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《98》

***




 九月を目前にし、じき介護施設で働きだすに当たり、欧華はギリギリまで続けていたアルバイトの家庭教師をいよいよやめることになった。短い期間だったが、目に見える形で生徒の成績アップと勉学へのモチベーションアップに貢献し、感謝され、引退が惜しまれた。欧華の受け持ちだった二人の生徒は、寂しい思いで新しい道での彼女の安泰と成功を祈った。


 内一人である結香は、例の花火大会にいっしょに行こうと誘い、その調子がほとんど懇願に近いものだったので、欧華は断るに断れず、半ば強制される形で了承した。


 欧華は、てっきり結香と二人で行くものと踏んでいたのだが、後で確認してみて、彼女の友達が何人か来ると知って、欧華はその友達とは完全に知らない他人同士なので、当日何だか気まずくなりそうだと危惧されたし、結香の思惑が読めなかった。


 活きのいい女子高生たちを、年長者として一人で管理し、相手するのはさすがに骨が折れると思った欧華は、ある夜宙に対してスマホのチャットアプリで応援を要請する形で、花火大会に行こうと誘った。


 宙は即答でオーケーしてくれ、花火大会で集まるメンバーはずいぶん多く、賑やかになりそうで、しみじみ花火を観賞するというのは叶わなさそうだった。欧華としては、喜ぶべきなのか、迷惑がるべきなのか、よく分からないところだった。


 以前と比べれば、ずいぶんアクティブになったものだと欧華にはしみじみ実感された。戦争で分断が出来ていく世界で、欧華はピースキーパーを理想として国際機関の仕事に真摯に従事したが、荒んでいく世相を変えるには、欧華の立場はあまりにも非力で、影響を及ぼすには遠すぎた。悲哀と無力感と腹立たしさで彼女は自信を失い、志半ばで引退し、しばらく陰々滅々とした暮らしに時日が費えた。


 今でも欧華の理想は変わらなかった。砂漠に水をちょっとずつ貯めていくような、労多くして得るところの少ない営みは、あっという間に無に帰する危うさに常に晒されているのかも知れないが、健気で心を打つものがあった。


 欧華は介護職を選んだ。病気やケガや身体的不自由に苦しむお年寄りたちを介助によって笑顔にすることは、やりがいがあるように思われた。綺麗ごとだという声があるかも知れないが、欧華は、そういうシニカルさに同調するより、人の純真な善意を信じたかった。どれだけ悪意や粗暴さに晒されても、彼女には、守りたい自分自身の世界があり、その世界を守るために、彼女は古い秩序を破り、新しい秩序を打ち立てようとしたのだった。


 その試みが果たしてうまく行くかどうかはまだ分からない。彼女はその第一歩を踏み出すところなのだ。いわば欧華は人生の節目にいるのであり、今回の就職を境に、彼女の生活は一変するに違いなく、その記念として、花火大会に参加することは、必ずしも相応しくないことはないようだった。


 欧華は、最後の結香への授業を終えて隣町より汪海町まで帰ってきたその遅い晩に、宙を花火大会に誘って、返信を貰ったのだが、ふと彼女は、そういえば宙が受けた国立天文台の採用試験はどうなったのだろうと気になった。


 確かに気になったが、宙がその報告をしてこないことが、何となく結果を示唆しているように欧華には思われた。勿論、あくまで示唆に過ぎないし、どの道結果はいずれ近い内に明らかになるだろうし、欧華はあえてその件に触れることはしなかった。


 岬家の自室で、欧華はすでに寝間着姿で、お風呂に入った後であり、座卓にサランラップをかけてあった夜ご飯を食べ、歯磨きして、後は寝るだけだった。


 帰り道、夜気が涼しく、欧華は車の窓を開けて運転したが、ずいぶん爽快で、ちょっと肌寒いくらいだった。


 さすがに自室ではエアコンなしではまだツラかったので、つけていたが、秋の進行が、知らないところですでに始まっているようだった。


 以前結香が言っていた、花火大会の時期がちょうどこの土地では夏の終わりと秋の始まりに当たるという話が、欧華において思い返された。


 欧華は風呂上り、自室のローテーブルで座布団に座って文庫本の小説を読んでいたが、その時開いていたページにしおりを挟むと卓上に置き、目前の障子と窓を少し開け、身を乗り出して夜空を仰いでみた。星はあまり瞬いていなかったが、月が皓々と照っていて、その周りを雲が流れていた。蒸し暑さの中に、車を運転していた時に浴びた涼しい夜気が、うっすら混じているようだった。


 欧華は自室に引っ込み、窓と障子を閉じると、再び座布団に落ち着き、今度はスマホで二輪車を検索した。


 彼女は宙と同じ職場の古川という男に感化され、自動車教習所で二輪の教習を受けることにし、まめに教習所に通っていたが、すでに車の免許を持っているので免除される項目が多く、たった二週間で卒業してしまい、彼女は早くもめぼしい一台を選定しているのだった。


 和子はオートバイに対していいイメージを持っておらず、孫娘の二輪免許取得に反対したが、欧華は、他はそうでないにしても、そのことに関してはあまり聞き分けがよくなかった。


 小さい頃からずっと聞き分けのよい子供でやってきたが、二十歳を過ぎ、欧華はもうそうではなくなってきていた。自分の意志や思いをあまり封じ込めないようにするようになっていた。かといって、彼女は放恣になったわけではなく、節度の有無ははっきりしないけれど、とにかく彼女は昔と変わったのであり、その変化がいいものなのか悪いものなのか、本人にとっても、また周りの人間にとっても、きっぱりと判断しにくいのだった。




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