第三章 出陣
なぜか、この二日間の分が、アップされていませんでした。
通信環境のせいか、はたまた、僕の腕のせいか。。。
すみません。
二
「あぁ、温泉に入りたいのお」
孫兵衛がぼやいた。それに対して隼人は何も言わない。
「のう隼人、儂が温泉に入りたいと言っても何も言わなくなったのう」
隼人が孫兵衛のぼやきを相手にしないので、さらに絡む様に言った。
「孫兵衛様、ここ数日、温泉、温泉とぼやき続けているではございませぬか。その度に応じていては、こちらの喉が渇きます」
「そうか、喉が渇いたか。もうまもなく目指す所じゃからな、あとしばらくの辛抱じゃ」
隼人は、この主といると、ときおり大きな疲労感に襲われる。今も、自分は温泉に入りたいと繰り返すように言っているのに、それを棚に上げて、人には辛抱と嘯く。
「喉が渇くとは、例えでございます。それより、孫兵衛様も、温泉を辛抱なさったらいかがですか」
「そうは言ってもな隼人、喉の渇きは茶店なり、どこぞで酒なりを所望すれば癒やせるがの、この先に温泉はないじゃろう。しばらく辛抱すれば報われる辛抱と、報われぬ辛抱では、辛抱のし甲斐が違うてくるのじゃ」
下手に言い返せばこれである。屁理屈というか方便というか。
一見、筋が通っているようにも思えるので、余計に隼人の神経を逆撫でする。上手く丸めこまれてしまうというか、つまり、何を言っても言い負かされてしまうのである。
これが、戦場では、その黄色い母衣が敵を脅えさせ、味方の士気を鼓舞する黄後藤と同一人物かと思ってしまう。
隼人が孫兵衛の姿を初めて見たのは、関ヶ原の合戦が行われた年であったから慶長五年のこととなる。
中央での関ヶ原の合戦に衆目が集まっている隙に乗じて、伊達勢は伊達領北方の境を越えて南部領和賀に侵攻した。
侵攻と言っても徳川に対して恭順する南部領への侵攻である。伊達勢が堂々と侵攻するわけにはいかない。そこで政宗は和賀での一揆を巧みに誘発させ、その一揆が伊達領に飛び火しないように国境を封鎖する名目で一軍を差し向けた。
この和賀一揆は、あわよくば南部領を掠め取ってしまおうという意図と家中の若い者達に戦を経験させておこうという政宗の二つの意図があった。
隼人の家は、父の代まで現在の伊達領北上川沿いの寺池城主葛西晴信に仕えていた。その後、葛西氏が滅ぶと伊達家に仕えた。仕えたといっても、伊達家の正式な家士となったわけではない。戦の度に請われて出陣するだけの足軽とさして変わらない身分である。
和賀は父に連れられての初陣であった。
このとき隼人は十一歳と初陣には少々早かったが、国境の丘の上に張った陣を固めるだけで実際に戦いには参加せず、丘下で広げられる伊達勢に後押しされた一揆勢と南部勢の戦いを見物するようなものであった。
隼人の父にしてみれば、これから戦が少なくなる中で、息子に戦場を見せておこうという親心や、兜首とはいかなくとも運よく平首の一つでも拾い恩賞にありつきたいとの思惑があったのだろう。ともかくも、このとき隼人は父に連れられて初めての戦場を安全に経験するはずであった。
戦場に異変が生じたのは合戦が始まって半刻もしないうちだった。
このとき二十歳を過ぎたばかりと若かった白石宗直の軍勢が精強な南部騎馬軍団の前に総崩れとなったのである。今思えば、南部勢が精強であったのではなく、白石宗直がその若さゆえ戦場を見誤ったとも考えられなくもない。
とにかく、安全と思っていた丘の上の陣におよそ三十騎の騎馬武者が駆け上がってくるではないか。隼人の周りでは、我先にと陣を捨てて逃げはじめた。
隼人も父に続いて逃げ出した。その時、何かの拍子で隼人は、振返って敵の騎馬を見てしまった。近づいてくる騎馬武者を見た途端体が凍りついたように固まり動けなくなった。父の姿も見失っていた。
迫ってくる敵の騎馬を見つめながら、自分は殺されるのだなと思ったが、不思議と実感が湧いてはこなかった。
「退けいっ、小童っぱ」
敗走する味方の一群とは別の所から、騎馬が抜け出して駆けて来る。
隼人は、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
「退けいと言うたに、しゃがむ奴があるかぁ」
怒声とともに頭上を馬が跳び越えていった。続いて数騎が、これも見事な手綱捌きで隼人の体を除けていった。
隼人の目に一瞬、黄色い景色が映った。馬に蹴られて死んだのかなと思った。
「おおおぉぉぉーっ」
騎馬が駆け去った先で咆哮が上がり、隼人は我に返って立ち上がると、自分が逃げてきた方向を見た。
先行する一騎とそれに続く七、八騎が黄色い母衣に風を脹らませ南部の騎馬武者達の群に突進していくところであった。
隼人の上を飛び越えていった騎馬武者が槍を構えて、南部の騎馬の先頭の一騎とすれ違うと、南部の騎馬武者の首がぽーんと切り飛ばされた。残酷な光景なのに、なぜか隼人は綺麗だなと思った。
続く七、八騎も敵の馬群に次々と飛び込んでいく。南部の騎馬勢が乱れた。
「それ、黄母衣衆に続けい」
白石宗直の軍が態勢を立て直すと、攻勢に転じ、戦線を押し戻していき、日暮れとともに伊達、南部双方とも引いた。
隼人は、さっきの一団が黄母衣衆と呼ばれているのを、このとき知った。
やがて父が隼人のことを見つけ、無事を喜ぶと陣へと連れ戻された。
しばらくして、先刻の黄母衣衆も帰陣してきた。
「後藤殿、助かりました」
白石宗直が、隼人の上を飛び越えて行った騎馬武者を後藤と呼んで出迎えていた。
「さすが、黄後藤、倍する相手であっても押し込みましたな」
名も知らない武将が黄後藤と褒めあげていた。それで、あの後藤と呼ばれた武将が、噂に聞いたことがある黄後藤かと思った。
「一働きしたら喉が渇いたわい」
隼人は、ふらふらと近づいて行って、思わず自分の竹筒を差し出していた。
孫兵衛をはじめ、そこにいる諸将が隼人の方を無言で見ている。考えてもみれば、雑兵の身分が宿老に自分の粗末な竹筒を差し出しているのである。叱られるだけで済めばよい。斬り捨てられても文句を言えない状況であった。
父が慌てて、その場に駈け寄ってこようとしたが、駈け寄る前に、孫兵衛が隼人の手から竹筒を受け取ると、旨そうに中の水を飲んだ。
飲み終わった孫兵衛が
「お主は、皆が陣を捨てて逃げるのに、なぜ、あのようなところで踏ん張っておった」
と隼人に聞いた。
敵の騎馬を見たら怖くて動けなかったとは言えない。隼人が黙っていると続けて
「お主、在所は、名は何と申す」
これには、多分、答えられたと思う。ただ、声が小さくて孫兵衛が聞き取れたかは自信がなかった。
翌日からの戦いも一進一退の攻防が続いた。
伊達勢が崩れそうになる度に、黄母衣衆が敵を攪乱し、その間に白石宗直の本隊が立て直し、押し戻すという事の繰り返しであった。
数日そんな戦いが続いて、伊達勢は和賀から撤退した。引き分けであったが、和賀を掠め取れなかった以上、実質的には失敗であったのであろう。
こうして隼人の初陣は終わった。
それからひと月あまりして、突如、仙台に赴く途中に寄ったと言う孫兵衛が隼人の家へとやってきた。
隼人を召抱えたいという。父は大変な喜びようであった。
支度金としてかなりの金子が下げ渡されたようである。実際にはどれほどの金子であったかはわからないが、母親の喜びようを見て、きっと多額の金子なんだろうなと思っただけだ。
「隼人、これ隼人」
孫兵衛に肩を揺すられて、隼人は我に返った。
「お主、呆けておってからに。大丈夫か」
孫兵衛が心配そうに隼人の顔を覗き込む。
この方はお優しいと隼人は思った。結局、自分は孫兵衛を心底慕っているんだなと感じた。
「申し訳ございません。少々考え事をしておりました」
「左様か、よいか、この辺りからはいよいよ九度山の領域。監視の目がきつくなると思え」
孫兵衛一行は、最上川を酒田へ下ると、川船から海船に乗り換えさらに日本海を旅した。
若狭で船を降りると、そこから琵琶湖岸の今津へと向かい、今津から再び船を利用し、大津を経て大坂へと出た。大坂からは陸路で紀州高野は九度山へとやってきたのだ。
伊達勢が仙台を発すより半月ばかり早い九月二十日の到着であった。
若狭の小浜に着いてからというもの市中には大坂に向かう牢人と物が溢れており、孫兵衛達もその牢人達に紛れることで大坂には容易く入ることができた。最上川で監視の者達を振り切ってからは、新たに監視の網にかかることもなく、ここまで大事はなかった。
「監視は、どこぞの忍びが行っておるのでしょうか」
隼人は小声で聞いた。
「いや、黒脛巾組の知らせでは近郷の農家の者達が監視をしておるとのことじゃ。相手は忍びの心得のない者達ゆえ黒脛巾組の者は容易に真田屋敷に近づくことができたというがの。ただ油断は禁物じゃ、不審に思われれば、二刻程で紀州浅野長晟殿の手の者が駆けつけてくるじゃろうて」
孫兵衛は辺りの家々の炊煙を目配せしながら語った。
「しかしの真田殿もかなり自由にやっておるとのこと。御自身こそ里の外に出られないものの、供の者たちは里の外に真田紐なる組み紐を生計のために商いに出るなど、押し籠められているわけではないそうじゃ。じゃから、儂らも忍びこもうとすると逆に不審がられるからの、旅の者が通りかかった体なり、真田紐を求めに来たなりの体を装う方が無難じゃな」
どこか長閑な体を装いながらも、慎重に二人は里の道を進んだ。
しばらく行くと道の先から百姓姿の男女七、八人がやってくるのが見えた。
「いかがいたしましょう」
「このまま行くぞ。下手に道を逸れれば、かえって怪しまれる」
道は見通しの良い一本道である。やってくる百姓衆も孫兵衛達の姿に気がついたか、話をやめ緊張する様子がみてとれた。
彼らこそ逃げ隠れする理由はないので、やがてお互いの距離が縮まってゆき、擦れ違うところまできて百姓達は道の片側に寄った。
「ちと訪ねたい」
擦れ違い様に孫兵衛が声をかけた。
「へえ、なんでございますべか」
一番年嵩の男が答えた。
畑仕事の帰りであろうか、手にはそれぞれ鍬や鋤などの道具を手にしている。
「真田屋敷へは、この道でよいのであろうか」
百姓達の間の緊張が大きくなったのがわかる。
「儂らは回国修行中の身でな、この辺りに名高き真田昌幸殿が居られるとのことを聞き及んでいての。近くまで来たものじゃから、立ち寄って軍略などを指南していただこうかと思っての。それと、旅の途上、柄巻きを傷つけてしもうての、ほれ、この通り。真田紐を購っていこうかとも思っておるのじゃ」
孫兵衛が刀の柄を見せながら言った。傷は最上領で修験者を装う一団に襲われた時に、小鉈を避け損ねてつけた傷である。
「真田昌幸様は、お亡くなりになられただ」
百姓が短く答えた。
孫兵衛の言い分と実際に傷ついた刀の柄を見せられて、幾分納得がいったのか、緊張は薄らいだようだ。
「なに、亡くなられたとな。それでは真田屋敷には、もはや誰もおらんのか。真田紐も購えんか」
孫兵衛が残念そうに馬首を返し、元来た道を帰るそぶりを見せると
「いや、子の信繁様がおいでで、真田紐も作っておいでだ」
「この道をこのまま進んで、紀の川の渡しにでるだ。紀の川を渡ったら沢沿いの道を行くと真田屋敷に行きつくだ」
「館は、大きな門があるから、すぐわかる」
「真田紐は丈夫な紐だ。何本かまとめて買っていけば何かのときにもええだ」
いかにも困った様子の孫兵衛を信じたのか、百姓達は口々に教えてくれたうえ、真田紐の売り込みまでしてきた。幸村は、この辺りの百姓に慕われているようである。
「さようか、かたじけない。では購いにまいるとしよう」
再び馬首を真田屋敷の方向に巡らすと、孫兵衛は百姓らに礼を言い進みだした。隼人も軽く会釈をすると続いた。
「気をつけてお行きなせえ」
彼らも幸村の監視を任されている者達であろうが、初めこそ孫兵衛達を訝しむ様子ではあったが、孫兵衛の巧みな物言いに、終いには道中の安全を願うまでの始末であった。
百姓達に見送られて孫兵衛達は真田屋敷に向かって進んだ。
やがて立派な門構えの屋敷へと辿りついた。
屋敷の門を潜ると、庭に造られた小さな畑で、兄弟であろうか、若者と子供が草を抜いていた。
「それがし林崎孫兵衛と申す。真田信繁殿が御在宅であれば、突然の訪ないで失礼と存ずるが、お取次ぎを願いたい」
孫兵衛は腰を上げて出迎えた若者に丁寧な物言いで取次ぎを願った言った。
若者は、孫兵衛達にしばらく待ってもらいたいと言い置いて、屋敷の中へと入って行った。待っている間に隼人は庭の木に二頭の馬を繋いだ。
しばらくして
「父がお会いになるそうです。どうぞお上がり下さい」
先ほどの若者が二人を招いた。幸村を父と呼んで案内するからには、幸村の息子であろう。
「儂らは旅塵でいささか汚れておる。真田殿にお会いする前に、井戸端をお借りして、足を濯ぎたいのだが」
「それでは、しばらくお待ちいただきたい。濯ぎ水をお持ちいたします」
孫兵衛の願いに幸村の子は、式台に座って待つように勧め庭先の方へと出て行った。
そして、先ほどまで庭の畑の草むしりをしていた子供と二人で、濯ぎ桶を抱えて戻ってきた。
子供がたどたどしく運んでくる濯ぎ桶を隼人が迎えるように受取り、一方の幸村の子は孫兵衛の足元へと桶を運び込んだ。
足を濯いだ二人は、幸村の子の案内で屋敷の中へと進んだ。
「父上、御案内してまいりました」
「大助、入っていただけ」
孫兵衛と隼人は、傾いた日差しが部屋の奥まで差し込む、さほど広くもない座敷へと通された。
「それがしが真田左衛門佐幸村でござる」
「突然の訪ない申し訳ござらん。それがし林崎孫兵衛、そしてこれは供の横山隼人でござる」
孫兵衛と幸村がそれぞれ名乗り合った。
「わざわざこのような所まで、蟄居中のそれがしに何用で参られた。林崎殿、御用向きを伺いたい」
男としては働き盛りの時を無碍に過ごす様子を自虐的に言うように、幸村が早くから本題に切り込んできた。
しかし孫兵衛はその方がこちらの用件も話し易くありがたいと思った。
「それでは単刀直入に申し上げる。それがしらは、さるお方から真田信繁殿を召抱えたく御迎えにあがるように命ぜられ罷り越した次第でござる」
「ほう」
幸村は腕組みをして考えた。
そして、やや砕けた調子で
「知っての通り、それがしは関ヶ原の合戦において大坂方に与みいたし、かような身になっておりましての。それを召抱えたいとは、徳川方では、大御所からの許しが出ますまい。すると林崎殿の御家は、大坂方でござろうか」
「いいや」
「では、徳川方か」
「今のところは」
「今のところと」
幸村は、再び考え込んだ。
「ところで林崎殿への返答の猶予はどれほどいただけるのであろう。本日は御泊りの予定でござろうか」
幸村が話題を急に別なものへと持っていった。
「真田殿の御返答をいただけるまで幾日も御待ちしたい所存ではあるが、そう長くは御待ちできない。この冬に行われるであろう大坂の役の前には召抱えたいというのが希望でござる」
「では、御泊まりは」
「これよりどこぞの寺の宿坊を願おうかと考えておるところでござる」
「それなら、当屋敷の離れを御使いいただこう」
「よろしいので」
「えぇ、こちらも林崎殿からの御話を、我が一存で決めるのではなく家人共々相談しながら伺いたいと思うております」
孫兵衛が遠慮するのを幸村が止めて
「大したもてなしができるわけではござらぬが、遠くからわざわざ来ていただいたことでござるし、里の外の話を御聞きしたいとの思惑もござっての」
幸村が屈託なく言うのをみて、孫兵衛は幸村に対して好感を持った。
大助と呼ばれれていた幸村の息子に案内され、真田屋敷の離れに通された孫兵衛らは、そこで旅装を解いた。五島と墨鷹は家人の手で馬小屋に移されるとのことだ。
「今日会ったばかりの我らに随分と親切でございますね」
隼人が真田屋敷での扱いに当惑した。
「うむ、確かにそうじゃが、儂らを捕えたりいわんや危害を加えたりする理由は幸村殿にはないからの。まぁ、それでも向こうには多少の思惑はあってのことじゃろうが、今は親切を素直に受けておくがよいじゃろう」
そうして離れで旅装を解く間に、風呂の用意ができたとの案内を受けた孫兵衛と隼人は遠慮なく風呂を使うと旅塵を流した。
風呂を使い終わると食事の支度がなされていた。
「いやはや、至れり尽くせりじゃな」
さすがの孫兵衛も、この扱いには驚いた様子であった。
食事は座敷ではなく、板張りに囲炉裏がきってある部屋へと案内された。
囲炉裏には鍋がかけられ、温かそうな湯気が蓋の隙間から上がっていた。部屋には幸村と大助、その他に二人の家人が同席していた。
「おかげでさっぱりいたし、旅の疲れも流れもうした」
座に通されると孫兵衛が礼を申し述べた。
「いやいや、それがしを召抱えにと来てくださったのじゃ。十四年の間ただ倒木が朽ちていくような人生を送っておったそれがしにはなんともうれしいかぎりでしてな」
幸村が応じた。幸村は、このとき五十を前にした年頃であろうが、自ら朽木のような人生と言いつつも、弛まず鍛えてある身体は、すでに人生を諦めている者の様子ではないことを孫兵衛に感じさせた。
続いて、同席の家人が高梨内記、穴山小助と名乗った。
「今日は、近在の百姓衆が猪の肉を差し入れてくれましたでの、鍋にいたした。永の流罪の身では、武士の矜持を言うよりもこちらの方が落ち着きますゆえ、座敷よりも囲炉裏の傍で皆で鍋を囲みつつ、この幸村の愚痴を聞いて下され」
このとき、三人の女性が酒や酒器を運び込んできた。一人は幸村の妻女であり、もう一人は幸村の娘、そして一人は同席の穴山小助の娘だと紹介された。
幸村の娘は梅という名で、小助の娘は鈴という名だそうだ。娘二人はいずれも美しくよく似ていた。鈴の方がやや年上のようで、孫兵衛は、最初姉妹かと思った。
「ささ、ひとつまいりましょうぞ」
全員の杯が満たされたのを観て幸村が酒を勧めた。
皆が何口かで最初の杯を空にした。女達が空になった杯を再び満たすと、その後の話の事情に遠慮してか、その場を男衆に任せると、部屋を後にしていった。
場が男だけになった頃合いを見計らい孫兵衛が、こたびの真田屋敷訪問の用件を語り出した。
「それでは改めて真田殿に我らの」
「幸村で結構」
「では、それがしも孫兵衛で、それで幸村殿への御願いの儀でござるが、我が主君、失礼ながら、いまのところ家名は控えさせておいていただきたいのだが、我が主君に仕えていただきたい。本来であれば万石を以て迎えるべくところでござるが、家中の他の家臣との兼ね合いもござれば、まずは五千石で御迎えしたい」
大助の目が輝きを帯びて父の反応をみた。
一国、万石と言われるよりも五千石という知行には真実味がある。持ってもいない領国、与えられないような知行を空手形のように言われるより、むしろ孫兵衛の主君が事実幸村を召抱えたいという考えが誠実に伝わってくる。
「先刻も伺ったが、我らは徳川より流罪の身に処されておりましてな、それでもそれがしを召抱えたいとは、大坂方ではござらんのか」
「今のところは徳川方でござる」
幸村は考え込んだ。
「卒爾ながら林崎殿」
同席の高梨内記が沈思して語らぬ幸村に代わって話をした。
「孫兵衛で結構」
再び孫兵衛が呼称を遠慮するので、高梨は改め
「失礼ながら孫兵衛殿、御館様をお招き下さるのに、主家の名を明かさぬというのは、礼を失するのではござらんか」
「これ内記」
幸村は高梨がこれ以上話さぬよう制しておきつつも、彼の問いには幸村自身で答えた。
「流罪に処せられている我らに孫兵衛殿は、気を使こうてくれておるのじゃ。儂らが去就を決めかねている今、儂らに接触を持ったことが露見すれば孫兵衛殿の主家の立場も危ぶまれるが、それ以上に儂らが殺される危険が高まる。孫兵衛殿は、そこのところ気を使こうてくれておるのじゃ。それにな、今の日本で徳川を相手に、今のところ味方、つまりいつかは天下をと思うておる諸侯は限られておる。答えはそれで十分ではないか」
「孫兵衛殿、失礼いたした」
幸村に言われて、高梨が孫兵衛に詫びた。
「高梨殿、詫びの必要はござらん。確かに主家の名を明かさぬとは、礼を欠く非はこちらにある」
高梨の立場を庇いながら、幸村の洞察力と配慮に孫兵衛は、ますます幸村という男が気に入った。
「実は孫兵衛殿、五日程前に大坂より誘いを受けましてな」
幸村は突然、大事を語り出したので、これには大助があわてて
「父上」
と言いかけたが、幸村はそれに構わず話を続けた。
「大坂方では、信濃の国五十万石を与えるとのことで招いてくれました」
「空手形でござるな。それで幸村殿は応じるので」
「正直申し上げると、御受けしようと考えておるのでござる。あ、もちろん信濃の国という恩賞につられたわけではござらん。今の豊臣家に日本の国をどうこうする権限はござらぬからな、空手形であることは重々承知の上でのことでござる」
「では、なぜ応じられる。幸村殿程の方がなぜ世の流れを見誤らんとするのでござるか」
酒と猪鍋で体が温まったせいもあろうが、孫兵衛は幸村が気に入ったし、その男がみすみす死地に赴くのを惜しみ自然と声高になった。他の者は二人の会話に入り込む余地はなく、二人の会話を注意して聞くのみであった。
「意地でござろうか。それより孫兵衛殿、今宵は幸村の愚痴を聞いて頂こうと御誘いいたしましたのでな、少々逸れた話に御付き合い願いたい」
「意地のう」
幸村が言った言葉を孫兵衛は口の中で繰り返したが、声は小さく孫兵衛一人で噛みしめたものだった。
幸村に話を逸らされて孫兵衛は熱くなっていた自分に気付き、冷静さも取り戻していた。
幸村は手元の杯の酒を一口飲み、喉を潤すと
「孫兵衛殿が大坂方の軍師でしたら、いかにして戦いまするか」
「ほお、軍略談義でござるか。そおですの、おい隼人、お前なら大坂方としてどう戦う」
「ふぁい」
隼人は急に話の矛先を向けられ、猪鍋の椀を食いかけたまま返事をし、滑稽な声を出してしまった。
「ふぁいじゃない。どのように戦う」
孫兵衛は隼人をひじる様子に、いつもの調子を取り戻していた。
隼人は椀を置き、口の中のものを飲み下すと姿勢を正して答えた。
「それがしであれば、籠城策を献策いたします」
「して、どうする」
畳みかけるように孫兵衛が聞いた。
「籠城は、外からの援軍が期待できなければいずれは自滅するだけじゃぞ。それは皮肉なことに、太閤秀吉が備中高松城の水攻めや小田原の北条攻めで証明してくれたわい。兵站を整えられての長陣を決めこまれては、外からの兵がない籠城は滅びへの道をゆっくりと進むしかなくなる」
「その間に」
隼人に代わり大助が口を開いた。
この聡明そうな若者は、父の影響か軍略談義などが好きそうなのだなと孫兵衛はみた。
「その間に何をなすかな」
孫兵衛が大助の方へと顔を向けた。大助は、言葉を挟んでしまってから、口を出していいものか迷い、幸村の方を仰いだ。
「大助なら何をいたす」
幸村も聞いた。大助は父からの許しを得て改めて孫兵衛の方を向くと
「その間に豊臣恩顧の諸侯へと宛てて、大坂に味方するように使者を送ります。そうですね、福島殿、加藤殿、前田殿、島津殿、蜂須賀殿、浅野殿、蒲生殿、鍋島殿、伊達殿といったところでございましょうか」
大助は得意になって諸侯の名を挙げた。
「いずれも援軍は寄越しませんぞ」
孫兵衛が言い放った。
「どうしてでございます。これらの方々すべてが、誰ひとりとして大坂に味方しないと言いますので」
大助の言葉には、自分の考えを否定されたということよりも、世の中に義侠心のあるところを信じる純粋で素直な若者の感情が込められていた。
「大助殿のお気持ちはよく分かりますがな。まず、前田、伊達、島津、鍋島といったところは、もとより独立した一家であったのが豊臣の傘下に降ったものでござる。戦に敗れ、あるいは世の流れに従いて豊臣の傘下に自ら入ったものの、そもそもは対等な一家としての気概がござる。加藤、蜂須賀、浅野、蒲生のように特別に太閤の恩顧を受けて今の地位にある家も、すでに代替わりしており、恩を受けた者も与えた者もすでにこの世に亡く、当代は豊臣への旧恩より徳川への新恩が大事と考えておる。残ったのは福島正則公だけじゃが、福島公も御自身の勝手で家臣やその家族を路頭に迷わすような道を選べぬ立場となっておる。己ひとりの意地で家臣や家族をも死地の運命に巻き込むのは当主の我儘じゃ」
最後は大助にというより幸村に対して大坂方への参陣を思いとどまるよう言外に言ったつもりだが、幸村からの反応はなかった。
「では、どのように戦うのが上策なのでございましょう」
穴山小助が聞いた。
「まず、籠城の前に一万から二万の軍勢を将軍秀忠の進路に配置する。少なくてもいかんし多くてもいかん。場所は、どこが良いかの、儂は大坂近辺の地の利に疎いからの」
「美濃のあたりがよろしかろう」
孫兵衛が悩むのところを幸村が言葉を継いだ。
「徳川方は二十万から三十万の軍勢になりましょうぞ。そんなところにたかが二万の軍勢を配してどうなされます」
大助が納得いかない様子で聞いた。
「何もしない」
「何もせんのじゃ」
幸村と孫兵衛が同時に答えた。
二人は話の続きをどちらがするか目線で譲り合った後、続けたのは幸村であった。
「将軍秀忠は、先の関ヶ原の合戦の折、信州上田城攻略に手間取り、肝心の合戦に遅参いたすという失態をしでかし大御所の不興を買っておる。そこでこたびは、そのようなことがないように死に物狂いで先を急ごう。そこへ二万の軍勢がなんの工夫もなく美濃の平野にあっても、きっと何か策があるのだろうと慎重になってしまう。踏み潰して通るにせよ、迂回するにせよ軍議には二、三日はかかるかもしれん。その間に斥候を十分に伏しておき、いざ徳川方が動くとなれば、出鼻をくじくように小当たりしたら、すかさず京に取って返し、瀬田の唐橋を焼き落としてここでも一支えする。さらに二条城を焼き払い、その後は堂々と大坂城へと帰還いたす。それから籠城と相成るわけじゃ」
と幸村。
「大坂方は、最初から城に籠るのではなく、小戦で構わんから、とにかく初戦において勝ち戦を得ておきたいところじゃ。まず世間には徳川が意外に手こずっているように見せてから、あの難攻不落の大坂城に籠る。一年やそこらは十分に支えられるじゃろう。そうしている間に西国大名からは大坂に味方する者も現れるであろうし、包囲している諸候からも厭戦気分が高まる。下手をすれば寝返る者もでて、関ヶ原の時とは、東軍西軍の立場が逆になるかもしれんの」
幸村の言葉を孫兵衛が継いだ。父の軍略に大助は満足そうである。
そこへ
「しかしの、大坂方はこの策を用いることができないのじゃ」
水を差すように孫兵衛が言ったものであるから
「なぜにですか、今、徳川方である孫兵衛殿に披露したからでございましょうか」
と大助が食ってかかった。
「違う違う、地の利は大坂方にあるのでな、徳川方が知っておったところでこの策を防ぐ手立てはないのじゃ」
「それではなぜ」
「大助殿にはちと不快な思いをされるかもしれんがの」
と前置きをして孫兵衛は語りだした。
「幸村殿が無名であるから、この策は使えないのじゃ」
「なぜにでございます。先ほど孫兵衛殿は、徳川方には防ぐ手立てが無いとおっしゃったではございませぬか。そのような上策がなぜ無名ゆえに使えないのでございましょう」
「父を無名と言われれば、腹立たしくもあろう。しかし、儂はかように思ってはおらぬが、世の中はそのようには見ないものじゃ。関ヶ原の折りの上田城での奮戦では、幸村殿は親掛りでの戦であったからの。あの戦での評価は昌幸殿のものであって幸村殿のものではない。昌幸殿はその戦功抜群であるが、幸村殿のお力は不明なものとの感が世間の見方じゃ。それに二万もの軍勢を預けてしまおうか。ましてや幸村殿の兄、信之殿は徳川方で参陣してくる。そのまま二万の兵を持って裏切るのではないかと勘繰られかねない」
「で、では父は献策のみで、一軍を率いるのは別の信頼ある御方がすれば良いではございませんか」
「それも難しいな。これも幸村殿が信之殿を通じて徳川方と図り、二万の軍勢をどこぞに誘き出して罠にかけようとしておると思われるのが落ちじゃな」
「それでは」
大助はそう言いだしたが、孫兵衛の指摘が正鵠を射るもので、そしてあまりにも残酷な現実に言葉を続けられなかった。
「それでは、どのような場合であれば、この策は用いれますので」
大助に代り隼人が聞いた。
「まず、秀頼殿が戦の指揮の総てを幸村殿に預けるとでも言いださない限り無理じゃ。しかし、秀頼殿の周りは淀君をはじめ、権威主義の者が固めておる。それが、前日まで落魄の身にあった者に指揮を預けるように言いだすはずがない。じゃから、この軍略は昌幸殿や」
「あるいは、仙台の伊達殿ですかな」
幸村が不意に政宗の名をあげた。
「たしかに、昌幸殿や陸奥守殿の献策であれば、この策に絶賛こそすれ異議を申し出る者はいないじゃろうな。しかも自らが一軍を率いて戦うと言い出せば、大坂方の士気は否応なしに上がろうし、昌幸殿や陸奥守殿程の戦上手が二万の軍勢を何の策も無く美濃の平原に配しておくはずもなかろうと思われ、より効きめが期待できるしの。しかしすでに鬼籍に入った人間や徳川方の人間の名を挙げても詮無いことじゃ」
孫兵衛は政宗が自分の主君と悟られぬよう、あえて他人行儀な呼び方をして語った。
「さらに大坂方は、こたびも関ヶ原のように裏切りが起きないか疑心暗鬼になっておる。そこで、それぞれがお互いの目の届くところに置いておきたいと、自然と軍議は籠城へと傾いていくのじゃ」
孫兵衛が軍略談義に止めを刺した。
「それなのになぜ、父上は大坂方へ参ります。孫兵衛殿の御主君の方がよっぽど父上を重く用いてくれましょうに」
孫兵衛の話を項垂れて聞いていた大助が今度は父へ向かって激しく問いかけた。
「結局、話が戻ってきてしまいましたな」
幸村が笑いながら言った。孫兵衛は幸村の杯に酒を注ぎながら
「それがしもぜひお聞きしたい」
と促した。幸村は一瞬考えるようにして
「強いて言えば意地でござろうか。真田は徳川に負けたことはないのでございますからな」
確かにそうだ。信州上田城では将軍秀忠の軍を相手によく持ちこたえた。しかし家康は関ヶ原において、秀忠の軍勢を待たずして勝ちを収めてしまった。
幸村にしてみれば己れの戦には勝ったが大局では負けてしまったのだ。
「それと孫兵衛殿と話をしていて思うたのですが、孫兵衛殿の御主君には孫兵衛殿をはじめとして、優秀な家臣の方々が揃っているようにお見受けする。それがしが加わったところで、さしてもの働きもできますまい。それよりも今一度、天下の徳川を相手に大戦をやってやりたいという思うておるのでござるよ」
孫兵衛の脳裏に数多の同胞の顔が次々と浮かんだ。確かに幸村の働き所は少ないだろう。
それでも大坂方に付かせて殺すのには惜しい男であると思った。
「大坂方へつくという御心は固いのでござろうか」
孫兵衛が改めて聞いた。
幸村がゆったりとした動作で酒を一口飲むと
「固いでござる」
と答えた。
「是非もなし」
孫兵衛は笑みを浮かべながら応じた。
「それがしらが大坂に付くとなれば、孫兵衛殿らの御用も済んでしまいましたな。明日より孫兵衛殿は、すぐにでも立ち去りまするか」
高梨が聞いた。
「いや、幸村殿の御許しが頂ければ、畑仕事などを手伝いながらでも、しばらく逗留させていただこうかと思うておる。まあ、この九度山から幸村殿を見送ってから我が主君に幸村殿調略の失敗でも復命しようかと考えておる」
孫兵衛は失敗に照れるように頭を掻きながら、おどける調子で言った。
「重ねて、御配慮忝い」
幸村が頭を下げた。
「ささ、今宵は剣術や軍略を肴にまいりましょうぞ」
頭をあげた幸村が奥を呼んで大いに語らいながらの酒宴が一刻ばかり続いた。
酒宴を終え、離れに戻り寝支度をしていると隼人が
「孫兵衛様、真田殿の件、不調に終われば早々に奥羽には帰りませんので」
ときいた。
「いや、いま急いで帰れば幸村殿に余計な心配をさせる。儂らが早々に帰れば浅野殿に知らせるとも考え追手を差し向けなければならなくなる。儂は幸村殿ともその家臣とも斬り合いとうないからの。しばらく逗留し幸村殿達より後にここを辞去いたす」
それで逗留を決めた時に幸村は孫兵衛に礼を言ったのかと隼人は納得がいった。