第二章 迷い子の約束
惹かれ合い、徐々に近づく二人。そして交わされる約束。そんな二人に、仕事上の転機も訪れて…。
第一節
迷い子たちの進展
その日は訓練が長引いた。更衣室で上着を羽織りながら、太一は何度も言葉を飲み込む。
「退助。」
呼ぶと、退助が振り向く。
「今日……時間あるか?」
ほんの少し、間が空く。
「あるよ。」
即答だった。その即答に、太一の胸が静かに震える。
「飯、行かないか?」
業務の延長のような顔をして言う。でも視線は、ほんのわずかに泳ぐ。退助は笑う。
「うん、行きたい。」
それだけで、十分だった。
海沿いの小さな店。照明はあたたかく、窓の外では夜の波がゆるく光っている。二人は向かい合って座る。宇宙の話。訓練の愚痴。他愛もない冗談。笑うたびに、距離が自然に縮まる。
退助が、料理に箸を伸ばしながら言う。
「太一とこうしてるとさ、なんか……落ち着く。」
呼び捨てが、すっかり板に付いている。太一は一瞬だけ止まるが、否定しない。
「俺もだ。」
視線が合う。逃げない。
そのとき。店の入り口で、聞き覚えのある声がした。
「あれ? 八木?」
同僚だった。偶然の来店。驚いた顔。二人は同時に振り向く。ほんの一瞬、空気が固まる。だが…太一は、目を逸らさない。
「おう、退助と飯。」
隠さない。説明もしない。退助も、穏やかに会釈する。
「お疲れ様です。」
同僚は少しだけ視線を往復させる。並んだグラス。自然な笑顔。互いを呼ぶときの声の柔らかさ。
何かを察したかもしれない。何も分からなかったかもしれない。
「へえ、仲いいな。」
軽く笑って、自分の席へ向かう。
その背中を見送りながら、太一は静かに息を吐く。怖くなかったわけじゃない。でも。隣にいる退助の存在が、揺れを小さくしていた。
退助が小さく言う。
「太一。」
「ん?」
「……ありがとう。」
何に対してかは言わない。でも、分かる。隠さなかったこと。堂々としていたこと。一緒にいることを、当たり前にしたこと。太一は照れたように笑う。
「腹減ってただけだ。」
そう言いながら、テーブルの下で、そっと手を伸ばす。触れるか触れないかの距離。
退助も、わずかに指を動かす。今度は、意識して。ほんの数秒。誰にも見えない場所で、確かに触れる。朗らかな時間は、そのまま続く。笑い声も、窓の外の波も、すべてが自然。でも二人は知っている。
もう、戻らない。
第二節
迷い子たちの噂
噂は、声をひそめた形で広がった。
「最近、あの二人よく一緒にいるよな。」
「前から仲は良かったけどさ。」
悪意はない。面白がる調子も、ほとんどない。ただ、気づいている人が増えただけ。
訓練棟の廊下を並んで歩く二人。ブリーフィングで自然に隣に座る二人。名前を呼ぶときの、わずかな柔らかさ。隠していないけれど、誇示もしていない。それがかえって、揺るがない。
ある日、上官に呼ばれる。書類の確認かと思ったら、ふとした雑談の中で、言われる。
「プライベートは自由だ。ただ、仕事に影響が出なければな。」
視線はまっすぐ。責めてはいない。念押しでもない。確認。
太一は頷く。
「問題ありません。」
退助も、静かに。
「任務は最優先です。」
それだけで終わる。
廊下に出て、二人は顔を見合わせる。
「緊張した?」
退助が小さく笑う。
「少しな。」
でも、どちらの胸にも、後ろめたさはない。
この時代、同性婚は特別なニュースでは無くなりつつある。まだ、全員が祝福するわけではない。でも、珍奇なものでもない。
数年前、学生時代の男の友人が、男性と式を挙げたこともあった。そのとき、太一は遠巻きに見ていた。
祝福の拍手。少し照れた新郎たち。その光景を思い出す。胸の奥に、かすかな予感が灯る。隣を見る。退助も、同じことを考えている顔をしている。
噂はやがて、日常に溶ける。
「あの二人、そうらしいよ。」
それだけ。特別視も、排除もない。二人が仕事と、これまでの生活の中で積み重ねてきた信頼が、何よりの盾になっている。
ある夕方。訓練後の屋上、海が遠くに見える。退助が、ゆっくり言う。
「太一。」
「ん?」
「俺たちさ、普通に未来の話、してもいいのかな?」
“普通に”。その言葉に、長い時間が含まれている。太一は少し考えてから、静かに答える。
「もう、いいんじゃないか。」
遠い昔では、言えなかった未来。でも今は、手を伸ばせば届く距離にある。風が吹く。自然に、手が触れる。今度は、隠さない。誰かに見られても、もう逃げない。
それは反抗ではなく、ただの選択。
第三節
迷い子たちの約束
小さな打ち上げ成功祝いの席だった。訓練区画のラウンジ。紙コップのビールと、簡単な軽食。いつもの顔ぶれ。
太一が、紙コップを持ったまま立ち上がる。少しだけ静かになる。退助が隣に立つ。視線が集まる。
「えーと……まあ、噂になってるのは知ってる。」
小さな笑いが起きる。太一は一度、退助を見る。退助は、穏やかに頷く。
「その通りだ。俺たちは、付き合ってる。」
間…空気が固まる気配は、無い。むしろ――
「やっぱりな。」
「うん、知ってた!」
「おめでとう!」
「発表が遅いぞぉ!発表が!!」
そんな声が飛ぶ、拍手が起きる。茶化しはあっても、棘はない。退助の肩が、ほんの少し震える。安堵だ。太一は、それを横目で確認してから続ける。
「まだ何も決めてないけど……いずれ、ちゃんと形にするつもりだ。」
形。その言葉に、誰かが言う。
「式、やるなら呼べよ!」
笑いと拍手が重なる。祝福は、過剰じゃない。でも確かに温かい。夢の中の記憶では、想像もできなかった光景。
夜。人が引いたあと。ラウンジの窓から、遠くの海が見える。退助が静かに言う。
「結婚……って言ったね。」
「言ったな。」
太一は苦笑する。でも、否定しない。退助は、太一の側に寄り添い、指を絡ませながら尋ねる。
「怖くなかった?」
「少しな、でも…。」
太一は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「隠すほうが、もう嫌だった。」
退助は、息を吐く。
「俺も。」
沈黙。甘く、満ちた沈黙。
「太一。」
「ん?」
「宇宙、行く前に籍入れる?」
冗談めかしているけれど、目は真剣だ。
太一が言葉を返そうとした、そのとき。スマートデバイスが震える。緊急通知。
“有人深宇宙探査任務 クルー選抜開始”
二人とも、画面を見る。互いの名前が、候補リストにある。しかも…同一ミッション、同一クルー枠。退助が、ゆっくり息を吸う。
「一緒、だな。」
太一は頷く。胸が高鳴る。喜び。誇り。そして、ほんの少しの不安。宇宙は、夢だ。でもそれは、必ず帰還が保証される場所ではない。退助が、静かに言う。
「だったらさ。」
太一を見る。まっすぐに。
「帰ってきたら、じゃなくて。行く前に、ちゃんと約束しよう。」
旧い時代では、叶わなかった約束。未来では選べる。太一は、少しだけ目を閉じる。
海の匂い。名前を呼ぶ声。指先のぬくもり。全てが、今に繋がっている。目を開ける。
「……ああ」
短く、強く。
「行く前に、結婚しよう」
風が、窓を揺らす。
遠い未来へ向かう二人の背中に、もう迷いはない。
はい、ようやくここまで来ました。作者も、ここでちょっとだけ安心してますw。




