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第三章 出陣

アップできていなかったものを、立て続けにあげていきます。


 翌日から孫兵衛達は幸村らとともに畑仕事に出た。

食事は幸村や幸村の家族と共に母屋で摂り、休む時だけ離れへと戻った。食事のときは幸村一家とは、まるで旧知の間柄のように和やかに過ごした。

夕餉の後の茶を喫し終え、隼人と二人、離れに戻って四半刻程してから、幸村の娘の梅が乱れ箱に色とりどりの組み紐を持って離れへとやってきた。

「梅殿、いかがいたしたかな」

「はい。父が孫兵衛殿の太刀の柄巻きが傷んでいるゆえ、お好きな物に替えてもらえと」

「おお、それは恥ずかしいものを見せてしもうたようじゃ、なんとも申し訳ない。色々あって迷うの。どれ、この黄色がよい」

 孫兵衛は鮮やかな黄色の真田紐を選んだ。

「そのような鮮麗な黄色でよろしいので」

 梅が驚いて聞いた。

「それがしは黄色が好きでの、しかしこのような鮮やかな黄色は初めて見る。いかにして染め上げたものよのう」

「この辺りに生えております黄蘗(きはだ)の内皮の煎じ汁と灰汁で染めたものでございます。ですから黄蘗色と呼んでおります」

「良い色じゃ。代は如何ほどじゃ」

「父からは、お代を頂戴するなと言われております」

「それは、心苦しいのお。今日はもう休まれておろうからの、明日にでも幸村殿には御礼を申し上げよう」

 孫兵衛は、そう言いながら目釘を抜くと柄だけを持って傷ついた柄巻きを外し、新たに黄蘗色の真田紐を巻きだした。

「こちらの古い柄巻きはいかがいたします」

 外し終えた旧い柄巻きをどうするか梅が聞いた。

「なげてくれ」

 孫兵衛が柄巻きを巻くのに集中しながら言った。

「え、そのようにするのですか」

「ああ、構わん。なげてくれ」

「でも、そのようなことをして構いませんので」

「あぁ、構わん構わん。もう新しい柄巻きも頂いたしの。そうしていただいて結構じゃ」

 孫兵衛は、梅が随分とくどく聞くものだなと思いながらも、柄巻きに集中することにした。

「それでは、えい」

 梅が掛け声をかけながら、古い柄巻きの紐を孫兵衛に向って投げつけた。

紐は絡まり合うように丸まったまま、孫兵衛の胸元あたりに当たると、ぽとりと膝のあたりに落ちた。

「あ」

「え」

 孫兵衛と梅が声を上げ、そして孫兵衛と隼人が笑いだした。

なぜ笑われたのかわからずに、拍子抜けしている梅に向い

「すまぬ、梅殿、なげるとは我らの国言葉で、捨てるということだっちゃ」

 と説明した。

「だっちゃ」

 なおも隼人が笑い続けている。

「繰り返しすまぬ。だっちゃとは、我らの国言葉で、何がしじゃというときに話尻につける言葉じゃ」

 孫兵衛も笑っていた。

「だっちゃとは、なにか可愛らしいことばですね」

 梅もつられた笑った。

「仙台の国言葉だっちゃ」

 孫兵衛がそう言った時に、幸村が離れを訪ねて入って来た。

「やはり、孫兵衛殿らは、伊達の少将様の御家臣でしたか」

「ばれましたな」

 孫兵衛がにこやかに応じた。

「ばれるも何も最初から判っておりました」

「ほう、なぜに」

「孫兵衛殿に主君は大坂方か徳川方かお聞きしたとき、今のところ徳川方と言うたではございませぬか。今の日本で徳川に対して反骨の気概を持ち、かつそれが妄想や大言壮語でなく、実際に天下を狙える地位と実力に在るのは、仙台の少将様しかござりますまい」

 幸村に政宗を褒められ、孫兵衛は気分が良かった。

「それにしても、また随分と鮮やかな色の柄巻きを選ばれましたな。さすがは伊達者というところでござろうか」

「おぉ、そうじゃった。かようなものを頂戴し、礼を言うのが遅れてしもうた。幸村殿、忝い」

「そんなに大仰に礼を言われますと、これからの相談がしづろうござるのだが」

「幸村殿は何か相談があって、離れにまいられましたので」

 と孫兵衛が手に持っていた柄を床に置くと、幸村を離れへと招きあげながら言った。

「孫兵衛殿に御知恵を拝借しようと思いましてな」

「それがしで役立つようでしたら、なんなりと」

「かたじけない。実は、この九度山を退去する策を家人と相談しておったのござるが、なかなか考えがまとまらず」

「なるほど、で、幸村殿はいつごろ退去されようとお考えで」

「大坂の戦もいよいよという様相を呈してきておりますれば、ぐずぐずしておっても、街道に徳川勢が溢れ、大坂への往来が困難になりかねまする。その前にと考えると月内には抜け出たいものと」

「さすれば、あと十日もござらんな。できれば、目立たぬように少しづつ家人が里を抜け出し、大坂で落合うのが上策であるが、なにぶん日限が。一挙に抜け出れば目立とうものだし、監視の里の者と悶着ともなり、斬り合いにでもなれば双方にけが人が出てしまうであろうしの」

「里の者に迷惑はかけとうござらん」

 そう言う幸村の言葉に、十四年間、監視するものとされるものの立場を越えて里の者たちと交わってきた様子が伺えた。

隼人と梅は真田紐を片付けると孫兵衛と幸村を離れに残して、母屋へと移った。

 隼人は母屋の台所で孫兵衛達の相談が終わるのを待つ間、梅と鈴を相手に茶を飲みながら、仙台のこと、旅のことを話して時を過ごした。特に温泉の話に二人は興味を示して、一度は行ってみたいものだと話していた。

四半刻程して幸村が母屋に姿を現すと、大助を呼び、高梨内記を連れて来るように言って離れに帰って言った。

大助に伴われて高梨が離れに入りしばらくすると、今度は大助が台所に入ってきて、水甕から水を飲むと、これから穴山小助を呼びに行くといって、夕闇の邸外へと出て行った。

穴山小助も離れに揃い、相談が終わる頃には、夜もだいぶ遅い刻限となっていた。しかし幸村から、これより至急の集まりを行うゆえ、真田の家人一同を集めよとのこととなり、それぞれが手分けして各家々を回っていった。

真田の家臣たちが集まる頃には、孫兵衛も離れから母屋へとやってきて隼人とともに真田屋敷の広間へと入っていった。

広間には真田の家臣が十五、六人、それに幸村の家族を合わせれば二〇人以上の者が集まっていた。

まず、一同を前に高梨が最初に口を開いた。

「かような夜遅くに、皆の者に集まってもらったのは他でもない。今宵は御館様より大事を皆に伝える故集まってもらった。それに先立ち、林崎孫兵衛殿と横山隼人殿を紹介しておこう。今朝の畑仕事の折にすでに見知っておる者もいようが、御二方は昨日より当真田屋敷の客となられ、こたびの大事にも御尽力いただくことと相成った」

 孫兵衛が頭を下げるのに倣って隼人も一同に頭を下げた。

「それでは御館様」

 高梨が話を幸村へと流した。

「一同、かような夜更けに御苦労であった。さて、前置きは抜きにして、こたびの大事を伝える。過日、大坂より使者が参っておったことを知る者も幾人かあろうが、儂はこの大坂からの誘いを受け近日中に、ここ九度山を退去し大坂へ参ることとした」

 広間に集まった一同からざわめきがおきた。

幸村はざわめきが鎮まるのをしばし待って

「ただ、退去すると言うても里の者の監視を欺かなくてはならん。それについては一計を案じたので、その計らいについて林崎殿から話をしていただく」

 と言った。

一同は、緊張の面持ちで孫兵衛の方を注目した。

「各々方にこたびの計らい事を説明する前に、ちとめでたい話をしておく。それがしの臣、この横山隼人と穴山小助殿の御息女、鈴殿の婚儀がまとまったゆえ、心得ておいていただこう」

「はああ」

緊張した広間に、なんとも間の抜けた隼人の声だけが響いた。

「隼人、なんじゃその間の抜けた声は。鈴殿などは堂々としておるではないか」

「孫兵衛様、いつそのようなことを決めました。それがしは何も聞いておりませんぞ」

「おお、儂も話した覚えはないから、いまこうやって話しておるではないか」

「ですから、そのようなことではなく」

「隼人は鈴殿のことを、そんなことと申すか、鈴殿に失礼な奴じゃな」

そう言われて、隼人はあたふたと鈴の方をみると

「いや、それがしは鈴殿のことをそんなことと言ったわけではなく、そりゃ、鈴殿は器量も良いし、立派な女人であると思います、というか、こんなことを弁解するのではなく」

 と慌てて言った。

「おぬし、鈴殿の前で何を一人で騒いでおる。鈴殿との婚儀は里の者を欺く、偽の婚儀じゃ」

「はあ、あ、なんだ、そうでしたか」

 そんな主従のやり取りを見て、なにぶん夜更けの秘かな集まりだけに、一同は声を殺して笑った。孫兵衛は集まった者たちの緊張がほぐれていく様子を見て

「各々方も、あまり肩に力を入れずに聞いていただきたい。力みすぎると却って仕損じるからの。とにかく普段どおりに動いてもらえれば結構」

 と計らいの中身を語りはじめた。

孫兵衛の策とはこうである。

隼人と鈴の婚儀のため、里の主だった者に集まってもらい婚礼の宴を開くというのだ。

また、この宴には、こうやって真田の者が里に根ざして末永く骨を埋めるつもりでいるので、今後ともよしなにとの意味も込めて振る舞い酒なども準備するとのことだ。

集まった里の者には十分な酒を振る舞い酔い潰す。酒の強い者もおるであろうから、潰れないまでも異変を感じたとて浅野家の許にすぐには駆け付けられない程度に酩酊させれば十分との考えであった。

さらに里の主だった者を一か所に集めておけば、家に残された彼らの家族達では退去する幸村の一行を見かけたところでどうすれば良いのかの判断はつかぬであろうし、場合によっては、集めた者達を孫兵衛と隼人で、幸村達が里から十分に離れるまでの人質としておいてもよいが、最後の手はできれば使いたくないと言い加えた。

「決行は月明かりに照らされぬ闇夜に紛れて夜道を行けるように考え、日限もないが四日後のことといたしたい。とにかくじゃ、これには、皆に普段どおりに、そしてこの婚礼を真実のように思わせるためにも、心底祝うくらいの心持ちであってほしい。そんなわけじゃから、隼人も穴山殿を舅としてしっかりと敬った態度で過ごせよ」

「心得ました。舅殿、御屋形様、そして真田衆の皆様、真田の一員として、よろしくお願いいたしまする」

 隼人が慇懃に挨拶をした。

「うん。そうじゃ隼人。その調子じゃ」

 孫兵衛が満足そうに言った。そんな隼人の前に鈴が進み出て

「隼人様、幾久しくよろしくお願いいたします」

 と手をついて頭を下げられるのを

「え、あ、いや鈴殿、これは偽の婚儀であって、ああ、でも、なんかいい感じですね」

 と顔を赤らめた。

「隼人、最前の儂の言葉は取り消しじゃ。大丈夫か、おぬし」

 呆れた風に言うのに、一同は、また小さく笑った。

「とにかく、今夜は、もう遅いゆえそれぞれ帰って休むといたせ。明日からは婚礼の準備で忙しくなるのでな」

 と幸村に言われ、一同はその場からそれぞれの家へと帰っていった。

 翌日からは幸村の言う通りに婚礼の準備で大忙しとなった。なにしろ日がない。昨日の晩から数えれば四日後であるが、夜が明けてしまえば三日後にはその日が迫っているのである。

 婚礼の衣裳や道具を堺、大坂へと買いに行く者、酒などを伏見に買いに行く者、隼人は穴山と鈴と連れ立って、里の家々を回り、挨拶と婚礼の宴への誘いをして回っている。

真田屋敷の台所にも女衆が集まり宴の膳を準備する一方で、残った者で畑仕事しなければならない。畑は当然、打ち捨てて行くが、だからといって手入れを怠れば、里の衆に不審に思われないとも限らないので、手を抜くわけにはいかない。

さらに、その合間を見て旅の準備もしなければならないので、とにかく忙しいのである。

 孫兵衛と幸村も畑仕事に精をだした。

そうしているうちに婚礼の日まで瞬く間に時間は過ぎ、婚礼の日の朝を迎えた。さすがにこの日ばかりは畑仕事を休みとした。

朝から、見事な秋晴れで、この調子であれば夜も天気には恵まれるであろうと思われた。

 昼餉の後しばらくして、夕方からの婚礼の準備で皆が忙しく立ち働く中、離れに幸村がやってきた。

「孫兵衛殿には、大変世話になりました」

 幸村が礼を言った。

「なに、世話になっているのはこちらのほうよ。それに、大事はこれからではござらんか」

 孫兵衛が応じた。

「そのことでございますが、夕刻からはなにかと慌ただしくしてしまい、碌に話もできませんでしょう。そう思い、これを今のうちに孫兵衛殿にお渡ししておこうかと思いまして」

 といって、一本の真田紐を取り出した。

孫兵衛が受け取ってよく見ると、模様が繊細で、しかも経糸と横糸の組み合わせが、二つと同じ物がなく様々な色使いがされてあるものであった。

「これは、父昌幸が考案した柄で、父はこれを大為(たゐ)()の歌と名付けておりました」

 と幸村が説明した。

「大為爾の歌でござるか。雅な名でござるな。しかし、このような大事な品を頂戴してしまいよろしいものであろうか」

「ええぜひ、流罪の身であれば、このような物しかお渡しできず恥ずかしい限りでござるが」

「だから、そのように考えまするな。儂らは、ここ数日、ほんとに良くしていただいた。礼を言うのは儂のほうじゃ」

それからしばらく、孫兵衛と幸村は真田紐の作り方などについて談笑していたが、空が夕焼けに染まる頃になり、気の早い客が一人、二人やって来たので、離れから母屋へと移り、客の相手をすることとなった。

 日もすっかり落ちる頃には客も揃い、婚礼の衣裳を着た隼人と鈴も座敷に入って来た。

「ほう、馬子にも衣装とはこのことじゃな。最初は、鈴殿と釣合いがとれるか心配しておったが、隼人もそれなりの格好をすれば見れるもんじゃな」

 孫兵衛が小声で皮肉を言った。

一方の鈴は、花嫁衣装に化粧を刷いた姿はとても美しく、まさに似合いの夫婦であった。

 婚礼の儀式も済み、宴へと流れ酒も十分に回ってくると、座はいよいよ盛り上がっていった。

真田の女たちこそ水で誤魔化してはいるが、男どもは客の相手もありそうもいかない。中にはだいぶ酒がまわってきている者もおり、この後の大事に差支えがないか孫兵衛を心配させた。

 やがて、酔い潰れる者、普段の疲れが出て寝入る者が出始める。

里の衆が全員寝静まるのをみて、真田の衆は母屋を離れ、旅の支度を隠してある納屋へと向かった。

四半刻もしないうちに一行は旅装を整え、屋敷の門へと歩いてきた。

 門の傍らには孫兵衛と隼人が幸村らの見送りにと待っていた。

「本当に忝い」

 幸村が小声で頭を下げるのに合わせて真田の衆も無言で頭を下げた。

「そのような斟酌は無用。さ、先を急ぎなされ」

 孫兵衛が促し、一行は静かに旅立っていった。鈴が隼人の前を通り過ぎる時、

「鈴殿、御達者で」

 と隼人が、小声で声をかけた。

隼人は、我ながら矛盾したことを言っているものだと思った。彼女らはこれから死地へと赴くのである。彼女が達者であれば、それは徳川や主君政宗が敗れた時であろうし、そうでない以上、彼女の運命に達者なことがあるわけはない。

しかし、今は適当な言葉は見当たらなかった。隼人は、気の利いた事の言えぬ自分の才に苛立ちを感じた。

彼女は立ち止って

「鈴は、数刻でありましたが、隼人様の妻で幸せでしたよ」

 まいった。彼女ほうがよっぽど良いことを言うと隼人は思った。なんとか良い言葉を捻り出さねばと隼人は焦った。

「いやあ、それがしも鈴殿のような器量よしを妻にしますと、この後、再婚するにせよ鈴殿に比べると見劣りがして、後妻選びに苦労しそうです」

 我ながら、どうでもいいことを言ってしまったと後悔した。

鈴はそんな隼人の様子をみて、小さく笑うと、

「やはり隼人様はお優しいですね」

 と言って、再び頭を下げると、一行の後を追っていった。

まあ、気持は伝わったから良しとするかと、一行を見送っていた隼人に、

「へたくそ」

 と孫兵衛が言った。

「な、なにを言います、孫兵衛様」

「武芸も人間も下手じゃと申した。ほれ、屋敷に戻るぞ」

 そう言ってさっさと行ってしまった。

隼人も小走りに追って屋敷に入る。

広間に戻ると、九度山の里の衆の鼾が響いていた。

孫兵衛は、誰が使っていたか分からない適当な杯を取り上げると、手近にあった徳利を引寄せ匂いを嗅ぐと、中が女衆の使っていた水徳利ではなく酒であることを確かめてから酒を注いで飲みほした。

「さて、そろそろ良いでござるよ」

 と部屋内に声をかけた。

すると、寝ていた里の衆の何人かがむくりと起き上った。もちろん酔い潰れていたり、眠り込んでいる者も大分いる。

「気付いておりましたべか」

 そう言ったのは、確か里の長百姓である嘉兵衛とかいったはずだ。

「ああ、多分、真田殿もな」

「行かれましたか」

別の里の者が聞いた。

「行かれた。気を遣わせて済まなかったな。それより、お主たちに迷惑はかからんかのう」

「いや、心配には及びますめえ。これから大坂方と徳川方の戦ってときに浅野様もこんな田舎のことに構ってはおれますまいて。それに浅野様も真田様には同情を寄せられて、普段より陰ながらいろいろ援けていたくらいですからの」

 と嘉兵衛が答えた。

そんな話をしながら、自然と残った酒と菜で起きている者達だけの小さな宴が再開された。世間話をしている間に、妙なことを言い出す里の者がいた。

「今の話、もう一度、言うてくれ」

 孫兵衛がその里の者を近くにと手招きした。

「へえ、数日前のことですが、北の山に入ったときに、妙に寒気と言いますか、背筋の辺りがぞおとしましてな、そんで風邪かと思って山を降りて、家さ帰りますと、ぴたりとおさっまているんで、その寒気みたいなものが」

 と名も知らない里の衆が先程の話を繰り返した。

すると、我も我もと同じ話をする者があらわれた。ある者は、昨日、どこぞの沢でという。またある者は、二、三日前にどこぞの林だという。

それを黙って聞いていた孫兵衛は、突然、

「迂闊であった」

と叫ぶと、

「隼人、すぐに馬の支度をいたせ。幸村殿達が危ない」

 孫兵衛の言葉に隼人が素早く反応し、馬小屋に向かおうとするのを嘉兵衛が止めて、

「隼人様は、動き易い服に着替えてくだされ。馬は儂らで門前へまわしますじゃ」

「忝い」

 隼人は乱雑に婚礼の衣装を脱ぎ棄てると、普段着に着替えはじめた。里の衆が何人か馬小屋へと走って行った。

「それと孫兵衛様、儂らもなにか手伝うことはありませんかの」

 嘉兵衛がさらに孫兵衛に聞いた。

「すまぬ嘉兵衛殿。それでは、人数を集めて、松明でも持って儂らの後に来てほしい。戦いの場は危険故、決して加わってはならぬ。遠くで何事かと騒いでくれるだけでよい」

 馬の嘶きが、門前に聞こえた。五島と墨鷹が引き回されてきたようだ。

「ゆくぞ隼人」

「は」

 二人は屋敷を出ると馬に跨り、わずかな月明かりの下、里の道を急いだ。

幸村が屋敷を去ってから半刻近くが過ぎてしまっている。孫兵衛は、間に合ってくれと願いながら、馬を走らせた。

「孫兵衛様、村の衆の勘違いということはございませぬか」

「村の衆は十四年も幸村殿の監視をしてきたのじゃ。忍びの心得はなくともそれなりに勘は鋭くなっておる。今は、勘が外れていることを願いたいが、残念ながらそうはいくまいて」

 幸村の一行は、女子供連れながら、かなりの早足で進んでいるようである、なかなか追いつかずさすがの孫兵衛も焦りが募った。

 一行に追いついたのは、村はずれの道であった。怒声と剣戟の音が聞こえてくる。

無事であってくれと思いながら、二人はさらに馬を駆った。

「隼人、聞こえるか」

「は、すぐ後ろを付いて行っております」

「馬では混戦の中、幸村殿達を蹄にかける恐れもある。敵を牽制するように敵の一団の中を駆け抜け様に何人か斬り伏せたら馬を下りて一行の殿につけ。一行を大坂方向へ逃がすようにの」

「は」

 距離が縮まり、幸村一行とそれを取り囲む修験者姿の一団、人数は二十人以上いるようであるが、それらの姿も闇に浮かんで見定められるようになった。

「おおおぉぉぉーっ」

 その時、孫兵衛の口から咆哮が迸った。

一行との距離はまだある。孫兵衛の叫びは襲撃者の注意をこちらへと逸らすための策であった。

案の定修験者の一団は道の向こうから駆けて来る騎馬にも態勢を振り向けざろうえなくなり、幸村達への攻め手が自然薄くなり、おかげで幸村の一行は態勢を整え直したようである。やはり人数こそ拮抗していようとも、女子供を庇ってでは戦うのに不利であったのであろう。

 修験者の固まる辺りに孫兵衛が突っ込んできた。

五島は、その馬体で修験者の一人を弾き飛ばし、馬上の孫兵衛は擦違いざまに別の修験者の首を跳ね飛ばした。続いて突撃してきた隼人も敵の背を擦違いざまに切りつけた。隼人の手に重い衝撃があった。鎖帷子を着込んでいるかと咄嗟に判断した。だがいくら鎖帷子を着込んでいようとも馬の突撃の速度の載った切り込みである。打撃で十分な致命傷となり、隼人の相手も吹き飛ばされるように道端で絶命した。

 一行の後ろから大坂方向へと一度駆け抜けたところで、孫兵衛と隼人は、馬から素早く降りると道幅を使って、お互いが剣を振るうのに邪魔にならないように距離をとりながら幸村一行の許へと駆け寄って行った。

その二人の前に四人の修験者が立ち塞がる。いや、立ち塞がろうとしたその瞬間、孫兵衛の突きが目の前の二人の修験者の鎖帷子で覆われていない喉を的確に射抜いていた。

一方の隼人は、素早く片膝をつくと体勢を低くして修験者の杖を頭上に躱すと、剣を車輪に回し、ひとりの腿を、そしてもう一人の脛から下を一気に斬り飛ばした。そうしておいて、地面にのたうち回る二人の敵の喉に止めの剣を刺すと、その体を飛び越えて幸村一行に駆け寄ってきた。

 修験者たちに動揺が走った。急にあらわれた孫兵衛らによって、たった数呼吸の間に、味方の三分の一が斃されてしまったのである。

「鈴殿、御無事か。さ、このまま進まれよ」

 鈴は懐剣を手に幸村の娘らを庇うように修験者と対峙していた。そこに隼人が割り込むように、体を入れると鈴らを背に庇うようにして敵を牽制した。

 鈴は、隼人の背を見つめながら、先ほどの孫兵衛とともに突撃から今までの一瞬のうちに敵を数人も倒したのを目の当たりにして思った。

これが孫兵衛にからかわれてたり、おどけていた青年かと見紛うとともに、こんな武人が何人もいる伊達勢と、父達は戦場で相まみえるのかという複雑な気持ちになった。

 背から主を降ろした五島と墨鷹も道を駆け戻ってきた。再び襲撃者の一団の態勢が乱れる。その隙をついて先頭を行く幸村達が血路を開き、一行は前へと進んだ。後を行く幸村の家族たちもそれについて行くように大坂方向に歩を進めていく。

 幸村らが一行の先頭に敵を回さぬように注意深く牽制しながら進み、続いて女子供、それを庇うように殿に大助と真田の男たちが何人か続き、さらに一行の前に襲撃者を行かせぬように孫兵衛と隼人が牽制しながら、ゆっくりと大坂方向へと進んでいった。

 膠着した大勢を立て直すように襲撃者達のうち二人が呼吸を合わせると、同時に隼人に斬りかかってきた。

隼人はすばやく動くと、二人の敵の体が自分から見て重なるところに移動した。そうすると敵は一方の体が邪魔になり、同時には攻撃できなくなる。

そうしておいて手前の襲撃者の腕を手首から先を切り落とすと、体当たりを食らわせて、後ろへと飛ばした。続く敵が飛ばされてきた仲間の体を避けるので体勢を崩したところへ、素早く突きを入れた。隼人の剣は、敵の口から後頭部に突き抜けていた。

 一方の孫兵衛は、自ら敵との距離を縮めると一番近い所にいた敵を袈裟に斬り下げた。斬り下げられた剣は、鎖帷子ごと敵の体を切り裂いた。

 すでに襲撃者の半数が失われ、幸村一行の包囲も薄くなり、歩く速度も速まって来た。

その時、幸村の家族の中で子供が一人、路傍の石に躓き転んだ。そこに敵が殺到する。

あわてて鈴や大助が庇うように移動するところに、五島が、その巨体を入れてきた瞬間、嘶きとともに前足を大きく上げると、前足で敵の一人を踏みつぶすように蹴り下げた。

鎖帷子では防ぎようのない一撃である。敵は血の泡を吹くと道端に押しつぶされるように絶命した。

 再び幸村一行は態勢を整えると、じりじりと大坂方向に進んでいく。

 その時、遠くからざわめきとともに松明の揺れる明かりが近付いてきた。里の衆である。

襲撃者達に迷いが生じているのがわかる。

襲撃者達は不意に包囲を解くと、そのまま道を外れてばらばらと闇の中に散っていった。

「孫兵衛殿」

 幸村が声をかけてきた。

「幸村殿、里の衆が来る前に行きなされ」

 幸村達一行は、再び大坂への道を急いで行った。

この様子を窺っていた者がいたが、襲撃者の一団が散っていくのと幸村の一行が進んでいくのを確かめると、その気配さえも孫兵衛に気取られることなく戦いの場を離れ、何処かへと立ち去って行った。

 五島と墨鷹が歩み寄って来た。

二人は、それぞれの馬の轡を取ると里の方向へと歩き出した。途中、嘉兵衛達の一団と行き当たった。

「幸村殿達は無事でごぜえましたか」

 嘉兵衛が聞いた。

「おかげで助かった。さて、真田屋敷へと戻り、後片付けをして、儂らも、明日の朝には辞すといたそう」

 嘉兵衛らとともに、真田屋敷へと徒歩で向かった。

真田屋敷の片付けは、翌朝より里の衆で行うと言うので、孫兵衛達は申し出に甘えることとして、その夜は離れに戻り休んだ。

 翌朝、孫兵衛達は起きるとすぐに離れの掃除を軽く済ませ、それから母屋へと赴き、すでに朝から集まっていた里の衆に声をかけると、もはや主のいなくなった屋敷を辞した。

「柳生殿も剣者とは思えぬやり口であるな」

 里の道を馬で進みながら、孫兵衛が呟いた。

「我らを最上領で襲うたのも同じでございましょうか」

孫兵衛と並んで馬を進めながら隼人が聞き返した。

「おそらくな。修験者を装おうところもそうであるが、何よりも行く先に待ち伏せするやり方も似ておるしの」

 孫兵衛はそう言いながらも、柳生宗矩ほどの男がなぜあのような下衆なやり口を使うのか疑問に思っていた。

その頃、紀州九度山から北東へ十数里離れた大和柳生荘に幸村、孫兵衛らと修験者姿の襲撃者との戦いを見届けた男がいた。昨晩幸村達の姿を見送ってから、翌朝には、ここ柳生の里にいるのであるから夜旅をしたのであろう。

しかし疲れを見せることなく、昨夜の一件を主に復命していた。

「助九郎、して真田信繁殿は無事大坂へ向かわれたか」

「はい宗矩様。真田殿一行が襲われました際、我らが加勢に入ろうかと思うているときに壮年の侍と若い侍が馬で駆けつけまして、これを助けましてございます」

「ほう、いずれの手のものであろう」

「牢人のようでしたが、おそらくは陸奥守様の御家臣かと」

 宗矩はしばらく考え込んでいた。そして

「で、襲った者達は、いずこの者であろう」

「与三が後を追うておりますが、行先は上野介様のところかと」

「本多正純殿か。あの権力欲の痴れ者め」

 本多正純の名を言う宗矩の口調には、正純に対する明らかな軽蔑の様子が見て取れた。

「とにかく、我らも駿府へと急ぐぞ。もっとも駿府に着いたところで、すぐにも戦でこちらに戻って来ることになるがの」

 庭で鵯がけたたましく鳴いていた。


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