第1話その7 『始まりの国へ』
「こ、これが魔法の力……か。あはは。そうだよな、魔法、なんだもんな。は、ははは……!」
(何だよこれ……! なんだこれ!? 俺は夢でも見ているのか???)
あまりにも、過ぎて笑えてきた。俺が向こうで過ごした人生など、とるに足らぬ矮小なモノであると思い知らされる。壮大だ。
『我、幸に至るを得、以て此れを眼福とす』ってヤツだ。
俺が見ているものは『絶景』。
ここで一寸辞書を引っ張ってみて欲しい。『他に例えようもない素晴らしい景色』だってよ。どうかな、伝わったかな、伝わってくれ。
天空ギリギリ一杯の高みの果てで世界を見渡す。下に青と緑と茶色、たまに白で飾られた景色が広がり、前は世界の境界線か青の膜と底無しの黒。そして横にはこれまた絶世で居られる女神様が手を繋ぎ、優しい笑みを俺へと向ける。
(全体これを何と例えりゃ良いんだ……)
『絶景』以外のなにものでもない。没年37の仕事一筋であった男には"コレ"を伝える術が他にない。文才溢れる彼の偉人達をここへ来て初めて羨望する程に……。
息をのむ。目をかっぴらいて世界を見渡す。一瞬一瞬、一秒たりとも逃さぬように……。
「……どうだい? 少しは伝わってくれたかい? 魔法を、『特別な力』の少しでも優流男は味わってくれたかい?」
女神は目を細める。そして彼女が俺の両手を取ると、ゆっくりと世界が回り始めた。二人だけの舞踏会。
俺は首を横に振る。
「……少しでも、なんて冗談キツいぜ女神さま。十全過ぎるほど俺は今、許容範囲すれすれに、地球で体験したどんなモノをも軽く越えた絶景を体験しているよ。ああ、絶景だ」
『許容範囲すれすれ』なんて一度も用いた事のない表現で文豪達を見習ってみた。少しは彼らに近づけたかな。
すると、女神様は静かにこちらを見つめてきた。吸い込まれそうな瞳だ。世界も止まる。
「……『絶景』か。そう感じるかい優流男」
俺の言葉を噛み締める様に繰り返す、照れるぜ。
「そうかい、嬉しいよ優流男。それは感動しているという事だよね。女神はやはり優流男が嬉しいよ。偉いよ優流男。ここまでなのは久しくだ」
大変喜ばれた様子で女神は頷く。
「いやそんな。女神さまは俺の事をよく褒めてくれるけど、こんなになるのは当たり前だろうよ。いや嬉しいけど……照れるぜ」
またしても、一つ一つ褒めちぎられるのだから許容範囲すれすれから溢れ出した感情がこれよりを拒絶した。
ここまで来るに、至極当然の、何の優れた様子も感じられない普遍的な俺の行動の一切をとって褒められる、感謝され続けられるのは、素直に言えば複雑な気分であるからさ。喜んでいいのか馬鹿にしてるのか、しかし女神の仕草に悪意は無い。
だから照れるに留める。
そうして言葉を返すと、繋がれた距離が自然と短くなって女神は俺の胸の中へとそっと収まる。柔軟剤か香水か、はたまた天然か。清く柔らかな優しい香りが俺の脳をとろけさせた。
「え……っと? ルシフェル様? どうしたんだよ……いきなり…………」
(おいおいおい、こいつぁやべーよ! 心臓がバクバクしてらぁ!!!)
状況を飲み込めず、どうしようも出来ずに固まる俺を他所に女神は告白始めた。
「……なあ優流男。私は君の事が愛おしいぜ……、抱き締めたい程に」
表情は見えない。俺の胸元へ顔を埋め手は支えの役割か弱々しく添えられていて……多分、側から見れば壁とかに耳を当てる様な格好になってると思う。声もどこか飄々としていた。
(うおお……鎮まれ鼓動…………!)
俺は彼女の邪魔にならない様にと、なるべく音を立てない方法でゆっくりと深呼吸に一念する。鼻から大きく、口から全てを……静かに…………静かに……。
されども彼女の嘆きは続く。
「……私はさ、確かに君よりも"上位の存在"として君臨しているわけだけど、けれどそうしていられるのは優流男、君が認識してこそなのさ。他者に認識されてこそ、そこに初めて神様は生まれるのさ。だってそうだろう? 優流男は生きている間にこうして神様と触れ合う事など無かった、話をする事も無かったろう。その程度なのさ」
女神様の柔らかな御手が俺の顔の輪郭を捉える。果物を扱う様に優しく添えられて。
「身も蓋も無く言ってしまえば、私は概念的存在にしか過ぎず何のことはないちっぽけな君にも逆らえない存在なのさ。君が私を煩わしく思えば直ぐにでも姿を消される程に弱々しい、吹けば飛ぶ存在なんだぜ」
この時、俺は女神と確かに目を合わせていたのだが、しかし女神の視線は俺の奥、どこか彼方へと投げられている様で少々居心地が悪く、それを確認しようにも女神に包まれ動けずにいた。
(どこを見ているんだ……?)
「でも君はそうしない」さらに続く。
「ここまで至るに私を飛ばす事なく、誰かに急かされたかの様に女神とのやり取りを端折る事も、『まあいいか』と目の前に転がる当然の疑問を無視せず質問として投げかけ答えを欲し、『異世界へ転生したから』と生前の暮らしがあった筈の世界であるのに途端綺麗さっぱりと忘れ『仕方ない』の一言で済ませず、前世との別れをきっちりと惜しみ、そこへ残された者を心配し幸せを懇願して涙を流す。勿論生い立ちも関係しているだろうけれど、新しい世界への予備知識なんてのは皆無で女神の長々しい説明もしっかりと聞いてくれる」
「だから」、女神様の目が笑う。
「だから女神は優流男の行動一つ一つを褒めるし、一つ一つが嬉しいんだぜ。感謝するんだぜ。ここまでなのは久しくなのさ。最近はこうしたやり取りを"初めて会う者"であるのに『他で見たから』って端折られ役目を果たせず、『さっさとしろよ』と急かされ、"特別な力"も『授かってさも当然』と言われんばかりのぞんざいな扱いを受け、女神の様な存在も"それ"を渡す為だけにその場に用意される舞台装置としてしか雑に扱われず、敬う気持ちもどこへやら、不躾な態度で接しられ、望まれれば抗う事のできないか弱い存在故に下手に出ることを強要されるのさ。屈辱だよ」
「けれど」、女神は再び顔を埋める。
「私はこの世界で確かに生きているし、君も君で他の誰でもない、日本の歴史の陰で配達業により国の発展を一族代々支えてきた華桜司家の跡取り息子として生まれ、仕事一筋を貫いた妻子を持つ没年37の男、"華桜司 優流男"としてここにいるんだ。君は今、紛れもなく"華桜司 優流男"なんだよ」
「つまり」、女神様の腕は俺の後ろに回された。
「君が優流男でいる限り……居てくれる限りの見たままの世界を、感じるその全てを大切にして、どうか蔑ろにしないでくれよ……」
胸元へ添えられていた手は俺の後ろに回り、そっと抱きしめられた。いや、女神様の方が抱きついてきたんだ。顔は相変わらず埋められていて、しかし声は震えていた。
濁流の様に押し寄せた女神の真意の程は正確にはわからなかったけど、それでも時折見せる女神の仕草や表情が何を言わんとするのかを俺に訴えかけてきた。
「……ルシフェル様…………」
俺は女神の頭を撫でた。撫でる事しか出来ずにいた。絶世の美女からの抱擁に応えられず。
ここで抱き返したのなら、俺は"間違い"を犯していたであろう。しかし抱き返しはせず、ただ、子供をあやすが如くに頭を撫でてやる事しか出来なかった。何故だろう。
『優流男さん』
『パパ』
二度と戻る事のできない日常が俺をよぎったのかも知れない。未だに俺の魂は地球に囚われ、新しい世界に追いついていないのかも……。
『据え膳食わぬは男の恥』? 好きに言うといいさ。
これは最愛を選んだ、眠気眼を擦りながら送り出してくれる愛娘を持つ男として、辛うじて残された矜恃なのだから。
「…………いやあ悪いね優流男、少し取り乱したよ」
絶世の美女は姿を消して、ぬいぐるみが俺の前に現れた。るしはーちゃんだ。彼女は俺の頭に被さって話し始めた。声の調子も元気になっている。
「……なあ優流男、さっき半分正解って言ったの覚えているかい? 御慈悲パワー云々って話だけど」
「あ、ああ。もちろん覚えてるぜるしはーちゃん。御慈悲パワーで言語の不都合を取り消してくれるって俺は答えたな」
「それがもう半分の正解でさ、言語のやり取りには一切関係ないんだけれど、転生者には異世界で生きる為の力を1つ授ける事になっているのさ」
「何が欲しい?」と頭をポンポンされてもなあ。答えの見えない俺はそのままに答える。
「うーん、いきなりそんな事言われてもなあ。パッと思いつく物でもねーな、何が欲しいか。そうねぇ……」
「ならさ」るしはーちゃんは頭から飛び降りて手を差し出してきた。
「実際に見て倣いに行こうか。見てまわった後で欲しくなったら決めればいいさ。さあ捕まって、行こう」
「行こうってどこへ」言葉を返しつつ、俺はるしはーちゃんの手に捕まる。
「まずは人呼んで始まりの国ピグリティアしよう! さあ優流男の異世界生活が始まるぞ!」
そうして導かれるままに、何の柵もない自由の翼で飛んでいく。始まりの国とやらへ────。




