第一章 慶長十九年八月二十九日
第一章 慶長十九年八月二十九日
二
仙台城大広間で、衆議が行われているころ、後藤信康の姿は、横山隼人を供に大崎八幡宮門前町を過ぎ、作並街道に入ったところの山上清水にあった。
二人は湧き水で喉を潤しながら、広瀬川を挟んで対岸にある仙台城を望んでいた。
「いやぁ、弘法大師さまの湧かせた水は美味い。文字通り生き返った気分じゃ」
孫兵衛が湧き水を飲み干すと、背延びをして、それから腰の辺りを拳で叩いた。
山上清水周辺は、仙台から最上領の天童、東根へと抜ける作並街道、関山街道の起点で往来の旅人たちがここで喉を潤していき、また用意した竹筒に飲み水を詰めていく。
山上清水の謂れは、その昔、全国を行脚していた弘法大師が突いた杖の先から水が湧き出したと伝えられている。作並街道は、広瀬川の崖上に切り通された山上の道で、眼下に広瀬川の滔々とした流れを見るも、汲み上げる方法もなく、水の便悪く苦労していた。付近の住民はこの湧き水に感謝し、山上清水の名がつけられた。
「隼人、今頃城内では、儂の死を悲しんでおる頃合いかの」
孫兵衛が傍らにたたずむ若武者に問いかけた。
「御館様……」
「隼人、御館はいかん。後藤信康は死んだのじゃ。これからは孫兵衛と呼ぶようにいたせ」
孫兵衛が隼人に命じた。
「では、改めまして孫兵衛様」
「うん」
「城内で悲しんでおる御方はおらんでございましょう」
隼人がきっぱりと言った。
「これ隼人、そのようなことがあるか。伊達家に黄後藤ありと謳われ、京大路では左馬之助と京わらべを魅了して、天下に勇名を馳せた軍奉行の死じゃぞ」
孫兵衛が馬の轡を取り、街道を山形方面に歩きだした。
隼人も自分の馬の轡を取りながら、これに従った。
「御自分で、勇名を轟かせとかおっしゃって、恥ずかしくはございませぬか」
「誰も轟かせたとは言うておらん。馳せたと、少しは遜っておる」
「同じでございますよ。それよりも孫兵衛様、なぜ身投げなのでございますか。勇名を馳せた武士であれば、主君を諌めるために諌腹を切るとか、食や水を断つとか。もうちと武士らしい死に方がございましたでしょうに」
隼人が非難めいた言い方をしたが、孫兵衛は、意に介さない様子である。
「派手だろう」
「はぁ」
「いや、人というものは、そう何度も死ねるもんではないぞ。どうせ死ぬなら華々しくいきたいもんだしの」
隼人は、あきれた表情で孫兵衛を見つめた。
「孫兵衛様」
「なんじゃ、改まって」
「横山隼人、今日限りで奉公を解いて頂き、御暇を頂戴させていただきまする」
「待て隼人」
仙台城下の方向に馬首を向けようとする隼人の馬の轡を孫兵衛は無理やり元の方向に振り向けた。
隼人の馬が小さく嘶いた。
「隼人、考えてもみよ。腹でも切って、性格が細かい亘理殿あたりに検死こられれば厄介じゃ。それに食断ちをしてみよ。志摩守殿あたりが、チューマ姫が作ったという、あのキムチィとかいう朝鮮の漬物を持ってくるじゃろう。儂の辛い物が苦手なのはお主も知っておろう」
「しかし、先日頂いた時には、うまいと言って沢山食しておられたではございませんか」
「いやぁ、あれは美味かった。辛さを感じる前に飲み込めばよいかと試しているうちに、ついつい食べ過ぎてしもうた」
「孫兵衛様、真面目にお答えください」
隼人は半ば呆れている。
「隼人、そんな目を儂に向けるな。よいか、よく考えてみよ。儂は殿から密命を受けて姿を消す。死人となって、その存在自体を消すわけじゃ。死人になるからにはどうしても死骸が要るじゃろう。さすればじゃ、切腹、縊死、水死、餓死に病死と、いずれの場合でも儂の死体が要るわけじゃ。本当に死ぬわけにはいかんから、代わりの死体では別人であることが露見してしまうとも限らん。それが断崖からの飛び降りとなってみよ。死体は千々に砕け、誰のものとも判別がつかん。ついでに儂が普段身につけているものを一緒に放り出せば、儂の死体の出来上がりじゃ」
孫兵衛が隼人を諭すように、それでいて隼人がさらに言葉を挟まないように調子を取って一気に話した。
「そうでしたか。そこまでの考えがあってのことでしたか。して、加えてお尋ねいたしますが、目指すは紀州九度山とお聞きいたしました。奥州街道を南に下るのに、なぜに作並街道を最上領へと向かっておりまする」
隼人がとりあえずは納得した上で、さらなる疑問を投げかけてきた。
「まずは、ほれ、すぐそこの林崎甚介重信先生の隠宅に立ち寄ってご挨拶をすることじゃ。それにな、すでに領内には徳川の手の者が入り込み、家中の動きをば探っておる。素直に奥州街道を南下すれば、奴らの網にかからんとも限らん。そんで念のため羽州をば迂回して通ろうと思うておる」
「なるほど。して本日は愛子宿泊まりでございますか」
「いや、林崎先生に挨拶をしたら、馬を駆って、一気に愛子宿、熊ヶ根宿をば突き抜けて作並宿まで行こうかと思っておる。なにこの五島の脚とお主の愛馬墨鷹の脚をもてすれば一駆けじゃ」
五島と呼ばれたのは、孫兵衛の愛馬五島。
青鹿毛の馬体の大きな美しい馬で主君政宗へとに献上され、多くの戦場を、その背に独眼竜を乗せて駆けていたが、今回の密命を受けるにあたって、再び背に孫兵衛を乗せることとなった。
墨鷹は、横山隼人の愛馬で、月毛の引き締まった馬体と、その額に墨色の鷹が翼を広げたような模様があり、そのように命名された若駒である。
「なぜに作並まで無理をばします」
「温泉じゃ」
「はぁ」
「愛子も熊ヶ根も碌な温泉がねぇがらの。せっかく旅さ出たのじゃ、儂の好きな温泉に存分に浸ってみようかと思っての」
「はぁ」
「なぁんじゃ、隼人、その方さっきから、はぁはぁしか言わんの、若いのにもう息が上がったか」
「いえ、いや、少々疲れたかもしれません」
隼人はやや考える様子でいた。
そして、何かに気づいたのか、はたと孫兵衛の方を振り向き
「孫兵衛様、作並街道を進み羽州街道へと出れば、上の山に行き着きますな。上の山と言えば、上の山温泉。もしや孫兵衛様は……」
「おぉ、隼人、先生は門前に出て我らを待っておられるぞ。儂は先生としばらく二人で話をするでな。馬の世話をして待っておれ」
孫兵衛は最前の隼人の言葉を聞こえぬふりで、自分の馬の轡を隼人に押し付けて、小走りに林崎甚介重信の隠宅に向い、門前に待つ小柄な老人へ挨拶をした。
取り残された体の隼人は、諦めの表情で二頭の馬の轡を取って、孫兵衛の後を追うように再び歩きだした。