重なる陽炎のように
「ふぅ〜……お腹いっぱいれしゅ……」
一緒に遅めの昼食を済ませた私に、エドが言う。
「とってもお腹が空いていたんですね。……ごめんなさい。ボクがもっと早く食事を用意しておけば良かったですよね」
「うっ、ううん! そんな事ないでしゅよ! こうちて、わざわざご飯を出してもらえるだけでもありがたいでしゅし……」
「ルカはボクのお嫁さんになる女の子なんですから、衣食住の提供は当然の義務ですよ!」
「あ、あはは……」
うーん……。やっぱりこの子、感覚がちょっとズレてるんだよなぁ〜。
いやね? 確かに王族とか貴族とかなら、政略結婚っていうのはこの世界にもあるとは思うんだよ?
特に女性にとっては、自分の結婚相手になんてとやかく言えた話じゃなかったと思うのよ。基本的に家を継ぐのは長男だろうし、娘は家と家を結ぶ為の役割を与えられて結婚するのが普通なんだろうからね。
……でもさ、仮にも花嫁側の家の意見を一切無視して、無理矢理誘拐して婚約関係になるのは、やっぱりおかしいんですよ!
どう考えても、この子の常識は王侯貴族界の中でもズレてるようにしか思えない……。
それでも下手に機嫌を損ねたら後が怖いし、愛想笑いして流すしかない自分が情け無いわ。ひぇぇん……。
ひとまず私は話を変えようと、両手をパンッと叩いた。
「あっ、そうだー! ご飯を食べる前、転移魔法に詳しい人を呼んできてくれるってお話でちたよねー?」
……ちょっぴり、わざとらしすぎたかしら?
しかし、それでもエドは私の発言にハッとした顔をして、
「そういえばそうでしたね! ちょっと待ってて下さい。すぐにその人を呼んで来ますから!」
「あーい!」
彼は、すぐに部屋を飛び出していくではないか。
私はそんなエドを笑顔で見送って、彼の足音が遠ざかっていくのを待つ。
「ドアは……」
そっとドアノブに手を掛け、回してみる。
……はい、開きませんね!
そりゃあそうですわ! 勝手に王宮をうろちょろされたら、私に逃げられちゃうかもしれないですもんね! 残念!!
やっぱりスカレティアの王宮も、ヴィオレの王宮のように、特定の人物の魔力を注がないと開けられない仕掛けがしてあるのだろう。
少なくともこのドアは私には開けられなくて、エドの魔力でなら開けられる。
どうにかしてエドと仲良くなって、逃げ出す隙を作るべきか……?
それとも彼を説得して、私をヴィオレに帰してもらえるようにスカレティア魔王に話を付けてもらうしかないのかなぁ……。
でもでも、この部屋から出たところで、どうやって帰れば良いんだろう……! こんな幼女一人に、長旅なんて出来ると思えないんですが!?
しばらく一人で考え込んでいると、コンコン……とドアをノックする音がした。
「どーじょー」
相変わらず舌っ足らずで情け無い返答をすれば、エドが誰かを連れて入室して来る。
「お待たせしました! きっとこの人なら、詳しい話を聞かせてくれると思いますよ?」
そう言ってエドが紹介してくれたのは、見覚えのある──青い髪が印象的な、とある剣士。
「あ……あなた、は……」
スカレティアに飛ばされる前、最後に私と顔を合わせていた男性──傭兵のティズさんだったのだ。
*
エドはこれから座学があるというので席を外し、部屋には私とティズさんの二人きりになった。
「…………」
「…………」
金髪幼女と寡黙な傭兵が、互いに黙り込んだまま、ほかほかと湯気を立てるティーカップに視線を落としている。
……いやさぁ!!
何で誘拐犯(暫定)とタイマンでティータイムしてるんですかね!?
エドもエドで、どうして私とこの人を二人きりにして放置したんです!? 私達の関係性、全然知らない感じだったりするの!?
あの子が言うにはティズさんが転移魔法に詳しいみたいだけどさぁ、相手は子供を眠らせて誘拐するような大人ですよ!?
こんなの……何から話を切り出せば良いのか、全然分からないんですけど……!!
「……申し訳、ありません」
永遠に続くかと思われた地獄のような静寂を、ティズさんが切り裂いた。
いきなり何を言われるのかと思いきや、まさかの謝罪。
な、何で……? どうして貴方の方が、そんなに苦しそうな顔をしているの……?
「幻滅したでしょう……? 姫様に信用され、助言を求められた立場にも関わらず……こうして幼い貴女を、異国の地へと連れ去った……俺の事を」
……確かにティズさんは、私の魔法についての相談に乗ってくれた。
あの時は彼が傭兵だし、経験が豊富そうだからという理由だけでアドバイスを求めたけれど……。
私はそんな単純な動機で尋ねたのに、彼は真面目に答えてくれていた。
それに、彼が本当に悪い人だったとしたら、こんな風に私に謝ってくるとは思えないもん。
……それだけじゃない。
よくよく考えたら、あの時のティズさんは様子がおかしかったのだ。
王宮の曲がり角でぶつかったティズさんは、どこか心ここにあらずといった様子だった。
『すみません。こちらの注意不足でした……っ、姫様ではありませんか! 申し訳ありません、お怪我はございませんか?』
『だ、大丈夫れしゅ……! わたちの方こそ、ちゃんと前を見ていなくてごめんなしゃい』
『キュッ! キュッ、キュウンッ!!』
『ああ、シィダ! ティジュしゃんは悪い人じゃないれすよ。吠えちゃダメでしゅ!』
『キュウ、キュッ、キュウン!』
そしてシィダは、私が止めても何故か吠え続けていた。
あの時はシィダが人見知りをしていたから、私に近付くティズさんに吠えているのだと思っていた。
『……そういえば、ティジュしゃんはどうちてここに? もちかして、お洋服を届けに来てくれたんでしゅか?』
『ええ……商会に配達を頼まれまして』
私の質問に、彼は少し言い訳を考えてから話しているかのように、ワンテンポ遅れた反応を見せていた。
そんな様子だったのは、本当は私を連れ去る事に抵抗があったからではなかったのだろうか……と、私は思い至る。
「ティズしゃんは……リゼーア商会じゃなくて、スカレティアの魔王に雇われていたんでしゅか……? だから、わたちを──」
私のその問いに、ティズさんは静かに首を横に振った。
「……俺は元々、スカレティア王家に仕える騎士なのです。俺が傭兵として活動していたのは、各国の情報を集めたり、今回のような仕事を行う為のもので……」
彼が優秀な騎士であるからこそ、スパイのように様々な組織と関わりを持てる傭兵として働いていた……という事らしい。
現にこうして私の誘拐に成功しているし、スカレティアの魔王はなかなか侮れない相手であるようだ。
……お父様は、そんな相手とも戦争をしているんだよね。
魔界統一を果たす為に、エドのお父さんと……。
「……それじゃあ、ティズしゃんは命令されてわたちをここへ連れて来たんでしゅね? 転移魔法を使って……」
「いいえ! 俺は──」
そこまで言って、ティズさんはまた気まずそうに押し黙ってしまう。
「……ティズしゃん。ティズしゃんがわたちを拐ったんじゃないなら、誰がわたちをここへ連れて来たんれすか?」
「…………っ、」
「……言いにくい事なのは、分かっているつもりでしゅ。だけどティズしゃんは、本当はこんな事をさせたくなかったんれすよね?」
「ど、どうしてそれを……!」
ティズさんの瞳が、大きく揺れた。
「ティズしゃんは、悪い人じゃありません! きっとあの時、シィダは別の誰かを警戒して吠えていたんだと思うんでしゅ!」
「…………」
……彼は、共犯の可能性を否定しなかった。
という事は、ティズさんは誘拐の手引きはしたけれど、実行犯ではない。
私は、更に言葉を続ける。
「エドに聞きまちた。転移魔法は、普通の魔族には使えないんでしゅよね? それに、ヴィオレの王宮には結界が張ってあるから、簡単には転移させられないはずだって……!」
「それ、は……」
「でも、ティズしゃんならその方法を知っているかもちれないって、エドが言ってまちた! ……教えて下しゃい、ティズしゃん。わたち、ヴィオレの王宮に……お父しゃま達が待っているあそこに、早く帰らなくちゃいけないんでしゅ!!」
私は思わずテーブルに身を乗り出しながら、そう叫んでいた。
ティズさんは奥歯をグッと噛み締め、眉間に深いシワを寄せている。
「ティズしゃん……!」
「……っ、姫様……」
彼は私よりも辛そうな表情を浮かべ、小さく私を呼んで──
「……やはり……やはり俺は、間違っていたんだ……!」
一雫の涙が、ティズさんの頬を伝う。
彼は静かに両目を閉じながら、こう言った。
「……強力な結界を破るには、強大な魔力と、代償が必要になります」
次に彼が目蓋を開けた時、その瞳には一切の迷いなど残っていなかった。
「……代償は、この俺が払います。姫様……貴女には、ヴィオレの魔王ヴェルカズが認める程の、上質な魔力が秘められている。魔石による補助も必要無いでしょう。本来ならば術者が転移先の位置を把握していなければなりませんが、俺が陣を描いて座標を固定させます。そうすれば貴女は、無事にヴィオレに帰り着けるはずです」
「ほ、本当でしゅか……!? でも、代償って……?」
「……ほんの些細なものです。さあ、王子が戻る前に準備を済ませてしまいましょう。俺が責任をもって、姫様を送り届けます」
転移魔法の発動に必要になるという“代償”──
それが一体何なのか分からないけれど、ティズさんは早速部屋の中の物を端に寄せ始めた。
彼は指先で床をなぞるようにしながら、魔力を込めた軌跡で魔法陣を描いていく。
私はいつエドが戻って来てしまうかと焦りながら、ただただ彼が複雑そうな陣を描いている姿を眺めているしかなかった。
……けれども転移魔法の陣はかなり難しいものであるらしく、なかなか完成しそうにない。
こんな事をしているのが誰かにバレてしまえば、私もティズさんも決して無事では済まないだろう。
「なーにやってんのォ、ティズくゥ〜ん?」
「お前、はっ……!」
いつの間に、この部屋に入って来ていたのか。
空気が一瞬で凍り付いたような……同時に、身体の内側から灼熱の炎で焼かれているような、相反した感覚に襲われる。
私達の知らぬ間に開け放たれていたドアを背にしたその男は、雪のような白い髪を掻き揚げながら、面白いオモチャでも見付けた子供のように笑っていた。
弧を描くその口元からは、獣のように鋭い牙がチラついている。
「イケないんだァ〜……。エド王子の婚約者ちゃんを逃そうとするなんてェ……悪い子だねェ、ティズくんったらさァ」
黒い眼帯をしたその白髪の男は、燃えるような紅蓮の瞳を細めて、ティズさんを舐めるようにねっとりとした視線で眺めた後……私を見下ろす。
「ぴっ……!?」
……何で、だろう。
私……どこかで、この人に会った事が……ある……?
ビリビリとした、この感覚……これは殺気……?
それに、この人の髪と眼の色……。
日焼けしたような小麦色の肌……。
厳しい冷たさと、激しい炎の入り混じる魔力──私は、これをずっと前から知っている……!
「ヤッホォー、お姫サマ? 気分はどう? 今日のランチはご満足頂けたかなァ? 実はアレ、オレサマちゃんが作ったんだって言ったら……キミは驚いてくれるかい?」
ヒラヒラと手を振って語り掛けてくる彼の姿に、私は自然とある人の面影を重ねていた。
その人物とは、目の前の男と同じ色を宿した、初めてこの世界で出会った人──エディオンさんの姿だった。