第四章 大坂の冬
今回は、「真田丸」が登場します。
大河ドラマでは、どんな風に描かれるのか楽しみですね。
二
戦は十二月三日になっても膠着状態が続いていた。寄せ手は城へと近づかないし、守り手も城から討って出ることもなく、徳川方、大坂方それぞれが、鉄砲を撃ち合っているだけである。
それは翌日になっても変わらないように思われた。
しかし、その日の夕方から事態は変わっていった。
右翼の前田勢は、篠山の真田勢から撃ち掛けられる鉄砲に悩まされていた。塹壕を掘り、竹矢来を立てる前田勢に、真田勢は鉄砲の威力が十分なところから撃ち掛けてきているので、前田勢には随分の死傷者が出ているようであった。
この日も夕方となり、各陣所からは炊煙が上がっていた。
「前田勢が夜襲をかけるようだの」
夕焼けに染まる大坂城を眺めながら孫兵衛が言った。
「なぜでございます」
隼人が聞く。
「ん、それは儂がなぜ夜襲に気づいたかと聞いておるのか、それとも前田勢がなぜ夜襲をかけるのかということを問うておるのか」
「あ、孫兵衛様がなぜ気づいたのかをお聞きしたかったのですが、そう言われると両方ともお教え下さい」
「ずいぶんと調子のいい物言いじゃの。まあよい、まず、前田勢の炊煙の様子がいつもより激しいというか、多くの物を煮炊きしているようなのじゃ。するところによると、先日からの篠山からの鉄砲に難渋して、今夜、夜討ちをかけて、あの丘を占ってしまおうかと考えたのではないかと思うがの」
「大御所の御指示でしょうか」
「いや、前田殿の陣が塹壕や土嚢などで鉄砲避けが成れば、攻め取る価値を失う丘じゃからな。そんな無駄なことを命ずるとは思えんがの。それに秀忠殿の使い番に動きもないしの」
孫兵衛はしばらく辺りの秀忠の陣内の様子を窺うようにして考え込んでいた。
そして
「隼人、儂らも夕餉を摂ったら、真田丸の方へ様子を見に行くぞ」
と決めた。
夕餉の後、孫兵衛と隼人は岡山の陣所を出ると、そのまま道沿いに大坂城の方へと進み、木野村という所に入った。
夜半過ぎ、やはり孫兵衛の宣告通り、前田勢に動きがあった。前田勢の一部が篠山に向って動き出したのである。
「抜け駆けかもしれんな」
そんな様子を見ながら、孫兵衛が呟いた。
「流れ弾にあたってもかなわんな。もう少し、南部殿の陣に寄ったところで物見を致そう」
孫兵衛が隼人を引き連れて、城の南東の角の包囲を固める南部利直の陣の方へと移動した。
やがて前田勢から篠山に向って鉄砲が撃ち掛けられ、鬨の声があがるのが聞こえた。
鉄砲は容赦なく撃ちかけられ、篠山に翻っていた真田の六文銭の旗印をさんざんに撃ち抜いた。しかし、篠山から鉄砲が撃ち返されることはなかった。
「嵌められたな。無駄弾だけを使わされたわい。隼人、帰るぞ」
そう言って孫兵衛は、さっさと岡山の方へと道を引き返して行った。
道すがら隼人が、
「嵌められたとは、どのようなことにございまするか」
と聞いてきた。
「篠山は、もぬけの殻だったということよ。前田勢の夜襲を察知した真田殿は、旗差し物だけをそのままにし、夜陰に乗じて兵を引き上げておいたのじゃ。前田勢はそうとも知らずに、無人の丘に散々鉄砲を撃ち掛けてから攻め取ったという訳じゃ。ま、当初の目的は達せられたから良しというたところか」
岡山の陣所に戻った二人はすぐに眠りにつくと、翌日、日の出とともに起き出して、昨夜、前田勢が攻め取った篠山の辺りを見た。
篠山では、真田の六文銭の旗が片付けられ、代わりに前田家の梅鉢の旗印が翻っていた。
目を真田丸の方へと向けると、真田の兵が篠山に向って何か叫んでいるように見える。
孫兵衛達の所からでは、遠すぎて何を言っているのか聞こえない。
しかし、しばらくすると前田勢が真田丸に向って動き出した。
「何をする気じゃ」
孫兵衛は目を疑った。隼人も遠くに見える光景を固唾をのんで見守った。
「竹束も準備せんと、砦にとりつくとは、死にに行くようなもんじゃ」
孫兵衛が唸る。
やがて前田勢は、遮二無二進む先頭が後ろから押されるように真田丸の空濠へと落ちていく。
落ちたところで、空濠であるし、大した深さもない。
落ちた兵は、堀をよじ登って行こうとするのであるが、そこに次の兵が落ちてくる。落ちる者、よじ登る者で前田勢は混乱した。その時である。
「うわ」
その光景を傍観していた隼人が思わず声を上げた。真田丸からの一斉射撃である。
「これが鉄砲の間合いじゃ」
前田の兵がばたばたと倒れていくのが見える。
鉄砲の一斉射撃が終わると、前田勢が再び砦の壁へと取りつく。
「今が弾込めの時じゃ」
孫兵衛が言ったそのとき、砦から前田勢へと向かって矢が降り注いだ。しばらくの間、無数の矢が放たれた。
「そろそろ弾込めが終わる」
孫兵衛が呟くのに合わせるかのように矢が止まった。すると、矢に代わって、またしても鉄砲が撃ち掛けられた。
真田丸の前面の空濠は地獄のような様相を呈してきた。
「前田勢の不手際によるところが大きいが、幸村殿の采配も見事じゃな。やはり上田城を守りきった手際は、親掛りと侮れんわい」
さらに孫兵衛は信じられない光景を目の当たりにすることになるのである。
「孫兵衛様、井伊勢、松平勢が動き出しましたが」
「なに」
隼人に言われて、孫兵衛が目を向けると、確かに井伊直孝の軍勢と松平忠直の軍勢がそれぞれ八丁目口、谷町口を目指して進んでいくではないか。
「つられて動きおったか」
真田丸では、前田勢が城方へ鉄砲を撃ち掛けているが、砦の土塁や竹束に阻まれる一方で、城方の鉄砲は、土塁や竹束の隙間から堀の中で混乱する前田の兵を次々に撃ち抜いていた。
そして井伊勢、松平勢も竹束などの備えもなく城へと前進していく。
「隼人、殿が見誤るとは思えんがの伊達家の陣へ注進に行くぞ。」
五島、墨鷹に跨った二人は、奈良街道に出ると、天王寺の南側、続いて安居天神の南側を抜けて伊達勢の陣所へと辿りついた。
「隼人、儂は家中の者に顔を見られる訳にいかんから、ここで待つ。お主一人で注進に行ってこい」
「かしこまりました」
隼人は墨鷹の馬腹をけると伊達勢の陣所に向って駆けて行った。
四半刻程して隼人が駆け戻ってきた。
「どうであった」
孫兵衛は様子を聞いた。
「殿は飯を食うておりました」
「そうか、では大丈夫じゃな」
「はい。戦の顛末が分かり次第知らせよとのことでした」
「わかった。引き上げようぞ」
二人は、来たときと同じ道を岡山の陣所へと戻って行った。
途中、茶臼山から伝令の騎馬が盛んに駆けていくのとすれ違いになった。
岡山の陣所に戻った二人が他家の使い番などから話を聞きだしたところによると、昨夜からの動きは概ねこうであった。
まず、前田家の本多正重が篠山に鉄砲を撃ち掛けて占拠した。これは、主君前田利常の命を受けたものでもなく抜け駆けでの攻撃であった。
この鉄砲の音で本多勢の抜け駆けを知った前田家中の山崎長徳が後を追う形で篠山へと至った。その後、篠山を占拠してみれば真田勢の姿はなく、もぬけの殻であり、そこで夜が明けてきたというわけだ。
夜が明けると真田丸の方からはやし立てるように声があがり、何事かと本多、山崎の両者が耳を傾けると、加賀中納言前田殿の手勢とお見受けする。と、主の名を出されてしまったらしい。
さらに真田丸からは、昨夜の騒ぎは、そこの篠山に勢子でも入れて狩りの支度でもされておったか。しかし、あのように騒ぎ立てれば雉も獣も立ち去っておろう。気が済んだのであれば、そろそろお引き取り願おう。戦ではなく、狩りの支度であれば、こちらも矢弾を撃ち掛けぬゆえ、早々に立ち去られい。と主の名まで出され、朗々と愚弄されたとのことである。
これで本多、山崎は引き下がれなくなってしまった。
何の策もなく、また用意もなく真田丸に寄せた結果は、孫兵衛達も見ていたものであった。このとき前田勢は二千数百の死傷者を出したとのことだった。
さらに、前田家の前進につられる様にして城方へ討ちかかった井伊勢は八丁目口で二百数十、松平勢は谷町口で三百数十の手勢を失い退いた。
つまり徳川方は、この一日の戦いで三千の兵を失う大敗北を喫したのである。
しかし、伊達勢と藤堂勢は、さすがに戦慣れしており無闇に城へとは討ちかからず、総崩れになった井伊勢、松平勢が退くのに乗じて城方が追い打ちをかけぬように巧みに牽制していた。
これらの報告は、隼人が一人で伊達家の陣所へと駆けて行った。
隼人は半刻程で戻ってきたが、帰りは一人ではなく綱元が同行してきた。
「なにか出来いたしたか」
孫兵衛が綱元へと声をかけた。
「さしたることではないのだが、後藤寿庵のことでな」
「義弟がどうかしたか」
「心配するな、寿庵が不忠をしでかしたりしたわけではないが、奴の宗門がな」
「伴天連がからんできおるか」
「ああ、大坂方に明石全登という切支丹武将がおってな、それがしきりにつなぎを取ってきおる」
「面倒だな。寿庵に限って間違いはあるまいが、大御所から睨まれると面倒じゃ。して、今のところ大御所は探りを入れてくる動きはあるのか」
「いや、さしあたってはないが、一応知らせておこうと思ってな」
「そうか、わかった。ところで、それだけのことでわざわざきたのか」
「大御所が和睦の交渉にはいったとのことだ」
「確かなことか」
「ああ、しかし、初戦こそ寄せ手が勝ちを収めたが、ここにきて城方も善戦しておる。今日も寄せ手が大敗してもうたからな」
「あれは、寄せ手の不手際じゃ。儂やお主から見れば、どうすればああいう負け方ができるか不思議でしょうがないが、戦を知らん奴らが大坂方に勝ちをわざわざくれてやったにすぎんじゃろう」
「それでも、大坂方が善戦していると世間では見られるからな。とにかく、明日からの戦の運び方と和睦の話し合いが要だな。まずは、我らが足元を掬われぬように目配りを頼む」
「わかった。わざわざ来てもらってすまないな」
「かまわんよ。死人に我らの陣所の周りを歩き回られるわけにはいくまい」
やがて夜も更けたころ、伊達勢の陣所から抜け出る者があった。恰好は足軽のそれである。
その者は陣所を抜け出たあと、陣の南、茶臼山を目指して歩いて行った。
安居天神の横手にかかったところで、道に一人の鎧武者が現れ、足軽は立ち止った。
「どこの家中の者じゃ」
道をふさいだ男が聞いた。声の主は孫兵衛である。
「だ、伊達陸奥守家中だわい」
足軽が緊張した様子で喚いた。
「ほう、味方か。儂らも陸奥守家中の使い番じゃ」
孫兵衛が儂らと言ったとき、足軽の後の道を隼人が塞いだ。
「それなら、はよ通してくれ。わしゃ急ぎの知らせを大御所様の陣へと持っていくように言われたんじゃ」
足軽はなおも喚いた。
「二つ、三つ聞きたいのじゃが、誰から命ぜられた」
孫兵衛が聞いた。
「そ、それは、後藤寿庵様じゃい」
一瞬どもりながら足軽が答えた。
「そいつはおかしくないか。寿庵は侍大将でしかないぞ。それがなぜ大御所の陣へと使いを出す」
「寿庵と呼び捨てか。お前らほんとに家中の使い番か」
足軽がいぶかしむように聞いた。
「聞いているのはこっちじゃ。お主は、誰の所に行くのじゃ。それにこんな夜中に大事な用であれば、足軽が一人で陣を抜け出るように使いに出るのはおかしかろう」
孫兵衛が厳しい口調に変えて言った。
「そろそろ白状したらどうです」
隼人がそう言った時、足軽はすばやく刀を抜くと、片足を軸にして独楽のように一回転しながら刀を振り回した。
孫兵衛と隼人はすばやく後ろに飛び退くと足軽の刀を躱した。
孫兵衛と隼人に対して油断なく構える足軽の様子を見て、孫兵衛が
「足軽風情が使うような構えではないな」
と呟いた。
刀を正眼の位置で構える足軽は、一見して剣の修業をした者のそれと分かるものであった。
隼人は抜いた剣を同じく正眼に構えると、足軽の退路を塞ぐような位置に立ちつだけで、戦いの場は孫兵衛に任せるように間合いを取った。
足軽も当然のことながら、茶臼山方向に逃げ去りたいのであろう、隼人の方には注意を払う程度で、なんとか孫兵衛の方を切り抜けようとにじり寄って来た。
孫兵衛の刀は鯉口を切られているだけで、いまだ鞘の内にある。
足軽はさらに間合いを詰めると、素早く構えた両手を伸ばし、孫兵衛の喉元に刀を突き込んできた。刹那、孫兵衛の月山が鞘から引き抜かれるや、月明かりに一条の光となって足軽の右手首を切り落とした。
足軽の刀は右手の支えを失うと孫兵衛の体から逸れたが、それでもなお、足軽は声を上げることも怯むことなく、それを左手一本で握ったまま、今度は振りまわすように孫兵衛の首の辺りに叩きつけてきた。
孫兵衛は足軽の刀を月山で受け止めた。
足軽の刀は振り回した勢いこそあるものの、片手で支えているだけである。受け止められてしまっては、どうにも押し込み切れない。
孫兵衛は受け止めた刀を弾き飛ばすと、足軽の喉元に刀を突きいれた。孫兵衛の刀が足軽の喉元を切ると、足軽は一二歩後ずさりをして倒れた。
「隼人、そ奴の懐を漁ってみよ」
孫兵衛に言われて、隼人は刀を納めると、足軽の懐を探り三通ほどの書状を引っ張り出した。
「隼人、急いで綱元に知らせてまいれ」
隼人は手に持っていた書状を孫兵衛に渡そうとすると
「それも綱元に渡してやれ」
と孫兵衛が言うので、書状を自分の懐に収めると、伊達家の陣所へと向かって走って行った。
やがて伊達家の陣所の方から松明を灯した一行がやってくるのが見えた。
近づいてきた一行は、隼人に導かれた綱元の一行で、成実の姿も見えた。隼人は、陣所を抜け出た足軽を追う際に置いてきた墨鷹に跨り五島の手綱を取って案内してきた。
綱元らの一行は近くまでくると、配下の者をその場にとどめ、馬を下りて歩み寄って来た。配下の者をその場に止めたのは、孫兵衛を見知った者がいないとも限らいないとの配慮であろう。
隼人は馬の手綱を下士に預けると、代わりに松明を受け取って綱元と成実に従ってきた。
「こ奴が我らの陣所から抜け出て大御所の陣所へと向かっておった者か」
先に声をかけてきたのは成実であった。
孫兵衛は、隼人が呼びに行っている間に足軽の亡骸を道の端に動かしておいた。
「いかにも、ところで書状は何でござった」
成実の問いに孫兵衛は短く答えると、逆に聞き返した。
「なんだ、見ておらんのか」
「書状であるのはわかったのでござるが、この月明かりの中では中身までしかとは」
「それもそうだな。書状は大坂方の明石全登から寿庵へ宛てたものだ。中身は同じ宗門を信ずるものとして面談したいとか、神の加護とか他愛もないものだがな」
綱元が足軽の亡骸を検めた。
「それでも、大坂方との書のやり取りであれば、後で何とでも言い掛かりをつけられんとも限らん」
成実が付け加えた。
「どうじゃ、家中の者であったか」
隼人の翳す松明で亡骸を検め終わった綱元に孫兵衛が聞いた。
「いちいち足軽の顔まで、我らが覚えているわけではあるまいからな。これといった持ち物もないようだしの。孫兵衛の考えはどうじゃ」
「剣の腕もそこそこであったし、それに右手を切り落としても怯むことなく左手一つで斬りかかってくるところをみると、足軽風情とも思えん。どこぞの草ではないかの」
孫兵衛は綱元の問いに自分の考えを答えた。
「ま、そんなところであろう。寿庵を含めて、我々も大坂方からの書状などは、読んだらとっとと焼いてしまうように気をつけねばならんな。ここの後始末は、我らでやっておくゆえ、孫兵衛達は帰って休んでよいぞ」
成実がそう言って、孫兵衛達を促した。
隼人が馬を引き連れてきて、孫兵衛とともに立ち去るのと入れ替わるように、綱元が引き連れてきた下士達が足軽の死体の始末にかかった。
次の日、前日の大敗を喫した諸将を家康は呼びつけると激しく叱責した。その上で、今後は無闇に城方に討ちかかろうとはせず、塹壕と土塁を陣に巡らし、竹束と鉄楯を備えるように各将に徹底させた。
さらにこの日から、城へと向けて大筒が盛んに撃ちこまれるようにもなった。
「鉄砲の音には慣れましたが、大筒の音にはいつまでたっても慣れませんぞ」
孫兵衛達は、松屋町口と対峙する伊達勢の陣所の近くまできた。
昨夜の一件以来、伊達家の陣所付近で疑わしい動きをする者がないか、それとなく見回るようにしているのである。
もちろん陣所の中は綱元らがしっかりと見張っているであろうから、孫兵衛と隼人の二人が見回ったところで、さしたる助けにはならないように思えたが、孫兵衛は他家の陣所の様子を探りがてら、近くまで足を運んでいた。
「孫兵衛様が、のんびりとここまで進んできたことを考えますと、大筒も鉄砲同様、この間合いでは力がございませんので」
孫兵衛と馬を並べながら隼人が聞いた。
「いや、鉄砲と違い大筒は、この間合いでも当たると危ないぞ」
「そんな、ならばなぜにこのようなところでのんびりとしております」
「当たればと申したであろう。さ、くるぞ、よく見ておれ」
大坂城の桜門や千貫櫓の辺りに据え付けられた大筒から弾が飛んでくる。
「目で追える程度なのですね」
「そうじゃ。だから当たればと申したであろう。目で見える分には避けようがあるからの。お、あれは近いな」
そう言って孫兵衛は飛んでくる大筒の弾に気を付けるように促した。
ほどなく近いと言った割には、孫兵衛らから随分と離れた所に大筒の弾が落ちるとごろごろと数間程転がって止まった。
「なにか呆気ないですね。わたくしは、大筒の弾が轟音とともに放たれると、それが、こう、軍勢の中に落ちて、そこで破裂して軍勢をなぎ倒すような様子を考えていたのですが」
「ああ、ないない。大筒なんぞ、ただのでかい弾を飛ばすだけでの。さしたる速度ではないから、見通しが開けた所では避けられるしの。直接当たりさえしなければ、あとは大きな弾がごろごろ転がるだけじゃ」
そう言っているそばから、また数町先で落ちた弾が転がった。
「じゃから城方が大筒を使こうても、ほとんど役には立たない。火薬ばかりが無駄になる。ただ、寄せ手では使い物になるぞ」
徳川方の大筒は、城の塀や櫓を次々と破壊していく。目標が大きいだけによく当たるようだ。
徳川方の寄せ手が城壁に討ちかかることなく、ただひたすらに遠間から大筒を撃ち掛けるだけの日が何日も続き、十二月も半ばとなった。
その間、家康が望む和睦の話は遅々として進まなかった。秀頼が講和は無用でござると、頑として和睦を拒んでいるからであった。
それにこの時期の大坂方は、初戦こそ負け戦が続いたものの、城に籠ってからは、討ちかかる徳川方の寄せ手を退け、外からの援軍を期待しつつ十分な戦いをしている。そのような状況では秀頼の取り巻きも、秀頼に対して強く講和を勧めもしなかった。
それでも家康は、大坂方に対して巧みに揺さぶりをかけてきた。
城へは鉄砲と大筒を間断なく撃ち掛け、鬨の声をあげるのは昼夜を問わず行い、城方へ気の休まる間を与えなかった。
そして、城と対峙する諸候の陣から城へ向かって巨大な抜け穴を掘らせ、それを大坂方の使者にこれ見よがしに見せつけるようにした。
もっとも、この穴が大坂城へとは到底達するものではなく、入口から奥が覗けなくなる辺りまで掘り進むと、あとは使者が通りかかる時だけ盛んに工事をしているように見せかけるものであった。しかし大坂方でも迎え撃つために穴を掘りはじめたところをみると、それなりに信じたようである。
また、秀頼が和議に応じないのは、彼の周りに侍る牢人衆が、ここで戦が終わってしまえば、自分達がお払い箱になり、元の牢人に戻ることを懼れて、あさましくも反対しているのだという風聞を流した。こうしておいて、秀頼の周りが和睦を勧めはしなくとも、講話に強く反対できない状況を作っていった。
さらに講話の下準備として、家康は阿茶局を使者として大坂城へと送り、常高院と面談させた。
織田信長が滅ぼした近江の浅井長政には三人の娘があり、長女が淀殿、末娘のお江が徳川秀忠夫人で、その間が初である。
初は京極高次の婦人であったのだが、五年程前に高次が亡くなると髪をおろして常高院と称していた。その子京極高忠は徳川方で参陣しているものの常高院の立場は中立的なものであった。
故太閤秀吉から近江蒲生郡二千石余を化粧料として授かっており、夫人ながら領地持ちで普段は京で気ままに過ごし、時折、大坂へ出て来ては、姉の淀殿の話し相手をしていた。こたびの大坂の役が始まったときもたまたま大坂城に来ており、そのまま巻き込まれるように城中に滞在し続けていた。
家康は秀頼のことは殺したりしないこと、豊臣を滅ぼしたりはしない考えであることを阿茶局を通じて常高院へ伝えた。
常高院は城の政には関りを持たない姿勢を貫いていたが、彼女に話を聞かせることで、淀殿の耳に話が自然と入るように仕向けたのであった。
家康は、淀殿の気鬱が激しいことを考え、この両極端な性格を突くことで和睦に導くように仕向けようとしたのだ。常高院を通じての話で淀殿を安堵させる一方で、寄せ手には鉄砲と大筒で激しく攻め立てさせ、抜け穴がいつ大坂城の真下へと達し、城が突き崩されるかという恐怖心を同時に煽った。
それでもまだ、講和へと気持は傾かなかったのも、この堅固な大坂城が安全なところという思いがあったからであろう。
しかし、淀殿のそんな思いを打ち砕く事態が発生したのであった。
十二月十六日、城の北側、京橋口から撃ちこまれた大筒は、過たず大坂城の天守閣に命中。天守閣をわずかに西に傾けるほどであった。続く砲弾が淀殿の居室に飛び込むと、そこの箪笥や台子をなぎ倒し、侍女たちを死傷させた。
これには徳川方の片桐且元が大きく関わっていた。片桐且元は、大坂方にあって徳川方との戦を避けるために奔走していた。
且元は必死で家康との交渉を続けたが、方広寺鐘銘事件が起こって対立が激しくなると、家康と交渉している間に大野治長や淀殿から家康との内通を疑われるようになり、大坂城を逐電した。
この夏まで大坂城に居たわけであるから、どこに淀殿の部屋があるかもよく知っていた。大筒は且元が指し示す所を狙ったのである。
さらに砲弾が千畳敷きに飛び込む時には、文字通り淀殿の気持ちは打ち砕かれていたのである。
そして家康の思い通り、彼女の和睦への気持ちはあっけなく定まってしまったのであった。家康の執念と緻密な策が実を結んだ瞬間であった。
この知らせを家康は満足な気持ちで受け取った。一方、同じころ政宗もこの知らせを受け取り、別の意味で満足に感じるとともに、その野望の炎を心内に静かに燃やしていた。
孫兵衛も秀忠の陣所でこの知らせに触れ、ここからが正念場であることを痛感していた。