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95/102

《95》

***




 陽子と欧華が岬家の表の植え込みのそばで、宙を巡ってしっぽり話している途中、呼び声がし、話が中断させられた。


「欧華」


 和子の声だった。孫娘を探しているようだった。


 欧華はハッとすると、「何だろう」と呟き、立ち上がって玄関の方に向かおうとしたが、ちょうど引き戸が開き、サンダルを突っかけた和子が顔を出して見せた。


「あぁ、欧華……」


 和子は欧華の姿を認めた時、ほぼ同時に、彼女の向こうにある人影もまた認め、その人影は石垣に座っていたところ、ちょうど立ち上がろうとしていて、なぜ彼女が植え込みのそばにいるのか釈然とせず、きょとんとした。


「天国さん?」


 和子はそう呟き、すっかり外に出てきた。


「こんばんは」、と陽子は和子の方に歩み寄って来、頭を下げて挨拶する。「ちょっと欧華さんとお話させて貰ってました」


 和子は破顔して「そうですか」、と返した。「そこでは窮屈でしょう。家に上がってください」


「いえ、お家に上がらせて貰うほどでは……」


 陽子は両手を正面に突き出すようにして、遠慮する格好だった。実際、彼女は長居するつもりはなかった。ただ娘が不在というあまりない機会に、彼女について欧華とちょっと話そうと不意に思い付いて来てみただけだった。未だに日脚の長い日がようやく暮れようとしており、時間に余裕はさほどなかった。


 だが、欧華が陽子の前に出てくるりと振り返り、「ご飯でも召し上がっていってください」、とまるで和子の味方に着く風に言った。


「まぁ、欧華ったら」、と和子はいささか呆れる口ぶりだったが、必ずしも同意しないわけではなさそうだった。「でも、歓迎しますよ。まだ少し出来るまで時間がかかりますけど」


「そういえば」、と欧華は和子の方を振り向く。「わたしに何か用事でもあった?」


「ううん。あなたの姿が見えなかったから、探してたのよ」


「そっか」、と欧華は納得し、陽子の方に向き直る。「どうします? 陽子さん」


 陽子はどうしようか考えたが、その間に和子が言葉を挟んできた。


「この子、今度介護職に就くんです。でも、未経験で不安みたいで、天国さん、レクチャーしてやってくれませんか?」


「おばあちゃん」


 欧華は要らぬことを言わないでくれという風に眉をひそめて振り向いたが、陽子の方に向き直ると、どこか嘆願するように、返事を待った。


「いいですよ」、と陽子は結局答えた。そして車をとめた位置に問題がないか確認し、問題ないとされると、三人で家に入っていった。いい加減日暮れが近く、六時半を過ぎていた。


 陽子としては、最悪帰りが遅くなったとしても、その夜は家に一人だったので、特に問題はないのだった。すでに夜ご飯用の食材が冷蔵庫の中に用意されているのだが、次の機会に回せばいいだけのことだった。




 ……




 家に入ると、支度されている夜ご飯のにおいが強くにおった。陽子は台所まで案内されたが、使い古された油まみれのコンロには、二つ鍋があり、一つには豆腐とネギの味噌汁が、もう一つには、開いたアナゴの煮物がグツグツ言っていた。味噌汁のにおいと、煮物の甘いにおいと、炊きあがった米の湿気とが混ざり合い、昔懐かしい和食の風情が濃厚だった。和子はどこか得意げに、作っている途中の手料理を紹介したが、陽子は素直に感心した。


 その後、陽子は欧華と台所を去り、途中、居間でテレビを見ている憲一にサラッと挨拶して行き、欧華の案内で二階の彼女の自室まで移動した。


 部屋はすっかり整っているわけではなかったが、布団は、敷布団、掛布団共々折り畳まれて重なった状態で枕と共に隅に寄せられており、後は食べかけのお菓子の袋があったり、充電ケーブルが蛇のように畳の上をうねっていたりするくらいのものだった。


「欧華ちゃんのおじいちゃんと顔を合わすの、わたし今日が初めてだったわ」


 畳みの上に足を崩して座る陽子が、恐れ多いという風に、部屋中あちこち整えて回っている欧華に言う。実際、憲一は、ひょっこり顔を出して挨拶してきた陽子を、何者か疑うように睨み付けたのだった。(決して彼に害意はなかったが。)


「漁師なんです。憲一って名前で。もう七十越えてるんですけどね」


「へぇ。そうなんだ。熱心なのね」


「一時は海女さんになれって勧められましたが、結局介護職を選びました」


 お菓子の袋の切れ端や、レシートなどの細々したゴミをゴミ箱に入れると、部屋は粗方綺麗になり、欧華は陽子のそばに、彼女と同様、足を崩して座った。


「ハァ」、と欧華はため息する。


 陽子はその様を見て微笑んだ。


「今まで色々と思い悩むことがあったでしょうね」


「そうですね。ここに来てから、色々ありました。宙との出会い、陽子さんとの出会い、お父さん、お母さんとの絶縁……」


 欧華はそこまで言い、そういえばエアコンを付けていなかったと思い出し、畳の上に転がってるリモコンを取ってピッとボタンを押した。


「何か、他人事とは思えないのよね。欧華ちゃんのこと。宙と同い年だからかな?」


 そう言われると、欧華は口元を緩め、どこか嬉しそうに笑うのだが、その笑顔に微かに陰翳が差すのを陽子は見逃さなかった。


 欧華は父母と袂を分かった。生き方を自身で決めたいと思った欧華と、娘に成功のシナリオを用意しておいてやった父母の間の齟齬が原因だった。


 あるいは欧華は、父母との関係をすっかりダメにせず、修復を試みるつもりがあるのか分からないが、今の彼女においては、父母の存在はないに等しいものであり、あるいは彼女のあるべき郷愁とか、子供っぽい甘えたさとかいうものが、同い年の宙の母である陽子に、投影されてでもいるようだった。




***

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