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《90》

***




 海辺のカフェでの会話を通じ、宙と欧華は、互いの企図を相手に向かって、半ば期待と共に、半ば自信を欠いて、告げることで、驚きと当惑があったものの、互いに理解し合うことで決着した。


 家で宙が、陽子に対して欧華について話してみると、陽子はまず驚いたが、彼女の勤務先の病院でパートタイムの看護助手を募集しているから、ぜひ働きに来ればいいと言った。看護助手と介護士はある程度共通する部分があるのだった。だが、正職員を希望する欧華の思いと、陽子が何気なく提案した病院のパートタイムの仕事はミスマッチに違いなかった。


 八月の中旬、まだお盆期間に入る前、宙の働くプラネタリウムに久々に欧華が観覧にやってきた。


 事前の連絡などなかったので、宙は驚き、喜んだが、彼女よりなぜか古川の方が喜んでいた。


 投影後、三人で軽い雑談を交え、古川が趣味でオートバイに乗っているなどと宙が紹介すると、欧華は興味を持って、二輪の免許や整備に関していろいろ尋ね、そのことで自分に多少気があるといいように受け取ったらしい古川は、思い切って欧華に連絡先を聞いてみたのだが、きっぱり断られたのだった……。




 欧華はしばしば祖父の車を借りてドライブしていたが、彼女は乗り物が、マニアックというほどではないが、好きなようだった。宙にはまったく縁のないオートバイという乗り物に、欧華は乗りたがっているようであり、古川との話にチラッと出た隣町にあるサーキットにも行ってみたいようだった。


 その内、宙は国立天文台職員の採用試験と面接の期日が近付いてきた。一方で、欧華は、ある介護施設での採用が決定し、九月の頭から勤務開始になること、及び自動車教習所で二輪車の教習を受けることを宙に伝えた。


 宙においては、ただ来るべきことを待ち構えるだけだったが、物事が変化しているという感覚があった。彼女も、新しい道に足を踏み出すべく然るべき選択を敢行したわけだが、この変化の渦が、自分と身の回りの物事を撹拌し、分離させていくという気がして、どこか不安であった。




 まだまだ暑い汪海町に、お盆がやってきた。カレンダーでは平日の表示だが、多くの企業はお盆休みの期間に入っていた。


 宙の場合は、シフト制でお盆期間中も仕事があり、陽子の場合は、基本的に土日祝が休みなのだが、医療系の仕事はカレンダー通りになることが多いので、彼女においても、お盆は関係ないのだった。


 天国家では、地元の慣習に従ってお盆でのやるべきことがあり、御供え物の買い出しに行ったり、仏壇を清掃して盆提灯を飾ったりするのだった。


 家で出来ることは宙と陽子が協力してやったが、唯一僧侶の訪問時の応接だけは、基本的に平日なので、宙がしないといけなかった。訪問の予定日が休日になるように事前に職場にシフト申請し、当日迎え入れ、仏前で読経して貰い、心遣いを渡すのだった。


 ずっと世話になっている菩提寺の僧侶は、天国家に来る度に、瑛地が亡くなってから、月日の過ぎ去るのが早いものだと通り一遍の文句を言い、宙に対して大きく立派になったものだと感嘆するのだった。お盆期間中の僧侶は激務であり、一軒一軒その家の者とじっくり話して回る余裕などなく、読経が終われば、即座に退散するのだが。


 僧侶が去って静かになり、仏壇の前で宙は、父が亡くなって何年経つのだろうかと、よく焼けた彼の笑顔の遺影を見つめて思うと、指を何本も折って数えないといけなかった。それぐらい長い歳月が経っており、だけど父を想う気持ちは小さい頃と少しも変わらず、宙は、何だか自分がまだ親離れ出来ておらず、情けない気持ちになってくるようだった。


 宙は仏前を離れ、軽く準備すると外に出、施錠して自転車に跨って走り出した。墓地まで向かうのだった、


 蝉の合唱がやかましく、日射は激烈で、遠くを見遣ると陽炎が立っており、まだまだこのひどい暑さは続くのだろうが、カレンダーでは、秋はそう遠くなかった。


 ブレーキレバーで速度を調整しながら、自転車で坂道を下り、延々と住宅地の隘路を行き、何回か辻や丁字路を折れると、軒を争う住宅に混じって建つ寺があり、そこが天国家の菩提寺なのだった。


 宙は自転車を下り、低木が並ぶ前庭の石畳の道をまっすぐ行き、灯篭の向こうの仏殿を見た。白くなった木材が、年季を偲ばせた。


 空いている隅に自転車をとめ、仏殿の脇の道を奥に進むと、墓地が広がっていた。


 天国家の墓にはすでに盆供養と筆で書かれた水塔婆が立っており、数日前に飾ったばかりの樒は、すでにこの激暑のために乾燥してきていた。


 宙は水道でバケツに水を汲むと、柄杓で墓石にかけて濡らしてやり、瞑目して合掌した。


 仏教の慣わしに従えば、精霊はすでにそれぞれの家族や子孫のいる家に回帰してきていることになる。数日経てば、また常世に帰っていく。そういう霊の営みが、宙には微笑ましかった。死者に対するそういうイメージを大切にする日本の文化が、彼女は嫌いではなかった。


 宙は初めて墓前にて、そこに父の霊が佇んでいるという想像と共に、陽子や欧華にしたように、ハワイに行くというみずからの企てを述べて伝えた。


 宙には、瑛地がもし生きていたら、どういう風に反応するのか、皆目分からなかった。だが、常に彼女には、遺影の瑛士の歯を見せて笑う明るい顔が、ぼんやりと見えているのだった。




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