父様の言葉に目を見開いていると、魔馬車の中から鮮やかなピンク色の髪の女性が現れる。
その髪の色は、お父様の言う通りエドの髪と同じ色。
「……久し振りね、エドゥラリーズ。貴方には悪いけれど、あたしの大切な後輩を取り返しに来させてもらったわ」
「アナタは……もしかして、姉上……ですか?」
「ええ、貴方のお陰で自由の身に……いいえ。貴方を犠牲にして逃げ出した、貴方のただ一人の姉よ」
向き合った桃色の髪の姉弟の距離は、目に見えるよりも遠く……深い溝を挟んでいるようにみえた。
更に、彼女に続いて馬車から降りて来た人物が、リーシュさんの隣に並び立つ。
「よぉ、エルヴィス! まさか、お前さんとこんな所で会うとは思いもしなかったぜ! ……うちの大事な姫様に手ェ出したんだ。当然、覚悟は出来てんだよなぁ……!?」
「クソ兄貴ィ……ようやくお出ましかァッ!!」
エルヴィスとエディさん……二人の間に、怒りとも殺意とも区別の付かない感情が魔力の奔流となり、荒れ狂っているのが見える。
すると、リーシュさんがエディさんに言う。
「貴方の弟は好きにして良いけど、あたしの弟は巻き込まないようにして頂戴よ?」
「わーってるって……。おーい、ヴェルカズ! そっちの二人は頼んだぞォ!」
エディさんにそう告げられたお父様は、無言でリーシュさんとエドを護る結界を張っていた。
確かにお父様の結界なら、エディさん達が思いっ切り戦っても無事でいられると思うけれど……。
「……エドゥラリーズ。ルカの事もそうだけど、あたし……貴方に話があって来たの」
「お話……ですか?」
「ここは、これから戦場になるわ。落ち着ける場所で話がしたいの。……ねえ、魔王様。そっちの魔馬車、まだ席は空いてるかしら?」
リーシュさんの問いに、お父様は窓越しに頷いた。
「……貴方が良いなら、少し時間を貰えない?」
「……それが、ボクに何の利益があるんですか?」
「これは、ルカにも関わる話なの」
「ルカに……?」
それを聞いたエドは、私の方に視線を向けた。
目が合った彼は、リーシュさんの頼みを聞いてこちらの魔馬車へと乗り込んで来る。
私の隣にはお父様が、向かい側にはエドとリーシュさんが座っている。
すると、ティズさんが上空に向けて魔馬車を走らせ始めた。
それを合図にして、地上で激しい炎の魔力がぶつかり合うのを感じた。
エディさんとエルヴィスが、戦いの火蓋を切ったのだろう。
「さあ……こちらも早速始めましょう。ヴィオレとスカレティア……二人の未来の魔王様を交えた、重要な話し合いをね」