1. 天空の郷
ディオスは大陸の中ほどにある小さな国だ。
この国には世界中から羨望を集めてやまない二つの〝青〟がある。アズールという青い鉱石とスプレモという青い顔料だ。
アズールは青く美しい半貴石で、宝飾品として昔から根強い人気がある。そして、スプレモは、そのアズールを原料にして作られた、今まで見たこともないほどの深い青色をした顔料だ。
スプレモは卓越した美しさと希少性ゆえに芸術家に愛され、宗教関連施設や絵画に多く用いられた。その事が誤解を生んだのだろうか。スプレモを使った美術品は人々に癒しを与える力があると噂されるようになった。
いつしか、スプレモを使う絵画などの芸術品は幸運をよぶと人々に愛され、その原料のアズールは世界に安寧をもたらす僥倖石と信じられるようになっていた。
ディオスは、そのアズールの唯一の産出国であり、スプレモを創出した国である。
スプレモはディオスに莫大な富をもたらした。スプレモが作られて以降、アズールの価値は一気に押し上げられ、国に安定と繁栄をもたらした。野心ある国々はアズールとスプレモを独占しようと、ディオスを配下に収めるべく策略をめぐらせた。
とある王国の執務室。
「ディオスを我が国の支配下に置けば、スプレモの利権は我が国のものになります」
「確かに。しかし、スプレモはどの国にとっても非常に魅力的だ。その利権を手に入れたい者は後を絶たないだろう。スプレモをめぐって他国が次々と攻め入ってくるぞ」
「うーん……」
どの国も富を生むスプレモを独占したいと願ったが、仮にディオスに攻め入りアズールとスプレモを手に入れたとしても、他の国がほおっておくわけがない。
「争いばかりではアズールの採掘すらままならない。かえって国が疲弊してしまう」
争いは争いを呼び、アズールの、ひいてはスプレモの生産すら危ぶまれると懸念された。もはや、アズールはただの鉱石ではなく世界平和をもたらす僥倖石なのだから、これは避けなければならない。そこで、各国は話し合いを繰り返した結果、協定を結び、ディオスの安定した平和を協調して守ることにしたのだ。
顔料のスプレモは天空の郷という仙郷で作られている。
天空の郷は、ディオスの中ほどの、なだらかな丘陵にある。郷は秘密のベールに包まれていて、ディオス国内でも詳細を知るものは限られる。王室の直轄地として王族直属の近衛隊に守られ、外部の者は簡単に入郷できない。
郷のなかは、世間の喧騒とは無縁で、いつも穏やかな空気に満ちている。
「こんにちは。今日もスプレモは順調かな?」
青みがかった髪と青い瞳をもつ人物が、道行く人に語りかける。
「はい、貴星様、いつも通りです。特に問題はありません」
その返事に貴星はにこやかな笑顔で頷く。貴星はこの郷の長だ。
貴星は十数年前にこの郷を開いた人物だ。その品格が漂う青い風貌は。王家の血筋であることを表している。ディオスの王族は一様に青みがかった髪と青い瞳を持つ。なぜか王族以外にはこの特徴を持つ者はいない。
ディオスの第二王子である貴星は、幼いころからアズールの青が大好きだった。その深い青色を見る度に心が沸き立った。しかし、当時世の中には青色の顔料は無く、世の中で青い顔料と言えば灰色がかった空色だったのだ。
成長するにつれてアズールの美しさをそのまま顔料にしたいと考えるようになった。そして、ついには工房を構え顔料作りを始めたのだった。
王族が職人の真似事などをと周囲に猛反対されたが、強い意志を貫き、工房を構えて数年後、貴星は試行錯誤の末、驚くほど深い青色の顔料を創り出した。比類なきほど深い青色の顔料は、スプレモと名付けられ世に出た。
折しも、西南の国で起きた大きな文化の変革運動が、ちょうど周辺各国に影響を及ぼし始めていた頃だった。その流れにのってスプレモはあっという間に世界に広がった。
さらに貴星は、顔料を創り出しただけでなく、スプレモを国の宝に育てるために、自分ではなく、父である国王こそが旗振り役にふさわしいと上奏したのだ。
父は、貴星にスプレモに関わる産業の推進を当然のごとく申し付けたが、貴星は、国王を中心に国民が一つの方向を目指して団結することこそ、ディオスを未来永劫に強くすると、父に、そして王太子の兄に何度も繰り返し説明をした。そして、貴星は第二王子として、それが自分の立場に見合う貢献の形だと付け加えたのだった。
国王は熟慮を重ね、王太子とも話し合い、最終的に貴星の提案を受け入れた。
「お前の言わんとすることは良くわかった。この国の将来を考えてのことなのだな。承知した。私が自ら旗振りをして、王太子とともに前面に出て進めることにしよう」
一旦決めると国王の動きは早かった。自らが旗を振り、ものすごい行動力で国内の各方面に働きかけ協力者を集めた。国王の掲げた旗印は国の希望となり、国中がその旗印の下に動き出した。貴星も積極的に動いた。スプレモの技術を後世に伝えるべく、職人を集め、国の事業として職人の働きやすい環境を整え、高台のある丘陵に郷を作った。
かくして、天空の郷が始まったのだ。