第四章 迷い子たちの帰還
絶望的な状況に置かれる二人。そんな中、太一の決断とは?
第一節
迷い子たちの順番
警告灯が、赤から深い橙へと変わる。エネルギー残量、限界。太一は無言でコンソールに指を走らせる。
退助は補助回路の修復に集中している。意識はこちらに向いていない。
太一の視線だけが、ある一行の数値に留まる。”生命維持系統、単独維持モード”。理論上、片方だけなら地球圏到達の可能性がある。もう片方は…冷却も酸素も保証されない。今、自分の生命維持を切れば、退助だけは、地球に帰す事が出来るかもしれない。
太一は静かに、設定を切り替える事を決意する。指が、タッチパネルに触れようとする。その瞬間。
「太一?」
咎めるような退助の声。低く、確信を帯び、怒気を孕んだ声。その声に太一は振り向く。
退助が、こちらを睨んでいる。
「何やってる?」
「……効率化だ。」
嘘だ。二人とも分かっている。退助が、ゆっくり近づく。
「今度は自分の番って、顔してる。」
太一の手が止まる。言葉にならない。まるで叱られた子どもの様に俯く。
でも、退助の目が言っている。あの時…最初の事故で、退助が助けられた時。あの時からずっと、太一はどこかで帳尻を合わせようとしていた。「借りを返す番」。
「…違う。」
俯いたまま、太一は言う。だが声が弱い。退助はコンソールの前に立ち、太一の手を強く掴む。宇宙服越しでも分かる、震え。
「順番じゃない。」
荒い息と、それに込められた怒りは、太一にとって初めての、退助の表情。
「俺たち、交代とかじゃないだろ!」
冷凍睡眠みたいに、生きる番も、死ぬ番も、回ってこない。退助の視界が、涙で霞む。
「……一人で帰るなんてイヤだ!!」
退助が怒鳴る。駄々を捏ねる子どもの様に見えるが、そこには強い意志が込められている。
「…一緒に来たんだ。」
その言葉で、太一の中の覚悟が崩れる。静寂。警報音が、逆に遠く聞こえる。
やがて、太一はタッチパネルから手を離す。そして、航法パネルを見つめる。”地球帰還確率――極低。”計算結果は冷酷だ。退助が小さくふぅっと息を吐く。太一が呟く
「なあ。」
「ん?」
太一が言う。
「地球、諦めるか。」
その言葉は、絶望ではない。選択だ。地球の大気圏へ無理に突入すれば、船体は分解する可能性が高い。だが、外縁へスイングして軌道を外せば、エネルギー消費を抑えられる。帰還はしない。ただ、漂う。
“深宇宙の迷子”。太一は航路シミュレーションを表示する。地球から外れる軌道。太陽系の縁へ向かう、長い放物線。
「……寒いぞ。」
と、太一。
「知ってる。」
退助が、かすかに笑う。
「でも、二人なら、まあ。」
その軽さが、救いだった。太一は軌道修正を入力する。
スラスターが短く噴射。地球へのベクトルが、ゆっくり外れる。モニターに表示される“帰還不能”の文字。二人は並んで、それを見る。不思議と、静かだ。
「式、宇宙でやるか?」
退助が言う。
「招待客いないぞ。」
「星がいる。」
太一が小さく、哀しげに笑う。
第二節
迷い子たちの逆転
その瞬間。太一の脳裏に、ひらめきが走る。さっきの計算。エネルギー不足。だが…木星探査で取得したデータ。巨大磁気圏の観測値。そして、今も微弱に残るプラズマ嵐の尾。
太一は急に端末を叩き始める。
「待て!」
退助が驚く。
「どうした?」
太一が、モニターを見つめながら言う。
「まだ……ある。」
太一の目が、研究者のそれに変わる。
「木星の磁気嵐の残滓。太陽風と干渉してる!」
退助が不思議そうに尋ねる。
「それが?」
太一の目に、輝きが戻る。
「帆だ。」
短い沈黙、退助は首を傾げる。
「……は?」
太一が熱っぽく語る。
「磁気セイル。理論上はあっただろ?」
強力な磁場を展開し、太陽風を受けて推進力に変える。通常は巨大装置が必要。だが、木星観測用の磁場発生装置。プラズマ嵐の高密度領域。
「今なら、乗れる!」
退助の呼吸が止まる。
「賭けか?」
「賭けだ。」
成功すれば、推進剤を使わずに加速できる。失敗すれば、制御不能で完全に、外宇宙へ弾き飛ばされる。「深宇宙の迷子」どころか、永久の放浪。
退助は太一を見る。その目に、迷いはない。さっきまで死ぬ覚悟だった男が、今は生きる計算をしている。
退助が、ゆっくり笑う。
「やっぱり。」
「何だ?」
退助は、可笑しくて仕方ないという様な表情で、太一の顔を見つめる。
「お前、最後まで諦め悪い!」
太一も笑う。
「順番じゃないんだろ?」
退助は操縦席に戻り。
「じゃあ二人でやる。」
警報音の中、新しいシミュレーションが立ち上がる。赤だった予測線に、細い、かすかな青いラインが伸びる。確率は低い。だが、ゼロではない。
太一が言う。
「退助、まだ帰れるかもしれない。」
退助は深く息を吸う。
「じゃあ。」
コントロールスティックに手をかける。
「帰ろう!」
宇宙船は、磁場を展開し始める。見えない帆が、広がる。太陽風が吹いている。二人は並んで、その賭けに身を預ける。
深宇宙へ流されるか、それとも、奇跡的な軌道を描くか。運命は、まだ決まっていない。でも。今度はどちらの番でもない。二人の選択だ。
磁気セイル、最大展開。観測用に搭載されていた磁場発生装置が、唸るような低音を発する。船体周囲に不可視の磁場が広がり、プラズマ粒子が軌跡を描く。太陽風の流速が、想定値よりわずかに高い。
「乗れるか?」
退助の声。
太一は計算を走らせ続ける。
「……いける。角度、あと0.3度」
退助がスラスターを微調整。推進剤は残り少ない、失敗は許されない。
次の瞬間。衝撃。船体が大きく軋む。だが、破断しない。モニターのベクトル線が、わずかに変わる。赤だった帰還不能ラインが、細い青へと反転する。
「……捕まえた」
太一が呟く。磁気セイルが太陽風を受け、じわじわと速度が乗る。爆発的な加速ではない。だが確実に、地球方向へのエネルギーが積み上がる。退助が深く息を吐く。
「生きてる!」
「まだ途中だ。」
だが二人の声は、もう絶望ではない。
第三節
迷い子たちの帰還
数週間。最低限の生命維持で、交代で眠りながら航行を続ける。今度の冷凍睡眠は、“時間稼ぎ”ではなく“希望への橋渡し”。
退助が眠る前、太一が言う。
「起きたら、地球圏だ」
あの時とは違う。今度は現実味がある。
退助は薄く笑う。
「ちゃんと起こせよ。」
同じ台詞。でも、意味はまったく違う。
地球。青い球体が、モニターに映る。小さく、でも確かに。退助が目を見開く。
「……見える。」
太一は何も言えない。喉が詰まる。通信アンテナを再起動。信号微弱、応答なし。もう一度。
ノイズの向こうから、断続的な音声。
「……こちら地球……信号を確認……繰り返す……」
退助が笑いながら泣く。
「迷子が保護されたぞ!」
船は地球軌道に至る。だが最後の難関がある。大気圏突入。軌道上の、他の浮きドックやステーションは、まだ未完成で稼働状態には無く、二人には傷みきったこの船を使って、当初の予定通りに再突入を行う他に、帰還の方法が無い。
エネルギーは最低限。姿勢制御も完全ではない。
「角度が、浅すぎると弾かれる。」
「深すぎると燃える。」
太一が冷静に言う。退助がコントロールスティックを握る。
「ちゃんと真ん中に、いってやる。」
船体が震える。操縦・指揮区画が、船体から切り離される。
「ありがとうな、暁光。」
二人は、船に別れを告げる。
やがて、機体は大気との摩擦熱に包まれる、外部カメラが焼け落ちる。警報が、連続で鳴っている。そして衝撃。視界が白くなる。太一が叫ぶ。
「退助!」
「いる!」
それだけで、十分。轟音。振動。そして――
急激な減速。衝撃。静止。目を開けると、重力がある。本物の、1G。計器は沈黙。煙の匂い。だが酸素は正常。
退助がゆっくり顔を上げる。窓の外には青空。雲。そして、海。
「……帰った…のか?」
太一の声が震える。ハッチを外側から叩く音。救助隊の声。ハッチが開く。
太陽光が差し込む。眩しい。担架に乗せられながら、太一は隣を見る。退助もこちらを見ている。ボロボロの顔。でも、笑っている。
「式な!」
退助が言う。
「春だろ?」
太一が、涙をこらえながら答える。そして、二人の声が重なる。
「海で!!」
どうにか、二人を帰還させる事が出来ました。彼らは、もう迷い子では、無いのかもしれません。




