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《87》

***




 以前は宙がちょくちょく欧華と顔を合わせていたスーパーで、最近めっきり彼女の姿が見られなくなった。所属する部門が変わりでもしたのだろうかと宙ははじめ思ったが、精肉の方にも、農産物の方にも、加工食品の方にもいる様子がなかった。欧華は家庭教師のアルバイトと並行してずいぶん忙しく、たくさんシフトに入っていたようなので、忽然といなくなるのは妙だった。


 宙は気になってスマホのチャットアプリで尋ねてみると、欧華から、スーパーのアルバイトをつい最近やめたのだという返事が送られて来、納得が行った。


 だが、どういう経緯で彼女がやめることになったのかは記されておらず、宙にあった謎がすっかり解明されたわけではなかった。別のアルバイトにチェンジしたのか、新しいやるべきことが出来たのか、家事を手伝っているのか……欧華について様々に推測された。


 欧華と会って話そうと思った宙は、しばしばそうするように、彼女に近々の空いている日時をスマホのチャットアプリで聞いてみた。すると欧華はその日時を書いてよこしたのだが、指定がくっきり明確で、アルバイトをやめて時間がたっぷりだぶついているといったことはなさそうだった。


 最終的に二人の会う予定の日時は木曜日の午後三時となった。その木曜日は宙の仕事が休みなのだった。


 今回宙と欧華は、どちらかの家を訪れるのでもなければ、いっしょに車でドライブするのでもなく、喫茶店に行くことにしたのだった。喫茶店までは宙の車で行くことになっているが、店はドライブと言えるほどの時間のかからないところにあるのだった。




 ……。




 当日。空は真夏らしくカンカン照りだった。


 陽子が仕事に行って不在の家で、宙は髪を整えたり服を選んだりして準備した。とはいえ、宙の髪は例のごとく、テレビから這い出てくる映画のお化けのようにずっしりしていたし、化粧はファンデーションだけで済ますといった具合で非常にあっさりしていた。服装はドロップショルダーの半袖Tシャツと、ハイウエストのスラックスで、ラフにまとまっていた。


 家の戸締りをして、宙は表の軽ワゴン車に乗って出発した。


 欧華のところまで、おおよそ二十分。


 見慣れた昔ながらの彼女の家の前では、和子がホースに繋がった散水ノズルで水を撒いており、打ち水のようだった。


 和子はすでに何度か来ていることで見知った車を目にすると、水を止め、笑顔で宙を迎えた。

 

 宙は窓を下ろして和子と挨拶を交わし、和子は家に欧華を呼びに行き、他方宙は、車で家に隣接する広場に進入し、リバースにギアを入れ、ハンドルを切りながら慎重に玄関の方にバックし、扉の近くで止めた。


 やがて欧華が外に出て来、彼女は宙と同じように半袖のTシャツとスラックスという出で立ちだったが、その上に薄物のブルーのシャツを重ねていた。


 宙と欧華は目線を交わして頷き合うことで挨拶とし、欧華が助手席に乗り込むと、和子が「いってらっしゃい」と笑顔で手を振って見送ってくれ、宙は快活に「いってきます」、と返した。


 車は元来た道を戻り、岬家の敷地より公道に出ていった。バックミラーには、和子が打ち水を再開する模様が小さく見えていた。


「暑いねぇ、毎日」


 車が走り出してしばらく経った後、欧華が言った。


「そうだね」、と宙。


「喫茶店って珍しいね」、と欧華。「いつもはどっちかの家に行くか、ドライブするかなのに」


「職場の人がおすすめしてくれてさ、ちょっと行ってみようと思って」


 緩やかにカーブする町中の日射で眩しい道を車は走り、脇には中古車屋の中古車がズラリと並んでおり、すぐ向こうには踏切があって、車は一時停止し、電車が来ていないため、再び前進した。


「それに」、と宙が付け加えるように言う。「たまには垢抜けたことでもしてみたいなぁとも思って」


「へぇ」、と欧華は宙の横顔を見て感心する風だ。「何かちょっと大人びたね、宙」


 そう言われ、宙は自分がきざっぽく感じられ、面映ゆい思いがするのだった。




 ……。




 やがて二人の着いた海辺の喫茶店。昔風でなく今風の作りなので、喫茶店というよりはむしろカフェというのが適当かも知れない。ポーチがガラス張りになっており、片流れ屋根の棟と四角い棟とが、ポーチを中央に互いに接している。


 店のメニュー一覧の記された正面の看板を見ると、宙と欧華は開き戸を開いて入店した。


 いらっしゃいませの声に迎えられて彼女等の入った店内は、クーラーがよく効いていて涼しく、インテリアは白が基調で清潔感があり、南国風の観葉植物が置かれていて、コーヒー豆の袋が飾りとして随所に使われていた。


 ガラス窓が長くまた広く、窓際の席では、遮るものなしに海が一望できるようだった。


 案内しに来たシャツにエプロンという姿の男性店員に、同じ職場の柳川の勧めで来たと宙が自信なさげに、人数と共に伝えると、彼はパッと顔を綻ばせ、存じているという風に言い、窓際の席まで欧華共々、誘導された。


 テーブルにはクリップボードに挟まれたメニューがあり、宙と欧華はとりあえずアイスコーヒーを頼むことにした。


 二人いっしょにオーダーを通し、宙は、目の前のガラスを通して見える海の壮観さにしみじみしていると、我を忘れるようだった。隣の欧華も同じようで、卓上に両肘を突いて手を組み、ただぼんやりと前に目を遣っていた。


 けれど、二人共心中では、今まで何となくカジュアルに話せずに黙っていたみずからの企図を、この機会に相手に打ち明けてしまおうと、あれこれ話の仕方を密やかに練っているのだった。




***

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