3. 私の原動力
〝暁の空〟以降、遥空が天空の郷を歩くと、あちこちから声がかかる。いつのまにか客人ではなく、郷の一員として認められていた。
〝暁の空〟を見た郷の者は、遥空と星麗の持つ非凡な才能の出会いに驚き、喜び、二人のファンになった。遥空の画力がシエロのすごさを引き出し、そして、シエロの力が遥空の絵のすばらしさを何倍にも引き上げていることを、郷の者は〝暁の空〟から感じた。
もうすでに天空の郷は、遥空にとって第二の故郷と言えるぐらい、居心地の良い場所になっていた。
鉱山から帰ると、遥空は一人で工房の職人たちを訪ねるようになった。
「こんにちは。また来てしまいました」
「遥空様、ようこそいらっしゃいました。何かご説明しましょうか?」
「ありがとうござます。ただ見ているだけで結構ですから。顔料ができていく工程を見ているのが好きなんです」
「では、何かありましたら遠慮なくお声をおかけください」
ヴェルデの王宮に暮らしていたころは、好きな絵をかいて、褒められて、嬉しくて、ただそれだけだった。
最近は、好きなことをただするのではなく、国ためにできることをやりたいと思うようになった。自分のそのとっかかりは絵だ。
貴星の考え方や生き方そのものに刺激を受け、遥空の中で何かが変わろうとしていた。
貴星は、スプレモを創り、自国のアズールの価値を高め、全世界に知らしめた。一番驚くのは、そこで終わらせず、アズールの採掘から加工までのすべての工程を整え、将来までこの仕組みが続くように国王を中心に据えた体制まで作り上げたことだ。その結果、自国ばかりでなく隣国までにも富を分け与え、周辺国も含めて平和をもたらした。王族として国に貢献するという一つの姿を示された気がした。
星麗の存在にも刺激を受けた。
父の切り開いた道をそのまま楽に歩むこともできるのに、その道をさらに広げた。
スプレモに続く新たな顔料シエロを創り出し、アズールの新しい価値を発見した。そして、さらにシエロを極めようとしている。自分が星麗と初めて会った歳とさほど変わらないのにだ。
もう一度、遥空は自分のできること、自分だからできることを考えてみる。
兄に『お前の絵には心が癒される』と言ってもらえた。
父に『人の心を癒すなんて誰にでもできることじゃないんだよ。すごいじゃないか』と言われた。兄が、父が、自分の絵の価値に気づかせてくれた。
天空の郷の人たちも〝暁の空〟を見て、感動してくれた。
そして何より、絵は〝暁の空〟を一緒に生み出した星麗との唯一の絆なのだ。
(絵を描こう。絵でヴェルデを盛り上げよう!)
考えは決まった。
遥空は大まかだが自分の進むべき道が見えてきたことで積極的に行動し始めた。時間を惜しむように足しげく工房を訪れ、北斗工房の瑠璃色の深く濃い青、七石工房の紫がかった青、そして千歳工房の緑がかった青と、それぞれの工房の色の特色を記憶に焼き付けていく。
郷の職人は快く遥空に協力してくれた。
「次にどんな絵を見せてくれるのかワクワクしますよ。遥空様の絵を見るのが楽しみです」
職人たちは、遥空の絵が、今まで自分たちですら気づいていなかったシエロという顔料のすばらしさに気づかせてくれたと口々に礼を言う。そして、スプレモでも絵を描いてほしいと言う。スプレモの魅力も引き出してほしいと言うのだ。その声を聞くと、遥空のやる気はますます高まる。
スプレモの三系統の青色の特徴がつかめてくると、どうしたら、よりその色を輝かせることができるのか、頭の中の風景と重ねて考え始めた。
北斗工房の濃い青、これがアズールの基本の青だ。濃い青は、日が暮れてきて、星が輝き始める直前の宵の澄んだ空の色に似ている。七石工房の紫がかった青は夜が明けてきて、星が消え、闇から光に移り始めるはざまの空の色だ。千歳工房の緑ががかった青は、日の光を浴びた緑が空の青と融合したような色だ。青色と一口に言っても、実に表情豊かだ。
遥空は、ますますスプレモの魅力にはまっていった。さらに何度も工房に足を運び、顔料の微妙な違いや特性を実際に目で見て記憶に焼き付けた。今すぐに役立たなくても、いつかきっとこの郷のために役立てる時が来る。スプレモは使い方次第で、もっともっと価値が高くなる。遥空はそう確信している。
遥空は、自国に絵で貢献したいと決めたが、そのことに気づかせてくれた天空の郷にも役立ちたいと思う。少しでも貴星に近づきたい。そして、星麗といつか肩を並べたい。そう思うと、やる気が満ちてきた。
(星麗は私の原動力だな)
ふと、遥空は思った。
星麗と知り合ってからまだほんのわずかしかたっていない。確かに始まりは五年前かもしれないが、行動を共にするようになってからはまだ日は浅い。しかし、とてもそうは思えない。時おり物心ついた頃からいつも星麗と一緒だったような錯覚に陥る。不思議な感覚だ。それは、星麗の素直すぎるくらい素直な性格が影響しているのかもしれない。遥空のすべてを無条件で受け入れてくれる、そう感じさせる星麗の無垢な言動が二人の距離を急速に近づけたのだろう。
星麗の言動すべてが愛おしく思える。昔、宮廷画家にならって絵を描いていたころ天使をモチーフにしてよく絵を描いていた。その天使よりも星麗のほうがよほど天使らしいと思う。いま、あの頃と同じ絵を描いたら、天使は皆星麗の顔になってしまいそうだ。我ながら笑える。
遥空は気が付くとカンバスを前にして星麗のことを考えながら長い間ぼーっとしていたらしい。どうしても、青い顔料についていろいろ考えていると、星麗へと思考が移ってしまう。気を引き締めて、また考えを整理し始めた。
いずれにしても、二人の間にはいつもシエロがある。シエロが自分たちをつないでいることだけは確かだ。