第二章 関山越え
三
翌朝、孫兵衛たちは、日の出とともに出発した。
依然として、北を目指して道を進んでいく。
監視の目は依然としてあるものの、昨日までのような濃密な気配はない。むしろ、なんとか孫兵衛達についてきているようだ。
「孫兵衛様、取り巻きがだいぶ薄くなりましたな」
隼人が周りの気配を探った。
「そうじゃのう、儂らが羽州街道を選ばなかったでの、向うに張っていた者を呼び戻したり、その連絡で人数も少のうなり大変なのであろう。しかも昨晩は鬼王丸殿にも幾人かついて行った様子、大方、その者たちの帰りも遅く、さらに混乱しておるのじゃろう」
孫兵衛は五島の背に揺られながら、辺りの景色を眺めた。
「鬼王丸殿は御無事でしょうか」
隼人が鬼王丸を心配した。
「無事じゃよ。むしろついて行った者たちの方が心配じゃ。今頃は深山幽谷で迷うておろう」
道は徐々に緩やかになり、道に沿って流れる銅山川の川幅も広くなってきた。
「うむ、しびれを切らしたか」
「そのようですな」
孫兵衛が唸り、隼人も応じた。
修験者が三人、道を塞ぐように立っていた。
孫兵衛は、彼らまで数間のところまで進んでから馬を降りると、孫兵衛に倣って馬を降りた隼人に手綱を渡した。
「出羽三山の修験者殿が、それがしらに何か御用でもおありかな」
修験者たちからの答えはない。その代りに三人は、それぞれ道幅一杯に、間隔をおいて広がると、手に持った杖を構えた。
「それが答えか」
孫兵衛も昨夜鬼王丸から受け取ったばかりの月山の柄に手をかけ、鯉口を切った。
「隼人、馬を守りながら、後ろの者を退けよ」
一行の後は、いつの間にか同じく修験者姿の二人の者に道を塞がれていた。
「かしこまりました」
隼人が二頭の馬を路傍に寄せると、背で庇うようにして刀を抜いた。
孫兵衛に対峙する修験者の一人が間合いを詰めてきた。孫兵衛の刀は、依然として鞘の内である。
修験者はさらに間合いを詰めると、素早く杖を突きだしてきた。孫兵衛が杖の先をかわすと、素早く踏み込んで、刀を抜き様に斬り上げた。
修験者は腰から上を斜めに斬られると、道に杖を突き、なんとか持ちこたえようとするが、やがて力尽きて倒れていった。
孫兵衛と修験者の切り結びが合図のように、一行の後方でも戦いが始まった。こちらは隼人が二人を同時に相手しているのと、馬を庇いながらの戦いのために防戦一方となっていた。
すると五島が嘶くや、馬尻を敵に向けると後ろ足を蹴り上げた。突然の出来事である、隼人に対峙していた修験者の一人は、不意を衝かれ躱す間もなく胸のあたりへ五島の蹴りを受けると、数間先へと血を吐きながら吹き飛ばされていった。
その間、もう一人の敵を、その怯んだ様子に乗じて隼人が切り捨てた。
森の中から、短く鳥の鳴き声に似た合図が響くと、残った二人の修験者は小鉈のようなものを投げつけ、孫兵衛が一つを刀の峰で弾き、もう一つを柄で受けとめる隙に森の中へと姿を消していった。
「あやつら、柄巻きに傷がついてしもうた」
小鉈を同時に投げつけられ、その内の一つを躱しきれずに柄で受けたために、孫兵衛は月山の柄に傷をつけてしまった。
「様子見といったところでしょうか」
隼人が二頭の馬の手綱を引いて孫兵衛の傍らへとやってきた。
「まあ、そんなところじゃろう。それより隼人、お主、馬に庇われてどうする」
孫兵衛の物言いは、柄に傷をつけてしまったことでの八つ当たりである。
「五島、お前のおかげで、とんだとばっちりだぞ」
隼人が五島に向って囁いた。五島は、短く鼻を鳴らすと、主人を背に乗せ歩きはじめた。
襲撃失敗の後も監視の者たちは、孫兵衛達の周囲から離れようとはしなかった。むしろ巧妙に取り囲んできた。
「先ほど儂らを襲うたのは時間稼ぎであったようじゃの。大方、羽州街道へ放っていた者が追い付くまでの足止めのつもりといったところか」
一行をとりまく監視と殺気は、時に膨らみ、時に濃密になり、しかし、襲い来ることはなく緊張を強いるのみであった。一行の気力を削ぐ作戦なのであろう。
多くの戦場を駆けてきた五島は、この殺気の渦に吞まれることはないが、若駒の墨鷹は、だいぶ疲労してきたようである。
「いつまで続ける気でしょうか」
隼人が墨鷹を気遣った。
「もう間もなく、それも終わりじゃ」
目の前に見えてきた川を孫兵衛指した。
道は清水という所で最上川に行き当たる。川には荷船が停まっており、助船頭たちが出船の準備をしていた。
孫兵衛達が川辺に近づくと、石に腰掛けて煙草をふかしながら船の準備を確かめていた老船頭が声をかけてきた。
「保春院様からのお使いの方かの」
老船頭は、立ち上がると煙管の火玉を川辺に投げ捨てた。
「いかにも。こたびは、よろしくお願いいたす」
孫兵衛は馬から降りざまに言った。
「すぐに出船さんなね。馬から降りて荷物だけたがぐて乗ってけろ」
孫兵衛と隼人は案内されて、船上の人となった。続いて二頭の馬も渡し板を踏んで船上に上がってきた。
「だすぞぉ」
老船頭が声をかけると、船首に二人、艫に二人の助船頭が一斉に竹竿を突き出し、船を流れへと乗せた。
最上川は出羽の国の南端、米沢、吾妻山に流れを発し、奥羽山脈に沿って北へと流れる。孫兵衛達が船に乗り込んだ清水の辺りでその流れを西へと向けると、湊町酒田で日本海へと注ぎ込む。流れは急峻で富士川、球磨川と並び称される急流の一つである。
姿こそみせないものの、孫兵衛達をこれまで追跡してきた者たちが、船が遠ざかるのを為すすべなく見送っていることであろう。
「さて、これからは船が先へと運んでくれる。しかしのお」
孫兵衛が呟いた。
「しかし、なんでございますか」
孫兵衛の呟きを隼人は聞き洩らさなかった。
「船の旅では温泉がないのお」
「孫兵衛様」
隼人の叫びが谷間に響いた。