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第一章 ああ素晴らしきはニッチ産業(七)

 等々力は猛然と抗議した。

「死の商人の息子の身代わりって、滅茶苦茶、危険じゃないですか。銃撃戦に巻き込まれたらどうするんですか。そんな危ない犯罪者の依頼は断ってくださいよ」

 左近が物凄い剣幕で反論した。

「失礼な言葉はいわないでよ。依頼人の三島・ジョセフ・ウリエル氏は断じて犯罪者じゃないわ。三島氏は、フランス政府が表向きに武器を輸出できない国に対して、日本を経由して武器を機械部品として輸出しているのよ。依頼人に武器を売っているフランス政府も日本政府も、裏で合意しているの」


 等々力は左近の言葉に二の句を告げられず、混乱した。

(なんか嘘みたいな話だけど、左近さんの話が本当なら、この仕事は、想像以上にヤバイかも。元じゃなくて、現役のCIAやMI5の仕事でも手に余る懸案だよ。待てよ、フランスと日本が当事者国なら、アメリカやイギリスの情報局が関与できないな。あれ、フランスや日本の情報局って、なんだっけ)


 等々力が何も言えないと、左近が勝ち誇った言葉を続けた。

「三島氏を警察が捕まえれば、日本政府は当然、困る。だから逮捕できない。裁判になれば、何カ国も巻き込んだ大スキャンダルになって、国連安保理すら紛糾するかもしれないわよ。つまり、日本の法に違反しても、日本政府は裁判に掛けられない。裁判にならないから、有罪判決が出ない。有罪判決が出ないから、犯罪者にならない。推定無罪の原則を知らないの」


 大学で習った推定無罪の原則とは意味が違う。かといって、酔っ払いの左近と法律論をするのは不毛だ。

 だが、わかった。断らないと死ぬ。

 等々力は下手に出ながら断った。

「すいません、やはり、この仕事は無理です」


 目が据わった怖い顔で、左近が念を押してくる。

「いいの、本当にいいのね。事情を知った上で、断るのね。後で絶対に後悔しない? 夜道に歩いて突如、車が突進してくる。車のハイ・ビームのヘッドライトに照らされて、人生が走馬灯のように駆け巡ってから後悔しても、知らないわよ」


 等々力は事態がここにいたって、左近に喋らせすぎたせいで退路がなくなったと気付いた。

(まずい、酔っ払った左近さんが饒舌になったからって、突っ込んで話させすぎた。かといって、やりますとは言いたくないよな)

 等々力が黙ると、左近が所長室に入って、すぐに大きな紙袋を持って出てきた。左近は紙袋から帯の切られていない札束を取り出し、等々力の前に置いた。


「報酬は三百万よ」

 三百万円の大金を初めて見た。報酬は大学生のアルバイトにしては破格だ。破格だが報酬は地獄への片道切符に見える。

 とはいえ、断れば不審死の危険がある。

(えええい。こうなれば、吹っかけてやれ。吹っかければ、きっと左近さんはお金にシビアな気がするから別の人間を探してくるだろう。危険な大金より、安全に小金を稼ぐほうがいい)


 等々力は脚を組み、高圧的な態度で言い放った。

「いいでしょう。やりましょう。ただし、報酬は円でなく、ユーロです。金額は十万ユーロ。これ以上は、ビタ一文、まかりません。嫌なら、他を当ってください」

 単位にユーロを指定したのは小細工だった。一千万円といえば、紙袋に一千万円くらい入っているかもしれない。だが、ユーロなら持っていないだろう。


 持っていなければ、「では、用意できたら、また連絡ください」と事務所を出て、姿を消せばいい。

 左近がすぐに威勢よく手を叩いて、魚河岸の仲買人のように元気よく啖呵を切った。

「よし、乗った! 等々力君の命、十万ユーロで買ったわ」


 左近はすぐに持っていた紙袋から五百ユーロ紙幣の束を取り出し、等々力の前に積んだ。

 等々力は心の中で青くなった。震える手でユーロ紙幣を確かめた。紙幣の間に新聞紙を挟んだ偽物ではなく、全てが本物のユーロ紙幣だった。


 退路は消えた。小細工が完全に裏目に出た。

 よくよく考えれば、依頼人はフランス人。手付金がユーロで左近に渡されている可能性はあった。同時に、左近は酔っているので、酔った勢いで吹っかけても乗って来る可能性は充分に存在した。

 されど、全てはもう遅い。


 何も言えなくなった等々力の前で、風呂敷を取り出し、素早く左近が笑顔で十万ユーロを包んで渡してくれた。

 左近は事務所の外まで見送ってくれた。事務所から出て帰り際に「詳細はまた後で教えるわね」の言葉を聞いて、等々力は気が付いた。

 左近の息には酒の匂いが一切なかった。左近は酔ってなどいなかった。部屋の中に酒の匂いが充満していたのは、おそらく酒を部屋に撒いていたせいだ。


 左近は酔った振りをして話を進めていた。

(完全にやられた。俺が聞いてはいけない内情を聞いたと思わせた上で、断るまでの流れを完全に先読みされていた。おそらく、今回の仕事、俺の取り分が十万ユーロでも充分お釣が来るほどの破格の仕事だ。つまり、危険度は、俺が思っている以上)

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