第三章 出陣
第三章 出陣
一
ついに家康が望んだ大坂との戦が現実のものとなった。
まず、慶長十九年十月一日、京都所司代、板倉勝重より大坂の騒擾が駿府の家康の許に伝えられた。
家康は、直ちに全国の諸侯に対して大坂への出陣を命ずる。ただし、福島正則は、この出陣から外さると、名目上は留守居という江戸での軟禁状態となった。
この陣触れが仙台の政宗の許に届いたのは十月七日。大坂との戦の用意は、すでに後藤信康が、その死を偽ったあの日から進めてきている。さらに黒脛巾組が駿府、大坂に入り込み双方の動きを監視しているので、陣触れの使者が到着するときには、あとは出陣を待つだけの状態となっていた。
伊達軍精鋭一万六千は、仙台城下追い廻しの馬場に集結し、今まさに出陣の時を迎えていた。
「出立ぁーっつ」
伊達成実が全軍に対して出発の下知を下した。
仙台城下に法螺貝が鳴り響き、一万余の軍勢が地を響かせながらの行軍の様子は圧巻である。軍勢は追い廻しの馬場を出ると、大橋を目指して片倉小十郎仙台屋敷の脇を通っていく。
今、この屋敷に主はいない。重綱は軍勢に先行してすでに白石城へと赴き、景綱は病を得てからというもの白石城の隠居部屋から出ること叶わなかった。
軍勢は、大橋を渡ると大町を直進、南町から柳町、そして北目町、田町、荒町、穀町、川原町と仙台城下の町衆が見送るなか整然と進むと、長町通りから奥州街道へと入り、一路大坂を目指した。
川原町を過ぎ、五間茶屋の手前、地蔵堂のあたりで成実が政宗の馬に馬首を並べた。
成実は政宗より一つ歳下の従弟である。幼い時から政宗と共に虎哉和尚に学び、そして共に戦場を駆けてきた伊達家随一の闘将である。
伊達者の名に相応しい煌びやかな鎧。そして兜には後に退くことのないといわれる百足の前立飾りが、この闘将の性格を表している。
「成実、大儀であった」
政宗がこれまでの戦支度の労をねぎらう言葉を投げかけた。
「はっ」
成実は短く答えたのみであった。
「十日は、白石城に入り泊まりであるな」
政宗が確かめるように聞いた。白石城に一泊し、病に伏せる小十郎を政宗が見舞うことは、当初からの予定であった。
「そのことでございますが」
成実が言いかけた。
「なんじゃ」
政宗が聞き返す。
「小十郎の見舞い、それがしだけでも同行叶いませぬでございましょうか」
今回の大坂参陣の諸将は、白石泊まりを知るや、景綱見舞いの同行を政宗に願い出たが、悉く斥けられ政宗単身で見舞うとの取り決めとなった。
このことは成実も津田景康らから聞いていたが、自分は主君の親戚筋、まして伊達三傑として景綱とともに幼きときより兄弟のように過ごしつつ政宗を支えてきた身である。特別に許されるのではないかとの思いから、成実は願い出たのだ。
「ならぬ。小十郎の心中を察してやれ」
政宗は厳しく斥けた。
成実は政宗の考えも解らなくはなかった。小十郎の病は中風である。聞くところによれば、半身が不随であり、起き上がることも儘ならないばかりか、言葉もうまく発せないとのことだ。そんな姿を余人には見せたくはないであろうという、その思いは、自分が同じ病を得たときを考えれば、十分にわかる。
しかし、というやりきれない思いが成実の心にあふれた。
政宗が軍勢を率いて奥州街道を進みつつあるころ、仙台からの早馬が白石城へと到着した。白石城は、伊達領南の玄関口の要衝である。
政宗が仙台を発った知らせは、重綱へと伝えられ、すぐに隠居所の景綱へも知らされた。
景綱は、ここのところ、まどろみの中にあることが多くなり、自身もそう遠くない時期に寿命が尽きることを感じていた。
仙台からの知らせを聞いた景綱の双眸は、一瞬の輝きを見せるが、それも束の間、すぐに消えると、また夢の中へと落ちて行った。
あれは天正九年、相馬領への侵攻の戦、主君政宗十五歳の初陣の風景であろう。
あれは人取橋の戦い。あの時は主君の命運もこれまでかと思った。
蘆名氏を滅ぼした摺上原の合戦、そして異国での厳しい戦い。
景綱の脳裏に主君政宗と駆けた戦場の風景が思い起こされた。夢の中では、自由に体が動き、縦横に戦場を駆けることができ、景綱は心地よかった。
やがて十月十日を迎えた。
伊達軍が白石城下に入り、政宗が白石城の景綱の許に重綱の案内でやってきたのは、冬の日が障子越しにも明るい未の刻から申の刻にかけてである。
「小十郎、無理をするな。横になっておれ」
政宗が隠居部屋に入ってくるのを、景綱は夜具の上に起き上がり、衣服を整えて待っていた。
「いえ、殿がお越しになるのに、出迎えもせず申し訳ございません」
夜具の上で景綱が平伏した。
「まずはお脈をとらせていただきます」
仙台から同行させてきた医師が、先に景綱の診察をした。
脈を計り、また夜具の傍に置かれた、薬湯の入った急須の蓋を上げて匂いを嗅いだりした。
「診立てはどうじゃ」
政宗が診察を終えた医師に聞いた。
「はい、中風は、今日、明日に完治する病ではございません。しかし、備中守様の御身体は、極めて頑強、この度、殿がお取り寄せになりました蘇鉄の実を用いますれば、必ずや完治するものと思われます。まずは、お気持ちを強く、ご療養されますことかと存じます」
「そうか、大儀であった。あとは下がって、白石城の医師と薬の処方などを相談いたせ」
医師は平伏すると、重綱とともにその場から出ていった。
医師の完治するとの言葉が気休めであることは、政宗の目にも明らかであった。しかし身体とは別に、景綱の双眸にはまだ力があるのを見て政宗はうれしい思いがした。
部屋には政宗と景綱の二人きりである。
「さて、小十郎、こたびの戦はいかが相成る」
政宗はこれまで重大な局面で常にこの軍師の考えを重く用いてきた。
「こたびの大坂の役は、二度の戦いとなりましょう」
景綱が静かに話をはじめた。
体の半分が思うに任せられないため、言語が不明瞭であるが、幼き時より片時も離れることなく過ごしてきた政宗には聞き取るのに苦とはならなかった。
「駿府の大御所のことゆえ」
景綱が続けた。
「まず、この冬の初戦は、すぐ和睦に向けて動きましょう。そうしておいて、大坂方を安心させる一方で、その裏では言葉巧みに罠を張り、次の春あたりで一気に決着をつけるかと思われます」
景綱が進言した。
「して、我らはどのようにいたせば良い」
政宗が聞いた。
「しからば、この冬の戦は、無理をして兵を損ずることなきようになさりませ。再戦は、来春のことゆえ、それまで兵を温存し、極めの決戦で、ご存分に伊達勢の力を天下に知らしめればようございます」
病に伏せていても景綱の明晰な頭脳は、いささかも衰えを見せていなかった。
「わかった。他には」
「上総守様の事でございます」
「婿殿のことか」
上総守とは、松平忠輝のことである。家康の六男で政宗の長女五六八姫の婿である。
「上総守様は、勇猛にして聡明なお方。しかし、なにぶん若くもあり、血気に逸りがちなところがございます。大坂に集うのは死に物狂いの牢人達、徒に突っ込めば、手痛いめを被ります。常に伊達勢の後に置き、ここぞの時まで決して前に出さぬようにお気をつけくだされ」
景綱が的確に答えた。なおも続けて
「こたびの参陣の諸侯のうち、乱世を知るのは、殿と伊賀の藤堂高虎殿だけとなります。それ以外の諸侯は、代替りをしておりますれば、ある者は戦場の動きを見誤り、またある者は功名を焦るなどして痛手を被るかと思われます。したがって、殿に限っておさおさ間違いはないと思ってはおりまするが、これらの若輩者の混乱に巻き込まれませぬよう、常に距離をとっての戦を心がけることがよろしかろうと存じます」
ここまで話をして、景綱は咳込んだ。政宗が景綱の体を支え、夜具に横たえると、政宗自らが布団を掛けた。
「殿、申し訳ございませぬ」
横になって景綱が言った。
「なに、案ずるな。それよりも早う恢復し、来春の大坂には参陣いたせ」
政宗が景綱を見つめた。
「藤次郎様」
景綱の呼びかけが、二人が少年であった時の、それとなっていた。
「なんじゃ、小十郎」
政宗も応じた。
「小十郎は、もはや藤次郎様と戦場を駆けること叶いませぬ」
景綱の言葉には力がなかった。
「小十郎、何を弱気なことを申しておるか」
政宗の隻眼から涙があふれた。
「藤次郎様、この体は天からの借り物の瀬戸の器のようなもの。丁寧に扱えば長持ちいたしますが、乱暴に扱えば欠けまする。小十郎は、藤次郎様の守役となった日より、この器をぞんざいに扱こうてまいりました」
「小十郎は、この藤次郎のためにこのような体になったと申すか」
「はい。それが小十郎の喜びでございましたゆえ」
政宗は、涙で景綱の顔も見えなくなっていた。しばらく無言の時が流れた。
「殿、御願いの儀がございます」
景綱が不意に言葉を発した。
「なんじゃ、申してみよ」
「倅、小十郎重綱に先陣の誉れをお与え願いとうございます」
このとき政宗は、病に伏せても、心の中には武人としての炎が消えることなく燃え続ける景綱の思いを見た。
「しかと聞き届けた。小十郎、これまで大儀であった」
「ありがたき幸せにございます」
それっきり主従は、また涙を流し続けた。
政宗は小十郎のためにだけに単身で見舞ったのではなく、子どもの様に泣く自分の姿を小十郎以外の家臣に見せたくはなかったのであろう。
明けて十月十一日早朝より、伊達軍は朝靄のなか白石城を出発しつつあった。
白石で伊達軍は片倉勢を中心とした領内南部から集結した二千の軍兵を吸収し、総数一万八千の大軍勢となった。
景綱は、両脇を介添えの者に支えられながらも、白石城大手二之門まで、軍団の見送りに出てきた。
「無理をするな小十郎」
成実が馬上より声をかける。
「いやいや、無理なんぞしておらん。昨日、殿が見舞いに寄越してくれた薬が、思いのほかよく効いての、今朝は調子が良いのじゃ。各々方にはせっかく白石に立ち寄ってもろうたのに、何もできんて申し訳なかった」
誰の目にも無理をしていることが明らかであった。わざわざ無理をしてまで見送りに出たのは、小十郎の見舞いの件で政宗と家臣の間にわだかまりが生じたことを察知したからであろう。
この期に及んでも、この男らしいと成実は思った。
「小十郎殿、帰ってきたら我らの手柄話を肴に飲みましょうぞ」
「おぉ、そうじゃ、備中守殿、たんと酒を用意してお待ち願いたい」
津田景康、そして白石で合流した柴田宗義が声をかける。
「しっかりと休んで、力を蓄えておけ。まだお主の働きどころは続くぞ」
と鬼庭綱元。
「そろそろ、皆様方も景綱殿を見習って隠居されたらどうです。こたびの戦は、見物しておってくだされ」
「そうじゃ、いつまでも雛侍扱いでは、息が詰まりまする」
留守宗利と白石宗直が憎まれ口を叩く。
「儂から言わせれば、殿も成実様も綱元殿も、そして小十郎殿も雛侍じゃ」
山岡志摩が若者たちの憎まれ口に応じると一同から笑いがこぼれた。
亘理重宗の子、亘理定宗と馬を並べて片倉重綱がやってきた。
「父上、行ってまいりまする」
親子が短く視線を交わした。
「重綱、殿の御身大事にじゃぞ」
「備中守殿、重綱殿は、親譲りの叡智と洞察力を備えておりますれば、心配召さるな」
亘理定宗が答えた。
政宗が馬廻衆を従えて姿を現した。
「殿、小十郎は白石にて御武運をお祈り申し上げております」
小十郎が、馬上の政宗を見上げた。
「行ってまいる」
政宗が小十郎に向かって頷くように言った。
「殿、天下を一飲みになさいませ」
「うむ。天下を取った暁には、小十郎には療養のため、どこか暖かい地へと所領替えしてつかわす」
「は、しかと拝領仕ります」
景綱は頭を下げ、そして頭をあげると
「武運長久ぅー、えい、えい」
勝鬨の合図をあげた。
「おー」
それに出陣する将兵が応じる。
勝鬨は、景綱と政宗の辺りから、野火が拡がるように全軍へと伝染していった。
「えい、えい」
「おー」
それを合図とするように軍勢が動き出す。
景綱は、政宗の後姿をいつまでも見送っていた。政宗は一度振り返ると、景綱へ向かって右手を高々とあげた。
そしてこれが、景綱が主君を、政宗は股肱の臣の姿を見る最後となるのである。