《82》
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欧華にとって、介護職は未知だった。彼女には、経験も知識も資格もなかったのである。だが、そういった状態でも応募してもいい介護施設の求人は汪海町とその近辺に幾つかあり、彼女は、許してもらえるのならチャレンジしてみようという思いだった。
欧華は、アルバイトをやめて介護職に転じるという自身の企図をまず祖母の和子に打ち明けた。すると和子は、否定せず、納得して孫娘のしたいようにすればいいと答えた。だが、心中では和子は必ずしも満幅の納得が行ったわけではなく、経歴との整合性のほとんどない職に孫娘が就こうとしていることに、些少の失望は否めなかった。
和子にとって、老衰していくみずからの体は、まだ若い欧華の活力に満ちた体と比べると、ずっと価値の乏しいものであり、介護される意義を積極的に見出すことが難しかった。(勿論、老体の不自由は難儀であり、そのために死にたくない彼女は、出来れば介護されたいという思いがあったが。)
他方、祖父の憲一は、孫娘の企図を多とし、応援する姿勢を見せた。中学を卒業後即就業した彼にとっては、働くことの意味がよく理解されており、就職しようとする孫娘の心意気を買ってやった。彼の裏表のないさっぱりした態度は、自信に乏しい欧華にとって大いに励ましとなった。
欧華はある日地元のハローワークに行き、介護職の求人について聞きに行った。すると職員は複数見つけ、募集状況と採用までの流れのパターンを教えてくれた。無資格、未経験でも応募可で、人手不足だそうで、競争率があまり高くなく、欧華は、今後の展望を、現実味を持って予見することが出来るようだった。
そういうわけで、欧華は就職、もとい国際機関の職員を退職した後の再就職の前段階として、まずスーパーのアルバイトをやめることにした。在職期間は四カ月間という短いものであり、いっしょに働く仲間たちとはほとんど打ち解けず、しばしば不信感や疑惑を持たれたりしたものだが、欧華にとってスーパーというアルバイト先は、決して悪いところではなかった。退職後、抑うつ状態だった彼女は、スーパーで軽作業に従事することで徐々に活気が回復し、いわば作業療法的に抑うつ状態が寛解していったのであり、服用していた睡眠導入剤が不要になったほどである。
七月いっぱいで欧華はスーパーをやめ、不思議にも、一抹の寂しさと解放感があった。次の展開が待っている状況での引退というのは、こういう感じなのだろうかと彼女はちょっぴり感慨深かった。国際機関を退く時は、しんどさと申し訳なさしかなかったが、ずいぶん対照的だった。
相変わらずちょくちょく送られてくるエアメールやスマホの電子メールでは、海外の友人たちの近況と、欧華への気遣いが綴られていたが、欧華は彼等に対してみずからが決意して歩むことにした今後について書いて送り返し、すると彼女のもとには、実に様々な反応が寄せられた。ある者は激励したり、幸運を祈ったりしてくれたのだが、ある者は残念がったり幻滅したりして、悲しそうだった。(彼等はきっと、欧華のことが好きであり、欧華が将来、復職してくれることを予期していたのかも知れない。)
そういう風にして、欧華は身の回りの関わりのある人々に今後のことを伝えていき、けれど、宙にだけはずっと伝えずに来ていた。
彼女に対して決して伝えないつもりではないのだが、心なしか彼女には打ち明けにくかった。欧華は、介護職は正規の労働者として、つまり、フルタイムの正社員として働く心積もりであり、そうなった後のことを考えてみると、宙と遊んだり、お茶を飲みに行ったりする今の状況が、不可能に近くなるか、不可能そのものになるに違いなく、欧華はその予感がひどく寂しかった。
スーパーのバイトをやめた一方で、欧華は家庭教師のバイトは継続していた。こちらの方は、生徒との関係性があるので、すぐにやめるというわけにはいかないので、欧華は、介護職として働きだす前に、家庭教師の派遣会社と介護施設との間で、調整が必要だった。
二人いる生徒各自とそれぞれの保護者に、欧華はあらかじめ事情を説明しておき、了解を得た。
スーパーの時と違って、家庭教師をやめるというのは、生徒とのそれまで築いてきた関係性を途絶えさせることであり、何だか薄情なように、欧華には感じられた。
欧華の指導はメリハリが利いていて、やさしいようで実になるものであり、生徒に好評で、また世間話にも嫌がらず応じることで生徒のみならず、親からも好印象だったので、就職のために家庭教師を辞すと告げると、ずいぶん惜しがられたし、本人においては介護職に就く予定なのに、教職を勧められた。
免許さえ持っていれば、ひょっとして教員になっていたかも知れないと、欧華はそうあり得た人生について思いを馳せた。教員というのは、彼女にとって魅力のある職種だったし、なれるなら、なっていたに違いない。
だが、今更その方向にシフトして、教員になる可能性に賭けてみようという気は欧華にはほとんどなかった。そうするには、やさしくない勉強及び少なくない学費が要り、また免許を取得するための試験があって、短くない期間がかかるのだった。
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