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淀む瞳の教員 4

二話の終わり、Part4です



・・・許せねえ・・・・!!



 青年は憤慨していた。その身を、憎悪と憤怒で焦がしていた。

負の感情の矛先は、目前で綽綽(しゃくしゃく)と煙草を吹かす男、外道忠信に向けられていた。



・・・コイツだけは・・・!





 青年は、私立高校“府熊殿学院”の生徒であった。

彼はその青春の殆どを、部活動、野球につぎ込んでいた。

学院に進学した理由は、県内の強豪校だったからである。


 青年の不運の始まりは二学年の末の事。

部活の間に走り込みをしていた彼は、突然に膝の痛みを訴え、医者の診察を受けた。

 青年は、膝に爆弾を抱えていた。言い渡されたのは長期間のリハビリ。

それでも、完治の見込みはあった。故に青年は、三年の夏には間に合わせると心に決めた。

だが、野球が好きな青年に取って、長期間野球に触れられない事実は、彼の心に暗い影を落としていた。



 ある時、煙草を吸おうと誘いを受けた。

青年に話を持ちかけたのは、彼と同じ野球部のメンバー数人。

しかし、彼らは野球部の中では不真面目であり、あまり青年と接点は無かった。

本来ならば、青年は野球に真摯であり、己から健康を害する物に手を出そうとは思わなかっただろう。

 しかし、長期のリハビリにより鬱積していた苛立ち、焦り、ストレスは、容易く青年の思考を泥沼に引き込んだ。


 魔が差してしまった。後に思えば、この時点で不運の連鎖は始まっていたのだろう。


『・・・ん・・?何だお前ら』


 誘われるままに訪れたプール裏で青年は、


『・・・気に入らねえな、おい』


 悪鬼と遭遇した。


『這いつくばれ』


 それは、前触れ無く降りかかった理不尽な災厄。

悪鬼は、誰一人として逃がさず、その暴虐で瞬く間に青年達を打ち据えた。

その中で青年の膝に蹴りが直撃した。


『お前らはこの場所でうっかり転んだ、そうだな?』


 膝の激痛に苦悶の声を上げる青年を踏み付けて、悪鬼はのたまった。

人でなし、そう青年は思った。

顔色すら変えず自分達を痛め付けた存在を、どうして、教師と呼べるか。

痛みに苦しみながらも、青年は悪鬼への抵抗心を捨てずにいた。


 こんなくそったれに屈してたまるか、と。

この場を切り抜ければ、この悪鬼も教師として終わりだ、と。


 そして、その怒りは、希望は、次の瞬間に淡く散る。


『俺の目を見ろ』


 その瞳を見た瞬間、青年は心臓を掴まれたかのような錯覚に陥った。

否、真の意味で、命を掌握されたのだ。

ただ、目を合わせただけで、黒い、光を映さない瞳が、青年達の心を縛り付けた。

恐怖に心を縛られてなお、目を閉じることが出来ない。

もはや青年達には、目の前の存在が人間とは思えなかった。


 

   この場に来てはいけなかったのだ



 その日、その場に居合わせた青年は、内に闇を植え付けられた。

あの後、どうやって家に帰ったかも覚えていない。

ただ、青年は漠然と、自身の終わりを感じていた。


 後日、青年の膝は、二度と治らないと診断された。





 気力を失い、学校にも姿を見せなくなった青年は、唯一つ、復讐心のみを心に留めていた。

己を不幸の底へと叩き落した悪鬼、外道忠信への復讐である。


 思いの外、機会は早くに訪れた。青年は、街中に一人佇む外道を見つけた。

そこからの行動は速く、直ぐに、あの日のメンバーを集めると、外道の入っていった路地に踏み込んだ。

だが、


・・・覚えてねえ、だと・・・!?


 青年の顔を見て、外道は長い時間を掛けて一言、誰だ、と。

外道が青年達を痛め付けたあの日から、未だ一週と時間を経ていない。

しかし、外道がこちらに向ける顔は、見知らぬ人間に対する物だ。


・・・ああ、そうかよ。もう許さねえ・・!


 青年は確信を得た。悪鬼は牙を向けた者の事など気にも留めていない。

その事実が、一層、青年に怒りを滾らせる。

 二つ指で煙草を転がす外道の表情は、前髪と眼鏡で隠れて見えない。

外道は、青年達を一瞥すると、小さく頷いた。


「ああ、確かお前ら、学院の野球部だろ。どっかで見た顔だと思ったら」


 誰のものとも分からない、拳を握り締める音が聞こえた。


 続けて、


「で・・・?何か用か?」


 煙草を銜えて問うた。

外道の発言と、青年の内で何かが切れたのは、ほぼ同時だった。


「っっ、死ねやあぁぁ!!」


 青年は怒りのままに金属バットを振り上げた。



  金属音が広場に反響した。





スタンドの照明で、小さく照らされる部屋がある。

府熊殿学院の職員室、その奥にある、壁に仕切られた一室。


 校長室である。

ガラス棚に入っている表彰状とトロフィーから、創立から築いてきた歴史の一端が見える。

棚の横の壁掛けには、墨の達筆で‘楽あれば苦あり’と書いてある。


 部屋の主、明石笑平は筆を走らせていた。内容はPTAの懇談会の通知である。

今日は、笑平自身が教師陣に提案した飲み会がある為、遅れないようにと筆の進みは速い。

しばらくして、通知を書き終えた笑平は、一段落として、息抜きに己の椅子を回した。

二回、三回と回転する椅子に背を預け、やふー、と子供のような声を出す。


 校長という職にありながら、笑平が生徒に好かれている理由には、

大人には見えない無邪気な一面も持っているという物がある。

神出鬼没である点を除けば、その行動原理は好奇心と遊び心で大部分が占められており、他の職員と比較して、親しみを持ちやすい事が大きい。


 自然に椅子が止まった後、笑平は向きを正すと再び仕事に戻る。

残る仕事は、己に届いた書類に目を通す作業だけだ。

 手元の書類の束を捲っていた笑平の手は、ある一枚で止まる。

退学願。そう書かれたプリントは、先日、生徒の一人が提出してきた物だ。

己の生徒が、自主的に退学を申し出た事は、笑平に取って受け入れ難い事実であり、

この数日間、書類に判を押すべきか、笑平を大きく悩ませている。


・・・やはり、外道君でしょうか・・。


 そして、その事に深く関係しているであろう教師、外道忠信。

外道については、生徒からかなりの陳情書類が上がって来ている。

その暴力的、若しくは、排他的な言動は、当然ながら悩みの種である。

しかし、笑平はそれ以上に、外道の事を心配していた。


 かつて、己の生徒として学院に在籍し、周囲の誰にも心を許さなかった青年、外道。

当時の笑平に、その心の壁を取り払う事は出来ず、結局、外道は行方を暗ました。

生徒の心を救えなかった事に、笑平は酷く心を痛めた。


 そうして数年前、行方の知れなかった外道が、教師として戻ってきた事には、

大きな安堵と喜びを得たものだ。しかし、


『もう、あんたの生徒じゃない』


 戻ってきた外道は、依然として心に壁を作っていた。

15年の経った今でも、外道は他者を受け入れようとしていない。


『毎日問題持ち込んで来るんで叩いてばっかりですよ』


 (いや)、と笑平は考え直す。

間違い無く、外道は変わってきている。


・・・きっと、彼から良い影響を受けていますね。


『あ、聞いてよアカッシー!こないだゲドちゃんがね―』


 笑平の脳裏に映されるのは、外道と対極の精神を有する、太陽のような少年、猫見光姫。

少年の眩い輝きが、外道に良い影響を与えているのではないか。

師の立場に立つ者として、光姫と外道の相互の成長を見守りたいと思う。


「やは、大いに結構。・・・しかし」


 府熊は寛容で陽気な土地と言われているが、あくまで寛容であるだけだ。

陰の気を振り撒く外道が、敵を作るのは時間の問題である。


・・・そういえば、野球部の彼、家に帰っていないと報告が来てますね。


「・・・大丈夫でしょうか」


 窓の向こう、小さく見えている街のネオンは、宵闇との(せめ)ぎ合いを繰り広げていた。





「・・・・・・かはっ・・!」


 肺から空気が吐き出される。

その身を襲った衝撃に耐え切れず、底冷えした夜の地面に身体は(くずお)れる。


「・・クソ、野郎が・・・!」


 怒りを込めた言葉は掠れていて、しかし、はっきりと広場に響く。


「手前っ、いつの間に、そんな物を!」


 地に伏した青年は、状況に理解が及ばず、変わらず煙草を吹かす外道に疑問をぶつける。

青年が金属バットを叩き付けた瞬間に、外道は動いていた。

半身を(わず)かに捻る動作で、青年の胴に目掛けて右腕を中段に振り抜いたのだ。

青年の腹部を穿(うが)った凶器、

錆びた鉄パイプは、薄ぼんやりとした街灯の光を映している。


「何の備えも無しに、(ただ)煙草吸ってると思ってたのか?馬鹿が・・」


 無表情で青年を見下ろし、嘲るように吐き捨てた外道は、鉄パイプで固い地面を打つ。

そこで、場の空気が、未だ凍り付いた(まま)である事を確認し、即座に次の行動に移った。


 倒れた青年の向こう、突然の凶行に対応が遅れた三人の男達、その内の最も距離の近い一人の顔に、深く鉄パイプを突き込む。骨の砕ける音と共にくぐもった悲鳴を上げて、男は仰向けに転がった。

 (きたね)えな、と外道は、鉄パイプに散った鼻血を(ぬぐ)う。

そこで、(ようや)く硬直の取れた残りの二人は、半ば恐慌気味に外道に襲い掛かった。


 二人は、視線で示し合わせ、未だその場を動こうとしない外道の前後に展開する。

彼等が選んだ方策は、現状で二人の取れる最善、正面と死角からの攻撃で確実に仕留める。

挟撃の策だ。


「うおおぉらあっ!!」


 外道の前方に陣取った男は、どら声を張り上げ、外道の額目がけて全力で得物を振るう。

(ただ)我武者羅に、殺すつもりで武器を振り下ろす。

この一撃が、防がれようが外れようが構わない。

攻撃の本命は、前方の男の突撃に続く、死角を取った男の外道の後頭部への一撃である。

外道が、二人の動きに対し、何の予備動作にも入らないのを見た時点で、二人は勝利を確信した。


 しかし、外道が滑稽だとでも言うように、口元を嘲りで歪めたのを、前方の男は目撃した。


「くだらんな、おい」


 瞬時、前方の男の足元を()ぐ動作で鉄パイプを打ち込んだ外道は、

痛みに身体を折った男の顔面に膝蹴りを見舞った。

更に、背後から振り下ろされたバットを半身で避け、軽く男の足を払う。

そして、重心を崩しよろめいた男の頭を鷲摑(わしづか)みにすると、広場の壁に大きく叩き付けた。



「お粗末」



 外道忠信に取って、闘いに不可欠な物は、確りとした下準備と敵に対する殺意。

敵の戦力を見誤り、且つ、敵を前にして油断を生じる愚行を晒した青年達に、

勝利を手にする事など出来るはずが無かったのだ。





 場に一応の決着がついたと外道は判断した。

外道が路地へ入ってから(およ)そ八分程が経った今、広場は死屍累々の様相を呈していた。


・・・・・あ、思い出した。


 外道は、己の脇に転がる邪魔な男を蹴飛ばし、未だ意識を保っている赤パーカーの青年に近付いた。


「お前ら、プール裏で煙草吸おうとしてた奴か。その時の恨みか、なあ」


「・・・ぐっ、手前さえ居なけりゃ、俺は、俺は・・・・!」


 倒れ伏して尚、青年は射殺さんばかりに外道を睨み付ける。

殺意の視線を意に介さない外道は、その眼鏡の奥で注視する物があった、


・・・いい色だ・・。


 青年の瞳である。

迷いが無く、しかし、過去に宿していた輝きを殺した青年の瞳は、外道の評価に値するものだった。


「手前だけは、絶対に、生かしちゃおけねえ!」


 殺意や憎悪の感情など慣れたものだ。だが、コレはいただけない。

殺意を行動に移してしまったのなら、そこで終わりだ。

青年はもう、抜け出せない沼の中に飛び込んでしまったのだ。





 呪詛を吐き続ける青年が気付いた時には、外道が得物を振りかぶっていた。


「・・もういい」


「何っっ?!っぎい!!」


 青年にあの日を思い出させるように、凶器は膝頭を強く打った。

あの日以上の痛みにもがく青年の体は、続く外道の踏み付けにより地に縫い付けられた。


「禍根は断たねえとな・・」


「な、ぐっ、何しやがる、放せっ!」


 外道は、ゆっくりと、凶器を振り(かざ)す。

傍目(はため)から見ても理解できる。鉄パイプは狂い無く、青年の頭部に打ち込まれるだろう。


「や、やめろっ、やめろよ、おいっ!」


「さよならだ・・諦めろ」


 その時、青年は外道とまっすぐ視線がかち合った。


・・・そういう事かよ、畜生・・。


 青年は思い違いをしていた。

他者を(しいた)げ、罵り、その不幸をせせら笑う。それが外道忠信であるのだと。

 だが、違った。この男は、悪逆非道の性さえも、隠れ蓑にしていたのだ。


 この人間崩れ(・・・・)は、最初から青年の事など見ていなかった。

他者を瞳に映していなかったのだ。


「野垂れ死ね・・」


「やめろおぉぉ!!」


  

  凶器が弧を描いた。





「――い。お―い、ゲドちゃ―ん。ドコだ――?」





 外道は振り下ろそうとした手を止めた。


 聞き間違いだろうか。何故か己の良く知る問題児の声が聞こえたのだ。

学校からも家からも遠い、この街の路地の中に。

あの問題児に関わり過ぎて耳まで冒されてしまったのかも知れない。さっきのは幻聴で間違い無い。


「ゲドちゃーん、ドコにいんの~?お―い」


・・・何故ここに居るんだ馬鹿野郎・・。


 流石に二回目の否定は苦しい。アイツの声だ。距離的に、すぐ近くに居る事が分かる。

己の場所まで来られるのも不味いと判断した外道は、野球部の四人が気絶している事を確認して広場を出た。

 路地から出ると、直ぐに光姫と鉢合わせした。


「おっ、ゲドちゃん居た居た。ここで何してんの?」


「煙草吸ってたんだよ。お前こそ、何でこんな所に居る」


 外道は言外に邪魔だと示唆するが問題児は気付いてない。


「そうそう図書館でゲドちゃん待ってたら寝ちゃってさ。ゲドちゃんもう帰ったって聞いて、で、コッチの方にいないかな―って探してたらゲドちゃんのバイク停めてあんの見つけたんだ」


 普通、バイクで帰った人間を追っかける馬鹿は居ないと外道は思うが、

内心で、コイツ馬鹿だったわ、と再確認し自己解決した。


「・・・何で待ってたんだ」


「ん?一緒に帰ろうかなって思ってさ、えへへ、ってアイタッ!何だよぅ」


・・・デコピンで抑えた俺は頑張った。今回は明らかにコイツの所為だろ。


 傍迷惑な気まぐれに付き合わされる身にもなってほしい。馬鹿はタイミングも悪いから最悪だ。

しかも、殆ど感覚に任せて己の場所に辿り着いたあたり本当に性質(たち)が悪い。


 屈託の無い笑みの問題児を無視してバイクに乗り込もうとした外道だが、

路地に入る前に故障していた事を思い出した。

外道としては、これ以上路地の近くで時間を食うと、

面倒な事(・・・・)になる予感がしているので早く帰りたいのだが、


・・・あまり、やりたかないが・・・・。


 考えた末、一つだけ解決法が思い付いた。

外道が選びたくない苦肉の策であるが、四の五の言っていられない。

 外道は己に背後から話し続けている光姫に向き直る。


「・・・おい、バイクに乗れ。連れてってやる」


「えっマジで!?珍しく優しいねゲドちゃん!」


「それとお前、来月は小遣い抜きだ」


「え?!何その唐突なアメとムチ!ねえ何で!?」


「いいから早く乗れ、おら」


 騒ぐ馬鹿を‘スコール’の後部座席に放り投げる。

鉄パイプを席の横に掛けると、バイクに鍵を差し回す。


・・・やっぱりか。


 驚く程簡単に、バイクは息を吹き返した。

喜ぶべき事だが、外道は()()ましげに舌を打った。

この状況でバイクが復活する理由など一つしかない。

外道は後部座席の問題児に呆れを含んだ視線を向ける。


 猫見光姫は天に愛されている。端的に言えば豪運である。

とにかく運が好い、言葉にしてしまえばその程度だが、傍から見れば異常なのだ。

運気の絡むものなら凄まじい当たりを披露し、不幸な事態にも陥らない。

過去に数学の授業で、外道が100%選択問題のテストを出した際、10割の得点率を叩き出し、それ以降テストで1問も選択問題が出る事は無かった。

 日頃、不運に悩まされる外道にとって、対極とも言える運気の塊である光姫には妬みに近い苛立ちが僅かにあるのだ。今も、急ぎでなければその運に(すが)る真似はしたくなかった。


「出すぞ」


「あれ、ゲドちゃんヘルメット被らなくていいの?」


「捕まらなけりゃ問題無い」


 捕まらなければ罰せられる事は無い。


「悪い事すると正義の味方が来ちゃうぜ?」


「んな軽犯罪にまで出張(でば)ってたらヒーローは過労死するだろうな」



・・・それに正義の味方は今ごろ、別件で飛んでる筈だ。





 四名の青年達が倒れ伏す、歓楽街の夜の路地。

その場に僅かに射し込む天の月光を裂いて一人の巨漢が降り立った。


「ぬうぅぅるあぁ!!現場はここか?」


 巨漢は場を見回す。


「ぬぅ、まさか傷害事件とはな・・・。犯人は・・取り逃がしたか。

平穏をみだりに崩す者、許しはせんぞ・・・!っと、今は彼らを助けてやらねばな」


 巨漢が動き出して同時、四人の内の一人が目を覚ました。


「・・・ひぃっ!な、何だお前!?」


「案ずる事は無い青年よ、吾輩が今から近場の病院へと運んであげよう」


 巨漢は青年達をまとめて脇に抱えると、膝を曲げて屈んだ。


「お、おい!あんた、一体何を」


「Ⅰ can fly!ぬうるあああぁぁぁぁ」


「うわあああぁぁぁぁぁぁ―」




 その時間帯、多くの市民が空を飛ぶ巨漢の影を目撃したが、特に気にする者は居なかった。




 景色が流れゆく。

市街の大通りを‘スコール’で走り抜けながら、外道は後ろへ流れるネオンを見ていた。


 府熊市は、陽気の性を持つ。その活気は日常のあらゆる場で見られ、歓楽街はそれが特に目立つ。

昼夜問わず(にぎ)わいを見せる町並は、良く言えば活発、悪く言えば落ち着きが無い。


 すれ違う通行人や車両の何人かは、ヘルメット無しで走行する二人をぎょっとした顔で二度見するが、それが外道と光姫なのが分かると、納得したのか直ぐに平常に戻った。

 あの反応は慣れか馴染みのどちらだろうか、と外道は考える。

少なくとも、顔を覚えられる程度には受け入れられているのだろう。

この街に来た当初など、コミュニケーション能力の絶望的な自身に周囲は対応に困っていたのだ。


「えへへ」


 外道の後ろで鞄を抱えている光姫は、何故か照れたように笑っている。

両手で鞄を持っているのは、以前に後ろに乗った時、空いた両手で外道の脇腹に抱き付き、

うぜえ、と蹴り落とされた経験から学んでの事だ。


「・・おい、何が可笑(おか)しい」


 うっとおしい、と外道は眉根に皺を寄せ問う。


「え?う―ん、楽しいから!」


「何がだ・・」


 詳細の催促に光姫は顎に手を当て唸る。


「んとね、・・・全部!」


 何が楽しいと聞かれて全部と返すのは具体性の欠片も無い。

 光姫とは長い付き合い故に、語彙力が貧弱なのは知っている。

料理を食せば美味いと叫び、遊びに走れば楽しいと笑う。

読書感想文を書かせれば10行で完成する程だ。

むしろ、今まで複雑な表現をした所など見たことが無い。

単純な思考回路だと苦労もしないだろう、と別段(うらや)む事も無く外道は断ずる。


 そこで、ふと疑問が()いた。


・・・コイツは何か変わったか?


 外道と光姫が出逢って五年と少し、果たして、光姫に変化はあったのか。


・・・変わらんよな・・・。


 ミラーを流し見れば、映るのは何の淀みも無い笑顔。


「え~と、今日は、怒雷門見て、マコちゃんやナナちゃんやギンちゃんと話して、

あっカオリちゃんからカツオ煎餅もらったんだった。あと―」


 楽しそうに指を折って今日の報告をする光姫を見て、外道は苛立ちを覚えた。

何故、と心の内に問うても答えは無い。

その(まばゆ)さが、無邪気さが、どうしようもなく外道の心に波を立てた。


「お前は何でも楽しく感じるんだな。・・・幸せな奴だ」


「えへへ・・・」


「褒めてねえよ」


 皮肉も通じない、強敵だ。何があっても楽しい楽しいと、本当に子供のようだと思う。

年齢は16、とてもじゃないが年に見合った精神を持っているとも言い難い。しかも馬鹿だ。

 大人になれない、だが、子供でもない。苦労を知っていて、しかし、苦労を感じない。

馬鹿げた精神構造だと思う。そんな、理解不能の輝きを認める訳にはいかない。


「楽しいよ。ゲドちゃんのお陰でもあんだぜ?」


「・・あん?何だそりゃ」


 唐突に、光姫は感謝の言葉を紡ぐ。言葉は、更に笑顔で続く。


「だって、ゲドちゃんが居て、マコちゃんやナナちゃん、皆が居て、毎日が楽しくない訳無いよ」


 外道は、これ以上光姫に喋らせたくなかった。だが、制止の行動に体が動かない。

一つ一つの言葉の輝きが、己の性と対極の色が、外道を苦しめる毒として降り注ぐ。

一度、照れ臭そうに間を置いて、光姫は口を開く。今日見せる一番の笑顔を乗せて。



「僕は、幸せだよ」



・・・ああ、最初から理解していた事だ。


 出逢ったその時から、相容れない事など分かっていた。それでも、共に生きる道を選んだのだ。


「・・・・・・・・・光姫」


「ん?どったの?」


 外道が光姫に向ける感情は複雑で、外道でさえも正しく把握してはいない。


「これだけは言っておく」


「なになに、なにさ?」


 だが、それでも外道は、己が己である為に、自身の感情に一先(ひとま)ずの結論を下した。


「俺は、お前が・・・・・・気に入らない」


「ええっ!?何で!?何かさっきまでイイ感じの雰囲気だったじゃんか!僕なんかした!?」


「やかましい、ほら、ここまでだ、さっさと降りろ」


 何時(いつ)の間にかバイクは繁華街を抜け、二人のそれぞれの家に分かれる住宅街の小道で停まっていた。


「え―、ここまで来たら最後まで乗せてってくれても」


「振り落とされたいか?」


 肘で突かれ、戦戦恐恐としながら光姫はバイクを降りる。


「ま、いっか。走って帰ろっと。ゲドちゃんまた明日ね~」


 足を数回伸ばし、その場で何度か跳ねると、光姫は一気に駆け出して行った。

光姫の背を見送った外道は、紫煙をゆっくりと吐き出し、煙草を溝に放り捨てる。

次の一本へと手を伸ばすが、箱は空になっていた。





「・・・ふう」


 帰って来て早々に、予備の煙草に火を点けた外道は、リビングに座り込む。

首を回せば小気味良く骨が鳴る。感覚的に今日は災難続きだった気もする。


 馬鹿はやかましいし、金髪女装は目障りだし、白髪ジジイは自重しねえし、


・・・そんなに昨日と変わらねえな。日常、か?


 そこまで考えて、外道は拳を机に叩き付けた。

今、自分は嫌いな奴等を日常に組み込もうとしていた。

どうも、馬鹿の所為で日常感覚が狂っているのかも知れない。

明日、拳骨だな、と呟きながら外道は紫煙を吹かした。


・・・そう言えば、野球部の奴等は何だったんだ。訳が分からん。


 分からない事を考えても仕方が無い。外道は冷蔵庫を開けた。

中には相も変わらずコンビニ弁当。覚えている限りここ数日は朝晩とも弁当しか食べていない。


・・・んな事ならハゲ(五十嵐)に誘われた飲み会行くんだった。・・・いや無理か。


 人と話す事なんて何も無い。何より、外道は校長に会いたくなかった。


 外道は、冷えた青椒肉絲をもそもそと咀嚼(そしゃく)しながら鞄から取り出したプリントを広げる。

プリントは今日の授業でやった小テスト。今からするのはその採点だ。

暫く採点を続け、2―B生徒の束に取り掛かる。


「・・・正生は満点、と。次は・・・」


 プリントを捲ると、次は猫見光姫と書かれており、外道は反射的に顔を(しか)めた。


「はあ・・、さて・・・ん?コイツは・・・」


 プリントは予想外に記述がされており外道は眉を上げた。問題は全て埋められている。

 全問正解―であるなら仰天しただろうが、全ての問題が解法どころか計算も間違えている。


「適当にやってんじゃねえよ、ったく」


 また、明日も拳骨だな、これは。まあ、今日よりは軽くしといてやろう。

外道は、何時の間にか上がっていた口角を元に戻し、テレビの電源を入れる。


「・・・・・ん?」


 電源が入らない。リモコンを確かめるが電池は入れ換えたばかりだ。

本体の電源スイッチを押すが、これも反応せず。コンセントも抜けていない。


「壊れてやがる・・・・・・」


 またか、と外道は目を覆った。何故、俺の所有物は壊れやすいんだ、と。

前の代のテレビは、見ている最中に液晶が真っ二つに割れて再起不能となった。

府熊に戻って来てから一年と持った電化製品があっただろうか。


 また買い換えか、と考え始めた外道は内でストップを掛けた。


・・・つくづく、タイミングの悪いバカだ。


 問題児の皺寄せで外道の財布は寒い状態なのだ。


・・・今日の俺はとことん、



「ついてないな」



 ~了~

<おまけ 飲み会>


生徒指導部「だいたいさ、仕事が多すぎるんですよ!」


生徒指導部「私達が頑張って終わらせてもすぐに仕事増えるし」


生徒指導部「そもそも俺達より圧倒的に仕事速いはずの雨切先生がどっかいっちゃうし」


生徒指導部「「「ちょっと!聞いてるんですか!雨切先生!!」」」


「あー、うん、聞いてる聞いてる。あ、店員さん、その鯖カツカレー僕のだよー。

うまうま、うん、で、えっと何だっけ?あ、誰かに苛められてるんだっけ?

怖いよねぇ、パワハラとかさ、じゃあ僕がその人にバシッと言ったげるよ。

それで、誰に言えばいいのかな?」


生徒指導部「「「鏡を見ろぉ―!!!」」」



「ひっく、わたしだって25になるのに、みんながわたしのこと子供扱いするんですよ。

このあいだ実家に帰ったら、お母さん、わたしの顔見た途端、

‘おとーさん!カオリが孫を連れて来たわ!’って、なんですか!

わたしそんなに子供に見えるんですか!ねえ!きいてますかイガラシせんせー!!」


「おい白瀧、ちょっと飲み過ぎだな手前。

まあ、甘いモンでも食って落ち着けや。動物が描いてあるビスケットとかあるぞ?

ほら、オレンジジュースもあるから」


「全然きいてないじゃないですか―!!」


――――


というわけでPart4でした。

これで‘淀む瞳の教員’は終わりです。


ちゃうねん、胸糞な悪役を書きたかったんとちゃうんや

外道が外道(意味不明)だっただけなのです



それでは補足どうぞ


外道忠信 そとみち ただのぶ

32歳 黒髪のぼさついたツンツン頭 伊達眼鏡 

府熊殿学院教師。2―B担任の数学教師

皮肉屋で悪辣

猫見光姫とは養父養子の関係。

重度のヘヴィスモーカー

料理の結果が壊滅的


猫見光姫 ねこみ みつき

16歳 長めの黒髪

2―B生徒。

天真爛漫

生まれ付きで耳が猫の耳。

外道忠信の養子。バカ

好物は鰹節と牛乳。


正義の味方

府熊市の名物。町の平穏を守る正体不明の巨漢。

魂の叫びを上げて空を飛んでいく。


赤パーカー

完全にゲドーのとばっちりを受けた青年




感想・質問等ありましたらお待ちしてます



[次回予告]


○次回のタデスキもトラブルの連続!?ボクの行動がとんでもない事に!

□おいおい

×またかい

△いつも通り


○更には街の住人や怖い人達も加わりてんやわんやの大騒ぎ!

□マジかよ!?

×ごっつ嫌な予感

△いつも通り


○和気藹々で阿鼻叫喚!?事態は銃弾飛び交い血で血を洗うデッドヒートに突入!

△いつも通り

□×んな訳あるかー!


次回 トラブルメイカース


●いい加減にしろよ・・・!

○ギャー、ゲドちゃん!?




それでは、また会いましょう。

次回はかなり時間が空きそうです。

タデスキをよろしくおねがいします。


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