《78》
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宙と欧華が最終的に再び打ち解け合うきっかけとなったのは、空腹だった。この馴染みのないダム湖畔の公園で、おのれのプライドのために意地を張ってペコペコの空きっ腹で一夜耐え通すのは、二人にとって苦痛でしかなかった。
夕方の五時半近く、ダムよりキャンプに戻る宙も、タープの下の椅子に座って時間を持て余す欧華も、食欲のためにお腹を押さえていた。
彼女等が合流すると、どちらからともなく相手に微笑みかけ、食事の準備をしようと持ち掛けて頷き合った。
「でも、キャンプの経験、ほとんどないんだよね、わたしたち」
宙が後ろ頭を掻きながら言う。
「カップヌードルとか買っておくべきだったかもね」
欧華がそう返すと、宙は同意して、二人は苦笑いし合った。
すでに時間は夜を目前としており、いくら夏の日脚が長いとはいえ、グズグズしてなどいられなかった。電灯のないこの公園の環境では、日射が絶えれば真っ暗になり、思うように身動きが取れなくなるのである。
そういうわけで、宙も欧華も、ほんの一時間ほど前までの不和のことなどさもなかったように、力を合わせた。詰まる所、二人を隔てることになった要因は、それぞれにとってさほど切実で拘泥するべきものではなかったのである。
野菜のカットなど下準備の要るカレーの方は宙が、ご飯は欧華が担うことになった。
宙はタープの下のテーブルにまな板を置いて、買ってきたニンジンやジャガイモ、タマネギなどをあるいは手で、あるいはピーラーで皮を剥いてからナイフで切っていった。
宙は欧華と共にタープの脇に椅子を持って移動し、鍋を火にかけて具材を炒めていくのだが、その火を起こさなければならず、ガスバーナーはあるにはあるのだが、一つしかなく、欧華が使っていた。従って宙は焚火を用意する必要があった。
宙は革手袋をはめ、持ってきた焚火台に大小の薪を乗せると、着火剤の炭にライターで火を着けにかかった。
欧華はそのそばで二合ほどの米を入れた、蓋をした鍋をバーナーの火に掛けて、後は待つだけだったので、宙を手伝うことにした。
火起こしが思うように捗々しく行かなかった。宙は小さい火から徐々に大きくしていこうとするのだが、着いてもすぐにしぼんで消えてしまい、じれったそうだった。
欧華が見る限りでは、酸素の供給が少ないようだったので、彼女は宙が着火剤に火を着けた後、組み上げられた薪の底部をじっと見つめ、赤熱したところに向かってフゥと息を吹き込んだ。
火は中々大きくなろうとしなかったが、時間をかける内に、最初はただの薪の一部の燃焼に過ぎなかった火が、段々と燃え広がり、他の薪に燃え移り、大きくなって、二人の連携が奏功し、ようやく鍋が載せられるほどの火力になった。
その頃には鍋の米が炊きあがってきているようで、中の水が沸騰してブクブク言っていたのが治まり、いい塩梅のようだった。
宙は鍋の野菜とサイコロステーキを菜箸で炒め、生肉がこんがり焼けたくらいでペットボトルの飲料水を適量入れると、沸騰するまで待った。
鍋の底を越えてメラメラと燃え上がる火を見つめて、宙と欧華は隣り合って、それぞれの椅子に座っていた。辺りはうっすらと夕闇に覆われ始めていた。
「あっ、そうだ」
宙が何か思い出したように言うと、ポケットよりスマホを取り出し、前のめりになり、鍋の載る焚火にレンズを向けて、料理中の写真を撮影した。
「SNSにでも上げるの?」、と欧華。
「ううん」、と宙が前のめりの姿勢を戻し、首を振る。「家にいるお母さんに、報告のつもりで」
「あぁ、陽子さんに」
「何かためらっちゃうなぁ。絶景の写真でも撮れれば、自信満々で送れるんだけど」
宙がスマホを見降ろして、悩むようにこぼす。
「キャンプの写真じゃダメ?」
「ダメってことはないけど、お母さんとか欧華のした旅と比べたら、わたしの旅なんてずいぶんちっぽけだなぁって、何か、劣等感があって」
「そう?」、と欧華。「わたしは、宙は誇りを持っていいと思うけどね。だってここまで宙は自分の運転する車で来て、テントを立てて、料理までやってるんだよ」
宙は半ばはにかむように、半ば苦笑するようにして笑む。
「けど、欧華がいなかったらずっと厳しかっただろうね。わたしだけじゃ、全然ダメだったと思う」
そう言って、宙はふと父、瑛地のことが思い返された。瑛地がキャンプ好きだったかどうかは知らないが、道具を揃えるくらいだし、嫌いではなかったのだろう。その彼がこういう風にして、山や川などに宙と陽子を連れて行って過ごしていたのだと思うと、感慨深いものがあった。
その内お湯が沸いて鍋がグツグツ言いだし、宙は買ってきたカレーの四角いルーを溶けやすいように割り入れた。
熱湯にルーはあっという間に溶け、宙が菜箸でかき混ぜていると、カレーのスパイシーなにおいが湯気に混じって上がって来、二人は空腹感がなお強まってくるようだった。
別の鍋を欧華が確認してみると、すでにご飯がふっくらと炊きあがっており、鍋を下ろすと、カレーの鍋を代わりにのせた。バーナーの方が焚火より火力の調節がしやすいのだった。焚火の方は、何ものせずに燃えるに任せた。まだ明るいが暗くなっても電気のランタンがあるので問題はなかった。
バーナーの弱火でコトコトカレーを煮込んでいる間に、宙はサッとそばを離れ、車のトランクから、楽器でも入っていそうな大きいバッグを肩にかけて運んできた。中には望遠鏡が入っているのだった。夕食の後、暗くなってから設置するつもりだった。空は依然として曇っていたが、チャンスはないではなかった。
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