9 裸の紳士
エルガン・ロンタル。通称「裸の紳士」
現在20半ばの彼は、10代にして人の極地である超越者となった。
さらに超越者同士の争いに何度も勝利して、迷宮攻略の最前線を歩く男。素行や実力も含めて世界の秩序たる眩石に最も近いとされていて、その名は世界中に轟く。
旅の中でもグリンジョンの情報を仕入れようとする度にエルガンの活躍がセットで着いてきた。
犯罪組織の撲滅、賞金首の捕縛、名のある魔物を討伐した...
多くの偉業を達成した現代の英雄が目の前にいる。
「まぁ君の事は聞かないと言ったからからね。君も名乗る必要は無いさ」
「それは、スミマセン…」
有名な人物の配慮に申し訳なく思う。
「ただ、呼び名が無いというのは不便だ。…そうだな、先程のことからロマン君ということにしとこうか」
「ロマン…」
そんなエルガンの心遣いに恐縮していたロメオだが、自分の名と似た可愛らしい渾名に複雑そうな顔をする。オルティアと呼ばれた剣士は何故その名を付けられたのか分からずに、首を傾げて「ロマン?…」と呟いている。
「それはそうと出会ったのも何かの縁だ。助言しておこう」
そんな二人の空気を感じたのだろうか?顔には出さずに話題を変える。というか唐突に喋り始める。
「君から少しばかり煙の匂いを感じるが、倒した魔物の死骸は焼かない方がいい。この山では死骸を放置しても山が勝手に吸収してくれるんだ。新たな恵にする為か、素早く血も骨も残さずにね。外の世界の様に疫病を気にしなくていいんだよ」
服にゴブリンを燃やした煙が染み付いていたらしく、先程行った疫病対策へ言及してくれた。
「成程、それは参考になります…それと、あの、1つ聞きたいのですが!」
「なんだい?」
奥底から溢れ出る焦りに似た感覚に冷や汗を掻きながらも、勇気を持って、思い切って質問をする。
「貴方にとって心魂武具とは、魂とはなんでしょうか?」
ロメオのその一言に空気が剣呑となる。
ずっと無表情だったオルティアの目もスッと鋭くなる。心なしか手も剣の柄に近づけた。
エルガンも笑顔を納めて温和な雰囲気が消えた。能面な顔から出てくるのは威圧。
二人の自分より強い相手から放たれるソレは一瞬で生き物としての『格』、剣士としての技量、体に纏う膨大な魔力と気力をヒシヒシと感じさせられた。
闘って勝てない相手との対峙によって、身体中の汗腺が弛んで身体は強張る。鼓動も呼吸も早くなる。
ロメオの言葉は、その人の魂について聞くことは、過激な言葉で言うと魂を暴く行為であり、魂の力を使う者の弱点を探るもの。人によってはある意味敵対行動とされる。
ある種のタブー。
親しい者同士ならお互いに教えあって、さらなる親交を深める言葉でもあるのだが、決して初対面の者が放つ言葉ではない。
(それでも、それでも!)
この世界の常識を承知で、ロメオは自身の愚行と身の危険を承知で、彼に聞きたいと思っている。イヤ、聞かなければならないとも。何故かは分からない。それこそ魂が、心が訴える様で上手く言語化できない。
体の奥底にとてつもない熱量が。そして聞かなければならないという強迫観念。
エルガンの眼がロメオの目を見たままロメオの全てを捉える。エルガンの眼は微動だにしてないのも関わらず心の隅々かま観られている気分になる。
(逸らしちゃいけない。俺も彼のことを見なければならない)
お互いがお互いを見つめる。
一人は頭で焦燥しながらも根拠は無いが溢れる意志によって逃げずに向かい合う、一人は不行儀の言葉を発した若者を見極めるために。
両者、正確には三人だが、皆、ただ沈黙。それを、沈黙を破るのが得意な男が了承の声を放つ。
「いいだろう」
そう言うと右手の剣をロメオに見せつけながら、真剣な表情で言葉を紡いでいく。
「カイウスは私だけの誇りだ。文字通り私だけの魂であり、私だけの心でもある」
「カイウスの特性は強いものではないだろう。見えなくなると言っても、大抵の強者は心魂武具を持つのだから意味がない。心魂武具を持たない者は見えなくなるという特性が効かない相手」
「そんな彼らにカイウスで勝利するということは、己が持つ剣技だけで打ち勝つことに等しい。つまりは剣士として、強者に勝つことになると私は考えている。そうすることで私の自尊心を満たしてくれる」
そう言いながら右手の銀の剣カイウスを一瞥し降ろして、何も持たない左手を徐に前に出す。その手には心魂武具の生成時に見られる光の収集が起きて、形を変えて色を持ち、カイウスと似た銀の剣が成される。違いは鐔の装飾と刀身にいくつかの丸い刀紋が見られるぐらいか。
「ネクスオーバーは一族の誇りだ。先祖が残した力を私が持つと考えただけで心が奮い立つ。そしていつか出会う我が子に、この剣を引き継がせる事を考えると力が溢れ出る」
「この二振りを握って負けることを許したくない。敗北は敵に私自身が、一族が負けたことになるからだ。
私の魂は私だけのものであり、先祖が積み上げてきた力の証明でもあり、未来への加護でもあるのだよ」
「これが私にとっての心魂武具と魂についてだ。満足したかな?」
(違う。この人の背景は分からないけど自身の魂魄武具を持つ程の高みにいる人は、人としての格が全く違う。受け取っただけで手にした俺なんかとは全然違う)
自分の在り様をしっかりと持つ。彼の様に強くなりたいと願うのは間違いじゃない。そして自らの魂について示してくれたこの人に感謝を。
ロメオは自然と右手が胸の中心に、左手は身体の横にして頭を下げる。帝国式の目上の人に対する挨拶及び感謝の印。
「貴方の心と魂についてお聞かせ頂き、ありがとうございます。私の我儘で貴方の秘めるべき事柄について曝してしまいました。このロメ「そこまでだ」」
突然遮られるロメオの謝辞。何かしらの不手際かとロメオは冷やりとしたが、エルガンの声色は落ち着いていた。
「君の感謝と謝罪は受け入れよう。ただ君の名は聞かない」
そうハッキリと言う。
「ロマン君、君が何を欲するかも君が何者かなんてことも私は知らない。ただ他人に魂について聞く位だ。迷っているのは分かる」
「そして私は、そんな軟弱者の名を受け取らない」
頭が真っ白になる。敬意を持ち始めた人からの拒絶。
「だから君が何かを得た時、答えを出した時に改めて名を教えてくれないか」
かと思いきや、下げて持ち上げる。いつか受け入れてくれると暗に言われて、嬉しくてロメオの顔もガバッと持ち上がる。
「はい!いつか必ず!胸を張ってエルガン様に名を届けます!」
「ははっ。様はよしてくれ。同じ冒険者同士なんだからね。じゃないと名を教えてもらっても君の事を一生ロマン君で通すよ」
様付けで呼ばれることを慣れているのか、淀みなく断るエルガン。逆にロメオの渾名を脅しに使う。
「はは...それは勘弁を。ではエルガンさんと呼ばせてもらいます。自分のことは、えー、不本意ですがロマンと呼んでください」
二人は笑顔で頷き合う。が、ふとロメオが気付いたような顔をして話す。
「ところで、あのですね...自分で聞いといて、本当にっ!この質問は失礼なのですが...なぜエルガンさんは答えてくれたのですか?こんな身も知らない初対面の者に聞かせなくても、最悪切っても問題は無かったのでは?」
本当、自分で言っておいて幸運だと思う。「お前の戦い方を教えろ」と言ってるものだ。殺されてもおかしくは無かった。聞かなきゃいけないと、ロメオの体の奥底から叫ぶモノもあったのも事実だがそれはエルガンにとって関係はない。
「確かに非常識な事だろう。誰であれ親密な者以外には秘密にするのが一般的だろうしね。だけど私は自身の心魂を、心魂武具を誇りにしている。むしろ自分から声高く話すさ。他の超人や超越者連中にもそんなタイプは少なく無いと思うよ。私と同じように自分に誇りを持つ者が多いからね」
「それと君も感じたのだろ?。魂の声が。魂のやりたいことが、頭の考えとは裏腹に体に響いたんじゃないかい?あまり知られていないが、『エコー』と呼ばれる事象らしい。俗的に言えば勘になるのかな?」
「エコー...」
(トランプで遊んでた時にテュカス様が良く言っていた「ワシのゴーストが囁いている」もこれに当たるのかもしれないな)
キメ顔で神経衰弱のカードをめくる時に良く言っていたのを思い出す。
「私も何度か経験したことがあって、それに従って物事を行うと、結果はどうあれ後悔はしない。むしろ清々しさを覚えるくらいさ。そして君と出会った時に何故か話してみようとも感じたんだ。そう言う意味ではお互いの魂が共鳴したのかもしれないね」
(今の話を聞いていると...どうやらテュカス様のモノとは違うのかもしれん。大概は外してたし、その時は悔しそうな顔をしていたからなぁ)
しみじみと過去の経験を思い出す。曾祖父のことは置いといても、確かに内なる声、奥底から響くものが聞こえたのは過去に何度かあった気がする。
ただ、それに従ってやった事が正しかったかどうか問われると、後悔した事もあるから自分はエコーなる現象は余り信じられる気はしない。
「まぁ、信じるか信じないかは本人の自由さ。魂については今も謎だからね」
肯定しないロメオを見て苦笑しながらそう言うエルガン。そこにオルティアが話に入る。
「兄さん、そろそろ戻らないとカルタ達が探しに来る」
「あぁ、かなり時間を取ったようだね。ギルドへのマーンベア-討伐の報告もしなくてはならないし、彼女たちが心配するかもしれないな。ロマン君、話の途中だったがとても楽しかったよ。別に君が名乗れるまで会わないってことはない。街で見かけたら気軽に声をかけてくれ。今度は君について話せる事があれば聞かせてくれよ」
「ええ!必ず。こちらこそ勉強になりました。また会いましょう!」
急な別れとなり、思わず社交辞令のような返事しか出来ないロメオだったが、是非とも再開したいと思っている。痺れる出会いだった。憧れとはこういうことなのだろう。
彼の舌が良く回っていたのも、緊張していた自分に合わせていたのかもしれない。
「では、また。いつか君の栄光を見させてくれ」
エルガンがそう言って損傷の少ないマーンベア-を背負って運んで行く。オルティアもエルガンの言葉に続いて軽く会釈して飛んでいった。
力もあり知識もあり、相手への配慮を忘れない。そして魂の在り方について教示してくれた。全てに大きく、尊敬できる人だ。変な意味じゃなく、虜になった。
(俺もあんな風になってみたい!)
まるで雷に射ぬかれて天啓を受けた様な感覚。それが体中に染み渡っていく。
半裸についてと、及び異名の噂については知らないフリをするが、それ以外は目標にしようと心に決めたロメオだった。




