淀む瞳の教員 1
二話(4分割)です
ここから主要キャラクターが増えていきます
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窓から青白い光が差し込む。近所の犬は何が気に障るのか番犬よろしく吠え続けている。
隣の民家からは80を過ぎた爺さんの痰が絡んで吐き出される音が聞こえて来る。
午前5時。日々の習慣としては早く、二度寝を決め込むには少々遅い時間だ。
目覚めて直ぐに煙草に火を点ける。銘柄は何年も前から‘灰神楽’だ。
煙で肺を満たしつつ朝飯の準備をする。と言っても冷蔵庫の中身はコンビニ弁当と水のみだ。
温めもせず机に弁当を広げ、テレビの電源を入れる。
一月前に買い換えたテレビは早くも故障の兆しを見せ始めている。
青みの濃くかかった液晶画面は見ていて気分の良い物ではない。
冷たくパサついた弁当に手をつけながら早朝のニュース報道に意識を向ける。
ニューステロップには『正義の味方?銀行強盗犯退治!』と打たれており、
強盗犯逮捕に貢献した謎の人物について報じられている。
全く興味が無い。この事件が起きたことなどニュースを見る前から知っていた。
なぜなら、俺の住むこの府熊市内で発生した事だからだ。
丁度その時、街で煙草を買っていた俺は、強盗犯を縛り上げ飛んで行く怪しさ満天の巨漢を目撃した。
と言うかあんなでかい声出してたら誰だって気付く。
興味が無い理由がもう一つ、見慣れているのだ。
この市に住み始めて数年が経つが、あの巨漢を見た回数は一度や二度ではない。
初見では度肝を抜かれたが、何度目かで市の名物なのだと分かった。
更にはこの府熊の地、件の巨漢を含めて奇人変人の出現頻度が異常に高い。
この間に街で見かけた珍妙な格好をした中国人がクリニックを開き(医師免許を持っているかも疑わしい)、頭の痛くなるような電波ソングを垂れ流していたのは記憶に新しい。
さっきのニュース報道も他局の物だし、今の時間は地元の局は取りとめも無い事を紹介している。
仮に市内の住民があのニュースを見たとして‘ああ、またか’と言う感想だけで済ますだろう。
それが府熊での日常なのだ。
弁当も食べ終わり、やる事も無いのでさっさとアパートを出る事にした。
出掛けの玄関前で外れかけていた床板を派手に踏み抜いた。
・・・・ボロアパートめ。
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バイクを停める。目前に見えているのは俺の職場“府熊殿学院”だ。
創設は1920年、今年で創立95年の伝統と歴史ある市内最大規模の学校である。正直どうでもいいが。
校門前には三頭身の丸い頭のブロンズ像が建てられている。
何も知らない人間がこの銅像を見たとしても、この学園の最高権力者の、しかも等身大の像だと予測する事は不可能だろう。絵本に出てきそうだ。
職員室に入り、デスクに荷物を広げると作業を始める。
つい昨日に行った数学の小テスト、その採点だ。
早く正確に丸付けをしていく。が、暫くして一つのプリントで手を止める。
問題を解かず何も書かれていない用紙。唯一、記述されているのは名前のみ。
「・・・・・猫見か」
一切ノータッチのプリントに怒りを覚えるが、その名前を見て納得する自分が居る。
――――猫見 光姫――
姫の字が思い出せなかったのか散々消しゴムで擦った跡があるが、結局はカタカナで落ち着いている。
俺が担任を受け持つ2-Bクラス。
そのクラスで一番の、否、学校一かも知れない超問題児、それが猫見光姫という男だ。
常に騒がしく、まるで息をするように問題を起こしまくる。
大抵の騒動の中心にコイツがいるのではないか。その上非常に頭が悪い。
学院に取って大きな悩みの種だ。‘災い招き’などと呼ばれるのも頷ける。
ゴムボールは大いに結構と笑っていたが。
脳裏に猫耳を揺らし天真爛漫な笑みを浮かべたクソガキを描き俺は溜め息を吐いた。
「おや、何かお困りですか、外道先生。どうぞ」
そう言い、コーヒー二つを手に近付いてくるのは、角刈りで体格の良い国語教師雲野だ。
「有難う御座います。・・・いや、ウチのクラスの猫見の事で」
コーヒーを胃に押し遣り眠気を払い答える。
「ああ、猫見君ですか。確かに・・・手の掛かる子ですからね」
「直球で馬鹿と呼ばれても問題無いですよ先生」
馬鹿と言わないのはこの人の優しさだろう。いやいやと苦笑する大柄な雲野を見上げる。
――近くで見るとでかいよなあ。
俺の身長は平均より上だが、この雲野、俺より更に二回り程大きい。
230cm。世界中を探しても稀なレベルの巨体を有する彼は初見では人に避けられ易い。
しかし、その内面は温厚篤実を体現したような人の良さで、生徒と教師からの信頼は厚い。
先日、学校の生徒が秘密裏に行っていた教員人気投票なるものでは見事に首位の座に輝いた。
・・・俺は下から数えた方が早かった。
「猫見君も丁寧に教えれば、きっと分かってくれますよ」
「・・・無理じゃないですかね」
話題に上がっている問題児は物覚えもよろしくない。だからこその悩みの種なのだ。
雲野と話している間に新たに二人の教師が職員室に入り、こちらを見るなり近付いて来た。
「外道くーん。おっはよう!」
「ヤッ!?外道クン、君はいつも顔色が優れないネ?ワシ特製のサプリメントは如何かナ!?」
面倒な、否、うっとうしい奴等が来た。思わず顔を顰めたが舌打ちは我慢した。
話し掛けてきたのは金髪と白髪、英語教師と生物教師の二人だ。
「・・・おはよう御座います雪平先生。ジジ、いや木原先生、結構ですから薬をしまってください」
「もう、挨拶が硬いわよ。気軽にリョウコって呼んでいいのに」
「ヤヤ!?そうかネ?ではコレは雲野クンに贈るとしようネ!」
金髪の英語教師、雪平は俺の前で奇妙に身をクネらせている。
こいつは普段から俺に話し掛けてくるわ目の前で奇怪な行動するわで物凄くうっとうしい。
過去に一度シバき倒したら何故か更に接触してくるようになった変人である。
白髪の生物教師、木原は苦笑いする雲野にサプリメントを押し付けている。
目の焦点の合ってない小柄なジジイもとい生物教師は誰にでも自分の作った怪しげな薬を処方しようと
するので、生徒、教師問わず恐れられている。
人の良い雲野は薬の押し付けを断れず真面目に服用している。そんな話は生徒の耳にも届き、
木原から薬を受け取ってしまった生徒は、まるで駆け込み寺の如く雲野に薬を持っていくそうだ。
最近、雲野のデスクの引き出しに胃薬が入れられたのを俺は知っている。
「外道君と雲野さんは何を話してたの?」
「猫見君についてですよ」
雪平の質問で再び問題児の話題に戻る。俺としてはもうあのバカの事を考えたく無いんだが。
「あぁ、猫見君ね、かわいいわよね、耳もキュートだし」
「ヤ、あれだけ元気ならワシの薬要らずじゃな!」
この奇人変人共はどこか一般人と評価基準が狂っているが全て間違っている訳では無い。
あのクソガキは確かにバカだが嫌われてはいない。むしろ人を惹き付ける魅力を持っている。
これでバカで無けりゃ、いや、やめやめ、これ以上アイツの事は考えたく無い。
深い溜め息を吐くと俺の顔を見ていた雪平がいきなりにやけ顔になった。
「悩んでいる外道君も素敵!私が慰めてアゲル!」
突然、両手を広げてこちらに迫って来た雪平を地面に叩き伏せる。
こいつと同じ場所に居るのも面倒だ、朝の鐘が鳴る時間なのでそろそろ出るか。
「あっ、外道先生、これを忘れてますよ」
職員室から出ようとした俺に雲野がプレートを手渡してくる。
教員に支給されているネームプレートだ。
府熊殿学院
外道 忠信
俺の名の印刷されたネームプレートを胸に付けると廊下に出た。
行き先は俺の担当教室2-B。
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2-B
自身が担任を務めるクラスに入った外道は静寂を肌で感じた。
浅く空間に漂うのは熱と音の残滓。つい先程まで学生特有の喧騒が場を包んでいた証左である。
2-Bは学院でも有数の活力で満ちたクラスである。しかし、今この場を支配しているのは冷、静寂である。
その原因を作っているのは他ならぬ教員、外道忠信であった。
昨年度の当初、外道は己の数学の授業で私語をした若しくは騒いだ生徒に対し
教育的指導で黙らせる凶行に走り、新入生全員を震撼させた。
その後、押しかけて来た生徒の親とどのような話し合いがされたか定かでは無い。
しかし、外道は何の処罰も受けず、今も恐怖の授業を続けている。
そういった事から外道には、最大級の畏怖と侮蔑、出涸らし程度の親しみを込めて
‘ゲドー’と言う渾名が与えられている。
外道は特に伝える事項も無いので日直の名を呼びSHRの進行を丸投げした。
校庭側の窓を開け放ち‘灰神楽’に火を灯す。そうして銜え煙草のままで出席簿にチェックを入れる。
このクラスで遅刻をする者は殆ど居ない。少なくとも新学期に入ってからは遅刻者を見ていない。
その最たる原因もやはり外道にあった。暴力教師は当然遅刻する者にも容赦しない。
警告無しで放たれる鉄拳は、2-B生徒の出席率をほぼ100%に引き上げる程に恐怖を振り撒いていた。
クラス内の静寂に心地良く出席を取っていた外道は、はて、と違和感を得た。
――――このクラスはこんなに静かだったか?
何か、この静けさには何かが足りていない。
心地良い静寂の筈、しかし、2-Bクラスとして決定的に欠けている。
外道の記憶では昨日の同時刻、このクラスは外道が入って来てもかなり騒々しい空気だった。
原因は何だったか、と外道はクラスを見回して違和感の正体に気付いた。
――――奴が居ない・・・・。
思考と同時、廊下を駆ける足音が聞こえてきた。
足音は徐々にクラスに近づき、通り過ぎかけた所でブレーキを掛けて止まる。
それは教室の扉を勢い良く開け放った。
「おっはよ~!」
教室に入って来た少年は快活に挨拶を行う。
艶のある黒髪と、それと同色の猫の耳を揺らし、ニコニコと人好きの笑みを浮かべる少年に、
少年のクラスメイトは苦笑しながらも挨拶を返す。
外道は先程まで完全に失念していた。
2-Bの騒ぎのほぼ全てに係わる問題児、猫見光姫について。
光姫は己を睨み付ける担任教師に気付く事無く友人に話し掛ける。
「マコちゃん、おっは~!」
「おいミツ、完璧に遅刻じゃねえか。何やってたんだよ」
「いや~、怒雷門が面白くってさ。うん・・?遅刻・・・?」
光姫は訝しげに壁掛け時計をちらりと見やり、
「・・・うん!大丈夫大丈夫!こう言うの何てえの?えーと、そう!セーフ、ギリセーフ!」
「残念ながらアウトだ馬鹿が」
不意に浴びせられた濃密な怒気、息の詰まるほどに凍り付いた空気を感じて、
光姫は己の背後で仁王立ちをしている外道に漸く気付いたが、些か遅過ぎた。
瞬時、外道は握り込んだ右拳を遅刻生徒の頭上に振り落とした。
ダンボール箱を叩き潰したかの様な鈍い音が教室に響く。
「イッッた~痛い超痛い!!うおぉ、ゲドちゃん殴んなよバカになんだろ!?」
「やかましい、遅刻する方が悪い」
それにお前はこれ以上馬鹿にならんから安心だな、
と続ける外道に煙で吹かれ、光姫は歯を剥いて怒りを表す。
「あの~先生、煙草は出来れば外の方でお願いします」
「ん?ああ、そうするか」
両者が暫く睨み合っていたところ、外道は生徒の指摘を受けて喫煙室に向かうと決めた。
少し生徒が怯えているのは外道の教育的指導を警戒しているからか。
・・・・そこまで見境無しじゃねえよ。
外道は足早に教室から出て行こうとして、しかし思い直すと反転、
光姫の所まで戻って来ると再び拳骨を叩き込んだ。
空き缶を蹴り飛ばした様な快音が響いた。
コメディさながらに大きなタンコブを作った光姫は唸る。
「ニャンッ!?2回目・・・は身に覚えが無えぜ、何で僕殴られたの!?」
馬鹿はそれだけで罪だと外道は思うが面倒なので口には出さない。
2回目の拳骨の理由は、
「・・・お前、昨日の小テスト白紙だったぞ、真面目にやれ馬鹿野郎」
「名前は書いてたヒィッごめんごめんごめん」
一睨みで馬鹿を黙らせる。
だいたい自分の名前すら漢字で書けてない奴が何をほざくか。
「いや、でもだよゲドちゃん、分かんなくて書けなかったぜ?」
「・・・・今教えてる範囲の復習だったんだが・・?」
少なくとも普通に授業を受けて一問も解けないような難問を出した積もりは無い。
当然、原因は光姫にある。
外道の教える数学、その間に光姫がやっている事と言えば質問するか寝るかのどちらかだ。
一:授業内容を理解しない光姫は黒板と教科書の双方を見ては首を捻っている。
その様子には外道も光姫の頭上に浮く大量の疑問符を幻視した。
そうして光姫は友人に質問しようとするが、大きく良く通る彼の声音は暴力教師に私語と認定され即刻鎮圧される。
二:ならばと光姫は外道に直接質問をぶつけるが、そもそも外道は授業進行重視のスタイルなので一切の質問を受け付けない。(単純に光姫に取り合うのが面倒、と言うのもあるが)
それでも食い下がろうとしてまた鎮圧される。
三:そして授業について来れなくなった光姫は、いつしかテキストに顔を埋め、意識も鉛筆も放り出し、
すやすやと寝息を立て始め、言うまでも無く無表情の数学教師直々にTEKKENが振るわれる。
ここまでが数学の授業で必ず起きる流れである。
――――コイツには拳しか振るってない気がするな・・・。
教師の体罰が罷り通るなんて事は一昔前の話だ。
それでも手が出るのは外道の短気故か、あるいは・・。
外道は必死に言い訳を考える光姫を半目で見る。
先日は数学が二限連続だった事もあり、8回は拳がグーで飛んだ。
だが、外道としては己が暴力教師などと恐れられるのは何処か納得しかねる物がある。
――――授業はしっかり進めてるし、質問は授業後なら受け付けてる。機嫌が悪いときはつい叩きのめす事もあるが、話し掛けて来る方が悪い。それに最近は隠れて煙草吸おうとしてた不良に教育的指導をした以外は、このバカぐらいだ。まあ、つまり――――
全部この馬鹿が悪い、と外道が内で締め括った所で光姫が言葉を放つ。
「うん、つまりゲドちゃんの教え方が悪かっ、ちょっストップ!タンマタンマ!!」
光姫はゆっくりと拳を振り翳した外道を慌てて止める。
必死に考え出された言い訳は、的確に外道の抑えていた怒りを踏み付けた。
外道から漏れ出したどす黒いオーラに当たり、ひいっ、と周囲が遠ざかる。
「は、はは、すぐに手を出すの止めようぜゲドちゃん。怖いぜ」
「・・ああ、俺も心が痛むさ。可愛い生徒を殴るのはな」
「こ、この暴力教師・・・!笑いながらそんな事言ったってちっとも説得力無いよ!さてはアレだな!?僕を笑い物にしてるな!?どうだ、この名推理!」
「当たり前だ馬鹿、それ以外に何がある」
何処が名推理なのか意味不明だが、
それよりも外道は知らぬ間に己の口を笑いで歪めていた事に小さく驚き直ぐにフラットに戻した。
ぐぬぅと唸る光姫を無視して話を進める。
「次に馬鹿な事したらどうなるか楽しみだな、おい」
「あっ、また暴力に訴える気だろ!
ゲドちゃん大人なんだからもう少し手加減してくれても良いと思いマス!うん」
殴られるのを警戒してか頭を庇って妙な敬語で喋る光姫に、再び怒りが蓄積していく外道。
故に、ストレス発散に先ず嗤う。続けて、
「ふっ、確かに大人気無かったかもな。反省するか・・・」
「あれ?ホント?今日のゲドちゃんやけに素直」
「選択肢くらいは与えるべきだよな」
「・・へ?」
「自分のペナルティぐらい選びたいよなあ。
だ か ら、大人である俺はお前に選ばせてやるよ」
1.根性焼き
2.鼻を折る
3.猫耳を千切る
「さあ選べ。3択だ」
光姫は青褪めた。
「にゃぁ!り、リアルに痛そうなのばっかじゃんか!?手加減せずに本気出してどうすんの!?
って、てか3番はダメダメダメッ、絶対ダメだかんな!?」
「1と2は良いのか、ミツ」
友人の指摘を受け光姫は全力で否定している。
ふと時計を見るとそろそろ一限目が始まる時間で生徒も準備を始めている。
今度こそ用は済んだので外道は喫煙室に向かう。
未だに騒いでいる問題児を出席簿の角で黙らせるのも忘れない。
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喫煙室。
府熊殿学院の一階の片隅にあるその一室は、生徒には全く知られていない。
学院の設計上のミスにより、出入口の扉が校舎外に作られており、その扉も非常用階段の裏手に隠れる位置にあり人目に付く事はまず無い。
因って喫煙室を知る者は相当に校内地図を読み込んでいる者か喫煙者くらいだろう。
現在、そこを利用しているのは黒ジャージ姿に禿頭の男一人。
体育教師、五十嵐 我統は休息を取っていた。
指に摘んだ煙草は‘ディーツー’と呼ばれている物だ。平生で着けている鴉マスクは今は外している。
彼が煙草を吸い終えた時、喫煙室の扉が開いた。
入って来たのは服を着崩したぼさぼさとした黒髪の眼鏡の男。
我統の同僚である数学教師だ。
「おう外道、そろそろ手前が来るんじゃねえかと思ってた所だ」
既に銜え煙草の外道は、我統の呼び掛けに短く返事をして紫煙を吐き出す。
二人は暇があれば喫煙室に足を運ぶので顔見知りである。
基本的に何も喋らない外道に一方的に我統が話し掛ける友人未満の関係と言った所か。
外道は備え付けのソファーに音を立てて座り込んだ。
その様子を見た我統は外道が苛立っている事に気付いた。
日頃から仏頂面の外道だがそれでも腹を立てる事となると限られてくる。
「手前のその機嫌の悪さは、大方、猫見に関係してるだろ」
「・・・・ああ」
我統の推察に外道は眉間に皺を寄せて返す。
心底面倒そうな顔つきで銜えていた煙草を噛み潰した。煙草を無駄にした事で更に不機嫌さが増す。
腹立ち紛れに潰れた煙草を灰皿で磨り潰す外道に苦笑し我統は思いを廻らす。
件の少年、光姫は日常的にトラブルを起こしまくっている為、我統の兼任している生徒指導部でしばしば面倒を見ることがある。
・・・不思議な餓鬼だ。
それが我統が光姫に抱く印象である。その印象は、光姫の生まれ付きの獣耳から生じた物ではなく、人柄により感じ取った物だった。我統が出会った人間の中でも類を見ない程に光姫は純粋で、その心の色は年齢に適わない透明なものを持っていた。
我統はつい先日、光姫が校内で起こした騒動を思い出した。
光姫は階段の手すりを滑り台に見立ててショートカットを目論んだが、途中で勢い余って跳躍、2階と3階の間の大窓を回転体当たりでぶち破り、中庭方面へ落下していったのだ。
中庭から騒ぎを目撃していた我統は、
素知らぬ顔で立ち去ろうとする問題児を生徒指導部へ放り込んだのだが、
『まったくなあ・・・、手前が何したか分かってんのかオイ、猫見』
『ん~とね、・・・・・うん、楽しかった!』
予想の斜め上に飛躍した台詞と満面の笑みに、我統も思わず一緒に笑ってしまった。
幸い、当事者を含め怪我人が出なかった事から、光姫に厳重注意の後に解散となったが、
・・・逆に猫見が怪我してねえってのは妙だよな。
苛立ちも薄れたのか新たな煙草に火を点けた外道はぼやく。
「この街には・・・、変人が多い。学院にもな」
「・・あれ、もしかしてその括り、俺も入ってる?」
問いに対し薄ら笑いを貼り付けて返答とした外道に、我統もまた笑う。
府熊は他所と比較して飛び抜けて灰汁の強い土地だ。
まるで居るのが当然であるかの如く、奇抜な風貌や気性の輩が現れる。魔窟と言ってもいい。
むしろ個性と割り切って何でも容認している土地柄にこそ問題が有るようにも思えて来る。
我統も例外でなく奇抜な外見である。
額に疵を有し鴉マスクを着けた禿頭の男など、教員だと判断できる要素が無い。
だが、と我統は反論を作る。
――――そう言う手前もその括りから外れてねえだろうが。
言葉に出さず我統は外道を細目でねめつける。
外見は至って普通の男性に見える。だが、外道忠信という男はこの府熊の中でも異様であった。
一言で言うならば、淀んでいる。初対面で目を合わせた我統は、そう直感した。
決して当人の悪辣且つ皮肉屋な所を指したのではない。
オーラとでも言うのか、人の持つ活力の証である筈の外道のソレは、死んでいた。
眼鏡の奥、まるで輝いていない双眸は対峙する者に多大な疲労感を与えるのだ。
先の猫見が活力で万人を照らす太陽であるとすれば、
外道はその真逆、不快の渦で周囲の者を呑み込んで行く底無し沼だ。
そんな外道の歪みの一端を見たのは最近の事だった。
○
ある日の放課後、一部の生徒が煙草を吸っていると聞き我統は校内を見回っていた。
敷地の奥、プール区画と塀に挟まれた隠れるには具合の良い場所へと足を運んだ時だった。
それを見つけた我統は唖然とした。そこに居合わせたのは、やはり煙草を吸っていたのだろうが何故かボロボロで崩れ落ちている生徒複数人と、生徒の一人を踏み付けている数学教師だったからだ。
『・・・ふん。おいお前ら、ついてなかったな。あん?理由だあ?・・・今、とある馬鹿のお陰でちょいと頭に来ててな、そう言う訳だな。・・・暴力教師?何だそりゃ、まさか俺の事じゃないよなおい。おいおい、何で泣いてんだよ面倒だな。・・お前ら、三年だろ。しかも野球部が、夏も控えてんのにこんな所で油売ってていいのか。ああ、そう興奮するな。しっかりと、話し合いで解決しようじゃねえか。まあ待て、話は終わってねえ。・・それで、お前らはこの場所でうっかり転んだ、そうだな?・・・聞こえねえなハッキリ喋れ。俺の目を見ろ。・・お前らは、ここで、転んだんだな?・・・よし、さっさと帰れ。あ、待て、一つ言い忘れていた。そう警戒するな、只の忠告だ。・・煙草は二十歳からだド阿呆。・・ふぅ、ん?ハゲじゃねえか、お前も休憩か?』
外道は日頃から口も悪いし手も出るのが早い男だ。
だが、そこで見た滅茶苦茶な言動と、ぞっとするような切り替えの速さが、我統には人としてどこか致命的な歪みに思えた。
後日、生徒の一人が退学届を出して来たと校長が困り果てていた。
外道は変わらず、煙草を吹かしていた。
○
「人の教えた事はしっかり覚えとけよ、要領の悪い」
我統が回想を打ち切ると、外道は光姫への愚痴をこぼしていた。
ふと、我統の中には違和感が生じていた。
「ところで外道―――」
その事実を初めて聞いた時から我統は不可解に思っていた。
外道の普段の性格や振る舞いと齟齬の有る事柄だったからだ。
それは、
「手前と猫見って、家族なんだよな?養子縁組にだしたとかで」
「・・・・・・・・ああ」
我統の質問で外道の顔に再び険が入る。
「一緒に住んでんのか?」
「一昨年まではな、今は別々だ」
我統の聞いた話では、外道は数年前に養護施設で光姫と知り合い、双方合意で養子縁組届をだしたそうだ。
不思議なものだ、と思う。普段、校内では周知の事実である程(かなり一方的に)仲の悪い生徒と教師が、一応は父と子の関係であるというのは。
しかし、その事実を認識すれば外道の苛立ちの理由は我統も何となく理解できる。
詰まる所、猫見光姫の起こした問題の処理は、その殆どが保護者である外道忠信に回って来るのだ。
砕き割られた窓ガラスの修繕費用は、当然、外道が払う破目に為ったのだろう。
連日問題を起こされては怒りが募るのも仕方無い事だ。
だが、やはり根本的な疑問が残っている。
「どうして養子に取ろうと」
「もういいだろこの話は・・」
質問を続けようとした我統の言葉を外道が重ねて止めた。
外道は声のトーンを下げ、暗い気配を滲ませている。
その意味は我統にも分かる。これ以上踏み込んで来るなという、明確な拒絶の意志だ。
引き際を悟った我統は煙草の灰を落とす事で話の区切りとした。
瞬間、校舎を揺るがす大震動が発生した。
はい、Part1でした。
今回のメインは、生徒ではなく教師です。
こんな教師いねぇよ、という指摘は勘弁な。
コメディって偉大だと思うの(白目)
ついでの説明
雲野遥 うんの はるか
身長230cm 角刈り巨漢の45歳
府熊殿学院国語教師
2-A担任で同学年の主任教師
温厚篤実
木原潮 きはら うしお
白髪に白衣を着込んだ59歳
府熊殿学院生物教師
謎物体を作り続ける奇人
あまり人の話を聞かない
五十嵐我統 いがらし がとう
禿頭に鴉マスク、黒ジャージの疵面。33歳
府熊殿学院体育教師
2-E担任で生徒指導部を兼任している
煙草を良く吸う
愛用の銘柄は‘Diamond Dust’通称D2。
3択
1.ジュッ
2.ベキッ
3.ブチッ
タデスキをよろしくお願いします。