6. 王族の常識
遥空は父と話したことで心が落ち着くと同時に、猛烈に星麗に会いたくなった。
星麗の手紙をもう一度見る。連絡先を知りたいと言う。不思議なことに自分の連絡先は書かれていてないのだ。仕方がない。とりあえず今やることはディオスのアトリエに自分への連絡方法を伝言することだ。手紙を書くのももどかしく、遥空は馬にまたがりディオスのアトリエに向けて駆けていった。従者が慌てて後を追いかける。
アトリエに着き、店主を探そうとすると、店主のほうから遥空に話しかけてきた。
「昨日、星麗様がいらっしゃしました。あなた様からの伝言がないことに大変肩を落としていらっしゃいましたよ」
「昨日……」
やりきれない残念さが沸いてきたがどうしようもない。自分の連絡先を伝えようとした矢先に店主から小さな包みを手渡された。
「星麗様からです。あなた様が見えたらお渡しするようにと」
遥空はすぐに包みを開けた。なんと、そこにはシエロが入っていた。
「何という事だ……」
連絡先など伝言するのももどかしい。何とか星麗と連絡が取れないかと思ったところ、遥空は不思議なことに気が付いた。
「なぜ、あのような子どもに敬語を使っているのだ?」
「えっ?」
店主は目を丸くして遥空を見る。
「ご存じないのですか?」
「何を?」
「星麗様はこの国の王孫です。現国王の孫にあたる方ですよ」
「えっ?」
驚くのは遥空の番だった。
「何だって? なぜもっと早く教えない!」
「そう言われても……ディオスの王族は皆青みがかった髪と青い目をしているのです。あなた様も最初にそうおっしゃってたじゃないですか」
「そんなこと、初めて聞いたぞ」
「そうか、ヴェルデの方でしたね。申し訳なかったです。知らないのも当然かもしれません。星麗様は宮殿ではなく、天空の郷という仙郷のようなところに住んでいらっしゃるはずです」
「なんということだ」
遥空は力が一気に抜ける思いがした。だから、星麗は自分の連絡先を記してなかったのだ。何の不思議もない。自分の連絡先を告げるなど、経験がないのだろう。自国内で対面する者に自分を知らない者などいないのだから。遥空自身もそうだ。この辺が王族と一般人との常識の違いなのかもしれない。きっと星麗も遥空が王子であることを知らないのだ。もちろんアトリエの店主も知らない。お互い、同じような常識を持っていたため連絡を取り合えなかったのか。遥空は笑いが込み上げてきた。
遥空は王宮に帰ると、すぐに星麗宛に手紙を書き、ヴェルデ王家の紋章で封蝋を施しディオスの宮殿に届けさせた。
星麗への連絡ができたことで、急に心が落ち着いた。アトリエにこもり、星麗からもらったシエロで絵を描き始める。相変わらずシエロは素晴らしかった。カンバスに塗ると光の当たり具合で銀河のように見える。シエロで描く空は、深夜ではなく、夜が明ける前の澄んだ深い青い空だ。
「父上に夜明け前の美しい空を……」
一心不乱に描き上げた。三か月後、絵が完成した。〝夜明け前〟と名付ける。
ちょうど、父の病が回復したので、いい快気祝いとなった。父は大いに喜こび、絵をまた王宮の回廊に飾った。
ディオス行の許しを得ようと執務室へ赴くと、遥空が話し出す前に、父が少し寂しげな顔をして、おいでと両腕を広げる。
「この顔料の作者に会いたいんだね? ディオスに行きたいのだろう? いいだろう。行っておいで」
父の胸は暖かく広かった。父に快く送り出されて、遥空はディオスに旅立った。
一方、星麗はお兄さんからの返事を待つと決めたら心が落ち着き、また、シエロに専念することができるようになった。
久しぶりに、父が新しい鉱山の視察から帰ってきた。
「お帰りなさい。お父様」
星麗は元気よく父の腕の中に飛び込む。
「ただいま。星麗。いい子にしてたか?」
貴星は星麗を抱きしめて頬ずりした。
「お父様、痛いですよ」
星麗はきゃっきゃ、きゃっきゃしながら父にされるままになっていた。貴星は聖明の忘れ形見の星麗をことのほかかわいがっている。しばらく会えなかったことが堪えがたかったのだろう。鉱山の報告を職人たちにする間も、星麗を片時も離さない。星麗はなんとか貴星の手をすり抜けようともがいている。職人たちは、いつもながらの光景なので、微笑まし気にそれを眺めながら貴星の話を聞いている。
「アズールの産出量は変わらず豊富だ。鉱脈も新たに発見され、今のペースで掘り進めたとして、軽く見積もっても数百年は大丈夫だ。国の調査では、さらに鉱脈が見つかりそうだという事だ。詳しいことは、国からの報告を待つことにしよう」
「質はどうですか?」
「うん、今言おうと思っていたんだよ。新しい鉱脈のあたりを試掘したところ、かなり青い部分が多いアズールがたくさん採れたそうだ。見せてもらったが、今までと同じくらい、もしくはそれ以上なのかもしれない」
皆、一様に顔をほころばせる。自分たちの孫子の代のずっと先までアズールが大丈夫だと聞き、安堵の空気がその場を満たした。
貴星はいくつか持ち帰ったアズールを皆に手渡す。
「ほお、これは美しい」
「白い部分が少なくていいね」
などなど、職人たちは口々に感想を述べながらアズールを回し見ていた。天空の郷では、穏やかな日常が当たり前に過ぎていく。それは、アズールのおかげだ。心配事は一点のみ。アズールの産出量だ。その、唯一の心配事が当分大丈夫だと聞かされ、皆、明るい気持ちになっている。
星麗も新しいアズールを手に取ってみる。父の腕の中で、あちこちぐるぐる回してアズールを眺めたり、耳に当てたりしていた。ふと、日の光にかざしてみる。しばらくじっと見ていた。
「このアズールにはきれいな琥珀色が含まれてます」
「ほぉ? よく気が付いたね。そうなんだよ。金色よりも優しい輝きの琥珀色の鉱物が含まれているんだ。シエロにとっては、いいことだと思うよ」
「はい。お父様」
「二、三年後くらいには、新しい鉱山からこれと同じようなアズールがたくさん届くだろう」
「楽しみだなぁ」
星麗の頭の中は、もうシエロでいっぱいだ。