私のお父様が天才すぎる
ティズさんが残してくれた魔法陣が消えてしまう前に、私は急いでその魔法陣を完成させた。
それもただ完成させるだけではなく、【ある場所から、別の地点まで転移させる】魔法陣ではなく、【ある場所から、転移させる人物を指定する】魔法陣に書き換えたのだ。
幸いにもこの世界の文字が読めた私は、自分を転移させるのではなく、ヴィオレ魔導王国の誰かをここへ転移させる方向で考えた。
あの白髪眼帯ロン毛野郎……エルヴィスに連れて行かれたティズさんは、私がここから逃げないのならば、これ以上手は出されないという約束だったからだ。
……そう、助けを呼んじゃダメなんて言われてないからね!
発想の勝利ですよ、これは!
こうしてファンタジー世界に転生したからには、下手に約束を破ってペナルティが発生したら怖いからね。約束って一種の契約みたいなものだし、ここは敵地なんだもん。変にデバフなんかが掛けられたら、たまったもんじゃないからね!
そこで私は、更に考えた。
助けを呼ぶなら、誰が適任なのだろうか……?
出来る事なら、頼れる大人は全員スカレティアに転移させて、この王宮から助け出してもらいたいけど……。
初めての転移魔法で、そんなに大勢をポンポン呼び出せるのかも分からない。
それに、転移魔法には何かしらの代償が必要だっていうじゃない……?
それは寿命かもしれないし、ただ単に大量の魔力を消費するだけかもしれないけれど……。何が持っていかれるか判断出来ない状況下で、大掛かりな魔法は使わない方が良いはず。
そうなると、ここに呼べるのは誰が一人にしておいた方が安全だろうと思ったのだ。
選出条件は、第一に強い人。
あのエルヴィスっていう人は、スカレティア王家の騎士であるティズさんを、あっさりと無力化してしまえる人物だ。そんな相手に勝てる人であるのは、大前提だった。
次に、守りに長けた人。
私という小さな子供を護りながらでも戦える、何らかの手段を持った人物が必要だった。
ヴィオレの王宮とそんなに変わらないなら、ここにだってかなりの戦力を置いているはず。そんな大人数を相手にしても勝てる見込みのある人物というと、近衛騎士であるムウゼさんやナザンタさんも含まれるだろう。
そして最後に、逃げる手段を持っている人だ。
今の目標は、私がここから逃げる事と、ティズさんを助け出す事の二つ。
その上で無事にヴィオレまで帰る方法というと、魔馬車のような乗り物を使って脱出するか、転移魔法を使うかぐらいだと思う。
スカレティア王国の魔馬車が奪えなかった場合を考えると、転移魔法が使える人物が望ましいかもしれない。
……それか、ヴィオレからの救援が来るまで耐え抜くか。
私がここに連れ去られたというのは、エディさんをおびき出そうとしているエルヴィスの発言からして、お父様達も既に把握している頃だと予想している。
事件が起きたのは植物園近くの中庭だったから、直前まで一緒に居たシィダが皆に異変を知らせてくれているだろうからね。
特にエディさんは、シィダが何を言っているのか理解出来る人狼族だ。きっとエディさんがお父様に報告して、今頃助けに向かおうとしてくれている……と、思いたい。
そうなると、転移が使えるぐらい魔法に精通していて、攻守に優れた人物を選ぶ必要がある。
王宮の人達の話を聞いたり、実際に魔法を使う所を見た限り……これらの条件に当てはまるのは、ヴェルカズお父様か、エディさんの二択だった。
「でも……エディしゃんは、ちょっと過保護すぎるところがあるからなぁ……」
それに、エディさんをいきなりここに転移させたら、下手にエルヴィスを刺激しそうで怖いというのもあった。
弱っているであろうティズさんが、何らかの形で巻き込まれるのも嫌だからね……。
「うーん……。エディしゃんは軍師だし、お父しゃまが居なくても、軍の指揮は任せられる……よね?」
となると……うん、お父様で決まりだ!
私は一人、大きく頷いてから作業に取り掛かった。
魔法陣の縁に記された文字をちょちょっと書き換えて、お父様がこのスカレティアの王都に──この魔法陣が設置された場所に飛べるように、術の内容を指定する。
そして最後に、魔法陣の全体に私の魔力を注いで……。
すると、発動条件を満たしたのだろう。
私が少し書き換えた魔法陣は、白い光を放ちながら輝きを増していくではないか!
これ、上手くいってるんだよね?
何だか、魔力を注いでいるっていうよりも、ゴッソリ抜け出ていくっていうか……。
……うん、やっぱりこれ結構消費が重い魔法なんだね!?
私がたまたま魔力量が多い魔族の子供だったから良かったけど、一般的な人間の子供だったりしたら、今の時点で魔力が枯渇してるんじゃなかろうか……?
そういえば、魔力の枯渇って何かデメリットあったりするのかな?
今の所は大丈夫そうだけど、今度お父様に詳しく聞いておこう。
そんな考え事をしている間にも、光は部屋全体を照らすような目映さを放って──
そうして、とうとう転移魔法は成功した。
夜空の色を宿した長髪は、ふんわりとした三つ編みで纏められ、ゆったりとしたローブが静かになびいた。
その前髪から覗いた鋭く青い眼が私を見付け、少し大きく見開かれる。
「おとー……しゃま……」
私はその姿を見て、ひどく安堵した。
……精神的には立派な大人のつもりでいたけれど、それでもある程度は幼い肉体に引っ張られてしまっているせいだろうか。
ふと気が付いたら、いつの間にか腰が抜けていた。
そんな情け無い私を見て、お父様は小さく笑みを零す。
お父様は魔法陣の外に出ると、軽々と私を抱き上げた。
「……ああ、お前の父だ。フッ……流石はこのヴェルカズの娘だな。五体満足で長距離間の転移魔法を成功させるとは、この私の──」
お父様のローブから香る、様々な薬草の匂い。
その中に混ざるお父様の髪の香りが鼻腔を抜けた瞬間、私の涙腺が壊れてしまった。
「お父、しゃま……おとーしゃまぁぁっっ!」
……お父様の匂いは、とても安心するのだ。
私は本当の娘ではないけれど、こうしてお父様が側に居るのだと──私は彼の側に居ても良いのだと、そう感じられる香りだったから。
「……安心するが良い、ルカ。お前の父は、確かにここに居るのだからな」
*
それからしばらく、お父様は私が泣き止むまで胸を貸してくれた。
「……落ち着いたか?」
「あい……。その、お恥ずかちい所をお見せしまちた……!」
「フッ……気にせずとも良い。私はそこまで狭量な男ではない」
気持ちが落ち着いたところで、私は深々とお父様に頭を下げた。
中身的にはいい歳した大人が人前で大泣きしてしまったので、内心かなり恥ずかしい。
そんな私の頭を、お父様は優しく撫でてくれる。
顔を上げると、お父様は本当に気にしていないようで、穏やかな眼差しを向けてくれていた。
しかし、それも束の間。
「それよりも、だ」
お父様の目付きが、豹変した。
それはまさに魔王……というか、もはや大魔王と呼ぶべき眼光だった。
……ちょっと怖くてチビりそうになるから、こういうお父様にももっと慣れていかないといけないですね!
「……ルカ。この部屋には今、私が防音魔法を施している。外に会話が漏れる事は無いが、話は手短に済ませるべきであろうな」
「あ、あい!」
そうだ。この部屋にはエルヴィスだけでなく、エドもいつ戻って来るか分からないのだ。
私は出来るだけ簡潔に、これまでの状況を説明した。
それを聞いたお父様は、
「ふむ……。そのティズという男が、エルヴィスに捕らえられていると……」
「あい……。ティズしゃんは、本当は誘拐なんかしたくなかったんでしゅ。それに、ティズしゃんはわたちを逃がそうとしてくれまちた! お父しゃまを呼んだ魔法陣だって、途中までティズしゃんが描いてくれたもので……。だからわたち、どうにかちてあの人を助けてあげたいんでしゅ!」
「……例え、代償を支払ってでも、か。まあ、その心意気は評価してやらんでもないな」
と、顎に手を当てながら頷いた。
「お、お父しゃま……それって……!」
期待を込めて訊ねた私に、お父様はいつもの悪役スマイルを浮かべてこう返した。
「ああ……その男、このヴェルカズが助けてやらんでもないぞ? ……こうして私がルカの元へ来られたのも、そのティズとやらの功績もあるようだからな」
「あいがとーごじゃいましゅ、お父しゃまっ!!」
私は嬉しすぎたあまり、勢い良くお父様に抱き着いてしまった。
それでもお父様は、嫌そうな顔一つせずに私を受け入れてくれる。
「……さて、そうと決まれば行動に出るぞ」
お父様がそう告げた次の瞬間、何らかの魔法が私の身体を包み込んだ気配を感じた。
……特に変化は感じないけど、何の魔法なんだろう?
「今私が行使したのは、姿を消す魔法と、我々の声を外部から遮断する結界魔法の応用だ。互いの声も姿も認識出来るが、他人からは何も見えず、聴こえもしない」
「そ、そんな魔法もあるんでしゅか!? お父しゃま、しゅっごーい!!」
「フッ……そう褒めるな。この程度の魔法、修練さえ積めばお前にも使えるようになる」
「ほんとでしゅか!? 使ってみたーい!!」
姿を消す魔法と、声が聴こえなくなる魔法を同時に使いこなせるだなんて……!
詠唱無しでの魔法行使といえば、イギリスの某魔法学校作品では、敵に自分が使う魔法を察知させない為のものなんだったっけ? 映画版だけじゃなくて、いつか原作の二巻以降も読みたいなぁ……なんて思ってたら異世界転生しちゃってたから、もう叶わない夢かもしれないけれど……。
実力のある魔法使いにしか使えない、無言魔法……。
そんなの、ファンタジー大好き人間の血が騒ぎまくって仕方が無いんですが!?
それもお父様ったら、オリジナルの魔法まで開発してるんです!? 憧れが加速して止まらないんですがっ!!
……っと、いけないいけない!
今は興奮してる場合じゃないんだった……!
「そ、それでお父しゃま! これからわたち達、どうすれば良いんれすか?」
「この部屋の魔力認識式の扉は、我が王宮の物と同じ仕組みであろう。登録した人物の魔力を流さなければ、外からも内からも開けられない仕掛けではあるが……」
言いながら、お父様は扉に手をかざす。
すると、キィン……! という甲高い音がしたではないか。
そのままお父様は、ドアノブに手を伸ばし……扉が開かれた。
「このようにして、過剰に魔力を注げば故障するのだ。……まあ、我が王宮の扉は改良型だからな。私やエディオン、そしてルカのように強力な魔力を注がなければ、そう簡単には壊れんぞ」
「ほぇぇ……」
この扉、こんなにあっさり壊れるものだったんだ……。
……あれ? それなら私、自力でこの部屋から逃げられたんじゃないの……?
いやまあ、その後は完全にノープランだから、お父様が居ないと苦戦してたに決まってるけどさ!
「……私が転移した後、エディオンが軍を率いてここへ向かっているはずだ。彼奴の事だ、全速力でお前の救出を果たそうとしているだろう。それまでに私達はティズを保護し、この紅蓮王宮から脱出する」
「分かりまちた……!」
そうして私はお父様に先導してもらいながら、数時間を過ごした部屋から抜け出す事に成功した。