小さな花をお一つどうぞ
魔王ヴェルカズ様の王宮は、かなり大きい。
大人でも全ての階を見て回るのは大変そうだし、今の私は三歳ぐらいの幼女だ。中身はまだしも、体力はすっかり幼児レベルになってしまっている。
なので、ムウゼさんが「疲れたのなら、すぐに言うのだぞ」と言ってくれた。私が言えば、途中で休憩時間を設けてくれるらしい。
うん。やっぱりムウゼさんは、真面目で優しい人だね。 ……人っていうか、見た目は人間だけど、厳密には魔族なのがややこしいけど!
「まずは、ここを案内しよう」
言いながら、ムウゼさんは王宮一階のとある部屋のドアを開けた。
私も彼の後に続いて、ひょっこりと中を覗き込む。
「失礼する」
「しちゅれいしまーしゅ……」
相変わらずの舌ったらずを発揮しながら、ちょこちょことドアを潜っていく。
最初に案内された部屋には、ムウゼさんと同じ鎧を来た人達が集まっていた。
中はこれまた広々とした空間で、剣を使った稽古や、武器の手入れをしながら話している人達も見受けられる。
もしかして、ここが戦闘訓練場だったりするのかな? なんて思っていると、すぐにムウゼさんが説明してくれた。
「ここは、我らヴィオレ魔導王国の近衛騎士専用の訓練場だ。私も日々、この場にて騎士らの指導にあたっている」
「このえきし、でしゅか?」
「うむ。この国においての近衛騎士とは、魔王ヴェルカズ様のおわす王宮にて武を磨き、いつ何時であろうとも、ヴェルカズ様のお側にてその手脚としてお仕えする者。魔導王国内の精鋭が集められた騎士団だ」
流石は魔界統一を目指す、あの超絶クール系魔王様の王宮だ。イメージ通り、いつでも戦える準備を整えてるんだね。
……あれ? それならどうしてそんな凄い騎士のムウゼさんが、私みたいな子供のお世話役なんて任されるんだろう?
だって、ムウゼさんの本来のお仕事はこっちなんでしょ? 子供の面倒を見たり、職場見学をさせるなら、近衛騎士じゃなくても良いような気がするんだけど……。
すると、ムウゼさんが言う。
「……ならば何故、私がルカの世話役などしているのかと、疑問に思ったか?」
「あぅ……お、思いまちた」
「ふむ……。どうやらお前は、自分で思っているよりも考えが顔に出やすいらしいな」
あらら……。私、そんなに分かりやすい表情してたのかな?
感情が身体に引っ張られて、子供らしい単純さが出やすくなっちゃってるのかも。考えてる事がバレバレなのって、便利なような、不便なような……。
「……ヴェルカズ様とエディオン様のお考え、その全てを理解しているとは断言出来ん。しかし、少なくとも私は責任感が強い方だと自負してる。私は種族としての血の本能よりも、ヴェルカズ様とエディオン様からの命令を最優先に動く確信がある」
自分が仕える魔王様と、その相棒であるエディさんへの、絶対的な信頼。
それを語るムウゼさんの真剣な緑色の瞳を見ていたら、その信頼は私なんかには計り知れないものなのだろうと感じられた。
……信頼というよりも、崇拝に近いもののような。揺るぎない、絶対的な正義がここにあるのだと確信している、そんな眼をしていた。
ムウゼさんは、更に続ける。
「お前も分かっているだろうが、魔界というのは子供には危険すぎる場所だ。そんな場所で生き抜いていくには、大人の手助けが必要不可欠となる」
「おとなの、てだしゅけ……」
……私のこの身体の持ち主は、そんなに危ない場所で孤立していたのだ。
この子を守って、その代償に命を落とした誰かが……居たのだろうか。
「つまり、私にこのお役目を与えて下さったお二人は、ルカ……お前が無事に大人になるまで側で守れと、私に命じたのだ。……私は、そう解釈している」
「ムウゼしゃんが、わたちがおとなになりゅまで……まもってくれりゅんでしゅね」
「ああ」
そう言って、ムウゼさんが籠手越しに私の頭を撫でてくれた。
金属越しだから、手の温かさは分からない。
だからといって、彼が向けてくれる控えめな笑顔の温もりは、しっかりと私の胸の中まで届いている。
急にこの世界に幼女として転生して、右も左も分からない内にやって来た王宮。
故郷の家族も友人も、知り合いすら居ない世界。
誰を頼れば良いのか、子供の身体で何が出来るのか。
もしもあの森で一人きりのままでいたら、私は今、この場所には居られなかったかもしれない。
けれどもこうして、私を守ると言ってくれる人が居る。
どうすれば良いか分からなかった私に、居場所を与えてくれた人が居た。
見ず知らずの子供に手を差し伸べて、不安を和らげてくれた人が居た。
それがとても奇跡的で、幸運すぎて、嬉しすぎて。
だから思わず、改めて安心して、気が抜けてしまって。
「ふぇっ……」
「ム……? お、おい、ルカ……?」
「ふえぇえええぇぇぇぇんっ!!」
いきなり泣き出してしまった私を前に、ムウゼさんがオロオロしている。
早く泣き止まないと、彼を困らせてしまう。でも、分かっているのに、涙が止まってくれないのだ。
「ど、どうしたルカ! 私に触れられるのは、そんなに嫌だったか……」
「ち、ちがっ……、そーじゃ、な……ううぅ、うわぁぁぁあああぁぁんっっ!!」
違う……違うの。ムウゼさんが悪いんじゃないんだよ……!
自分でもどうしようもない感情の渦を押さえ込もうとしても、どうにもならない。
そんな不甲斐なさが更に涙腺を刺激して、半ばパニックになりかけていた──その時だった。
「ねえ、キミ。良かったらこのお菓子、一緒に食べない?」
「…………ふぇ?」
顔を上げると、涙で滲んだ視界の先に、カラフルな何かがあるのが分かった。
いきなり話しかけられて、気が逸れたせいだろうか。それとも差し出されたお菓子が、それはそれは見事なデコレーションをされていたからなのか。
驚くべき事に、ついさっきまで止まる様子が無かった涙の洪水が、ピタリと止んでしまったのである。
「ボクのとっておきのおやつだったんだけど、キミにも一つあげるよ!」
太陽のように笑う青年の手には、花を象ったクリームが乗ったカップケーキが二つあった。
それと同時に視界に入った青年の髪と眼の色は、ムウゼさんとよく似た暗い金髪で、同じ緑色をしていたのだ。