12. シエロ工房 再始動
三光はシエロ工房に戻れることになって喜んだ。
星麗には特殊な才能があり、それは誰にもまねできないのだという。三光はそれを聞いた時に、ほっとしたことを覚えている。あんなに一生懸命教えて下さっているのに、期待に応えられない自分にがっかりしていた。でも、それが仕方がないことだと分かった今は、それならば、どうやれば自分はシエロの、そして星麗の役に立てるのかを考えたい。
シエロ工房は既に星麗のものではなく、二人の意識の中では、星麗と三光のものになっていた。
「星麗様、粉の具合はこの程度でよろしいですか?」
「そうだなぁ」
星麗は粉をつまんだり、耳を傾けたりしている。その辺が他の職人とは全く異なる。その姿を以前は不思議だと思っていたが、今では、愛おしくさえ感じる。
「いいと思うよ」
「ありがとうございます!」
三光は星麗と同じように瞳を輝かせて、シエロ作りに携われる喜びをかみしめていた。
シエロの生産は以前よりも順調に進んだ。
三光は頑張っているし、三光に教えるために星麗も気合が入っている。一人で好きな時間に、好きなだけ作っていた時とは違い、他の工房のように規則的に生産できるようになってきた。作業を細分化したので、三光のできる範囲が増えた。それと共に星麗の自由時間も増えてきた。
「このごろ星麗は前にもまして元気がいいね」
星麗は早く起きて朝食までの間、時間を惜しむようにシエロに取り組んでいるが、まったく疲れた様子を見せない。
貴星と傅は朝食のあと、〝暁の空〟の前でくつろいでいる。
「遥空様から手紙をいただいたからですよ。エスペランサが順調で、もう半年ぐらいで目途がつきそうだと書かれていたようです」
「そう言う事か。予定よりも早く遥空殿が帰ってくるので張り切ってるんだな」
「そのようです」
星麗は数日前に遥空からの手紙を受け取った。
そこには、一番に報告したいこととして、青の街道が完成したとあった。芸術の都、エスペランサと天空の郷を結ぶ道路は青の街道と名付けられた。主にスプレモを運ぶための街道なので、そう名付けたのだ。ディオスも貴星のもと青の街道のディオス領域内の工事を進めてきていた。この道が完成すると、護衛など面倒なことを考えなければ、星麗の実力でも馬で駆ければ半日で行けるようになる。
今の時点では星麗が馬で気軽に行くのは難しいだろうが、何かあれば半日の距離だと思うと、心の距離がかなり縮まった。気持ちが軽くなった。
住民の移動も始まったようだ。人が住み始めたという事は、本当に完成間近なのだと実感できる。誕生祭も決まったとあった。もうすぐだ。遥空が帰ってくる。星麗は舞い上がるような気持ちをようやく抑えた。
「なんともわかりやすいね。星麗は。親としては喜ぶべきか、悲しむべきか……」
「喜ぶべきでしょう。素直なところは星麗様の一番いいところなのですから。あれほど素直で無垢な方は他に居ませんよ。むしろ誇るべきですよ」
傅に一喝される。
「いやいや、失言だったようだ。傅の言うとおりだよ。聖明にも叱られそうだ。はははっ」
貴星は頭を掻きながら、傅と目を合わせ、声を出して笑った。
「半年か……じゃあ、こっちもそろそろ準備にかからないと」
「そうですね。今からですと、ちょうど間に合いますね」
「調子はどうだい?」
貴星が工房に入ってくる。三光は初めの頃は、貴星の前では少し緊張していたが、今ではそれもなくなり、自然体でいられるようになった。
「はい。三光が頑張ってくれて、以前に比べてだいぶ楽になりました」
星麗は元気いっぱいだ。活気あふれる工房では、気持ちよく作業が進んでいる。星麗は少しずつ道具の置き場などを調整しながら、より快適に、効率よくシエロ作りができるように工夫を重ねている。ただ、今のところ、シエロは遥空のために作っているようなものなので、スプレモのように大量に作らなくてもいい。これからも時間をかけて制作工程を見直していけばいいのだ。
「三光はどうだい? 慣れたかな?」
「はい。だいぶ慣れてきました。あの〝暁の空〟の顔料だと思うと、自分の仕事に誇りが持てます」
シエロで描かれた絵は、まだ〝再会〟〝暁の空〟、それから〝夜明け前〟の三枚しかない。
〝再会〟は星麗の部屋に飾ってあり、この郷では貴星、傅、遥空以外はその絵を見たことが無い。〝暁の空〟は貴星の館の広間にある。三光を含め郷の者たちだけが見らる。しかし、郷の外には存在すら知られていない。そして、〝夜明け前〟はヴェルデの王宮だ。三枚とも一般の人は見ることはできない場所に飾られている。
以前、〝再会〟はヴェルデの王宮に飾られた後、ディオスの街のアトリエに短い期間だが飾られていた。シエロの絵を一般の庶民が目にできたのは〝再会〟しかないのだ。〝再会〟は、輝く顔料が注目を集め、青い絵としてうわさが広まった。その時にどこからともなく、その顔料はシエロという天空の郷の新しい顔料だと噂が流れた。
しかし、それ以降、輝く顔料の絵は一般の人目に触れるところには出ていない。いつしか、世の中ではシエロは幻の顔料となっていた。
「そろそろ、シエロの発表を考えてもいい時期だね」
星麗と三光は嬉しそうに頷く。
「遥空殿が帰ってきたら相談してみよう」
シエロの発表とは、空画伯の絵の発表と同義なのだ。