第一章 迷い子の邂逅
時は未来。人類がその生活圏を、太陽系全域に広げていくことになるより、少し前のお話。
第一節
迷い子たちの顔合わせ
「……!」
八木太一は夢を見ていた。ここ最近、何故か繰り返し夢に見る光景。遠い昔、同性に対して抱いた恋心を胸の中に閉じ込めたまま、全うした人生。
「本機は間もなく、着陸体勢に入ります…」
機内アナウンスが聞こえてくる。物理学者である彼は、大学院在籍時に発表した論文「核融合炉の小型化に於ける、磁場による中性子線封じ込めの有用性に関する考察」が、ある組織の目に止まり、スカウトを受けた事で、任地へと赴任する為、機上の人となっていた。
「まぁ、男が好きな事に対しては自覚も有るけど…。」
目が覚めた途端、輪郭がぼやけ、曖昧になってしまう夢だが、眠りの中では、まるで自分の身体に刻まれた実体験の様な、鮮明さを持っていた。
種子島宇宙センターの見学デッキ。打ち上げを終えたロケットの余熱が、現在は、宇宙開発機構に組み込まれたこの施設の空気に、まだ少し残っている。太一は、その日初めて種子島の地を訪れていた。
「宇宙開発機構」はグリニッジに本部を置く国際機関である。人類の生活圏を宇宙に広げる事を目的に設立された。ここ足掛け二世紀に渡る宇宙開発の成果として、オニール型と呼ばれるスペースコロニーや、軌道上で宇宙船を建造する為の浮きドックと、宇宙ステーションが、稼働目前の状態にある。
現在はそれら、宇宙時代を支える事になるインフラを、足掛りとして使用する「ある計画」が進行しており、太一はその計画の為に、その能力を開発機構から見出され、この地へとやって来た。
「そろそろ顔合わせの時間だな。」
時計を見てそう呟いたところに、案内のアナウンスが入り、太一は指定された会議室へと向かう。顔合わせと言っても、やる事は単なる名刺交換である。
「中島です。」
宇宙服を脱いだ後の、少し汗ばんだ空気を纏った男が、名刺を差し出した。年齢と体格は、太一と同じくらいに見える。
「八木……」
そう言いながら、太一も名刺を差し出し、受け取った名刺に視線を落とす。「中島退助」と書かれている。
そのほんの一瞬、太一の中のもう一人の心が、不自然に揺れる。理由はない。記憶もない。でも、胸の奥が懐かしくなる。
「……太一です。」
初対面のはずなのに、言葉が柔らかい。退助が、ふっと笑う。
「どっかで会ったこと、ありましたっけ?」
太一は首を振る。でも、否定が少し遅れる。
その後、同時期に赴任してきた数人と顔合わせを行い、簡単な懇親会が催された。明日からは、共に宇宙を目指す仲間であり、ライバルとなる。その最中、ふと太一の視界には窓の外の景色が飛び込んでくる。
遠くで海が光っている。青く、静かに。その海を見た瞬間、二人とも、同じ事を思う。
「海って…良いな。」
理由は分からない。けれど胸の奥に、共に肩を並べて潮の匂いを吸い込んだ、午後のぬくもりのような感触が、ほんの一瞬、通り過ぎる。それだけ。説明はない。因果もない。約束もない。だが何故か、言わずにいられなかった。
「今度、一緒にいきませんか?海。」
たまたま同じテーブルに着いていた中島退助に対して、遠い昔に言い残したように感じられる言葉が、自然に口から出る。大きな奇跡じゃない。ただ、「躊躇がない」という救い。
第二節
迷い子たちの引力
訓練棟の廊下は、夜になると静まり返る。自動照明が人物に反応して、遅れて灯る。太一は、なぜか退助と歩調が合う。合わせている訳では無いのに、自然に同じ速さになる。外の誰と並んでも、こんな事は無い。
退助はよく笑う。大きな声では無く、喉の奥で柔らかく。その笑い声を聞く度に、太一の胸の奥に、なにか古い木戸が軋む。開いた事の無い扉。でもずっとそこにあった気がする扉。
ある日の訓練。無重力下を想定した閉鎖空間で、二人は同じモジュールに配置される。暗転。非常灯だけが点く。通信が一時的に切れる。ほんの数秒。その沈黙の中で、退助がぽつりと言う。
「八木さんと一緒だと、不思議と落ち着くんですよね。」
冗談めかしている。でも、半分は本音。太一は、ヘルメット越しに目を伏せる。
「……俺もだ。」
それ以上は言わない。言えない理由も、無いはずなのに。
休日。海沿いのカフェ。退助が、砂浜を見つめながら言う。
「なんでか分からないけど、海を見ると、誰かと約束してた気がするんです。」
太一の指が、カップの縁で止まる。約束なんて、していない。出会ってまだ数ヶ月。それでも、胸がぎゅっと縮む。
「守れなかった約束、かもしれないな。」
思わず、そう言ってしまう。退助が驚いた顔で振り向く。
「そんな気がします?」
太一は笑ってごまかす。根拠なんてない。記憶もない。根拠もない。ただ、退助が遠くを見る横顔が、懐かしくて仕方がない。
やがて、二人は恋に落ちる。劇的ではない。気がついたら、隣に居るのが当たり前になっていた。気付いたら、互いの沈黙が心地よくなっていた。理由はよく分からない。でも……、誰かに説明出来なくても、自分の心だけは知っている。
「やっと見つけた。」
そんな感覚。前世だとか運命だとか、そんな言葉はでてこない。ただ、一度失った温もりに、もう一度触れた様な安心。それだけ。
第三節
迷い子たちの痛み
最初に「退助」と呼んだのは、ちょっとした、業務連絡の中だった。
「退助、データ送った?」
無意識だった。いつもは、「中島さん」と呼んでいるのに。
言った瞬間、太一は自分で驚いた。けれど、退助は一拍だけ止まって、それから柔らかく笑った。
「送ったぞ、太一。」
敬称が消えたのは、そこからだった。たったそれだけの事なのに、空気の密度が変わる。名前が、肩書や立場よりも先に立つ。
訓練後の更衣室。金属ロッカーの扉の閉まる音が響く。退助が、背中越しに呼ぶ。
「太一」
ただ、それだけ。振り向くと、何も特別な話題は無い。
「今日のシミュレーション、きつかったな。」
でも、太一の胸は、何故か温かい。呼ばれただけで、そこに居て良いと許された気がする。
夜のビデオチャット。用件はとっくに終わっているのに、切れない。沈黙の後、退助が小さく言う。
「太一」
「ん?」
「……いや、何でも無い、また明日な。」
画面越しなのに、その声は近い。太一は少し黙ってから、同じ様に返す。
「退助。」
「明日から、またヨロシクな。」
それだけで、満ちる。理由はない。説明も出来ない。でも、心の奥のどこかが、「ここだ。」と頷く。
まだ手は繋がない。まだ未来の約束もしない。ただ、名前を呼ぶときの声が、少しだけ柔らかい。誰にも気づかれない変化。けれど二人の間では、確かに何かが始まっている。
それは、前世の記憶ではない。運命という言葉も使わない。ただ、ようやく正しい呼び方を見つけた、という感覚。
次の朝、打ち上げ前の最終チェック。薄暗いブリーフィングルーム。巨大スクリーンには軌道計算の数字が流れている。隣り合って座り、同じタブレットをのぞき込む。退助が画面を拡大しようとして、指を伸ばす。そのとき。太一の指と、触れた。ほんの一瞬。爪の先が、かすかに触れた。
二人とも、引っ込めない。引っ込める理由を、思いつかない。電流のような衝撃ではない。むしろ逆。
静かで、深い安心。
「あ……。」
退助が小さく息をのむ。謝るでもなく、冗談にするでもなく。ただ、指先が触れたまま、互いに画面を見ている。鼓動が速いのは分かるのに、怖くない。
太一は、そっと指を動かす。触れたまま、ほんの少しだけ位置を変える。離れない。退助も、離さない。
二人とも、偶然のふりを続けている。数秒。やがて退助が、かすれた声で言う。
「太一。」
それだけ。名前に、微かな震えが混じる。太一は、指先のぬくもりを感じながら、小さく返す。
「……退助。」
どちらも、触れたことにはふれない。でもその瞬間、二人は知ってしまう。名前だけで満たされていた時間が、もう一段、深くなったことを。指先が離れたあとも、そこだけが、しばらく熱い。理由は分からない。
でも確かに、
「やっと触れた。」
そんな感覚が、胸の奥で静かに息をしている。
指先が離れてから、
太一はほんのわずかに背筋を伸ばした。何事もなかったように、画面を操作する。数字を確認し、淡々と頷く。
「軌道修正、ここだな。」
声はいつも通り。けれど、呼吸が少しだけ深い。退助は何も言わない。追及もしない。ただ、隣にいる。その“追わなさ”が、太一の胸をさらに静かにする。戸惑っている。それは確かだ。
――今のは偶然だ。
――業務中だ。
――こんなことで揺れる年齢でもない。
頭の中では、いくつも言葉が並ぶ。けれど。指先に残ったぬくもりだけは、どうしても否定できない。嫌ではなかった。むしろ…安心した。それを認めた瞬間、太一の肩から、ほんの少し力が抜ける。
休憩時間。自販機の前で、退助がコーヒーを二本買う。無言で一本差し出す。受け取るとき、また、指が触れる。今度は一瞬で離れる。でも、二人とも微かに笑う。
「……寒いな。」
太一が言う。
「そうだな。」
短い会話。けれどそのあいだに、さっきの出来事が“消えていない”ことが、静かに確認される。
退勤後。一人になった太一は、自分の右手を見る。大げさなことは何も起きていない。抱きしめてもいない。告白もしていない。ただ、触れただけ。それなのに。胸の奥が、あたたかい。戸惑いはある。でも、後悔はない。
否定しようとすると、心が小さく首を振る。――違うだろ、と。太一は、小さく息を吐く。
「退助……」
名前を口にする。声に出すと、さっきの指先の感触が、やわらかく蘇る。怖くはない。むしろ。ようやく何かが、正しい場所に収まったような気がする。まだ、踏み出さない。でも、戻らない。太一の戸惑いは、拒絶ではなく、大切に扱おうとする慎重さ。その慎重さごと、退助は受け止める人だと思う。
夜。退助の部屋は整っている。無駄なものが少ないのは、特に彼がミニマリストと言う訳ではなく、仕事柄、もしものときに備えて、身辺を常に整理する癖がついて居るからに他ならなかった。
ここに来る前の退助は、民間航空機メーカーのテストパイロットとして、危険な業務に従事していた。機体の性能を、設計の理論値を超えて引き出す程の操縦技術を持ち、それを会社からは高く評価されていたが、この計画の話を聞いたとき、何かに突き動かされるかの様に、自ら志願していた。だが、その衝動の正体を表す言葉を、彼は自分の中に持っていなかった。
「静かな夜だ。」
等と独りごちながらシャワーを浴び、髪を拭きつつ、ふと右手を見る。今日、触れた指。何度も思い出す。偶然だったのか、それとも――。
胸の奥が、じんわりと熱を持つ。苦しいほどではない。けれど、確かにそこにある。甘い、痛み。
「太一……」
声に出すと、少しだけ苦しい。でも、その苦しさが嫌じゃない。拒まれたわけでもない。逃げられたわけでもない。むしろ、離れなかった。その事実が、退助の胸を静かに満たす。眠りにつく前、彼は思う。
――焦らない。
――大事に、いこう。
その決意は、強くない。ただ、あたたかい。
同じ夜。太一もまた、ベッドに横になりながら、右手を見ている。
「……なんなんだよ」
苦笑する。戸惑いはまだ消えない。でも、不安ではない。思い出すのは、触れたときの退助の表情。驚きよりも、どこか安心したような目。ああ、と思う。同じだ。自分だけじゃない。
胸の奥に宿るその甘い痛みが、きっと、向こうにもある。太一は、天井を見つめたまま呟く。
「明日、ちゃんと顔見よう」
逃げない。でも急がない。それだけ決める。
翌朝。廊下で鉢合わせる。一瞬、視線が絡む。どちらも、微かに照れる。けれど、逸らさない。
「おはよう、退助」
「おはよう、太一」
名前が、少しだけ柔らかい。並んで歩く距離が、昨日よりほんの数センチ近い。触れない。でも、触れられる距離。
エレベーターの中、肩がかすかに触れる。今度は、どちらも動かない。それは偶然のふりをしない、小さな選択。距離を詰めるのは、劇的じゃない。一歩でもない。ほんの、数ミリずつ。でも、その数ミリに、
互いの意思が宿っている。
甘い痛みは、まだ消えない。でもそれは、離れるための痛みじゃない。近づくための痛み。二人とも、分かっている。
言葉にしないまま、同じ速度で、同じ方向へ進み始めていることを。
序章と違ってラブラブで、書いてて恥ずかしくなってきますな(笑)。
ちなみに、作者はglobe好きです。




