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88/102

《88》

***




 オーダーされたアイスコーヒーは、ステムグラスでやってきた。ゴロゴロ入った氷でアイス、グラス共々よく冷えていて、グラスはソーサーにのっていて、コーヒーにはストローがささっていた。ソーサーにはシロップが添えてあった。


 宙と欧華は、コーヒーを運んできた店員に続けてプリンをオーダーし、来るまでの間とりあえずコーヒーを飲むことにした。ここの店が焙煎してブレンドしていて、コク・香り・苦みのバランスで構成される味が独特だった。


 コーヒーの味はおいしいのだが、宙も、欧華も、苦みのために眉をひそめると、ストローを口より離した


「柳川さんっていうのは、宙の職場の人?」


 欧華が宙の方を見て訊いた。


「うん」、と宙はストローでコーヒーをかき混ぜながら、答える。「この間、欧華と同じところに旅行に行ったことがあるって話した女の人」


「そっか」、と欧華は納得すると正面を向いた。青空と海原の青い光が、店にまで届き、彼女等の姿を淡く照らしていた。


 店には彼女等の他に、人影はあるにはあったが、平日の昼下がりとあって、さほど多くはなかった。


「スーパーのアルバイト、やめたんだってね」


 宙がストローでコーヒーをかき混ぜるのをやめ、ポツリと言う。


「うん」、と欧華。「心機一転して新しい道に進もうと思って」


「新しい道?」


 宙が気になるといった風の顔で欧華の方を見ると、ちょうどそのタイミングで店員がまた現れ、さっきオーダーしたプリンが運ばれてきた。


 青い皿の上にプリン。カスタードプリンだった。黒っぽいカラメルがてっぺんにあり、とけたものが若干量、側面を伝って皿に流れていた。ホイップクリームがのっており、小さいハーブがその上に飾られていた。


 宙と欧華は早速スプーンで食べてみたが、とても甘くておいしく、シロップが入っているがほろ苦いコーヒーとよく合った。二人して異口同音に「美味しいね」、と言って賞味した。


 これでオーダーは終わりとなり、伝票がテーブルに置かれた。


 プリンはあっという間に胃袋に収まり、二人は後、残りのコーヒーを飲み干すだけだった。


「就職しようってずっと思っててさ」、と欧華。「最近ようやく……八月になってからかなぁ、実行に移すようになって」


「成るほど」、と宙が納得するように返す。「就職活動に専念するために、アルバイトをやめたんだね」


「うん」


 欧華は、ストローを指で支えてコーヒーを飲んだ。


「家庭教師の方は、ギリギリまで続けるつもりだけどね。生徒との関係があるし、ありがたいことに皆、出来るだけ続けて欲しいって言ってくれるし」


「職種は、何にするつもり?」


 やや前のめりの姿勢になって卓上に腕組みする宙が、欧華の方を向いて尋ねた。


「職種は、介護」


「教職は選択しなかったんだ」


「塾講師は向かないって思ったし、教員そのものになるには、免許がないしね」


 欧華は目線を落とし、ストローを指でクリクリと弄っている。


「決まったらどうしようって、結構不安なんだよね。まずわたしは未経験だし、後、どこもシフト制で、休みが不安定なんだよね。日曜日が休みなのは確定なんだけど」


「今よりはきっと、時間の融通が利かなくなるだろうね」


 次職が介護の予定だと聞いた宙は、欧華にうまくマッチしないという第一印象を受けた。だが、彼女なりに考えた末に至った答えであることに相違はなく、否定したりする気は全然なかった。


 今宙は欧華と頻繁に顔を合わせているが、もし彼女が実際に介護職に転じるとすると、互いに会う回数は激減するように予測された。その予測は、二人が疎遠になるイメージと繋がらないことはなく、彼女等において、寂しさが共有されるようだった。


 大人になれば、それぞれの都合が出来てくる。仕事の都合。家庭の都合。仕事の違いで格差が生まれるし、格差に伴って、優越や劣等の感情が生じる。そういったものによって、それまで友人だった者同士が、段々と会わなくなっていくケースは決して少なくない。


 宙と欧華はそれぞれ、自分たちも遠くない将来、そのありふれた一ケースとなって段々と相手への関心が薄らいでいくのだろうかと予想され、気持ちが寒々としてくるようで、目前に広がる真夏の景色とは正反対の暗い感情に襲われた。


 欧華はストローを弄るのをやめ、グラスをソーサーに置くと、落としていた目線を正面の海に遣った。


 宙は隣の欧華の横顔をじっと見ていた。青い髪に、オレンジ色のピアス。透き通ったきめ細かい肌と、何か考えているように遠い目。忘れられていた夢のビジョンが、宙において再構成されて蘇ってくる気がした。まだ彼女と出会う前、宙は欧華によく似た女性と夢路の夜の浜辺で遭遇し、目を奪われたのだ。


 夢に見た人物が隣にいる。そう考えると、何だか宙の目に、欧華の姿がにわかに儚げに映って見えるようだった。彼女のイメージが現実から遊離し、そうすると、どういう事情であれ、互いが離れ離れになるのは、詮無いことなのではないかという諦観の気持ちになってくるのだった。


「宙?」


「えっ」


 欧華に呼ばれた宙は、口を半開きにして、放心状態だったようだ。欧華は心配するように微かに眉をひそめて宙を見て、小首を傾げていた。


「何か考えてたね」、と欧華がその心中を推察して言う。


「うん。まぁ」


 宙は曖昧に返事して、正面に向き直り、コーヒーを飲んだ。氷が半分以上とけて、味がずいぶん薄まっていた。


 世界は広いのだ、と宙は、正面の広大なる海原を見て些少の感激と共にしみじみ思った。


 どこにだって道は通じている。誰にだって、それぞれの道がある。だから、どれだけ親しい家族でも、恋人でも、友人でも、道が違え、離れ離れになる……それは、致し方のないことではないだろうか。




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