5. 会いたい
星麗に絵を渡してほしいと店主に手紙を送ってから三か月ほど経ったころ、爺宛にディオスのアトリエの店主から手紙が届いた。遥空は爺から受け取ってすぐに中身を確認する。そこには、星麗が現れ、絵を受け取ったこと。そして、伝言と手紙を預かっているので、ディオスに来た時によってほしいと書かれていた。
遥空は久しぶりにヴェルデを出て、ディオスのアトリエを訪れた。
店主に〝再会〟の作者であることを告げると、店主は奥から手紙を出してきて渡してくれた。そして、星麗からの伝言を伝える。
「『大変すばらしい絵です。絵はありがたく頂戴します』そう言って、手紙を託されました。確かにお渡ししましたよ」
「ありがとう。手間をかけたな」
遥空はとんぼ返りで王宮に帰り、すぐに自室で手紙を開封する。
手紙には、〝再会〟の礼と、絵でシエロの良いところを引き出してくれて感激しているとあった。シエロも作っているので、ぜひ会いたい。連絡手段を教えてほしいと書かれている。
(そういえば、シエロは試作品だと言っていたな。完成したのかな?)
またシエロで絵を描きたい。切に思った。しかし、今は自分の趣味を楽しんでいる時ではなかった。国王である父が最近体調を崩している。順調に回復はしているがじっくり絵を描く心情ではなかった。それでも星麗という少年からの伝言と手紙を早く手に入れたくてディオスに出かけたのだった。宰相や王太子の兄がしっかりしているので執務には問題がないが、王宮の中は落ち着かない空気で満ちている。星麗への返事を出さなければと気になっていたが、落ち着かない状況の中、なかなか返事を書けずにいた。
忙しい兄の負担を少しでも減らせればと思い、賓客の対応や、地方の視察などを今までにないくらい積極的にこなした。
地方へ行くと、女、子どもが目につく。というか、男が少ない。畑には女性と老人と子どもばかりだ。従者に尋ねると、働き盛りの男は隣国のディオスへ出稼ぎに行っていると答えが返ってきた。経済が隣国に依存していることに危機感を覚えた。
自分はこの国の王家に生まれた。朝起きれば召使が身支度をしてくれ、食事が当たり前のように出てきて、そして当たり前のように教育を受け、剣術を習い、さらに趣味の絵画まで楽しんでいる。父が倒れて以降、この当たり前を守るために、父をはじめ国の中枢がどれほど努力してきたのか、市井の人がどれほど身を粉にして働いてきたのか、ようやく気付くことができた。まもなく十五歳になる。自分に、この当たり前が続くために何ができるのだろう。遥空の頭の片隅に、そのことがかさぶたのようにこびりついた。
久しぶりに兄が遥空の部屋に入って来た。
「最近、また絵を描いていないようだが」
兄の言葉に遥空はドキッとした。王太子として執務に忙しいはずなのに、そんな些細なことまで気がついていたとは。
「はい。当分お預けです。今は兄上を手伝おうと思います」
「ありがとう。だいぶ父上も回復してきた。もうすぐ落ち着くから、そろそろお前も好きにしていいぞ」
「ありがとうございます。でも、私も何かお役に立ちたいのです」
「だったら、今までのようにまた絵を描いてほしいな。遥空の絵には心が癒される」
そして、部屋を出がけた兄は、振り返ってもう一言付け加えた。
「遥空にしかできないことだ」
遥空は、その夜、なかなか寝付けなかった。夜明けが近い時間だが、急に父の顔を見たくなり父の寝室へ向かった。
「父上、失礼します」
小声で挨拶して入る。返事がないことはわかっているが、一応声をかけてから入室する。
父は目を閉じていた。しばらく父の寝台の横に座り、父の顔を見ていた。この国をここまで担ってきたのは父の尽力があってこそだ。少しだけ手伝ってわかったが、体力、精神力共に尋常では務まらない。歴代の王の多くが十数年で王位を譲ると言うのが、今ではよく理解できる。真剣に取り組めば取り組むほど体がもたないのだろう。
(そろそろ、行くか……)
部屋を出ようとした時だった。
「遥空」
父の声がして、遥空はびっくりして振り返る。
「父上、目が覚めていたのですか?」
「今、お前に呼ばれたような気がしたのだ」
はははっと愉快そうに笑う。兄の言う通り、だいぶ回復したようだ。
「何かあったのかい?」
「いえ、ただ急に父上のお顔を拝見したくなりました」
「父が恋しくなったのか? ははっ。こっちにおいで」
遥空を近くに招き、大きな暖かい手で遥空の頭をやさしく撫でてくれた。
「父上はすごいなぁと思いまして……この国のために一生懸命尽くされてきた。兄上も、今、父の後を継ぐべく一生懸命です。わたしも何か国のために役ちたいと思っているのですが……」
「お前の口からそのようなことが聞けるとは驚いたな。知らない間に成長したんだね。父としてとても嬉しいよ。まだまだ時間はたっぷりある。大事なことだから焦らずゆっくり考えなさい」
父の遥空を見る目は、限りない優しさにあふれている。
「王になってからは休みもせずにがむしゃらに過ごしてきたが、今回ばかりは、神さまが体を休めろと休暇を与えて下さったようだ」
そう言う顔はすっきりしている。気力、体力ともにだいぶ回復してきたのだろう。表情が明るい。
「そうです。父上は働きすぎです。少しお休みください」
「ははっ、そうだね。臥せっていたら気持ちが沈みがちになったが、この窓から見る夜明け前の澄みきった空と、お前の絵が、私の心を癒してくれたよ。空と絵が、元気を運んできてくれたようだね。体中に気力が満ちてきたよ」
「夜明け前の空と、私の絵ですか?」
「そうだよ。私の病でいろいろと煩わせてしまったが、もう大丈夫だから、いつものように、また絵を描いておくれ。包み込むような優しさのお前の絵がとても好きだよ」
「兄上にも同じことを言われました」
「そうか、でも兄だけではないぞ。王宮には、お前の絵を待っている人がたくさんいるぞ」
「私の絵を?」
父の言葉に遥空の心が反応した。大きなことをやろうとしなくてもいいのだ。上ばかり見ていないで、地に足をつけて、今できることをまずはやってみよう。今の自分が役立てるとしたら、絵を描いて、見る人の心を癒すことだ。
「人の心を癒すなんて誰にでもできることじゃないんだよ。すごいじゃないか」
その一言に後押しされた。
遥空は父にゆっくり休んでくれと告げ、しっかりと前を見てアトリエに向かった。
一方、天空の郷では、星麗が〝再会〟という星空の絵を眺めてはニコニコしていた。
〝再会〟の前に立つと、母と見上げた時の満天の星空があざやかに蘇る。これで、いつでも母と一緒に居られる。そう思うと、猛烈に創作意欲がわいてくる。館の工房にこもりシエロ作りに精を出した。
しかし、日に日にヴェルデのお兄さんへの好奇心が沸いてきて、抑えられなくなった。あれから三か月ほど街には行っていない。父が鉱山の視察に行っているので、街へ行く機会が遠のいていた。
星麗は街に行こうと決めた。乳母の傅に頼み込んで、街へ連れて行ってもらうことをようやく承知してもらい、さっそく傅と右幻、左幻の四人で街へと出かけた。街のアトリエに直行し、店主にお兄さんへの伝言を渡せたのかどうか尋ねると、二か月ほど前に渡したという。
「それで?」
「お手紙もお渡ししましたが……伝言などは特に預かっておりません」
店主はすまなそうに言った。
「そうですか……ありがとう」
すでに伝言は伝わっていたのだ。でも、返事はない。お兄さんからの返事を期待していただけに、ひどく落ち込んで、涙が出そうなくらい悲しい気持ちに襲われた。
「傅、お兄さんはなぜ僕に絵をくれたんだろう」
手紙の返事が当然あるはずだと思っていたのに、何の連絡もないなんて。
「これでもう、お兄さんとは会えないのかな? お兄さんとの再会を楽しみにしていたのに」
うるんだ目で傅に問いかける。傅は少し考えているようだった。
「星麗様、絵の題名は〝再会〟ですよ。あの方も再会を望まれているはずです」
「そうかな?」
「お手紙を読まれたら、きっとお返事をいただけると思います。他国との手紙ですから、思っている以上に時間がかかるのだと思いますよ。もう少し待ちましょう」
傅にそう言われると、星麗もそう思えてくる。
「うん。また、少ししたら来てみるよ」
アトリエを出た星麗は、すぐにまた引き返し、店主に小さな包みを渡した。
「これを、ヴェルデのお兄さんに渡してください。次に見えた時でいいので」
店主に煩わせた礼を言い、郷へと帰ってきた。
天空の郷に帰って、もう一度〝再会〟を眺めてみた。眺めれば眺めるほど、会いたい思いは募る。しかし、傅が言う通りもう少し待つことにした。