第二章 関山越え
第二章 関山越え
一
翌朝、孫兵衛らは夜明け前に夜具を畳むと、昨夜の残りの芋煮を囲炉裏にかけて温めなおした。芋煮が熱くなったのを見計らい、それをやはり昨夜の残りの冷や飯にかけ、掻き込むように食った。
二人は腹ごしらえを済ますと、まだ夜が明けきらない街道へと出ていった。
「ここからの道は険しくなるでな。まずは、この先、関山峠を越えて東根まで参るぞ」
孫兵衛は隼人とそして馬たちを鼓舞するよう馬首を軽く叩いた。
作並街道途上の最大の難所が関山峠である。
作並宿から大峠までおよそ三里、峠を越えてさらに三里ほどで最上領側の最初の宿場、関山村である。
二人は大峠の手前、坂下と呼ばれるところを過ぎて、街道脇にある観音堂の前へとさしかかった。
「どなたか待ち人がおられるようですな」
隼人が刀の鍔に指をかけた。
「早まるな。かの御仁は殺気を放ってはおらん。話がしたいのじゃろう」
孫兵衛が制した。
待ち人は路傍に腰をかけていたが、孫兵衛らが峠を登ってくると、道に立ちふさがるように歩み出た。
「本日も良いお天気にて、峠越えには幸いでございますの」
孫兵衛が待ち人に長閑に声をかけながら馬から降りた。続いて隼人も馬から降りた。
「確かに峠越えにはもってこいの天気ですな。しかし、馬での峠越えにまさか関山を通るとは考えませんでな。あやうく見失うところでござった」
待ち人も長閑に応じた。
「それがしらを追っておられましたか。人違いではござらんか。それがしは、林崎孫兵衛。旅の武芸者でござる。これに控えるは横山隼人。同じく回国修行中の身でござる」
孫兵衛が待ち人に名乗った。
「おぉ、これは失礼いたした。それがし柳生新左衛門宗矩。後藤信康殿の御一行とお見受けいたして、声をかけましてござる」
柳生宗矩も同じく名乗りをあげた。
「かような峠道で将軍剣術師範役にお会いできようとは光栄でござる。しかし、それがし、柳生殿がお待ちの後藤何某殿とは関わりなきもの故、ご用向きに応じられそうにもないが」
孫兵衛は、柳生宗矩の表情を探るように見つめながら問いかけた。しかし、宗矩の表情は変わらない。
「昨日、後藤信康殿が自らの死を偽り、伊達の少将様の密命を受けて旅立ったとのこと」
宗矩も孫兵衛の表情を探るように見つめ返してきた。
「ほう、伊達様では、そのようなことがございましてか。しかし、それがしらは、主君を持たぬ浪々の身ゆえ、世の政に関わる小難しいことはわかりかねる」
孫兵衛がとぼけた。
「では、左様ことにしておきましょうか。ならば、改めて林崎殿はこれからどちらへと参られますかな」
宗矩が孫兵衛に再び問いかけた。
「これより最上様の御城下へと降り、しばらく逗留いたそうかとも考えておりまする」
「こたびの伊達の少将様のご謀叛には、最上様も同調いたしますので」
「はぁ。それがしは一介の武芸者にて、そのようなことはわかりかねると申し上げたが」
「なにか話が噛み合いませんな」
宗矩は孫兵衛にこれ以上問いかけても無駄という様子で、峠道を伊達領の方へと歩き始めた。
「柳生殿は、なにか誤解をされておる」
孫兵衛がすれ違いざまに言った。
「誤解とは。伊達の少将様のことで、それとも後藤殿のことで」
宗矩が立ち止まって聞いた。
「両方でござる。それより柳生殿は、なぜ伊達家にこだわられる」
孫兵衛は宗矩の問いに答えて、さらに聞いた。
「天下万民の安寧のためでござる。大御所さま亡きあと、天下騒乱か天下泰平かの舵を握るのは、伊達の少将様のみとなります。この百年におよぶ戦国乱世で民は疲弊し、関ヶ原の合戦以降の十余年の安寧を謳歌しております。このような民草に再び塗炭の苦しみを味あわせぬためにも、伊達の少将様には天下の守護者となっていただきとうございます」
宗矩が、真っ直ぐに孫兵衛を見据えて言った。
「天下の守護者でござるか」
孫兵衛が呟いた。
「お願いでござる」
宗矩は頭を下げると、再び峠道を降りはじめた。孫兵衛と隼人もその背をしばらく見送った後、宗矩とは逆に峠を再び登りはじめた。
伊達領と最上領が境を接する関山峠を越えると、街道は最上領側で関山街道と呼び名を変える。
道は急で、険しい所では二人とも馬から降りて進んだ。二人は苦労しながらも昼前には関山村に到着し、峠の茶店で一休みした。
「追手をまくことはかないませんでしたな」
店の主が茶を運んできて二人の座る縁台に置くと店の奥に戻って行った。隼人は二人のそばに人がいなくなったのを見計らい孫兵衛に言った。
「馬を連れての関山越えは盲点かと思うておったが、柳生殿自らがおいでとなれば、そうそう見過ごしてもくれまい」
孫兵衛は茶碗を持ち上げたが、すぐには口に運ばず、しばらく手の中で茶碗の温もりを確かめていた。
関山峠は峰渡り、峠越えには馬は不向きとされ、荷駄は人足もしくは牛での輸送に限られていた。馬で山形に向かうのであれば、関山街道の南に並行する二口街道もしくはさらに南の笹谷街道が常道であった。
「さて、先を急ぐか」
孫兵衛は茶店の床几から立ち上がった。
「東根から山形まで一気駆けでございますか」
隼人が聞いた。
「いや、今夜は東根泊まりといたし、明朝、早立ちをいたす」
孫兵衛は五島に跨ると、最上領東根にむけて出発した。
道は徐々に険しさを少なくしていったが、孫兵衛達を取り巻く監視の目は柳生宗矩と別れてからも、厳しさを減ずることはなかった。むしろ濃厚になり、殺気を帯びてきたようにも感じられる。
やがて孫兵衛達は東根宿に入った。日没までにはまだ時間がある。
「隼人、取り巻きがうるさいでな。このまま寒河江までまいるぞ」
孫兵衛は東根を通り越して、先を急いだ。関山街道から山形へ向かうのであれば、東根から南へと進む道を選ばなければならない。
監視の者たちは、孫兵衛達に当初の目論見とは違う道を選ばれ動揺したようである。それまで殺気をはらんだ監視の目が乱れた。
「ほう、慌てておる。まぁ、これで我らも少しは気が休まるというもの。ああ殺気ばしっておられては、こちらの気も休まらんからの」
先ほどまでの殺気に馬たちも緊張を強いられていた。孫兵衛が五島の馬首を撫でた。
「しかし、孫兵衛様、これでは我らも山形から遠のいてしまいます。いかがするおつもりなのでございまするか」
隼人も監視の者たちの気配を探るようにしながら聞いた。
「山形には寄らんぞ」
「寄りませぬか」
「行っても迷惑がられるだけじゃ。殿の叔父にあたる、つまり殿のご母堂様、保春院様の兄上、藩主最上義光公は、本年正月十八日にお亡くなりになられた。後を継いだ家親殿は、なんとか最上五十七万石を安堵するのに精一杯のお方。伊達の使者を受け入れでもして、駿府の大御所に睨まれるのを嫌おう。まぁ、将軍秀忠同様、凡人じゃ」
孫兵衛が言い切った。
「では、この後、どの道を通って紀州に参りますか。我らは、どんどん紀州から遠のいていくように思われるのですが」
隼人も羽州街道に後ろ髪引かれる様子で聞いた。
「もう一か所寄るところがあるでな。今夜は寒河江に泊まり、明朝、十部一峠に入る。良い湯が湧いているそうじゃ」
孫兵衛がにんまりとした。
「はぁ、湯でございますか」
街道に隼人のあきれた溜息が響いた。