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第一章 慶長十九年八月二十九日

第一章 慶長十九年八月二十九日



 林崎甚介重信の隠宅を四半刻程で辞し、二人は馬上の人となって街道を進んだ。

林崎とともに隠宅内に消えた孫兵衛は何やら込み入った話をしているようであった。その間、隼人は街道に面した庭で馬の世話をして過ごした。

しばらくおいてして、鞘走る音がすると続けざまに鋼が打ち合う音が一度響くしてから程なく、二人が戸外に出てきた。

放山から愛子宿を過ぎても孫兵衛は無言であった。孫兵衛がようやく口を開いたのは、熊ヶ根宿に入ってからである。

「隼人、そこの茶店で休憩いたすか。五島と墨鷹にも水を与えてやれ」

 そう言って茶店の前で馬を下りると、手綱を隼人に渡し、茶店に入っていった。茶店は老爺が一人で切盛りをしていた。

「供が馬の世話をしてからまいるでな、酒などあれば二つ頼む」

「お侍様、濁り酒でええかの。お連れの方の分も一緒にお持ちしてええの」

「おぉ、濁り酒で結構。二つとも一緒に持ってきて構わん。すぐに来るによってな」

 老爺が濁り酒を茶碗に入れて運んでくるのと隼人が茶店に入ってくるのは、ほぼ同時であった。隼人はよほど喉が渇いていたのか、濁り酒を受け取ると、三口ほどで飲み干してしまった。

熊ヶ根宿は伊達領中西部、奥羽山脈の山中にある作並街道の宿場のひとつである。

北西から南東に流れる広瀬川が、北からくる支流の青下川と合流するところにあり、この二つの川にはさまれた所が熊ヶ根宿村である。村の南は広瀬川で限られ、東と北東が青下川で限られた。川で区切られないところでは、西で松峯山、北で捻木山を境とした。

 人家と田畑は、合流点近くの川が長い年月をかけて土地を削っていった階段状の丘の上にあり、作並街道はこの合流点の近くで一段下がった河原に降りると、広瀬川に架かった土橋で対岸へと渡り、再び川岸の丘を登ると最上領を目指して進んでいく。

 突然と宿場内に怒声と悲鳴が響き、ただならぬ騒動が起きたことを示していた。

「あやつら、まぁた悪さばしにきただ」

 店の老爺が吐き捨てるように言った。

隼人が尋ねると、彼らは、このあたりを縄張りにする無頼漢で、頻繁に街道に姿を現しては、旅人や村人に悪さをするそうである。作並街道の辺りは伊達家の中でも大身の家臣が配置されておらず、他の街道に比べて治安が悪いとの噂を聞いたことがあると隼人は思い起こした。

 狙われたのは、近在から野菜の商いにでも来た母娘のようだ。荒れくれ者を恐れてか、宿場の者が遠巻きにするだけで誰も助けようとはしない。

すると孫兵衛が路傍の小石を摘まみあげ、一味の頭分と思われる着流しの巨漢に向かって発止と投げつけた。

小石は、孫兵衛らに背を向けて立つ頭分の後頭部に見事に命中し、

「いたたた」

 巨漢の頭分が頭を押さえながら声をあげた。

「こんの野郎、よくもやってけだな」

「こんのあたりはおらほの縄張りだ。生きてけれねがらな」

 一味の者は、五人程か。口々に罵りの声をあげた。

「おぉ、無辜の民に悪さをするとは、許せん。ここにある若武者、横山隼人が相手をいたす」

 孫兵衛が一息に言い返した。

宿場に一瞬の呆けたような静寂の間が訪れた。その静寂のなか

「えぇ、孫兵衛様。石を投げつけたのは、孫兵衛様でしょう。この場合、孫兵衛様が颯爽とあの母娘を救うたりするのではありませぬか」

 隼人が小声で孫兵衛に文句を言った。

「お主も、あやつらの無体を捨て置く気はないじゃろう。それに儂は、まだ酒を飲みかけておる。お主は、先ほど飲み終えたじゃろうに。腹ごなし代りに一働きしてこい」

「腹ごなしとは。飯を食ろうたわけでもございませぬのに」

 隼人は文句を続けながらも、荒くれ者たちの一団に近づいて行った。

「こんのふざけた野郎め」

 匕首を抜いた小柄な男が敏捷に突っ込んできた。

孫兵衛の方から見ると、男が隼人の懐に飛び込んできたかのように見える。しかし、隼人は太刀を鞘ごとその中ほどまで引き抜くとそのまま男の鳩尾に刀の柄頭を突き入れた。

男は短く悲鳴を上げるとその場に崩れ落ちるように倒れこみ気を失った。

「皆で取囲め。まわりば囲んでいっせいにやてまえ」

 頭分の男が怒鳴った。

荒くれ者たちは隼人を取り囲もうといっせいに動き出す。

しかし隼人は、刀を抜くと、素早く峰に反しその勢いのまま右手に飛んで切りつける。包囲の輪が完成しておらず、どこか気を抜いていた男が胴を打ち抜かれて横手に吹き飛ばされるようにして気を失った。

そうして隼人が続けざまに二度刀を振るうと、頭分を除いた荒くれ者たちが路上に転がっていた。

「包囲は完成してこそ包囲じゃ。完成する前はなんら怖いものではない」

「お侍様、そんなものなんでごぜえましょうか」

 孫兵衛の半ば独り言に、茶店の老爺が応じた。

「おぉ、戦の基本じゃ。隼人のように敏捷であれば、包囲される前に先手を打って、順に叩きつぶし、各個撃破すればよいこと。それに包囲しようとすると、どこか仲間任せになり気も緩む。加えて、あの頭分のように大声で取囲むことを喧伝してくれれば苦労はないわ」

 戦いの場に孫兵衛も加わるのか、茶店の老爺になにがしかの代を払うと、腰の刀を確かめるように二、三度体を揺すりながら店を後にした。

 追い詰められた頭分は、娘を小脇に引き寄せると、長脇差を抜き娘に突きつけた。

突然の出来事に、娘は悲鳴を上げることも忘れたように初め呆然としていた。が、気付くと身をばたつかせ、助けを求めた。

「おが、すけてけんろ」

「すんずかにしねか。おい、そこの、娘っこがどなえになってもええが。刀ばすまえ」

 頭分が隼人に向って喚いた。

そこへ孫兵衛が割って入ってきた。

「隼人、刀を納めよ」

 隼人は何も言わず、刀を納めた。

「のう隼人、戦は全体を見ながら運ばねばならん。それに圧倒的な力量の差を見せつけるのも時と場合による。窮鼠猫を嚙むの諺の例えもあるしの」

 孫兵衛は、そう言いながら頭分の方に近づいて行った。

「その方に頼みがある。その娘を放してはくれんか。これはお願いじゃ」

 孫兵衛が頭分に優しく言い掛けた。

「お、おめ、なに言ってるだ」

 仲間が目の前で叩き伏せられているのである。頭分の言い様はもっともであった。

しかし孫兵衛の呆けた調子が男を油断させたのであろう。男はその間合いの内に孫兵衛の接近を容易く許してしまっていた。

すっと孫兵衛の刀の鯉口が切られると、一条の光が男に向かって伸びた。そして、ちんと小さな鍔鳴りの音を残すと、刀は鞘に戻されていた。

一瞬の出来事である。見ると刀を持った男の腕にうっすらと一筋の血が滲んでいた。切られたのは腕の皮一枚で、痛みも感じないほどだろう。

「ふひゃ」

 しかし驚きのあまり男は情けない悲鳴をあげた。

「刀にはいささか自信があっての。おぬしが娘に刀を突き立てる前に、その腕を切り落とすことができる。逃がしてやるうえ、その娘を放せ。ここからはお願いではないぞ。命令じゃ」

 最後は強い調子で孫兵衛が宣告した。

男は娘から手を離すと、一、二歩後ずさりして、くるりと背を向けると走り出した。

いや、走り出そうとした。

「うがっ」

 孫兵衛が逃げようとする男の背に峰に返した刀を打ち込んだのだ。男は短い悲鳴を残して気を失った。

「孫兵衛様、お手数をおかけいたしました。しかし、さきほど逃がしてやると」

 隼人の言葉尻は言い澱むように言葉を噛んだ。

「おぉ、だから逃がしてやったであろう。儂は、娘を放して逃げろとは言ったが、ここから立ち去らせてやるとは言っておらん。現に奴は逃げだしたではないか。ただ、逃げ切れなかっただけじゃ」

「そのような方便のようなことを」

「隼人、こ奴を立ち去らせてみよ。また徒党を組んで悪さをするに決まっておる。この宿場の衆のためにも、この方が良いに決まっておる。それに天下の徳川もこたびの大坂では似たようなことをする」

「は、なんと」

「いや、最後は戯言じゃ」

「それより、この者たちはいかがいたしましょう」

 そのとき、二人の会話に割って入るように母娘が礼を述べた。その礼の言葉を孫兵衛は手で制すと、

「この者たちは捨て置け。あとは宿場の者でどうにかするであろう。それより先を急ごうぞ。汗を掻いたことじゃし、はよう温泉に浸かりたい」

 そう言いながら孫兵衛は、さっさと自分の馬に向かって歩き出して行った。

そんな孫兵衛に母娘が追いすがって話しかけた。

「あのぉ、お侍様のお名前を」

 言い掛けられて、孫兵衛は母娘を振り返り、しばし考え込んだ。そして、また馬に向かってさっさと歩み寄ると、ひらりと跨り

「名乗るほどの者ではない」

とだけ答えると馬を進めた。隼人も急いで自分の馬に跨るとその後を追った。

宿場を抜けたところで隼人が声をかけてきた。

「孫兵衛様、先ほど母娘に名乗りませんでしたが、実のところ変名を考えておらなかったのではございませぬか」

孫兵衛からの答えはない。

「孫兵衛様」

隼人が食い下がる。

「隼人、おまえは細かいのお。儂は、大した働きをしておらなかったし、そもそも大半は、お主が倒したしの。それにあんなことでいちいち名を披かしてもしようがない故、言わんかったまでじゃ」

「そうでしたか。では、変名は何とお考えでしたか。この先、私がぼろを出さぬように今のうちにお聞きしておきませんと」

 孫兵衛からの答えはない。

「孫兵衛様」

「えぇい、後でちゃんと考えるわ」

 そう言って孫兵衛は、馬の歩を速めた。

「やはり、考えておらなんだか」

 隼人は溜息とともに呟くと、自身も馬の歩を速め、孫兵衛の馬の後を追っていった。

そんな二人の姿を監視する目があったが、二人はそれに気づいていないのか、特に警戒する様子もなく先を急いでいった。


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