第1話その4『命名 るしはー』
女神の声を最後に俺は天より真っ逆さまにと落ちていく。
高さは星の外から文字通りの天から地へと一直線に、速さは気がつけば地上へぶつかる程に。なんでそんな事がわかるのかって?
そりゃあ簡単さ、皆一度は経験した事あるだろう?
『授業中に見る夢』って伝えればいいと思うが、高い所から一気に落ちて体がビクンと痙攣して起きるヤツだ。一切違わずそうして俺は起きたのさ。
「うぉお! こ、ここは……」
「やあ、おはよう優流男。いい天気だね」
「あれ!? その声女神さま? どちらにいらっしゃるのですかい」
別れの台詞も頂いた訳だし、まさか二度と聞くことのできる声とは思ってもいなかった俺は今一度麗しき姿を拝もうと首を回す。
「こっちこっち」
「うわぁ!」
俺の顔面へ何かが降ってきた。
「うふふ、驚いた? 女神さまのかわいい茶目っけだぞ☆」
「目から出る星が痛い!」
ぬいぐるみが飛ばす星が顔に刺さった。チクチクしてんな。
顔面に降ってきたのは女神さまを模して作られた"ぬいぐるみ"であったのだが、どうも生きているように動き回って言葉を発する。
「これ、女神さま本人すか?」
「そうだとも、私だよ。それに優流男、もう"女神さま"なんてたどろたどろしい呼び方は流石に泣けちゃうよ? 親しき仲にも礼儀あり、私の事は気前よくルシフェルちゃん……"るしふぇる"ちゃんとでも呼んでおくれよ、可愛いだろう?」
ぬいぐるみの"るしふぇる"ちゃんは胸を叩いてうんうんと頷いた。
(いやー……可愛いというか何というか。)
一般地球人の俺にはぬいぐるみが意識を持ってぱたぱたと動く様には若干の不気味さを覚えてしまうもんなんだが、今更そんな事を気に留めていたって始まらなんだろう先ずはそれを受け入れる。
「はー、わかりました。貴方がそう望むなら……、でも一々"るしふぇる" "るしふぇる" 呼んでたらいざって時に困りますよね」
長い名前ってのは略称愛称を決めておかないと口に出す時に困るもんさ、俺は勤め先で既に経験済みだ。
『バーム・クーヘン・イツダッタカ・タベタッタ』
これは何の事だと思う?
これも立派な社会の為に働く1人の男を示す名前なのだが、社長ながらに生まれて死ぬまで一般ジャパニーズpeopleであった俺は初めて彼の名前を聞いた時に、
『何やらお菓子を食うだの食わないだのの話か?』と思わず鼻で笑ってしまった。その時に彼は笑って許してくれて助かったのだが今は置いといて、問題は彼の呼称の話だ。
会社の社内規則として『人の名前には込められた想いがあるのだから、皆で正しく呼び合いましょう』と代々より継がれてあったので、
皆が皆、彼の名前を一字と逃さず正しく覚える事を努めたし、彼も周りに対して覚えていられる様に自作した大きなネームプレートを常に首から下げていた。
そんな紳士的な男であっても長年務めれば一度はやらかすものさ、彼はある日問題を起こした。
内容は顧客の物品破損だったかな、ともかく彼は俺の部下、部長のところへと呼び出しを喰らった。
補足としてだが、不祥事の際は先ず班で話し合い解決を図る。
それで足りないのなら上に立つ課長へ、それでも足りないなら部長、それでもなら社長である俺のところへ流れてくる。そんなもんさ。
ともかく彼は呼ばれる事になってその時の流れがこんな感じだった気がする。以下のやり取りは部長と事務担当の女性だ。
『彼をここに呼びたまえ。お客様への謝罪へ向かうのに彼と話し合いそれまでの状況を確認しなくてはならないから』
『……彼とは?』
『いつも名前を下げている彼だよ』
『……申し訳ないですが部長、その様な名前の方は存在しません』
女性は額から汗を垂らし眉をひくつかせつつ言葉を返す。
『……事務娘くん、君は日本人だろう? この流れで呼ぶ人間など1人しかおらんじゃないか、彼をここに呼びたまえよ』
部長は呆れた様子でトントンと机を指で叩いた。
『……しかし呼出部長、その様な名前の方は存在しないのです。一度正式名称でお呼びください』
『正式って……、なんだったかね。バーム・クウヘン・ダベタデ・イクラカ君だったかね』
事務娘さんは恐る恐る首を振る。
『いえ……、居ません。その様な名前の方は』
『バーム・クウヘン・ダベタデ・ダッタデ君だったかね』
また首を振る。
『バーム・クウヘン……ふぅぅぅん・ゔぅん君だな』
誤魔化しが効くとでも思ったのか、呼出は息を大きく吐いて咳払いとの合わせ技で突破を試みた。その顔はどこかやり切った感を醸し出し、それ呼んで来いとでも言いたげだ。
しかし事務娘はこれを拒否、目には涙を浮かべてその場に崩れた。
『いま……せん。呼出部長のおっしゃったバーム・クウヘン・……ふぅぅぅん・ゔぅんさんは……この会社のどこにも存在しませんっ!!!』
『いい加減にしたまえよ事務娘くん! 遊んでいる場合じゃあ無いんだぞ? お客様はカンカンでいらっしゃる! 一早く謝罪へ向かわねばならんのに君は一体何をしているのだっ!!!』
『決まりですからっ!!!』
呼出の怒声に負ける事なく事務娘は大きく言葉を返す。
『先祖代々数百年受け継がれてきた決まりですからっ!!! 呼出部長は先代たちの決まりを無視しろと私にそうおっしゃるのですか!? 私にはできません! そんな事……。そんな大それた事、私などにはできませんっ!!!』
『うあああああん』と泣き喚く事務娘に気を悪くした呼出は、これはいけないと謝った。
『ああ……! すまん事務娘君。そうだ、そうだとも、君が悪いんじゃ無い。ワシが、彼の名前を正しく覚えていないワシが悪いんだ! すまん許してくれ! 君を困らせるワシを許してくれぇ!!!』
遂には呼出もわんわん泣き出して部長室を超えて社内中へとその声が届いた。
後から事情を知った俺は、その日から会社の規則を少し変えたし『バーム・クーヘン・イツダッタカ・タベタッタ』君の事はこれから皆で『バーム君』と呼ぶ様にした。
他にもそれまでに様々なあったもんだがこれ以上はよそう。そもそも初めに伝えようとした事と若干話の軸がずれてしまった様に思えるから、ここは別の例えとして、
『寿限無』の話を持ち出せばわかるだろう。
とかく長い名前は呼称愛称で口に出せるようにしておかないとなって話で纏めるとして、次は"るしふぇる"ちゃんの話へと戻るわけだ。
(うーん、るしふぇる、ねぇ。どうも俺には若干呼びにくい長さだなぁ。地味に呼びにくい)
「ふむ。るしふぇるは呼びにくいかい。ではどの様に君は呼んでくれるかな」
ぬいぐるみは楽しげに俺の膝の上で待っている。
俺も悩んでいる時間は手が暇をしているので、ぬいぐるみの肌触りでも、と手で遊ぶ。
「はー……、ぬいぐるみなんて触るのいつ振りだろうな。この気が抜ける感触堪らん」
「おっ、おっ、おぉう。君、手癖がなかなか悪さをするね。いやらしい手の使い方だよ」
ぬいぐるみの表情も次々と変わりやはり若干気味が悪い。
(どんな作りになってんだ?)
「……あー。もうめんどいしアレだな。るしふぇるちゃんの呼び方は"るしはー" で良いや。そっちのが気が抜ける感じがして俺は好きだし」
「おいおい、さんざ期待させておいてその結末はないだろう……。まあいいさ。名前の呼び方なんて結局はその手次第さ、好きに呼んだらいいよ」
ぬいぐるみ改め"るしはー"は俺の膝から飛び降りた。
「さて優流男、可愛らしい私の愛称も決まった事だし次は君について進めていこう。せっかくの転生日和がこのまま私の事だけで終わってしまっては勿体ないからね。君の冒険はこれから始まるんだぜ☆」
るしはーはまた1つ星を飛ばした。