リルケの日記
お母様とのお約束から十年が経ちました。あと三日で十六歳、旅立ちの日がまいります。あれほど賑やかだった森も、今は静けさが深く感じられるように思います。
本当は温かい時期が良かったのですがお約束ですので仕方ありません。雪が降る季節よりは前で本当に良かったです。
不思議なもので、今か今かとその時を待っていたのにもうすぐだと思うととても寂しく心細く思います。
今日は森へキノコを採りに入りました。ツクヨミタケやクロムジタケが今年は豊作です。その代わりといっては何ですが今年はドロルの実が少なく思います。私はドロルは硬いし渋いし食べませんから良いのですが、十二年前にドロルが足りなかった年は冬に獣が山を下りて大変だったと聞きました。何ごとも無いと良いのですが…もう、山ふもとの村を守って差し上げることもできませんから。
それからサイ婆様のおうちのお掃除に行き、ついでに隠し部屋に色々と収めさせていただきました。私はしばらく留守にしますしその間に大切なものを荒らされては困ってしまいますから。
いつかまた、隠し部屋に収めたものが役に立つ日が来れば良いなと思います。
今日採ってきたキノコはオイルで煮て瓶詰にしました。こうして鞄に詰めておけばしばらくは食料にも困りません。
春、夏、秋、冬。薬草や木の実もたくさん集めて干したり煮たりして鞄に詰めました。薬もたくさん作りました。村中の小瓶やジャム瓶を集めたのです。割れてしまっているものも多かったですが、それでも綺麗にすれば使えるものも沢山ありました。
心残りはバリラさんの庭のエリンの実でしょうか。あと半月もすれば食べごろですが私は三日後には立たねばなりません。まだ少し青い実はジャムにして瓶詰にしてはありますが、やはり熟した生のエリンのあのかしゅりとした食間と口に広がる甘酸っぱさには代えられません。またいつか、ちょっと上るのが怖いあの木の梯子を上って木の上でエリンをかじる日が来ると良いなと思います。
新しい服も縫いました。エミルさんの衣装ダンスに眠っていた若い頃のワンピースを私に合わせて縫い直しました。それと、一年と少し前に旅立ったヤーナ姉さまの部屋で私の旅立ち用に用意してくれていた刺繍のケープを見つけてしまいました。いろいろな祈りの文様が裏地いっぱいに刺されています。いつの間に刺してくれたのでしょう…ずっと一緒にいたと思ったのですが、私に知らない間にこんなにも…。うっかりと、ケープを抱えて泣いてしまいました。ヤーナ姉さま、お元気でしょうか。今はどこで何をしていらっしゃるのでしょう。
ジル姉さまも、ファルナ姉さまも。今、どこにいらっしゃるのでしょうか。旅立たれてからもう数年経ちますが、お元気でお過ごしでしょうか。私もあと三日で旅立ちます。どこかでまたお会いできるでしょうか?
旅立ちは寂しいですが、またお姉さま方にお会いできると思えば行き道がずいぶんと明るくなる気がします。どうかお元気でお過ごしくださいね。リルケももうすぐ行きますから。
今日はここまで。明日も良き日でありますように。
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あと二日。もう荷物も全て用意し終わりました。あとは旅立つだけです。
と、思っていたのですが、やはりどうしても本を置いて行くのが忍びなくてカーラおばさまのおうちからいくつか拝借してきてしまいました。
置いて行く本は傷んでは嫌ですから部屋ごと全て魔法を掛け直しました。おうちはとうとう崩れてしまいましたがさすがはカーラおばさま。書斎だけはしっかりと隠ぺい魔法と保存魔法の重ね掛けがされていました。
見事な術式と魔法陣にうっかりと見とれてしまいましたがしっかりとノートに写し取り、更に魔力を上乗せしておきました。このままでも五十年はもつはずです。それまでに一度は戻ってくるつもりです。
しばらく戻らないと思うと色々なことが気になります。もっと綺麗にすれば良かったとか、あそこは直しておいた方が良かったかしらとか。
分かってはいるのです。私が立てば森に守られたこの村は全ての時間を止める。だからまた時間が動き出すまでこの村は私が旅立ったその日のままだと。
それでもあれやこれやと気になってしまうのは……なぜでしょうね。
秋のまま時間を止めたこの村は、もしも春に戻ったらどうなるのでしょう。あのエリンの木の実は熟さず落ちず待っていてくれるのでしょうか。何年も、何十年も……もしかしたら何百年も。
考えたらなぜか悲しくなってきてしまいました。門出は祝うものだとあれほどお母様にも言われましたのに。
聞き分けのない娘で本当にごめんなさい。いずれお母様たちに追いつく日が来たら、その時は困った娘だと存分に叱ってくださいね。
今日はここまで。明日も良き日でありますように。
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とうとう、明日になりました。今日が最後の日です。
これを書いて、眠って、起きたら旅立ちの時がやってきます。
今日は最後の夕食としてココ鳥の卵を分けてもらい、ふわふわのオムレツにしてきのこのオイル漬けを添えていただきました。ファルナ姉さまがお好きでしたよね。
ココ鳥たちは小屋から出して森に放ちました。卵のために一緒に暮らしていましたが元々は森の生き物です。特に元気な子たちですからきっと元気に暮らしてくれるでしょう。むしろ、元気すぎて森で他の子たちに迷惑をかけないかの方が心配ですね。
崩れてしまったおうちはどうしようもありませんが、残った建物や村のお片づけは終わりました。お母様たちの眠る丘も綺麗にして、ひとつひとつに花を添えました。広場の中心の井戸にはいつお姉さま方が帰ってきても良いように汲み桶を新しくしておきました。テーブルの上には今年の春に摘んだ薬草茶の瓶とティーセットを置いておくつもりです。
願わくば、私がいつか戻ってくるときにはお茶が減っていると良いと思います。
この日記も持って行こうかと思ったのですが、やはりここに残していこうと思います。万が一、落としたりして人に読まれるのは良くありません。外の世界は恐ろしいですから。
あの恐ろしい日。村が焼かれ、壊され、姉さまたちと私を隠してお母様やおば様たちが命を落とされた日。まだ五歳ではありましたが、私はあの光景をありありと思い出すことができます。
私が明日この村を立てばこの村は時間を止め、魔法に満ちていた森も眠りにつきただの森になります。
森の恵みはずっと減るでしょう。森の獣もずっと減るでしょう。
代わりに魔獣が増えるでしょう。代わりに大地が穢れるでしょう。
けれど、それを望んだのは人間です。
いいえ、一番近い山ふもとの村の方たちは私たちにとても優しかったですから、彼らは望んでいなかったでしょうね。長い時を共に歩んできた彼らは魔女が消えれば森がどうなるのかを良く知っていますから。
彼らを思えば心が痛みますが、彼らは正しく世界のあるべき形を知っています。きっと魔女が消えても強く生きてくれると信じています。
明日、私は魔女である自分を封じて人の世界へと旅立ちます。お母様との最期のお約束通り、姉さまたちと同じように魔女ではなく魔術師として生きていきます。
なぜ魔女では駄目なのでしょう?なぜ魔術師なら良いのでしょう?
魔術師は体内の魔力を使いただ魔法を使える人たちです。
魔女は世界に当たり前に存在する魔力や玄界から溢れ出る瘴気を取り込み魔法を使います。そうして世界を浄化しています。
浄化ができるから魔獣が懐くのです。浄化ができるから瘴気の大地で暮らせるのです。魔女が瘴気を浄化するから、人の住める大地になるのです。なぜ、魔女であることが罪なのでしょう?
いいえ。今ここで私がどれほど考えたところで何の答えも出ないでしょう。ただ、心が黒く塗りつぶされるだけ。姉さまたちと憎まない、恨まないと約束しましたのに。
どこかで姉さまたちにもう一度会えるでしょうか。どこかで別の森の魔女に出会えるでしょうか。いつか世界が変わり魔女としてこの森に帰ってくることができるでしょうか。
私は魔女であることに誇りを持っています。母が魔女だったことに、祖母が魔女だったことに、魔女の村に生まれたことに誇りを持っています。
いつか私はこの村に帰ってきましょう。その時、この世界がどのように変じているのかは分かりません。
魔女たちはどんどんと減り、魔女の村も魔法の森もどんどんと減っています。あふれ出る瘴気を浄化してきた魔女と森がいなくなった世界がどうなるのかは分かりません。
私は最後のこの森の魔女として、変わり行くこの世界の行きつく先を見守る旅人となりましょう。
私は白の森の魔女リルケ。白の森の最後の魔女。
魔女が来れば森の時間は動き出します。
この日記が、いつか誰かに読まれることを祈っています。
お読みいただきありがとうございました。
またお会いできましたら幸いです。




