11. いつまでも居てほしい
朝から天気がいい。今日も快晴だ。
昨日ぐっすり休んだし、遥空も同じ家にいると思うと、すこぶる気分がいい。星麗は傅に言われた通りに、今日は遥空を工房に案内する予定だ。
遥空はもう起きていて、貴星と話をしていた。
「お父様、遥空、おはようございます」
「おはよう星麗。遥空殿よりも寝坊とは、叱ってもらいたいのかな?」
「すみません。僕、昨日から叱られてばかりです」
「ははっ、少し張り切りすぎたようだね。今日は私も一緒に遥空殿の案内をしようと思うがどうかね?」
「お父様も? ぜひ、お願いします!」
「それでは、スプレモの工房へ行こうか」
「はい!」
「遥空殿もよろしいかな?」
「はい。よろしくお願いします」
郷の中ほどの広場に面して市場がある。
市場と言っても、アズールの受け入れと顔料の出荷を管理していると言った方が実情に合っている。ここで、売り買いはしていない。
アズールは青一色ではない。スプレモの原材料となるアズールは、天然石なので多くの不純物を含んでいる。白色が多く含まれているもの、灰色がかったも、金色が斑にはいったものなどさまざまだ。だから、そのまま粉末にしただけでは淡い空色程度にしかならない。アズールから不純物を除いてスプレモを精製する方法を極め、奇跡と言われる青色を作り出したのが貴星だ。
スプレモには主に三系統の青色がある。瑠璃と呼ばれる濃い青色のスプレモ、紫を多く含むスプレモ、緑を多く含むスプレモの三種類だ。そして、郷には貴星の屋敷内にある工房の他に、その色味に応じて三つの大きな工房がある。
まずは、一括してこの市場に運ばれた原石を、含まれる色味により三種類に大別してから工房に運ぶ。この原石の色味を三系統に分けるところからスプレモ作りは始まるのだ。
今日は一番最初にできた瑠璃色のスプレモを作る工房を訪ねることにした。
工房の長は北斗という。貴星が郷を開いたころから一緒に苦労してきた職人で、瑠璃色のスプレモの責任者だ。この工房を郷では北斗工房という。今では北斗工房といえば瑠璃色のスプレモを指す。北斗は貴星たちをにこやかに迎えてくれた。
「おはよう。北斗。お客様をお連れしたよ」
貴星は工房に入り、一番の年長者らしき人物に声をかけた。
「おはようございます。貴星様、星麗様、そして、遥空様」
「おはよう。北斗。工房見せてね」
「はい。星麗様。お待ちしておりました」
「おはようございます。私の名前をご存じなのですか?」
「はい。郷にお客様は大変珍しいので、遥空様のお名前は昨日、一瞬にして郷中に広がりました。わっはっはっ」
北斗は豪快に笑った。貴星と同じくらいの歳に見える。精悍な顔つきで、腕の筋肉が美しく盛り上がっている。
「しょせんは閉じた世界なのですよ。でも、気持ちは開かれていますので。わっはっはっ」
もう一度豪快に笑った。その顔はいかにも楽しそうだ。
北斗は遥空に、原石によるスプレモの微妙な色の違いを丁寧に説明しながら、工房の手順や、器具などを紹介していく。遥空は顔料で絵を描いているだけに、興味深げに聞き入っている。
星麗は貴星とともに少し離れたところから、その様子を見守るように眺めていた。
「昨日、傅に叱られたのかい?」
「はい。叱られちゃいました。遥空に僕の好きなところを案内したのですが、夜中とか早朝とか、少し急ぎすぎたようです」
「ははは。そのようだね。でも、いい絵を描いてもらいたくて案内したのだろう?」
「はい」
「遥空殿はどうだった? 迷惑そうにしてたかい?」
「いいえ。星空には言葉もなく見とれていましたし、幽玄の滝には景色に鳥肌が立ったと言ってました。それって、気に入ったってことでしょう?」
「絵を描くのなら、そうだろうな。確かに、少し急ぎすぎたようだが、いいところを案内したね」
父に頭を撫でてもらい、星麗は上機嫌だ。絵を描きたくなるような景色をもっと案内すれば、遥空は長くこの郷に居てくれるはずだ。記憶を総動員して、あれこれ頭の中で郷の景色を思い浮かべ、次に行く場所を考えながら、ひとりニマニマする。
「ずーっとここに居てくれるといいな」
「星麗は今まで寂しかったのかい?」
「どうしてですか?」
「いや、遥空に長く居てほしいと言っているので、そう思っただけさ」
「寂しくはありません。お父様も、傅も、右幻も左幻も、そして、郷の皆がいますから」
「じゃあ、遥空殿にどうして長く居てほしいのだ?」
「遥空が幸せそうだからです。会った直後よりも、今のほうがずーと柔らかいんです!」
「柔らかいか。そうか。ははっ。星麗独特の言い回しだな」
貴星は何か思いついたようだった。
「今度、二人を鉱山の視察に連れて行ってあげよう」
「本当に?」
「ああ。鉱山もそうだが、遥空殿と街に出かけてみてもいいんじゃないかな? そろそろ星麗も郷の外の世界を知ったほうがいいからね」
「いいのですか?」
「遥空殿さえよかったら、かまわないよ。遥空殿が明け方に剣の稽古をしていたが、なかなかの腕前だ。安心して星麗を任せられるよ」
「僕だって剣術は習っています。稽古以外で使ったことは無いですけど!」
楽しそうに笑っている貴星に星麗は口を尖らせて抗議する。そして、遥空のほうに向きなおり、遥空に声掛けしようとしたが、貴星に止められた。
「北斗との話が終わるまで待ちなさい」
星麗は照れくさそうに頭を掻いて、庭に飛び出していった。
工房から帰って来ると、遥空は興奮しているように見えた。
「遥空殿、顔料作りは面白かったですか?」
「はい。顔料作りの工程も面白かったですが、何より北斗殿のお話に興味を惹かれました」
「何を話したの?」
星麗が会話に割り込み、貴星に頭をごつんとされる。星麗の首をすぼめて頭を撫でる様子に遥空は吹き出していまう。
「アズールがこの郷に搬入されてから工房に運ばれるまでの流れが興味深かったです」
「ほぉ。そこですか」
「はい。スプレモに三系統あるのは知っていました。私は色が異なるのは、職人の腕の違いによるものだと思っていました。つまり、職人により色の違いがあるのかと。でも、もっと整然とした流れでスプレモは作られていました。意外といっては失礼ですが、感性だけに頼らない顔料作りに感嘆しました」
遥空は目を輝かせて話を続ける。嬉しそうな遥空の顔を見ていると、星麗まで嬉しくなる。遥空に話しかけたくてむずむずしてきた。
「また、職人が求める色を作り続けるために皆で協力して切磋琢磨している様子に、感動しました」
「そうですか。実は、今日北斗の工房に案内したのは、そこを理解してほしかったからなのですよ」
「へぇ、そうなの?」
星麗が我慢できずに口をはさむ。あわてて、自分の口を手で覆い、後を向いた。
「この郷の職人は工房全体の技術を高め維持することが、スプレモの価値を高め、国の安定につながることをよく理解してくれています」
「そう思いました。この郷の職人は自分の働きがどのように国に貢献しているのかをきちんと理解できているのですね」
「そうです。だから、皆で作り方の情報を教えあって、職人全員の質が高まってきたのです」
貴星も遥空も、満足げに頷いた。
「いい仕組みを整えられましたね。素晴らしいです」
「私一人の力ではありませんよ。構想があっても、父である国王の協力と理解が無ければ、そして、職人たちの協力がなければ、こうはなりませんでした」
「お母様は?」
ここは、星麗は積極的に口を出す。
「そうだね。一番の立役者はお母様だね」
「傅もね」
お母様と傅の協力も認めてもらえたので、星麗はとても満足だった。