もし、信じられるのなら、生きてほしいから。
悲しみが自分の目の前で劇的に舞いだしたとき、それを自分の手で止めることはできなかった。両腕で抱きしめることで、悲しみを止めようとしたのだけれど、自分が思うよりも悲しみは体の深い、深い部分にあって触れられることができなかった。春の匂いの風がすべてを包んで、癒してくれるのを待てばいいのか。
時間が経つことで、かわることができたことは、いっぱいある。
あの日、あんなにも辛くて泣いていた日、そんな日さえ、大切だったと思う。
思い出したくない、といえば嘘で、
大事にしていきたいというわけでもなくて、たけど、できれば思い出したくない。
そんな、訳の分からない、抽象的な表現でしか表せないもの。
それが多すぎて、自分の手を持て余してしまっている。
たくさんの感情。
溢れたら、誰の手を汚すんだろう。
きれいでは、決してないよ。
まっしろでもないよ。
だけど、きっとやわらかいと思う。
空気よりも重くて、息をするには軽すぎる、そんな。
自分で抑えることのできるものだけど、できたら誰かに触れてほしい。
みんな、ひとりで生きていくのは恐いんでしょう?
だから他人にすがって、手を握って、腕を掴んで、顔を寄せ合うんでしょう?
同じ匂いのする人だったら、安心できるんでしょう?
求めているものは、動物的な欲ではなくて、人間的な温かさなんだ。
“ 誰でもいい “ ことに優しさを持ってしまったり、
無視できなくなってしまったりした、寂しい人もいるけれど、
私はそんな人を救うことができるんだろうか。
いちばん人を求めて、外の汚い風にさらされている人ほど、
いちばん悲しさを両手に溢れさせているのに。
誰かのそばにいないと生きられない。なんて、本当なわけない。
ひとりで生きていけないわけじゃない。
いくらでもひとりで生きていく方法はある。
無理して、人と繋がっている必要はない。
不満もあるわけない。生まれる理由さえない。そんな命あるわけない。
人に踏み倒されて、平気なやつがいるわけないだろ。
笑ってたって?
そんなの精一杯のお前に対する愛だったんだろ。
プライド?強がり?
そんな一時的な勇気なんて、ちっぽけだ。
だけど、相手のそれを自分が包んでやりてぇって感じないの。
プライドも強がりも人に簡単に見せられるもんじゃねぇよ。
汚くて、ふやけてて、膿んでて、赤くて、腫れてるかもしれない。
だけど、相手のそれを自分が守ってやると、自分だけでも受け入れてやると、言おうと思えないの。
人間って、ほんと弱い。
すべてを伝える方法が言葉ってモンでしかなくって、痛い。
抱きしめたり、手を握ったり、見つめあったり、匂いを嗅ぎあったり、抱き合ったり、
繋がっていたとても、それは難しい。
だけど、愛は人に伝わってしまうものだ。
嫌いな人、にくい人に対してだって、愛は必ずどっかに持っているはずなんだ。
体のどっかで、道に迷っているだけなんだ。
なにされても、笑顔で笑っていられるような人間になりたいよ。
強さって、なんだか分からないんだけれど、ほしいと思うんだ。
それがあれば、誰かのことを、救えるんでしょう?
引き続き、短編。つまらなかったらすみません。
でも今はこれぐらいの文の方が気持ちや想いを込めて書くことができるのです。