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「鳥居の向こう」  作者: 畑山
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鳥居街

「うん、うん、わかったわかった。じゃあ、明日の昼頃には行くからね、ばいばい」


気を付けなさいね、手土産なんかはいらないからと、いつまでも電話を切ろうとしない祖母の言葉を無理に切って、(みさき)は受話器を置いた。


「おばあちゃん何だって?」


リビングのテーブルの上でキーボードを打っている母は、視線も向けずに問う。


「いつも通りだよ。気をつけて来なさいって、手土産も要らないって」

「そんな事言われても、持ってかない訳には行かないじゃないのね、一応、礼儀として。買ってきてあるから忘れずに持っていくのよ。忘れずによ!」


昨年、娘が祖父母宅に手土産を忘れて行ったのを大層、気にしているらしい母はキッと眉をつりあげて釘を指した。


「わかってるって……」

「なら良いのよ。それにしても……岬が夏休み向こうに行くようになってからもう何年?一ヶ月間もお世話になるのに、生活費もいらないってちょっと遠慮しちゃうわよね」

「そうだね。もう十年……以上になるのかな?」


母の問いに、岬は初めて祖父母宅へ行った年のことを思い起こす。


父方の祖父母の家は、都市部から少し離れた郊外にある。都会の喧騒から離れた『鳥居街(とりいまち)』という人口七千ほどの、小さな町だ。その町の住宅街にある、築四十年二階建ての一軒家が岬の父が育った場所だった。少しくすんだ赤い屋根のその家で、岬は幼い頃から夏休みの期間中のほとんど過ごしていた。


岬が祖父母の家で夏を過ごすようになったきっかけは、両親が仕事の都合で海外に行かなければならず、幼い岬を祖父母に預けたことからだった。

初めて祖父母の家に泊まることになった岬は、両親がいない不安でいっぱいだった。親元を離れたことがなかった子が、いくら親類で、目に入れても痛くないとばかりに、岬を可愛がる祖父母とはいえ、年に数度しか顔を合わせない人間と毎日を過ごすのだ。人見知りが酷かった幼い頃の岬は一刻も早く、慣れ親しんだ家に、両親の腕に、抱かれたくて仕方がなかった。

毎日を不安そうに退屈そうに過ごしていた。そんな岬の手を取ったのは、祖母だった。祖母の春子(はるこ)は、幼い岬に色々と話をしながら、ゆっくりとその街を歩いた。岬の小さな手をしっかりと握って。自身の若い時の話、岬の父が生まれた時の話や、自分の旦那であり岬の祖父である義晴と出会った時の話など。人生経験の豊かさを感じさせるような知識までと、その内容は様々だった。

知らなかったことやものだらけの、興味深い春子の話。岬は段々と笑顔になっていった。未知の世界に足を踏み入れる、そのような恐怖は不思議となかった。街を歩く時は必ず、暖かい祖母の手岬の手と繋がれていたからだろうか。

そんな春子の話の中で、何より岬を夢中にさせ、興味がそそられたのは、街の外れの山にある古い鳥居の話だった。


「おばあちゃん、この段の先には何があるの?」


春子の知り合いが居るという神社に連れていかれる途中に、岬は初めて山の前を通った。その際、山の中へと続いていく石段を指さして岬が春子へ聞いた。子供の純粋な疑問だった。


「鳥居があるんだよ。いつからあるのか、誰にもわからない、古い鳥居さ」

「ふーん」


鳥居は知っていた。両親と地元の神社にお参りに行った時に父に教えてもらったからだった。


「……岬、この山に入ってはいけないよ。この山には妖さまがいるからね」

「あやかしさま?」


繋がれている春子の手に、少しだけ力が入った。

春子はしゃがみこみ、岬に目線を合わせて語りかける。


「そう。古い鳥居は“妖さま”と“私たち”の世界を分ける境界。絶対に超えてはならない」

「……嘘みたいな話。本当にいるの?」

「本当さ。ずっと、昔から。おばあちゃんが生まれる前からずっと、この街に伝わってる。あの山には烏天狗が居るんだよ」

「ふーん……」


首を傾げ、納得していない様子の岬。

その頭を、春子は優しい手つきで撫でた。


「……約束だよ、岬」


春子は、まだ幼い岬に念を押す。

間違っても、山に入らないように。


「うん」

「……絶対に山に入ってはいけないよ。――帰ってこれなくなってしまうからね」


頭を撫でる手はそのままに、そう言った春子は悲しそうに目を細めると、ゆっくりと立ち上がる。岬は石段を振り返ったが、すぐに向き直って祖母に歩調を合わせた。

側の電柱の上で、カラスが一声、鳴いたのには気が付かなかった。


一夏を過ごした祖父母の家を、岬はすぐに好きになった。優しい祖父母に、畳の匂いがする部屋。

次の年から、岬は夏休みが近くなると

「今年もおばあちゃん家、行ってもいい?」

と母親にたずねるようになった。

それから、岬が夏休みを祖父母の家で過ごすのは家の恒例となった。


何故そんなにも、岬が祖父母の家に執着したのか。

それは春子が話してくれた、古い鳥居の話が岬を魅了して止まなかったからだ。

超えてはいけない鳥居は、人の世と妖の世を隔てる境界。

その線を超えてしまったら、もう、戻れない。

子供の興味をそそるには、十分だった。

何を馬鹿げたことを言っているのだろうと、普通の人はそう思うだろう。

岬も最初から、春子の言葉を信じていたわけではなかった。だが、真っ向から全てを否定できるほど、その話に信憑性が全くないという訳でもなかった。

春子が岬に話したように、鳥居街には鳥居と妖にまつわる話が代々伝わっているし、山の麓にある神社には山に伝わる妖だという烏天狗の像が立っている。

そして、この鳥居街で育ったお年寄りが集まると、“攫われてしまった少女”の話が話題に上がる。

もちろん、攫われたというのはあの山に住む妖にだ。当時16歳だった少女は、五十年前のある夏の日、山に入ったきり、……二度と戻ってこなかった。警察の捜査では山での自殺か遭難と結論つけられたが、自宅でも遺書などは見つかっておらず、近しい人に話を聞いても、少女は自殺をしたりするような人ではない、と声が上がるだけだった。

何より"人が入れる範囲のあの山”では、遺体や遺留品の何一つ、見つからなかった。

少女は鳥居をくぐってしまったのだ。

この街の誰もが皆、そう思っていた。妖に攫われてしまったのだと、心のうちで思っていた。

居なくなった少女の母親は、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、

「娘を返して!」

と山に続く石段の前で泣き叫んだ。

その事件以来、あの山に件の鳥居に近づく者は、誰もいないという。


高校一年生になった今年も、岬は祖父母の家で夏を過ごす。夏の恒例も、もう10年目だ。夏にこちらでしか会わない友達も居る。祖父母のご近所さんにも、随分と可愛がってもらっている。

電線に止まってカーカーと鳴き喚くカラスの声をBGMに、これから約一ヶ月間を過ごす部屋で岬はあらかたの荷解きを終えた。

背筋を伸ばしたついでに窓の外に目をやると、電線にズラっとカラスが二十羽ほど並んでいて、岬は思わずギョっとした。木が軋んでみしっと音が鳴る階段をゆっくりと降りると、居間にいる春子に声をかける。


「おばあちゃん、今日は随分カラスが多いね」

「ああ、どうしたんだろ」

「びっくりしちゃった」

「まあ、悪さはしないよ。出かけるのかい?」

「そう……郵便局にそれ持ってこうと思って」


足腰の弱い祖父母。この家から郵便局は少し距離がある。友人達への挨拶がてら、代わりに投函しに行こうとしていた。

岬は居間のテーブルの上に置いてあったハガキを手に取るついでに、菓子入れに手を伸ばしてあられを一つつまんだ。


「ありがとう。岬、分かってるとは思うけど」

「山に入っちゃダメなんでしょ、わかってる。しかも郵便局は反対だし、山の方へは寄らないよ。行ってきます」


春子が出掛けにかけた言葉を、岬は幼い頃から何度も聞いてきた。

うんざりするくらい、何度も何度も。

この街に住む大人は、皆口を揃えて同じことを言った。祖父母の家の隣に住む夫婦も、向かいの杖をついたおじいさんも、交番に昔から居るというお巡りさんも、神社の神主さんも。こうもうるさく言われてしまうと気になる口もあったが、今まで岬は山の近くの神社までしか足を運んだことがなかった。どうしても道路を一本挟んだ向こう側へ渡るのははばかられた。

山に入ってみたいという強い好奇心をも殺して、岬の足をそこに留めるのは、祖母への罪悪感であったり、現実に存在しているのかもわからない妖への恐怖感だったり、と様々だった。


郵便局で用事を済ました岬は、そちらの方面に住んでいる友人宅を訪ね、約1ヶ月滞在する旨を告げる。家まで真っ直ぐ帰ろうかと踵を返しかけたが、祖父母の家の冷蔵庫の中身を思い浮かべると、すぐに思い直した。夏の期間こそ岬が居るが、普段は老夫婦の二人暮し。今どきの高校生が好むようなものは一切入っていない。たまに、貰い物であろう洋菓子類があることはあるが、本当にごくたまに、だ。

岬は結局、郵便局の反対側にあるスーパーまで足を伸ばす事になった。


「(こっちの方まで来たならついでに神社も寄ってこうかな……)」


荷物が増えてからでは手間だから、と岬は真っ直ぐ神社に向かった。

まだ青々とした葉がついているイチョウの木の横、十五段ほどの石段を登ると赤い鳥居があるその神社は、とりい神社という。その名前の由来も、いつからそこに在るのかも、どんな神を祀っているのかも、岬は知らなかった。

境内はごく一般的で、全国何処にでもありそうな普通の神社である。


「岬!久しぶり」


足音に、境内で箒を掃いていた少年が振り返る。神主の孫、想太(そうた)だ。想太は岬の姿を視界に収めた途端、嬉しそうに笑った。そんな想太を見て、岬は目を瞬かせた。自分の知っている彼ではないような、そんな風に思ってしまった。

事実、想太は一年前に会った時より背が高くなり、顔つきも声もだいぶ大人っぽくなっていて、岬は一瞬、返事を返すのを躊躇した。


「……想太くん久しぶり。お手伝い?」

「そうなんだよ、夏休み入ったからって毎日」

「それは……お疲れ様です」

「何だよその苦笑い、岬も手伝ってくか?」

「あはは、遠慮しまーす」


口元を引き攣らせながら、すぐさま返事を返した岬に想太は噴き出した。

二人はそれぞれの祖母に連れられ出会ってから、もう十年ほどの付き合いになる。年に1ヶ月、夏休みの間、岬が祖父母の家に遊びに来ている期間しか会うことはないのに、二人は家族のように、兄弟のように仲が良かった。

境内の掃除は終わりなのか、小走りで物置に箒を閉まってきた想太が岬に問う。


「お参り?あ、もしかして俺に会いに来た?」

「誰がわざわざ、想太に会いに来るの?」

「辛辣……!」

「嘘だよ!」


ガーンと効果音が付きそうなほど、大袈裟に肩を落とす想太に、今度は岬が噴き出した。二人はそれからしばらく、家族のことや高校の友達、成績のことなど、当たり障りのないことを話した。思ったより話が弾み、これから一ヶ月の話題も尽きてしまいそうなほどだった。

ふと会話が途切れた瞬間、カラスが一声鳴いた。

岬が、鳴き声に赤い鳥居を振り返り見ると一匹のカラスがそこに止まりこちらを見ていた。気のせいかもしれないが、でも、確かに目が合った、と岬は思った。


「……今日は随分、カラスが多いね」


なんか、呼ばれてるみたい。

岬はじっと、カラスを見つめながら言った。

そんな岬の様子を不審がった想太は、焦ったように声を荒らげた。


「行くなよ!」

「え?」

「絶対に、行っちゃダメだ。呼ばれてるって……、あの山に住む“烏”天狗にだろ?……絶対に、ダメだ」


想太は鳥居のすぐ側にある、烏天狗の像を一瞥した。


「冗談だよ……呼ばれてるなんて、そんなわけないじゃん」

「……だ、よな」


先程とは打って変わって声のトーンが低くなった想太。その態度に、少し冷たく言いすぎたかもしれないと思い、岬は咄嗟に謝る。


「ごめん、想太」

「いや……こっちこそ」


微妙な空気が、二人の間を流れた。

結局その後、二人の間に会話が戻る事はなく、岬は祖父母の家へと帰路についた。時刻はもう夕方だった。夏真っ盛り、日が長いため、とてもそんな時間だとは思ってもいなかった。

岬がふと鳥居を振り返ると、カラスは飛び立っていた。

鳥居の下に、数枚の羽を残して。

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