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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私と彼と異世界案内役誓約

作者: 蝶月

動じない女の子を書いてみたらこうなりました。想像していたのと違う。

 よくわからない言語と滅多に出会わない喧騒と、微かに漂うアルコール臭。忙しなく鳴り響く足音と嫌がらせみたいに揺れる地面。

 いたく頭に響くそれに蒼――結城蒼の意識はゆっくりと浮上した。


「…?」


 ゴゴゴ…と床が低く地鳴りし脈動している。真夏でもないのに顔が焼かれるように熱い。不思議な状況による不安とかけ離れた眩しすぎる陽の光に、蒼は無意識に腕で目を隠した。




 朝から小テストがあるのに昨日は勉強なんてせずに寝たんだっけ? 昨日は遊びすぎて今日の授業の準備もしてなかったはず。早く起きて準備をしないと朝ご飯が食べれない。

 それ以前にご飯はあっただろうか。最近もやししか食べていなかったような…。


 ―――ゴゴゴ…


 無理だ、そのこじつけに無理がある。現実逃避しようとする思考にストップがかかった。


 ありふれた朝にしては違和感が酷い。まるで壁が無いような通気性といい、酒臭い匂いといい。それに自分の家にしては人が多すぎる気がしてならない。そして―――なんだこの地震は。


「……」


 蒼は仕方無くゆっくりと目を開けた。


 掠れて濁る視界に映るのは朝の陽ではなく、真っ暗な空と燃え盛る赤い光。蒼を中心とした円の外には見た事も無い服装をした人達がどよめきながら立っている。


 その時、蒼は漸く自分が見知らぬ場所にいる事を理解した。


「そう…確か私は……」


 濁ったままの視界より先に頭がまともに動き始める。



 蒼は十八歳の女子高生だ。とある神社の巫女であったり天涯孤独の身であるが、それ以外は他と何ら変わらない。顔も見た目もテストの成績も、極々普通の女子高生だ。 強いて特徴を挙げるならば他の人よりも舞が好きだという所か。しかしそれは神社の巫女であればこそのありそうな趣味である。要するにただの一般人。

 そんな彼女が何故このような所にいるのか。


 回り始めた思考がある記憶を掘り起こす。


 死因―――巫女舞の練習中に転けた事による首の骨折。


「あー…えー……わぁお」


 我ながら死に方がダサい。ていうか首の骨折ってどんな舞い方をしたのだろう。バク宙…はしてないし、頭振りすぎて壁にぶつかった記憶も無い。死因がミステリーだ。いや、それよりも自分の死因にツッコミを入れるなんて初めてなんだけど。


「…どちらにしろ碌でもない死に方だよね」


 ある意味私にお似合いな死に方かもしれない。


 今更な気もするがそっと首に手を当てながら巫女服の様子も見る。痛みも傷跡らしきものも無く、血も汚れも見当たらない。問題は全くなく、驚くほど平常だ。

 どういう原理かわからないがなかった事になっているようだ。骨折で常時頭を支える、なんて面倒だからありがたい。蒼はほっと安堵の胸を撫で下ろして、ゆっくりと立ち上がった。



 ぼやけた視界がはっきりとしてくる。そうしてわかるのはこの異様な光景だ。


 蒼を中心とした祭壇のような円。それを照らす何本もの松明が何処かに向かって一直線に設置されている。捧げるように置かれた透明の液体と赤い液体は見た目と匂いからして酒と血液で、使用したのか半分減っていた。取り囲む白い服を着た人間達は恭しく蒼に傅き、まるで儀式の最中にかのような厳粛とした空気を纏っている。


 どう見ても日本人ではない。彼らの背格好にしろ顔にしろ欧州人のそれである。

 日本にいるはずなのに違う場所にいるのも、邪神召喚のような状況も、死んだはずなのに生きているのも、この際そういうものとして考えよう。考えるだけ無駄というもの。生きていればそういう事も起こるのである。思考の放棄ではない。

 それよりも話は出来るのだろうか。懸念材料はそこ一点である。


 蒼はどうにか自分の外国語力を思い起こす。そうだ、中間考査も期末考査の点数は真っ赤だった。その時のテストが難しかった、とかではなく普通の赤だ。勿論リスニングも出来ない。中学の頃から惨敗続きだったなぁ。

 …意思疎通は無理だ。


「えぇっと…無理なら無理でどうにかなるのかな。はろー? 日本人ですかー?」

「*******!」

「***! ****!!」

「****!!」


 ああうん、全くわからない。やっぱり外国人だ。


 跪いたまま言葉を発する男達に眉を顰める。多分私の知っている言語ではない。発音やニュアンスが独特で意味不明だ。少なくともヨーロッパ圏の言語でないのはわかる。しかし、この状況を打開するのに果たしてその情報が必要だろうか。


 こういう時、友達とか先生は何と言っていたっけ。えー…外国人との交流はノリでいける、だっけ? ノリでは乗り越えられない壁が見えるのだが、知らない民族の方でも通用するのだろうか。

 とりあえず笑えばみんな友達、的な事を言っていた人がいたような……笑えばいいの?


「ここは何処でしょうか? 貴方達の職業はネクロマンサーで?」

「*******」

「はいそうなんですよー。…宜しければ日本語でお願いします」

「***!」

「え? 年齢ですか? それとも性別ですか?」

「*****!」

「はい? 趣味?」


 だめだ、伝わっている気がしない。

 笑顔で会話なんて出来るはずなかった。


「…仕方ない、なるように任せよう」

「***! ****! *****!」

「え、あ、はい。そうですそうです」

「*******!」

「うんうん」


 すこぶるテンションの高い一人の男性が只管何かを言ってくる。勿論意味わからないが彼はもの凄く笑顔だ。嬉しい気持ちだけは伝わってくる。うん、なるようにもならないね。

 どうやら突如現れたというのに私は歓迎されているらしい。同様に嬉しそうに笑う人間達が蒼の立っている位置から多く見られた。


 とりあえずわかった風に肯けば話が進む。ならいくらでも頷こう。蒼は相槌を打って形だけ笑っておいた。

 すると彼はぱぁ、と顔を明るくして松明の道の方を指さした。松明の灯りは山道に続いており、頂上までの一直線が見える。ついでに横は見事に真っ暗。松明から逸れた場所は深い闇に閉ざされて、道に迷えば帰れないだろうと安易に想像出来る。


 彼等はあそこから歩いてここまで来たのか。真夜中にこんな事をするとは余程暇だったんだね。ほう…と呆れ混じりの溜息を吐く。


「***!」

「えぇ、そっちに行けですか?」


 こちらを見ろ、ではなくそちらに行け、だった。

 えーあの…行くんですかね。











「…っふぅ、なかなかに寒い」


 松明だけで照らされた山道を進んだ奥の奥。蒼はこの山の頂上らしき拓けた岩肌に立っていた。



 あの後――蒼が渋々行くと宣言した後、彼らはどよめきと共に何故か拍手を贈ってくれた。一瞬あちらの方達は私の言葉がわかるのかと思ったが、それなら拍手するなんておかしい。話す以外なら手を上げるぐらいの行動しかしていない。

 ……手を上げて言葉を発することは彼らの文化では誉れ高き行動なのだろうか。自分で言ってなんだが馬鹿っぽい。


 だがそれを言ってしまえばこの状況も不思議すぎる。夢にしては感覚がはっきりしているし、死因の首の骨折が治っている。そもそも死んだ人間は夢は見ない。私は誰なんだ、なんて哲学的な事を言う気は無いが不可解な点が多すぎる。



 と考えて、蒼はもういいかと頭を振った。それもこれも蒼にとってはどうでもいい事だ。例え場所が変わろうが言葉が通じなかろうが、自身が生き返ろうが。それは取るに足らない出来事であり、これから起こることも些細な事なのである。


 楽観的だとよく言われる蒼は故にこの状況に慣れ始めていた。いや、正確には別段興味が無いからどうでもよかった。

 蒼は人よりも生きる事に興味が無かった。死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きる。今まで生きてきたのは運が良かっただけで、さっきは運が悪かったから死んだ。何事も割り切って生きてきた。そんな性格なのに今更何をやればいいのか。


「……やる事なんて何も無い」


 誰に聞かせるわけでもない声で小さく呟く。この声に悲愴感がないのは死体が見せた夢だと思っているからなのか、それともこの先起こる未来をも予想できないほど愚かだからなのか。それすらも分からない自分は相当イカれている。



 意味もなく空を見上げると幾多もの星達が淡く夜を照らしていた。空一面キラキラと輝く圧巻の光景に、今までの出来事も忘れて見惚れてしまう。

 すると一瞬、手が届きそうなほど大きな星が白く瞬いた。その神秘的な煌きに惹かれるものを感じて目を細める。と、唐突風が吹き付けてきて蒼は腕で顔を隠した。



 ぱたぱたぱた…と袖が靡く音とバサリと何か羽ばたく音が耳を通り過ぎる。小鳥の羽ばたく音ではない、大きな風の抵抗を受けた時の音だ。長閑なこの地に似つかない音に首を傾げる。そうしている間に風は徐々に穏やかになっていき、やがて完全に止んだ。



 不意に低い唸り声が聞こえたかと思えば、それは突然現れた。



 艶やかな白銀の鱗に包まれた体躯。背中や翼は絹糸のような羽に覆われており、羽のない額に二本の角が生えている。口からは凶暴なまでに鋭い牙が見え隠れし、力強い四肢には巨大な鉤爪があった。見上げても尚全てを見切れない存在が蒼の前に降り立つ。



 それは―――真っ白な竜だった。



「……は?」



 予想にしなかった存在に蒼は小さく目を見開いた。呆然とそれを見ていると純白の竜はゆるりと翼を仕舞う。


 竜だ。どこをどう見てもドラゴンだ。それ以外に表現しようがない。


 不思議と美しく感じる高台と煌めく夜空に突如現れた、圧倒的な優雅さと消えてしまいそうな儚さを兼ね備えた存在。それは絵本に出てくる悪い竜より多少可愛らしく、絵画に描かれるドラゴンより随分美しい。

 蒼は見惚れるように白竜を眺め、ほう、と息を吐いた。そして同時に苦虫を噛み潰したかのように顔を顰める。



 うん、なるほど。ここは地球ですらなかったみたいだ。それならば言葉が通じないのは当たり前か。しかしまさか地球内の言語でないとは思わなかった。自分はどこまで遠いところに来てしまったのか気になる。ていうか碌でもない事になっていないかな。


 正直な所、蒼はこの異常な状況よりも未知の生物よりも自分の居場所が気になっていた。




『……*******?』


 白竜が空気を震わせて私に問いかける。さっきの人間達と同じ言語を話しているように思えるが、その言葉は蒼に理解出来るものではない。

 それよりも竜に声帯はあるのか。口から違う音が聞こえるのだがどうなっているんだ。あれか、イルカ的な超音波か。竜に超音波…なんて似合わない響きだろう。

 …まあまあまあ、ファンタジーだから何でもありか。もしかすると頭に直接伝わる系なのかもしれない。そういう事は考えないに限るのである。とりあえず標準語があれだというのはわかった。



 適当にうんうんと頷いていると白竜に爬虫類の顔であるというのに憮然とした顔をされた。それから残念な子を見るような目を向けられる。何奴だこいつ。適当に相槌を打っているのがバレたのか。


『*****? ***? ***? ……*****』

「バカにしているのかな?」


 なんていう爬虫類なんだ。目を細くして口角を上げて、爬虫類に鼻で笑われるのは初めてだ。こんなに感情豊かな爬虫類は見たことがない。脳が感心一割苛付き九割に覆われる。真面目交渉術を使ったというのに誠に遺憾である。


 むすっと頬を膨らませて蒼が睨みつけると、白竜は笑うように唸りながら顔を近付けてきた。謝っているのだろうか。それとも殴ってもいいと言っているのだろうか。と、思っていると白竜が悲鳴を上げた。


『*****…っ、******!』

「…え? ああ、叩いちゃった。ほらあれですよ、頭に虫がとまってたんです」

『***!!』

「角を掴むなって? 違いますよ、掴んでいるのは羽です」

『****!!』


 がるる…と大人げなく白竜が威嚇してくる。やりすぎたかな…けどイラッとしてね? ぱっと手を離してナニモナーイと等閑に手を振るとうがぁ!と吼えられた。

 なかなかの迫力だがそれよりも唾がやばい。べっとりと顔面に唾がついた。頬を流れるたらりとした唾液に蒼は口を引き攣らせる。


「…最悪だ。唾液まみれで死なないといけないのか」

『****?!』

「うるさいトカゲ。用事も無いなら帰ってくれない? 殺るならさっさと殺ってよ面倒臭いな」


 ねちょ、っとした唾を拭いながら深くため息を吐く。どう考えてもこの綺麗な竜がやって来る理由が私を攻撃するためにしか思えない。煽ったりしたけどそれなしにでも理由が無いもの。

 殺す気がなくともサックリ殺ってくれないだろうか。私はこの地に生きる気もないし、なぜ私がここにいるのか解明したいわけでもない。イベント嫌いの保守派である私にこれ以上のイベントを起こさせないでほしい。


 べっとり拭い取った袖を見て、取れないかと振ってみる。無理か。知ってた。再度深くため息をつくと、驚くことが起こった。



『*****…。……ふむ、やっとか。ん、ん。散々な物言いだな人間。お前達が呼ぶから来てやったのに帰れと言うのか』

「―――は?」


 こいつ…日本語喋った……?


 これまた予想打にしない展開に蒼はポカンとする。

 何故だ、さっきまでなんちゃら語で話していたではないか。ファンタジー効果で何でもありか? え、ファンタジーすごい。


『どうした人間、顎が外れたか。か弱すぎではないか?』

「え、や、竜やべぇ学習能力舐めてました」

『…何の話だ』

「爬虫類の頭の話です」

『…爬虫類とは私の事か』

「はい」

『私を爬虫類などと同じに括るな』


 えーあー…プライド高い感じ? それっぽい雰囲気だったけど面倒臭いな。

 別にいいじゃんと呟くと白竜は良くないと唸る。機嫌悪く尻尾を一振りすると、轟音と共に山肌が抉れ崩れた。なんていうオーバーな主張だ。うわぁ…ドン引いていると、大きく翼を広げて今にも蒼を挽き潰そうと身を屈めてくる。


 普通の人間なら卒倒しそうな危険な場面だが、蒼はふと違うことが頭によぎった。――そういえばまだ揺れてたな、地面。こいつのせいか?


「ストレス解消に山崩しとかどうかと思いますよ。カルシウム足りてますか」

『お前な……』

「威嚇ですか白竜さん。こんな小娘一人に全力投球ですね。寛容な御心は家出しましたか」

『……にして人間、もう一度聞くぞ? お前は私に何を求める』

「誤魔化しました?」

『誤魔化してない』


 そうですか。誤魔化してませんか。それならそれでいいけど、尻尾が不機嫌ですよ? 砂埃が立つからやめてもらえませんかね。


 じろりと尻尾を睨むとうねっていたのがぴたりと止まる。このトカゲ、どうやら人の話は聞くようだ。目に見えての威嚇はしない。が、威圧はちゃんとしてくる。竜としてのプライドと馬鹿にされて傷ついた自尊心の間を行き来しているようだ。

 すごいねトカゲ。日本にこんな偉いトカゲはいなかったよ。


『…失礼な事を考えていないか?』

「え? んなわけないじゃないですかー……。ただ、」

『ただ?』

「白竜さん、あんたは何しにここに来たんだろうか、と」

『…グルルルルっ!』


 沸点低いな…何故そこで怒る。普通に真っ当な質問じゃないか。

 だってさ、もしもこうやって戯れるためだけに来たのならドン引きだ。何しにきたんだと冷たい目で見る。

 この時点で既に冷たい目で見ている事実を置いといて、唸る白竜を眇める。すると白竜が我慢ならんと言わんばかりに牙を剥き出し、大きく吼えた。


『お前! この私を呼んでおいてさっきから何なんだ! そのような態度、一度たりともされたことが無いぞ!?』

「や、私は呼んでないんで。来る場所間違ってるんじゃないですか?」

『そんな訳なかろう! 確かに贄は捧げられた。建てた目印通りに来たのだ、間違えないぞ!!』

「来たのだー、と言われましても……ん? 贄…? 生贄…って事?」

『他に何があるのだ!』

「えー、いや……なるほど」


 巨大な円。血と酒の杯。燃える松明。喜ぶ民衆。それから私。


 ひょっとしなくとも贄とは私の事か。儀式的な雰囲気だったし、やってる事はおかしかったし。私が生贄に捧げられている可能性は十二分にある。…けど何故喜んでいたんだ?

 あ、活きが良くて若い女だぜ的なやつですか。鳥にしろ牛にしろ若い方が美味しいもんね。自慢じゃないが舞で体を鍛えていたから、程よく筋肉質で美味しいと思う。お目が高いねあの人たち。


 ―――しかし望みがわからんのですが。民族達よ、何をして欲しいの?


「……あの、」

『今度は何だ! もしや私の力を信じないなどと言うのではあるまいな?!』

「言ってないし」

『うぐぐぐ…見ておれ、今すぐにでも神の力を…!』

「(話聞かないな…)」

『いや、待てよ? おい人間、私の名を知っているか』

「(知らないし…)」

『聞いているのか!?』

「はいはい聞いてるって。白竜さんのお名前の話でしょ? 知りませんよ初対面なんだし」

『知らない……?!』

「はい。全く以て知りません」


 焦りすら伺える叫びにうん、と軽く頷くと白竜はかっと目を剥いて固まった。よほど衝撃だったらしい、唸るのも忘れて信じられないと私を見てくる。

 この人、自分の事を有名人と思っているのかな。異世界で有名でも残念な事に地球では有名じゃなかったよ。…ここでも有名じゃないぽいけどね、この竜。



 白竜の冗談だろうと縋る目が鬱陶しい。白竜の青い目を決して逸らさずに念押しとばかりに深く頷く。それからひたすら見つめると、不安げに瞳を揺らして顔を近付けてきた。


『ほ、本当に知らないか?』

「本当に知りません」

『本当の本当に…?』

「執拗いっすね白竜さん」

『わ…私は叡智の竜で、忘れ去られるような存在では…。今回だって、ちゃんと、呼ばれて……』

「叡智なんですかぁー、へえ…これまた大層な。で、何年ぶりに呼ばれたんですか? 一年? 十年? それとも三桁突入ですか?」

『……』

「答えられないぐらい前、だと。これは忘れられますわ」

『………』


 極めて軽くお疲れ様でーすと会釈すると、白竜さんは無いはずの表情筋をくしゃりと歪める。そして、えええ…ブルームーンストーンのような瞳からぽろりと涙が落ちた。

 ぽろり、といってもこの竜はとてつもなく巨大だから涙のサイズも大きいんだけどね。直径三十センチの水球が落ちてくるといえば分かってくれるだろうか。当たったら死ぬ。


 ううん、それにしても…これじゃあ私が虐めてるみたいだよ。感じ悪いなぁ…。まあ、意識して虐めてるからこれでいいんだけどね。女の顔面に唾を飛ばした罪は重い。もっと泣いてください。


「白竜さん白竜さん。勘違いだと理解したなら直ちに回れ右して帰ってくれません?」


 何というか…うん、死ぬなら体を清めてからにしたい。ていうか私のプライドがこいつにだけは殺されたくないと叫んでいる。

 結構切実にお願いすると何を勘違いしたのか、キッと睨んできた。


『もういい! 私は絶対に帰らんぞ! ふん、知らないというのならもう一度私の名を広めようではないか!』

「……はあ、」

『よく聞け人間! 絶対聞け! 聞いてくれ!』

「なにその三段活用」

『うるさいぞ人間。私は…叡智の竜、白煌竜の【ブランリュクス】だ!!』


 ばばーん!と効果音がつきそうなテンションで自分の名前?を叫ぶ。ああはいそうですか。満足しますかよかったですね。

 等閑マックスで頷こうとした瞬間、綺麗な竜は……あれ?と首を傾げて呟いた。


「どしたんですか白竜さん」

『え、いや……え?』

「…?」


 白竜さんは自分でやっておきながら、驚いたように目を見開いて口をぱくぱくさせている。まるで勝手に口から出てきたといわんばかりの態度だ。口に手を当てて目を白黒させた。

 竜は何度も何度も訝しげに首を捻って、さっきのよくわからない自己紹介を咀嚼して、咀嚼して、咀嚼して……


『ええ?!』

「は?」

『や、わ、わた?!』

「やだー急に言語障害?」

『私の真名が…!』

「は? まな?」


『―――お目が高いねアオイちゃん! まさか千歳超えの白煌竜を選ぶなんてさ!』


「……え?」


 突然透き通る声が聞こえた。














『―――ああお嬢さん。死んでしまうとは情けない』


 突然聞こえた男とも女とも似つかない声に、私の意識は浮上した。

 そこは前も後ろも見えない真っ暗な空間。私の体だけがぼんやりと見えるが他のものは一切見えない。いや、もしかすると何も無いのかもしれない。無重力の暗闇の中でぼんやりと自分の手を見た。


『今なら五千ゴールドで蘇生してあげるけど如何かな?』


 不思議な声はまた一つ、おかしな事を言って消えていく。

 ていうか蘇生に五千ゴールドとか高すぎやしないか。そもそも五千ゴールドって何処の国の単位だ。


『常套句に突っ込まないでくれるかな』


 常套句だったのか。…それが常套句ってどんな人間だ。

 とりあえず蘇生はいらない。人生やり直しとか面倒臭いしやる気が起きない。御託はいいから早く死なせてくれないか。あなたの会話は冥土の土産に持っていくから。


『あは、無理』


 無理なら初めから会話に出さないでよ。


『それにしてもこんな状況なのに冷静だねぇ?』


 混乱して何になるっていうの? それで楽ができるなら何度でも狂ってやるわ。演舞中に死ぬことがあれば、あんたみたいによくわからないのと会話することもある。そういう事があるんだからそれはそれでいいんだよ。

 …ああ、思い出したら悔しくなってきた。あともうちょっとで舞いきれたのに…!


『なるほどなるほど。君、やっぱり面白いねぇ。こんな所で死ぬのがとても惜しいと感じてしまうよ』


 思わなくてもいいから早く逝かせてくれない? 続きは天国か地獄で舞うから。


『ああそう? …じゃあそんな君には僕から特別にプレゼントだよ。それはね―――【案内役】のギフト! 初めて友達になった人に案内を頼むことが出来る能力だよ。ただし一人だけだから考えて友達になってね!』


 …え、それって普通に頼めばいいんじゃないの? 天国と地獄ってギフトを貰わないと案内もしてくれないの? 普通に歩けないぐらい恐ろしい所なの? ていうか死んだらそこで終わりじゃないの?


『………死んでも世界は終わらないよ。あは、治安が悪かったりしたら売られたり殺されたりするかもしれないし? 友達って大切だよねー。大丈夫大丈夫、術式が奴隷支配と変わらないけど条件さえ満たせば解除されるから』


 何その間は。…って今奴隷って言った? 天国に奴隷がいるの?


『じゃあいってらっしゃい! また後で会おうね!』


 え、また会わないといけないの?




 ―――思い出した。





『あは、さっきぶりだね! 早速面白い事になっているようで嬉しいよ!』


 想像以上に軽い声、直接頭に響くように言葉が伝わる。あの謎の空間にいた時と全く同じ声音に、蒼は目を丸くした。まさかこんな所で私をここに連れてきた元凶に出会うとは思わないでしょ。

 蒼は睨むように空を見上げて、軽く舌打ちをし―――


 ―――たわけでもなく、ご無沙汰でーす、と挨拶した。


 果たして私に何の説明もなく勝手にここに放り込んだ張本人と普通の会話ができるだろうか。いや、できまい。話が通じない人に文句を言うほど虚しいものはない。

 蒼は声の主を探るべく周囲を見回してみる。が、森と夜空と白い竜しか見つからない。前回もだが声の主の姿は見えないようだ。まあ、予想通りだから何とも思わない。



 それにしても……竜の次はこの状況の元凶か。今日は異常ですね。えっと、取り敢えず返事を返そうか。

 嬉しいの?と空に向かって言ってみる。そうするとうっきうっきな返事をされた。


『勿論だよ! 神界って娯楽がないからさ、僕今すっごく楽しいんだぁ!』

「…さいですか」

『さいですよぅ。本当、誰か面白いものを作ってくれないかなぁー…。それにしてもー…君、やっぱり冷静だね?』

「発狂したら逝ってもいいですか」

『あは、だーめ。って狂うほど君の心はか弱くないでしょ?』

「残念な事に」


 叡智の竜(笑)を見ても何も無いぐらいは動じません。

 重々しく頷くと語尾にハートがつきそうな声音で、だよねー!と言われる。顔なんて知らないし見えないからわからないけど、あれば満面の笑みなのだろうと想像出来るテンションの高さだ。

 ああなるほど。このテンションで同意されるってすごくイラッとする。不安な時にされたらブチギレますわぁ。うん、猛烈に殴りたい。


『…なあ人間。さっきから誰と話しているんだ?』

「天の声ですね」

『……』


 やめてよ白竜さん。そんな痛い子を見る目で見ないでよ。って白竜さん聞こえてないの? へぇ、えいちーがあっても天の声は聞こえないのか。残念だね。鼻で笑うと唸られた。


『ままま、はやーくやっちゃおうか! ね!』


 ね、と言われましても困るんだけども。まず何するつもりなのか聞きたい。

 白竜さんの痛い子を見る視線から逃れる為に後ろを向いて、空に何をするのかと質問してみる。するとうきうきわくわくな声が降ってきた。


『よぅし、張り切っちゃうぞー!』

「安定の対話力の低さ」


 やはり質問は返してくれないのである。流石天災レベルが違う。

 自分の観察眼を褒めるべきか。それとも安定の性格に拍手を送るべきか。蒼はなんとも言えない顔で黙り込んだ。


『じゃあ行きますよぅ! 準備はいいかな?』

「よくないです」

『はい行きますねぇー』


 んんん、と喉を整える声が聞こえる。


 その瞬間、月夜が青く、星が眩しく、私達のいる丘を照らし始めた。幻想的な白い光が淡く舞い、暖かく私を包む。そして響く透き通る声。朗々と歌うように、蒼と白竜さんに降り注ぐ。



『汝の名、ユウキアオイ。白煌竜ブランリュクスを【異世界案内役】と定め、我との誓約を果たせ』


「『私、結城蒼は神との誓約を果たす。白煌竜ブランリュクスを【異世界案内役】と定め、ここに誓約を果たした事を宣言する』」



 ……え?



『あは、これで僕の仕事は終わりかなぁー?』

『なっ…!? 人間、お前今…!』

「口が勝手に……ねえ、今の何?」

『奴隷制約だ! くそっ人間、私を嵌めおったな!!』

「は? 奴隷制約?」


 何を言っているのこの爬虫類は。とうとう妄想癖まで出てきたか。

 白竜がぐるる…と牙を見せつけるのを蒼は冷めた表情で眺める。安定の冷えきった目に、竜は唸る声を大きくした。あわや一触即発、このままでは蒼は惨殺。という所で呑気な声がうふふと笑った。


『あはは、違うよー。【異世界案内役】誓約だよぅ。おめでとうアオイちゃん! ようこそ異世界へ!』

「それよか白竜さんに釈明してくれませんか。無実の罪に問われてます」

『それもまたよし! どうせ君はもう死ねないからねー。うふ、この調子でこれから楽しく生活していってね! ついでに解除条件は【異世界案内役】が生きていくために必要だと思っている全知識を対象者に与える事。お勉強頑張って!』

「よくないし、なにそのアバウトな解除方法。ていうか千歳超えの白竜の知識でしょ? 身に付ける前に寿命が来ると思うんだけど」

『あは、しーらないっ! じゃあねぇアオイちゃん、良い異世界生活をー!』


 キィィンと耳鳴りがした瞬間天の声が消えて、山に白竜の唸り声だけが響く。いくら耳を澄ましてもあの軽い口調は聞こえない。何事も無かったかのような、それでいて確かに感じる違和感に、蒼は眉を顰めて舌打ちした。



 いろいろな意味でとんだ置き土産である。『どうせ君は死ねないから』。それは殺されても死ねないのか、寿命が無くなったのか。どちらにしろこれが本当なら、私は死ねない上に変な契約を結ばれてしまった事になる。

 異世界案内役――千歳超えの竜とぶらり異世界旅とか悪い冗談にしか思えない。


 ていうか旅のお供が巨大な竜ってところが酷い。街にも入れないし、森も歩けないし、食費も嵩張りそう。あとこいつプライドが高そうだから面倒臭い。人間にチェンジしてくれないか。ていうか人間もいらないから一人にしてくれないかな。


 ―――どさっ


「……ん?」

「っ…たた。…はあっ?!」


 今度は何だ。


 度重なる出来事に疲れてきた頭に喝を入れて、悲鳴の上がった声の方を向く。そこにはあの存在感抜群な白竜の姿は無く、ただただ白っぽく明るんだ空が見えた。ああ、清々しい朝だ。


「……」


 視線をゆっくりと下にずらす。そこにいたのは―――


「……は? 執事?」

「し、執事?!」


 金髪碧眼の……美青年?目が潰れそうな美貌の執事がへたりこんで座っていた。彼は端正な顔を真っ青にして自分の手を眺めている。


「わ、わた、ありえな…!」

「……あ、倒れた」



 ―――こうして私と白竜さんの旅は始まった。



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