5. 国の宝
遥空がヴェルデに帰ってから一年ほど経った頃、星麗に手紙が届いた。
傅が工房まで届けてくれた。さっそく開けてみると、いろいろ工事が進みだしたので一度見に来ないかと書かれていた。
「傅、遥空がエスペランサを見に来ないかって!」
星麗はそう言い終わるや否や、手紙を握り締めて、父の執務室に駆け込んだ。
あわただしい星麗の様子に、貴星は驚いて顔をあげる。星麗は久しぶりに明るい顔をしていた。
「星麗、どうしたんだい?」
「お父様! お父様、遥空が見学に来ないかって! エスペランサに来てもいいって連絡が来たんだよ」
星麗は手紙を握りしめたまま、貴星に突進する勢いで話しかけた。瞳は興奮して、いっそう大きく見開かれている。
「ほお。そう言ってきたのか。順調なんだね。何よりだ」
星麗を落ち着かせるように、近くの椅子に座らせた。
「他国となると陛下の許可が必要なんだ。久しぶりにお爺様のところに行こうか」
「はい!」
宮殿には半年に一度ほどの割合で行っている。貴星は月に一度報告に立ち寄っているが、星麗は街まで一緒に行き、宮殿には気が向いた時にしか行かない。宮殿の堅苦しい雰囲気が苦手だった。宮殿よりも街には面白いものがたくさんあり、貴星に半年ごとにほぼ強制的に連れていかれる以外は、ほとんど行かない。
「星麗、よく来たね。寂しかったよ。最近顔を見せてくれないから」
久しぶりの宮殿だ。
国王であるお爺様は、星麗をことのほかかわいがっていた。星麗の従弟も宮殿にはたくさんいる。その孫たちも十分にかわいがっていたが、離れたところに住み、たまにしか会えない星麗のことがかわいくて仕方がないようだ。
「しばらく会わないうちに、こんなに大きくなって。もう抱っこしてあげられないかな」
そう言うと、星麗を抱き上げようとした。星麗はとっさに抵抗する。
「お爺様、星麗はもうすぐ十四歳ですよ! 背だってお爺様にもうすぐ追いつくのですから。抱っこなんてもうやめてください!」
「わははっ。仕方がないのう。じゃあこっちにおいで」
両手を広げて星麗を抱き寄せ、頬を摺り寄せる。
「お爺様、くすぐったいです。あははっ! 放してください! くすぐったい!」
身をよじって、お爺様の腕をすり抜ける。
星麗もお爺様が大好きだ。ただ、多くの家臣のいる前で、いつも幼子のように扱われるので、それが嫌なのだ。
「星麗、素晴らしい才能があるそうだね」
祖父は貴星から星麗のこと、シエロのことの仔細はすべて報告を受けている。
「爺は嬉しいよ。聖明が授かった才能を受け継いでシエロを作ってくれたとは。星麗は爺の宝だ」
祖父は聖明のことをたいそう気に入っていた。その聖明の才能を星麗が受け継いだことがよほど嬉しかったのだろう。両腕でしっかり星麗を抱きしめる。今度は星麗もお爺様のされるままに身を任せる。
「はい。お母様には感謝の気持ちでいっぱいです。シエロがお爺様や伯父様の御役に立てることが嬉しいです」
「おお、なんと……星麗、大人になったんだね」
ようやく落ち着いた祖父に星麗は事の次第を説明し、外出の許可を求めた。
「ああ、行っておいで」
祖父は快諾してくれたが、伯父である王太子から星麗の護衛の話を聞いて驚いてしまった。なんと、星麗は馬車に乗り、近衛隊の精鋭部隊が同行すると言う。
「伯父様、大げさすぎます。僕と右幻、左幻の三人で馬で行こうと思います」
「気持ちはわかるが我慢してくれ。星麗は国の宝なんだ。今、宰相たちが今後の警護について話し合っている最中なんだ。しばらく状況を見て決めることになる。それまでは、陛下や私と同じ警護体制にならざる得ないんだよ」
驚くことに、傅にまで警護が付くと言う。まさに、厳重体勢だ。
宰相たちが詳細を決めたら警護体制が見直されて、また動けるようになると貴星に言われた。過去、スプレモを開発直後の自分の経験からそう言っているのだ。
結局、星麗は遥空の誘いを辞退した。唯一シエロを作れる人ということで、もう、簡単に国を出ることはできない。郷を出る時には、今まで以上に警護が付くようになった。しばらくの間、警護体制が落ち着くまで、郷すら簡単に出られない状態だ。
遥空に猛烈に会いたかったが、ぞろぞろと何頭もの騎馬を連ねて工事で混乱しているエスペランサに行くことなどできない。邪魔になってしまうので、遠慮せざるえない。遥空に会える喜びから一転、また孤独の中に引き戻されたようだ。喜んだ後なので前よりも一層一人が辛かった。
遥空には星麗が行けないので、代わりにスプレモを沢山送った。箱モノを作ったら、その中身が必要になる。話題性の高い絵を飾れれば、人が自然に集まってくるだろうと貴星がスプレモを送ることを提案した。星麗はシエロを送りたかったが、スプレモを使った空画伯の絵は依然として人気が高かったのと、芸術の都が立ち上がり、しばらくしてから、第二の起爆剤としてとっておいた方がいいだろうと言う貴星の判断で、今回はスプレモのみにした。そのはずだったのだが、星麗はこっそりシエロを小瓶に詰めて荷物に紛れ込ませた。
「星麗、シエロをその時までに作り溜めておきなさい。きっと遥空の助けになるから」
「はい」
離れていても星麗の心にはいつも遥空が居た。遥空の夢の実現に協力するために、一人の寂しさを紛らわすようにシエロ作りに没頭した。
星麗に手紙を出してから十日ほど経ったころ、遥空のもとに返事が届いた。星麗が国外に出る時には、護衛が大げさになるらしいとあった。大人数では工事に支障をきたしかねないので、今は行かないほうがいいだろうとあった。考えてみれば、星麗は王孫であり、なによりもシエロの開発者なので、国外にはそれなりに護衛が付いて当然だった。第六王子という気ままな立場とは違うのだ。
手紙と一緒に届いた荷物を開けて驚いた。そこにも星麗のメモがあった。自分は行けない代わりにスプレモと少量のシエロを送ると。
(猛烈に絵を描きたいと思っている気持ちが、星麗に伝わったのだろうか?)
シエロから、星麗の声が聞こえてくるようで、勇気づけられる。
「エスペランサの希望を描こう」
遥空は、工事現場での指揮をとりつつ、星麗の気持ちを受け、絵を描くことにした。この芸術の都、エスペランサにこそふさわしい、そんな絵を描きたいと思った。そして、その絵を見て、画家や、絵を求めている人が集まってくるように、多くの人が集まる誕生祭でのお披露目を目標に、絵を描きだした。