7. 待ちわびた再会の日
父が鉱山から帰ってきて一か月ほど経ったころ、新しい鉱山の試掘で採れたアズールが届いた。ほっとするような優しさのある琥珀色の鉱物が混ざっているものだ。星麗はそのアズールに夢中になって工房で作業に没頭する日が続いている。
そんな時に、星麗に手紙が届く。宮殿に届いてから天空の郷に回ってきたので、手紙が出されてからかなりの日数が経っていた。上質の紙の封筒にはヴェルデの王家の紋章の封蝋がされていた。
「ヴェルデから?」
ヴェルデと言えば、あの絵のお兄さんがヴェルデの画家だった。もしかしたらと思い、はやる気持ちを抑えながら蝋封を割らないように丁寧に開封する。
思った通り、手紙はお兄さんからだ。ヴェルデの第六王子の遥空と名乗られていた。星麗は、遥空も王族だったのかと、なんだかおかしさが込み上げてきた。そして、お互いに連絡先を伝えないはずだと勝手に納得する。
待ちこがれた遥空からの手紙には、天空の郷への入郷の許可が下りたら訪ねたいと書いてあった。手紙の到着に通常よりも多くの日数を要している。手紙が書かれてからもうすぐ一か月になるではないか。居てもたってもいられず、門番に遥空のことを急いで伝えに行った。もし訪ねてきたらすぐに星麗に知らせてほしいと頼み、ようやく心が落ち着いた。
天空の郷は王の直轄地なので王都と同じように厳しい警備体制だ。入郷には許可が必要で、厳密に制限されている。この郷の生み出す顔料はディオスの国の宝なのだから当然と言えば当然だ。門番の話では、まだ、遥空らしい人は訪ねてきてはいないという。
そわそわして落ち着かない日が続いた。傅からは、まるで恋人を待っているかのようですねと言われたが、まだ幼い星麗には意味がよく分からない。手紙を受け取ってから二か月ほど経ったころ、門番が遥空の訪問を知らせに来た。
星麗は一刻も早く遥空に会いたかったので、愛馬を飛ばして門まで駆けつけた。前方に背が高く麗しい金髪の青年が見えた。従者を従え立っている高雅な姿はまさに王子様そのもので、絵のように美しい。星麗は馬の手綱を引き、馬の脚をいったん止めた。そして、ゆっくりとした並足で門まで進み、下馬した。近くで遥空を見て懐かしさと嬉しさが込み上げてくる。
迷子になったのは、もう五年ぐらい前のことだろうか。記憶にあるお兄さんよりも背が高く逞しくなっていた。そして、記憶よりもまぶしいくらいに金髪が輝いていた。それを見た途端、あの時のことが鮮やかによみがえった。
星麗は舞い上がる気持ちを抑えきれず、両手を差し出して遥空の手を掴んだ。
「ようこそ、天空の郷へ。星麗と申します。ようやくお会いできましたね」
「遥空と申します。この度は入郷をお許し下さり、ありがとうございます」
星麗に握られた手をそのままに、にこやかに挨拶する。
星麗は遥空の顔を見て、目を見開いた。きれいな琥珀色の瞳だ。優しく澄んだその瞳に心を矢で射抜かれたような衝撃を受けた。星麗は夜空に浮かぶきらめく星はこれだと直感した。あふれんばかりにイメージがわいてきて、心の中で叫ぶ。
(暁の星だ!)
挨拶もそこそこに、星麗は遥空を屋敷へと導いた。道々に遥空の絵が大好きで毎日眺めているなどと話しながら歩くのだが、興奮が抑えられない。胸が高まってドキドキした。あんなに会いたいと思っていた人に、ようやく会えたのだ。
「その節は大変お世話になりました。星麗様のお世話をしております傅と申します。あれから、もう五年も経つのですね。お二人ともずい分背が伸びましたこと」
星麗の後からついてきた傅が簡単に自己紹介をし、遥空に話しかけながら、星麗に落ち着けと言わんばかりに、星麗の背を優しく撫でる。そして、天空の郷の大まかな紹介をした。
緑が多い天空の郷には、心地よい間隔で屋敷が点在している。丘陵地だが意外に平地が多い。少し小高い丘に登ると全体を見渡せる。星麗の住む館は、郷の東南、最奥にある。郷の出入り口は厳重に警備されていて、不審者などは郷の中にはいないはずだが、屋敷にはも警備が常駐し、王族の安全を守っている。
遥空は天空の郷を驚きの表情を浮かべて眺めていた。傅はその横顔を微笑みながら見つめている。
「想像とはずいぶん違いますね」
「あら、そんなに違いますか?」
「職人の郷と聞いたので、作業場からの音や人の声でもっと賑やかだと思っていました。小さな工房が押し合うように集まっているような感じを勝手に想像しておりました」
「ほほっ。そうですか。それではさぞ驚かれたでしょう?」
「はい。このように美しく、のどかな所だとは、想像だにしませんでした。職人というものの概念が変わりそうです」
「この天空の郷は星麗様のお父様である貴星様が開いたのです。アズールからスプレモという青い顔料をお創りになられた方です。貴星様は、清らかな環境が美しい顔料を生むと申されまして、この地の環境を整えられたのですよ」
「ここにはどのような方が暮らしているのですか?」
「職人とその家人、それに警護のものなどが多く住んでおります」
星麗が屋敷の入り口で手招きしている。
「はやく、はやく、こっちだよ」
「すみません。星麗様は普段はお行儀がいいのですが、遥空様を待ち焦がれていたので気持ちがまだ高ぶっているのだと思います」
傅が星麗に駆け寄り、小声で叱っている。
星麗は、傅に叱られてシュンとしている。その姿が、何とも愛らしく微笑ましい。遠目に見る星麗は天使のような清らかさをそのままに、見目麗しい少年に成長していた。
(大きくなっても天使のままだ)
五年などあっという間だと思っていたが、星麗の成長した姿に、あらためて五年の歳月の長さを感じた。
郷の者たちは皆礼儀正しく、遥空たちに黙礼しながら通り過ぎていく。誰もがゆったりとした足取りで歩いている。この郷だけ時間がゆっくりと流れているようで、何とも心地よい。すがすがしい郷の空気を吸い込むと、緊張が一気にほぐれ、心が解放されていくのを感じた。
「仙郷のようだと噂には聞いていたが、まさに仙郷そのものだな」
星麗がディオスの王族とわかった三か月前のこと、遥空はディオスの宮殿宛に星麗への手紙とともに天空の郷への入郷の許可を願う手紙を送った。手紙には、星麗から会いたいと連絡があったことを記し、星麗に面会を申し込んだ。遥空はシエロに魅せられていた。もう一度シエロを使って絵を描きたいと思った。でも、それ以上にあの青い瞳の天使のような男の子にもう一度会いたいと思ったのだ。
スプレモの詳細な情報は他国には公開されていない。しかし、ディオスの国の宝とされるスプレモは王族が作ったものらしいという噂は国境を越えて聞こえてきていた。そして、天空の郷という秘密のベールで包まれた仙郷で、職人を集めて作られているという噂も届いていた。星麗も天空の郷に住んでいるので、シエロもそこで作られた顔料なのだろう。
(シエロは、あの幼い星麗が作ったものなのだろうか?)
(職人と呼ぶには幼すぎる。では誰が作ったのだろう?)
色々な考えが浮かんでは消え、消えてはまた浮かんできて、きりがない。いずれにしても、星麗が出来立ての希少なシエロを持っていたというのは事実なのだ。
手紙を出してから一か月ほどすると、返事が返ってきた。上質な封筒にディオス王家の紋章で封蝋がされていた。送った手紙は届いていたのだ。返事には、星麗は天空の郷にいることと、星麗には遥空の手紙を転送したこと、そして、この手紙が天空の郷の入郷の許可となるので、携帯してほしいとあった。ようやく、星麗に会う段取りが整った。
星麗の屋敷に着いた。屋敷は広々としていて、自然の景観を取り入れた庭が見事だ。館は王宮のような華やかさはないが、離宮と呼ぶにふさわしく品格が漂い落ち着いた雰囲気で、周りの景観に溶け込んでいる。居心地がよさそうだった。よく見ると、一見何気ない調度品も、質の良い上品なものが置かれている。質素に見える館だが、見る者だけが分かる、まさに王族の館であった。
「お父様、遥空様です」
「遥空と申します。入郷をお許しいただきありがとうございました」
「貴星です。遠いところをわざわざありがとうございました。お疲れになったしょう。お座りください」
星麗はニコニコして二人を見比べている。
「星麗がとても楽しみにしておりました。こんなに嬉しそうな星麗を見るのは初めてです」
「私も、星麗様にお会いするのを楽しみにしておりました」
「そう言えば、まだ絵のお礼を言っていなかったですね。素晴らしい絵をありがとうございました。〝再会〟は本当に素晴らしい。星麗は自室に飾り、毎日、絵に話しかけていますよ」
「あの絵は、昔、星麗様から頂いたシエロで描きました」
「おお、そういえば、星麗を助けていただいたお礼もまだでした。迷子の星麗に親切にしていただき、本当にありがとうございました」
星麗は二人の会話が済むのももどかしく話し出す。
「遥空様に〝再会〟を見ていただきたいのです」
「はっはっは。星麗は私が邪魔だと言っているようです。では、そろそろ私は失礼するよ。遥空殿、どうか気が済むまでゆっくりとこの郷で過ごしていってください」
星麗の自室の壁には〝再会〟がかかっている。
「星麗様、飾っていただいているのですね。嬉しいです」
「星麗と呼んでください。僕も遥空と呼んでもいいですか?」
遥空はにっこりと笑って頷いた。