骨伝導
人は生まれながらに平等ではない。悪行を積んでも罰せられない人間もいれば、どれだけ善行を重ねても恵まれない人間もいる。例えばこの俺、運悪く暴漢に襲われたが故に有り金を奪われ、その時に打ったところが悪かったのか咳をするたびに血が溢れ、呼吸が苦しい。吐血する俺を見て、暴漢たちは去っていった。俺の命は、波にさらわれる砂のように穏やかに都会の路地裏で潰えようとしていた。もうそれでもいいと思っていた。くだらない人生を続けるくらいならきっとましだ。
「君、パラレルワールドって知ってるかい?」
どこかで聞いたことがある声がした。前に目を向けると、帽子を目深にかぶった男がしゃがんで俺を見ていた。いや、実際には彼は地面を見ていたが、その口は明らかに俺に向けて動かされていた。しかし、そんなことに興味はなかった。そんなことは御構い無しに、男は続ける。
「僕たちと全く同じだけど少しだけ違う世界......そんな世界、本当にあると思うかい?」
「そんなこと......どうだっていいだろ......」
声が掠れる。声を出そうとするだけで炎に炙られているかのような熱さが喉を、胸を突き刺す。
「『そんなこと』だなんて、案外ひどいことを言うねぇ君。でも、特別に答えを教えてあげよう。そんなものはないよ、絶対にね。ありえない。あると言ってる人たちは虹色のカラスがいると言っているようなもんだ。笑えるよ」
なんなんだこの男は。生憎、俺は狂った男に看取られたいような気取った人間ではない。
「......だけどさ」
いつの間にか、男はこちらを見ていた。その瞳は至って真剣で狂人の目では決してなかった。
「だけど、それと似たようなものはある。こっちの世界の対となるものがあるんだ」
力強く、それでいて静かな口調で彼はそう言った。
「幸せは平等に訪れるって言われてるけど、君はもうそれが正しくないってことに薄々気づいてると思う」
そうだ。この世界は勝ち組が勝ち続け、負け組が負け続ける構造だ。それでももし、運命の女神様とやらが平等だというのなら、幸せが平等だと言うのなら、俺が死ぬ前にそのツケを払ってもらわなければ困る。だが、実際今死にかけていると言うことは、つまりはそう言うことなんだろう。
「だけどもね、それ、絶対的に間違っているって訳じゃないんだ。正しく言うならば、僕らの運がいい方に傾くほど、もう一方の僕らの運は悪い方に傾く。まるで天秤さ。どっちがどっちに傾くかはまさに神のみぞ知る」
「お前、さっきはパラレルワールドはないって......」
俺は気づいた。彼の声をどこで聞いたのかを。
「あれ、意外と僕の話聞いてくれてるんだね。可愛いとこもあるじゃん。そうだよ。僕が言ってるのはパラレルワールドとは少し違う。パラレルワールドっていうのは異なる可能性の世界だ。僕が言っているのは、ことさら運命に関して、こっちと逆の結果になる世界のことだよ。例えばこっちが表だとすると、あっちは裏だ」
口調は少し違うが、きっと間違いない。
「基本的に僕らは向こうの僕らに干渉できないし、向こうの僕らだって僕らに干渉することはできない......でも、もし、もしもだよ?こんなゴミだめで死にかけている、『この世界で一番不幸な君』が、『向こうの世界で一番幸せな君』と入れ替われるとしたら、試してみたいとは思わないかい?」
「......そんなことどうやって......?」
「簡単だよ。だって——」
だが、まさか、そんなわけがない
「——僕はその『もう一つの世界』から来たんだから」
男の声は、自分の声だった。