2. 星麗とシエロ
天空の郷を開くためにに奔走していたころ貴星は妻の聖明と出会う。
神秘的な星のように輝く琥珀色の瞳に魅せられた。聖明は華やかな王都での暮らしを躊躇なく捨てさり、貴星とともに郷で暮らすことを選んだ。芯が強く、清らかな心根を持ち、郷のもの皆に慕われた。
貴星と聖明の暮らしは充実していた。貴星にとってかけがえのない時間だった。やがて、二人は子を授かり、その子を星麗と名付けた。三人になり、より充実した暮らしとなった。
星麗は、星が一番きれいに輝く暁のころに生まれた。
「元気な男の子ですよ」
元気な産声を上げた星麗を産婆から乳母の傅が受け取る。
母の聖明は星麗の髪を撫で、瞳を覗き込んだ。
「青みがかった髪、青い瞳。よかった……」
そう一言つぶやき、安心したように眠りについた。
ディオスの王族はなぜか皆、青みがかった髪、青い瞳を持って生まれてくる。それ自体が王族の証であるかのように。不思議なことに、王族以外にこのような子どもは生まれない。青い風貌は神に選ばれた証だと人々に信じられ、それ故にディオスには反乱もなく王家が脈々と続いている。星麗の瞳は、ことさら深く青い色をしている。星麗は現国王の孫にあたる。
自然を愛する聖明は、美しい星空を星麗に見せるために、たびたび夜中に星麗を丘の上に連れ出し、二人並んで草叢に寝転ろんで星を眺めた。貴星は、いくら天空の郷でも、夜に女、子どもだけでは危険だと、何度も止めるように言うが、聖明は頑として貴星の言う事を聞かなかった。
「この青い瞳には本当に美しいものをたくさん見せてあげたいのです。星麗の瞳のなんと美しいことか。星空を映したように、キラキラと輝いているでしょう? ほら、あなたの瞳にそっくりですよ」
そう言われると貴星は言い返せない。結局、三人で川の字になって星空を見つめることになった。幼い星麗はきゃっきゃとはしゃぎ、二人の会話に参加しているようだ。
「この子はきっと、あの星空のように輝く青を作りますよ」
怖いくらいの幸せな時は長くは続かなかった。産後から体調を崩しがちだった聖明は、幼い星麗を残しあっけなく逝ってしまった。
天空の郷の子どもは、歩けるようになると郷の中にある大学に通う。正しい知識に裏付けられた広い見識が、良質な顔料を生み出し改良するのに不可欠だと、貴星のこだわりで制度と施設が整えられたのだ。小規模だが教育水準は王都にある街の大学に引けを取らない。それもそのはずだ。大学の博士は宮廷直属の一流の者のみだ。
星麗も歩けるようになると、大学に通い、午後には父の工房で遊ぶという毎日を過ごした。工房では、父に習って顔料作りをした。天空の郷の子どもたちは、こうやって幼い頃から顔料作りに慣れ親しんでいる。
ディオスでは、職人は憧れの職業だ。職人には社会的に高い地位が与えられ、顔料作りに集中できるようにと十分な報酬と、安定した暮らしが保証されている。他の国の職人のように明日の食料に困るようなこともなく、皆、国の未来を担っているという誇りを持って顔料作りをしている。
星麗は顔料作りに特別な才能があるらしい。わずか五歳の時に父を真似て、見よう見まねで青い顔料を作った。スプレモと同じようにきれいな青色だが、スプレモとは異なる不思議な魅力のあるものだった。
「お父様、星空だよ!」
星麗は自分で作った顔料を周りの壁に塗ってきゃっきゃと喜んでいる。
「おやおや、星麗、壁に塗ったのかい?」
顔料は出来上がると手元にある麻布に塗って色調を確かめる。星麗は麻布を使わずに、今作ったばかりの顔料を工房の壁に塗ってはしゃいでいた。
貴星はやれやれという感じで星麗の塗った壁を見る。ちょうどその時、工房に光が差し込み壁を照らした。
「これは……」
なんと、青く塗られた壁は光を受け、星空のように一面キラキラと輝きだした。
その顔料はシエロと名付けられた。しかし、シエロは、たまに偶然で出来上がるような不安定なものだった。わずか五歳の子どもに作り方の手順をまとめさせるなど無理な話だ。しばらくは星麗の気の向くままに作らせるしかない。だからシエロは郷の外には出さず、郷の中でも幻の顔料と呼ばれていた。
外部の人の手に渡ったのは、星麗が迷子になったときに助けてくれた少年にあげた一瓶だけだ。
星麗は十歳になった。
星麗は、シエロに没頭して数年間、試行錯誤を繰り返し、最近、ようやく、少量だが、シエロを安定して作れるようになった。
シエロがスプレモと決定的に違う点は、複雑な色の輝きだ。スプレモはあくまでも青く澄んだ清いほどの青だ。一方シエロはきれいな青い色だが、カンバスに塗られると、なんとも優しい、包まれるような輝きを放つ。アズールはもともと鉱物なので色々な成分を含んでいる。それは、色々な色彩を含んでいるという事になる。シエロで塗られたところは、青い中に金色に光る輝きが見られる。見る角度、光の当たり方で輝きが異なるのだ。そのような顔料は今までに例がない。
「星麗、宮廷画家にシエロで何か描いてもらおうか?」
貴星はシエロの真価を確かめるために画家に絵を依頼しようとしたが、星麗は首を振る。
「シエロの絵はあのお兄さんが描いてくれるんです」
「あのお兄さんって、迷子の時の? まだ覚えていたのかい?」
「いいえ、あれ以来忘れてました。へへっ」
いかにも確信ありげに言ってしまったが、星麗は自分でもなぜ忘れていたお兄さんのことが突然自分の口から出たのかわからなかった。
シエロがどうにか安定して作れるようになってきたと言うのに、ここ数日、星麗の気分は落ち込んでいる。
「お母様、今日も雨です。お母様とお話ができません……」
最近雨ばかり降っている。星が見えない日が続くと星麗は憂鬱になる。母と話ができないからだ。星麗は星空に向かって話しかけると、幼い頃に亡くなった母と話しているように感じられた。幼少の頃、いつも母と二人で星を見ながら話した。色々話したのだろうけど、幼かった星麗は、あまり話の内容までは覚えていない。母と二人で話していると、いつの間にか父も加わり、最後にはいつも三人で話していたことをおぼろげながらに覚えているだけだ。
『星麗、あの空を見てごらん。きれいでしょう? アズールもあの星空に似ているわね。アズールって、まるで、あの星のきらめく天空のかけらみたいね? あの空、掴めそうね』
記憶の中の母は、そう言うと両腕を空にむけて高く上げ、両手で空を掴むようなしぐさをしながら、ふふふと笑う。
「天空のかけら?」
星麗は意味がよく分からなかったが、話した時の母の幸せそうな顔が記憶に残ってた。星麗の中では、母が亡くなったことはもちろん理解できているが、星空と母の記憶が一体化し、星空を母のように感じているのだ。だから、何かあると、星麗は星空を見つめる。まるで母がそこに居るかのように。
星麗のシエロは、母との思い出の色だ。母と一緒に見上げた星空の色だ。多彩に輝く美しい青色だった。遠い思い出とシエロが重なった。
(記憶にある星空の輝きと同じになったのだろうか?)
ふと、星麗は思う。同じだと言えば同じような、違うと言えば少し違うような気もする。
「もう少し、試してみるかな」
星麗は、シエロのさらなる改良に取り掛かった。