君の隣は譲れない
「シィダ〜。身体、キレイキレイにしまちょうね〜!」
「キュウンッ!」
私の使い魔としての契約を果たした黒妖犬──シィダと名付けたその妖精は、私から流れる魔力を受けて、すっかり元気を取り戻していた。
強い魔物に襲われたせいか、かなり危険な状態になるまで衰弱していたシィダ。
私は宿屋の水場を借してもらい、タライにお湯を張ってシィダの身体を洗ってあげている。
仔犬そっくりの妖精であるシィダの体毛は、その名の示す通り真っ黒だ。
……そのせいで、こうしてお湯で身体を洗うまで気が付かなかった事がある。
──シィダが浸かったお湯に、血が滲んでいた。
外が暗くて、余計に分かりにくかったのもあったからだろう。
今はもう治っているみたいなんだけれど、シィダはどこかに怪我を負っていたらしい。
丁度いい温度に調節したお湯を浴びて、気持ち良さそうにしているシィダ。けれど、私がこの子を見付けていなかったら……。
……そんな『もしも』の事を想像するだけで、どうしようもなく嫌になる。
「……ムウゼしゃーん!」
私が呼び掛けると、水場の奥で待機していたムウゼさんがすぐに来てくれた。
「どうした、ルカ」
「シィダのお風呂のお湯、もう一回用意ちてもらってもいいでしゅか?」
私の言葉に、ムウゼさんがチラリと視線を下に落とす。
すると、タライの中のお湯が血で汚れているのに気付いたのだろう。
「……分かった。すぐに持って来よう」
と、深い事情は聞かずに、淡々と動いてくれた。
……ところで、どうして私がシィダをお風呂に入れてあげているのかと言いますと。
「キュ……キュキュウッ!」
ムウゼさんが近付いて来た途端、シィダがムウゼさんに威嚇し始める。
実はシィダは、路地裏で使い魔契約を結んだ後から、ムウゼさんとナザンタさんにだけ威嚇するようになってしまったのだった。
それに、私以外がシィダに触ろうとすると、物凄く嫌がるのだ。
シィダが私に懐いてくれているのは、とても嬉しい事なんだけれど……。
いくら使い魔であっても、この子を宿に入れるなら、しっかり身体を綺麗にしてからでないといけない。だからお風呂代わりに、宿の人にタライとお湯を用意してもらっているのだ。
だけどシィダは、私以外が近付くと怒ってしまう。なのでこうして、私がシィダのお世話をしている。
……よく考えてみたら、これって凄い状況だよね?
ムウゼさんとナザンタさんは私のお世話をしてくれる人達で、そんな私はシィダのお世話をしているんだもん。何だか、妙に忙しい事になってきちゃったなぁ。
新しいお湯を貰って、ようやくシィダが全身ピカピカになった後。
私はムウゼさんとシィダと一緒に、ナザンタさんが待つ部屋に戻った。
「ただいま戻りまちた〜」
「お帰りルカちゃん、兄さん! それに……」
「キュウゥゥ……!」
「シィダくんも、お風呂お疲れ様! ……もう、そんなに警戒しなくたっていいのになぁ」
私の横をちょこちょことついて来るシィダは、今度はベッドに腰を下ろしていたナザンタさんに威嚇している。
「シィダったら、そんなに怖い顔ちてたらダメでしゅよ?」
「キュウン……」
私に叱られたのが悲しいのか、ペタンと尻尾を下げるシィダ。
あれー……? そんなに強く怒ったはずじゃないんだけどなぁ……。
こんなに落ち込まれると、何故だか私の方が悪い事をしちゃった気分になっちゃうよぉ……!
「し、シィダ! 元気出ちて下しゃい! わたち、シィダを悲しい気持ちにさせたいワケじゃないんでしゅ!」
「キュ……?」
私を見上げる、シィダのクリックリな赤い瞳。
小さなその身体をよいしょと持ち上げて、何とか腕の中で抱え込んだ。
抱っこしたシィダの毛並みは、お風呂に入った直後というのもあって、もっふもふで気持ちが良い。おまけに、体温がポカポカしていて……。
「ふわぁ〜……。シィダ、あったかくてモフモフれしゅねぇ……」
……そういえば、いつもならもうとっくに寝ている時間だったっけ。そりゃ眠くなっちゃうはずだよね。
「眠いのか、ルカ」
「ふぁい……とっても、おねむでしゅ……」
「さっき、外であれだけ全力疾走してたもんね。魔馬車でも結構な距離を移動してるし、疲れて眠くなっちゃったんだねぇ。……ていうか、ボクももう眠いかも〜」
そう言いながら、ナザンタさんも大きなあくびをしていた。
「……では、今日はもう休むとしよう」
「結局、ベッドは二つしかないワケだけど……ねぇ?」
「うむ……」
この宿に着いた頃には、ムウゼさんとナザンタさんのどちらが私と添い寝をするかで言い争っていたのだけれど……。
シィダは私以外が周囲二メートル以内に近付くと威嚇し始めてしまうので、片方のベッドは私とシィダが使う事になってしまった。
一方、ムウゼさん達は歴とした大人の男性なので、同じベッドで寝るのは窮屈すぎる。
という事で、ベッドはナザンタさんが使い、ムウゼさんはクッションを枕代わりにして、ソファで寝るらしい。
「何だかごめんなしゃい、ムウゼしゃん……」
「気にするな。遠征任務では、野宿をする事も珍しくはなかったからな」
「そうそう、兄さんは頑丈だからさ。……ほらほら、夜更かしは身体に毒だよ〜?」
うーん……良いのかな、それで。
でも……ううぅ。睡魔が強すぎて、これ以上起きていられない〜……!
「……あい。おやしゅみなしゃ〜い」
「お休みなさい、ルカちゃん」
「お休み……良い夢を、ルカ」
そうして私は、隣で丸くなるシィダにそっと頬を寄せて、ぬくぬくと心地良い温度に身を任せるのだった。